カテゴリ:映画・マンガ・TV( 119 )

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日曜日、オリバー・ストーン監督の『スノーデン』を観にいった。


スノーデンの事件や、彼が告発したことについては知っていたけど、この映画では、リンゼイという彼女のことも描かれていて、事件後、彼女がスノーデンを追ってモスクワに渡っていたことに驚いた。


スノーデンは愛国者精神をもつ、ちょっと保守寄りなタイプ。でも、彼女のリンゼイはリベラルで、オバマ大統領誕生を喜び、写真やアートやダンスが大好き。共にアメリカを信じ、プーチンにも共産主義にも、シンパシーを感じることなどありえなかったふたりが、今はロシアで暮らしている。


アメリカでこの映画が公開になったのは、大統領選挙中。映画では、オバマ元大統領の責任についても触れられているけど、むしろ、オバマによって、ブッシュ時代よりもさらに大きくなってしまった大統領の権力をトランプに与えるなんて・・という不安が大きかったのだと思う。当時のストーン監督も反トランプだった。


それが、日本公開直前のインタビューで、「トランプ大統領もあながち悪くない」「トランプを良い方向にとらえよう」と語っているのは、トランプ大統領が、ここまでCIAの圧力に屈せず、就任後、その解体に着手している点がみられたからでしょう。


ストーン:「映画はスノーデン氏の証言に基づいてつくっています。彼が09年に横田基地内で勤務していた頃、スノーデン氏は、日本が米国の利益に背いて同盟国でなくなった場合に備えて、日本のインフラに悪意のあるソフトウェアを仕込んだ、とも述懐しています。これは戦争行為でしょう・・・

「ヒラリー・クリントン氏が勝っていれば危険だったと感じていました。彼女は本来の意味でのリベラルではないのです。米国による新世界秩序を欲し、そのためには他国の体制を変えるのがよいと信じていると思います。ロシアを敵視し、非常に攻撃的。彼女が大統領になっていたら世界中で戦争や爆撃が増え、軍事費の浪費に陥っていたでしょう。第3次大戦の可能性さえあったと考えます」

「そのリベラルと呼ばれてきた人たちが、ものすごい介入主義者と化しています。リベラルと言われるクリントン氏をみればわかります。民主党は中道右派となり、左派を真に代表していません」


→朝日新聞インタビュー


映画のスノーデンには、ストーン監督が考える「真のリベラル」の姿が投影されていると思う。そして、ちょっと意外なことに、これは、監督が考える「愛の映画」でもあるけど、ストーン監督が「本当のリベラル」ではないという、現在のリベラル女性に、果たしてこの「愛」が通じるだろうか。


スノーデンは自分が作ったシステムが、自分が想像もしなかったことに使われて疑問を感じ始めた。


日本で、民主的な選挙によって選ばれた民主党政権ができたと同時に、メディアから激しい批判にあい、叩き潰されたのが、2009年。スノーデンがスパイウェアを仕込んだ時期と、政権、メディア、大手企業がこれまでとは別次元で一体化した時期はちょうど重なっている。


原爆が生み出されたのは、ナチスの脅威だったはずなのに、すでに空爆で陥落寸前だった日本に落とされることになったように、テロリストと戦うために設計されたスパイソフトが、世界でもっともスムーズに使われているのも日本・・・ヨーロッパでは注目されたスノーデンの事件は、軍事を情報もすべてアメリカに牛耳られている日本では、特に話題になることもなく、過去3回廃案になった共謀罪も、もうすぐ制定されそうになっている。


彼らも、私たちも、「テロ防止のためならネット監視もやむを得ないのでは?」「悪いことしていないならネット監視されてもいいのでは?」という考えに強く反対をする理由はなく、米国では、主流派のリベラルが、私たちの味方である、オバマ大統領が、自分たちに不利になるような運用をするわけがない。という考えが上回った。


映画を観た当日、トランプ大統領が難民の受け入れを一時的に停止したことで、アメリカ各地の空港で大勢が入国を拒否され、反トランプの抗議活動が激しさを増したことがニュースになっていた。移民国家であるアメリカで、これに不安を感じている人が大勢いることが、とてもよくわかるニュースだった。


ストーン監督はどんな政権になろうとも変わることのない「軍産複合体」を敵だと感じているけど、現代のリベラルにとって、911から始まったイラク戦争への反省から支持を集めたヒラリーやオバマは、これまでの戦争とは違う、新たなリベラル十字軍であって、今までのものとは全く違う。ヒラリーや、オバマの失策を責めることは、ようやく退治した悪魔を蘇らせることになるのだと思っている。


ウーマンズ・マーチで、メディアで大きく取り上げられた人々と、イスラムの価値観はとてつもなく大きくかけ離れているし、イスラム教徒の国を破壊したアメリカが、イスラム教徒の権利を守るだなんて、本当に不思議な理論だけど、都市部を中心にした移民共同体にとって、Islam Ban(イスラム禁止)への反対は、強力なパワーをもつことでしょう。


「テロ防止のためならネット監視もやむを得ないのでは?」「悪いことしていないならネット監視されてもいいのでは?」という問いに反対することができなかったリベラルは、ストーン監督にとっては、「真のリベラル」ではなく、


ハリー・ポッターの作者で、トランプ批判を繰り返してきたJ.K.ローリングが言うような、


もしあなた方が単にその言動があなた方の気に障ったからというだけの理由で、あなた方の意見と反対の意見を持つ人の言論の自由を奪おうとするのなら、あなた方は既に全く同じ理由で他人を牢獄に入れ、拷問し殺すことを正当化するような専制的な暴君達と同じ側に立っているのです。・・・もし私の(トランプ氏の言動等によって生じた)不快感がトランプ氏の訪英を禁止にすることを正当化され得るのであれば、私にも(私の)フェミニズム、トランスジェンダーの人々の権利の為の戦いあるいは普通選挙によって不快な思いをしている人々に対して、あなた側は単に自分が不快な思いをしているというだけの理由でこれら(フェミニズムetc.)の主張を展開する運動家を抑圧してはなりませんと論ずる道徳的根拠は無いということになってしまいます。


という原則を重視する人がいない理由も、よくわかったような気がする。


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私には、メディア戦略によって、子供から、知識人やアーティストたちまで、ドイツを制圧したヒトラーと、巨大メディアから蛇蝎ように扱われているトランプが似ているようには思えず、どちらかといえば、カダフィや、アサドのような独裁者にみえるし、トランプ側にだけ、嘘ニュースがあったとも思わない。


選挙が終わっても、まだトランプ降ろしをあきらめず、トランプが失脚さえすれば、安泰だと思えるなんて、ユダヤ人がいなくなったら、ドイツ人はみんな幸せ。と同じじゃない?ナチだなんて「差別用語」を使うのは、すごくナチぽくない?って思ったけど、


そこには、スノーデンが悩んだ視点はまったく存在しない。


ヒラリーが言う「善」が負けたら、彼らが「ナチス」になってしまう。


負けた方が、「ナチス」になるのだ。


巨大メディアを味方にし、弱肉強食の世界で生き残った勝者たちに、声なき声を味方にしようとした独裁者が勝てるわけがないように思えてきた。


反トランプが勝利することで、世界の多様性も、日本文化が消えていく不安もより増したけど・・・






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by yomodalite | 2017-01-30 12:10 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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遠藤周作の「沈黙」の映画化を、永年模索していたスコセッシ監督の映画がようやく完成したというので、期待して観に行きました。

トランプ大統領が誕生し、EUを離脱した英国のメイ首相も、「我々自身のイメージで世界を作り直そうと、独立国に介入する時代は終わった」(→記事リンク)というような発言をする時代に創られた「沈黙」には、今、本当に求められている欧米統治の歴史への自戒が込められているのでは・・・

そんな過大な期待をしていたせいでしょうか。ちょうどこの映画の公開にあわせて、CSで放送されていた、篠田正浩監督の『沈黙』(1971)も見ていたのですが、そちらとの出来栄えの差は圧倒的だと感じました。

ただ、見栄え以上の「差」はあまりなく、今、この作品を・・という意味においては、正直、がっかりしたというか、普通に原作どおりに作られた作品だと思いました。

俳優たちの演技は、ほとんどの場面を、英語で演技している日本の俳優陣も含めて、みな素晴らしいのですが、篠田作品と極端に違うのは、「井上さま(井上筑後守)」のキャスティング。

篠田作品では、アラン・レネ監督作品で主演も務めた、堂々たる二枚目俳優、岡田英次(ただし、篠田作品では「井上」は、あまり重要人物として描かれていない)なのですが、スコセッシ監督作品では、イッセイ尾形になっていて、彼の珍妙な演技によって、まさに、日本の「沼地」を象徴するような人物造形がなされています(その功績なのか、他の演技派俳優の中で、彼だけが、ロサンゼルス映画批評家協会賞で助演男優賞にノミネート!)。

彼が、『太陽』で昭和天皇を演じたときは、そうは思わなかったのに、今回の大名の演技には、うっかり、「反日俳優」という言葉が浮かんできて、そんな自分にも驚いてしまう・・・

公式サイトの予告編の最後には、長崎の遠藤周作文学館にある「沈黙の碑」の言葉、「人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです」が流れます。

これは小説にはない言葉で、遠藤周作が最後にたどり着いた、神への言葉のように思えるのですが、スコセッシの映画には、その視点は感じられず、日本の純粋な民への愛はあっても、民を虐める為政者を、常に海の向こうに求める気持ちは、相変わらずというか・・・

実際の映画の最後には、日本のクリスチャンへの言葉が流れます。

日本だけでなく、我々は「沼地」に敗北したのだ。という作品のように思えました。





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by yomodalite | 2017-01-27 12:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(5)
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イブの日は、京都ロームシアターで、ミュージカル『わたしは真悟』を観ました。
真鈴(まりん)役に高畑充希、悟(さとる)役に門脇 麦というキャスティングは申し分のないほどイメージ通り。でも、この作品がミュージカルになるなんて、いったいどんな仕上がりになるのか、まったく想像がつかなかったのだけど、幕が開いてすぐに東京タワーらしき塔が現れて、


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「333のテッペンカラトビウツレ」

という構成には速攻でがっかりしてしまいました。フランス人の演出家を起用したことで、楳図かずおの現代アート界での評価がもっと上がるきっかけになったり、コミック全体を通読すれば10時間ぐらいのストーリーを、140分に凝縮して現代に合わせる、とても困難ではあるものの、今度の指標となるような仕事に期待していたんですが、

概ね原作の筋通りの展開の中で、2016年作品としては必要のないバブル期の日本バッシングなどの設定を残すなど、演出のフィリップ・ドゥクフレは、これまでに培ってきた手法を使って、依頼された仕事をただこなしたという印象で、特にこの原作に思い入れがあるようには思えず・・


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日本マンガが幅広く読まれていると思っていたフランスですが、帰りの電車の中で読んだパンフに、「ホリプロさんが訳してくれた原作漫画を読んで大好きになり・・」と書いてあったので、演出家が自ら選んだ企画ではなく、フランス語版の『わたしは真悟』も販売されていないみたい。

ドゥクフレ氏は、有機物でも無機物でも、人間が表現することにチャレンジしている身体芸術の演出家なので、機械の意志や街の様子、自然現象などは表現できても、真鈴と悟という子供の世界の「愛」や「世界」には手を出せない。そんなことが冒頭すぐの東京タワーになったんですね、きっと。

でもよく考えたら、当時46歳でありながら、これほどまでに子供の感性で作品を創ってしまった楳図かずお氏が、あまりにも稀有なアーティストだったことと、80年代の日本の勢い、その両方が合わさった奇跡をヨーロッパ人が表現することを期待する方が無理だったのかも。

そんな感じで舞台の出来は期待通りではなかったものの、会場は、平安神宮や京都市美術館・府立図書館といった建物の近くで、改装されたばかりのロームシアターも素敵で、同時に開催されていた楳図かずお氏の複製原画展など、イベントとしては充分に楽しめました。


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京都府立図書館&京都岡崎蔦屋書店による選書フェア『わたしは真悟』をもっと楽しむ24冊!というのも紹介されていたのですが、ロボット、SF関連の本が並ぶ中、『結婚式のメンバー』を見つけてちょっとびっくり!それは私のオススメで『わたしは真悟』を読んだ人が、私に薦めてくれた本でもあったから。


結婚式のメンバー (新潮文庫)

カーソン マッカラーズ/新潮社




大阪に帰る電車の中で、これは榊原郁恵から始まった『ピーターパン』ミュージカルの新機軸としてのホリプロの企画で、だから、ピーターパンを演じた高畑充希が主役なんだ、とか、マイケルは『わたしは真悟』読んでなかったのかなぁなどと、いつもながらの想像にふけりながら家に戻ると、大阪駅周辺もご近所もクリスマスでいつも以上に賑わってました。








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by yomodalite | 2016-12-25 18:43 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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原題は「The Childhood of a Leader」。ジャン=ポール・サルトルの「一指導者の幼年時代」という短編が元になっているらしく、第一次世界大戦後を舞台に架空の指導者の幼少期を描いた物語。

ハリウッドでは、ヒトラーとユダヤ人虐殺に関する映画が繰り返し作られていますが、ここ最近、ヨーロッパでヒトラーの映画が多いのは、反グローバリズムからナショナリズムが台頭しているということだけでなく、独裁者が大勢現れた20世紀をもう一度見直したいという気運があるような気がして、この映画が、イギリス、ハンガリー、フランス合作という点にも惹かれたんですね。

ただ、通常、鑑賞前はできるだけ情報をシャットアウトする私も、この映画の評判が良くないことは、なぜか小耳入ってきて、それを確かめに行ったという動機も少なからずありました。


結論から言えば、そういった評判は間違っていないと思いました。

予告編の情報、

・フランス語を教える美人家庭教師
・政府高官の父親は、子育てを母親にまかせっきり
・美しい母親は、子供の面倒を見ながら「本当は結婚なんてしたくなかった」
・少年は、自分が愛しているのかどうかわからず、教会の教えに反発する
・少年は、美人教師の胸を触って、怒られ、僕は悪い子なの?と問い返す
・両親から「あの子は善悪がわからない」と思われる
・少年:(母と一緒にいる男+父と家庭教師を見て)「ふたりで何してたの?」
・敬意を示せと、少年の部屋のドアをぶち破る父親
・反抗的な態度の息子に「あの子は私たちの手に負えない」
・少年:「神なんていない」「僕は間違っていない」

で、「独裁者の謎に迫る心理パズルミステリー」のパズルは出揃っていて、

これらの組み立てをミステリーというのは、プロットとしてショボいというか、それだけを売りにして、伏線を張ったせいで、驚愕のラストシーンというよりは、え、これで終わり?!という衝撃の方が勝ってしまったような。

一回見ただけの印象では、この映画が「深読み」できる内容かは疑問で、「映画IQが高い」とも言えないのでは?と感じましたが、

ただ、この監督が映画を作ろうとした動機は「深い」と感じました。

まず、始まってすぐに私が「深いなぁ」と思ったのは、少年の父親がアメリカ人で、終戦を迎えた1918年に、パリで行われるヴェルサイユ条約作成のために、アメリカからフランスに送り込まれた政府高官で、

妻で少年の母親は、ドイツ人でありながら、親の仕事で、アメリカやフランスで暮らした経験から3ヶ国語を話せる才女だということ。

1919年という舞台背景から、20世紀の独裁者たちを思い描きがちですが、この設定が、ムッソリーニやヒトラーと全然違うことで、監督が強く「アメリカ」を意識していることがわかりますし、

スターリン、ムッソリーニ、ヒトラーといった20世紀の独裁者たちは、みな貧しい家の生まれですが、上流階級でプレスコットという名前から思い出すのは、ブッシュでしょう。

そういった監督のアメリカへの意識の強さがわかると、母親がクリスチャンで、日々の祈りや、教会に行くことを重要視していても、家を守るとか、夫の仕事のサポートをするなど、妻や、母親といった旧来型の「女の仕事」がイヤで仕方がない様子など、現代アメリカのセレブ妻が、キリスト教ではなくリベラル教で、子供を教育し、移民の女性をメイドにしながら、女性の自由や自立を支持している姿とも重なって見えてきて、

現在、トランプ氏が大統領選を勝利したことによって、南北戦争や、ジャクソン大統領時代がクローズアップされていますが、そのジャクソンの次の民主党大統領が、主人公の父親が仕えるウィルソン大統領・・・

と、そんなことが、この家族を見ていると思い出されて、私は冒頭で、身を乗り出したんですが、そのあとの展開はラストの「ずっこけオチ(と言いたくなるネタに関してはキャスティングにヒントあり)」まで、伏線通りに進んで行ってしまって、ちょっと残念だったんですね。

見終わってすぐに思ったのは、主人公が、実在の人物でないのなら、第一次世界大戦や、ヴェルサイユ条約というはっきりとした年代はいらなかったのでは、ということ。

でも、これを近未来の話として映画化するのは、これがデヴュー作だという新人監督には、やっぱり厳しいのかな・・なんてことを考えつつ、帰宅して、公式サイトを見ていたら、

「Production Note」に、こんな監督の言葉がありました。

2006年の、ヴェルサイユ条約締結について書かれたマーガレット・マクミラン著『ピースメイカーズ・1919年パリ講和会議の群像』を読みました。当時イラクへの侵攻が始まって既に2年以上経過していたこともあり、読みながら今起きている状況と重ねずにはいられませんでした。・・ウッドロウ・ウィルソンの切実ながらも効力のなかった政治活動は。一世紀後でもアメリカの外交政策が一向に進化していないことを、この本は明確に綴ります。そして、両対戦間を経て、ムッソリーニとヒトラーが鋼鉄協約を締結することにより、ドイツとイタリアが軍事的また政治的につながって枢軸国が形成されるまでを読んでいると、現代においても結局同じ事が繰り返されているという思いに駆られました。・・・

ああ、やっぱりそうだったのかと納得。

それと、イギリス、ハンガリー、フランス合作で、キャスティングもヨーロッパの俳優だったのに、監督はアメリカ人だったんだぁ・・と、またまた納得。

音楽が恐怖を煽る雰囲気しかないとか、色々不満は感じたものの、アメリカ人監督がこういう映画を・・という新鮮な驚きもあったり。映画IQ(?)が高いことを自認される方は、試されてみては?


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by yomodalite | 2016-12-01 07:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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町山智浩氏が本年度の町山大賞に認定するなど、前評判は上々で、公開日も異例の超満員・・というニュースを聞いていたので、座席予約が可能な3日前にチケット予約して見に行きました。

少し早めに劇場に着いたので、本を読みながら待っていたのだけど、開場時間になってあらためて周りを見渡すと、アニメ映画なのにびっくりするほど高齢者の観客が多い。

例のごとく映画の内容をまったく知らなかった私は、『あまちゃん』ファン?(主役の声を演じているのは能年玲奈改め、のんさん)とか、呆けた理由しか思いつかなかったんだけど、

映画が始まると、最近のアニメ作品とはちがう『まんが日本むかし話』を思い出すようなのどかさで、主人公は、私が子供の頃の少女マンガよりももっと昔風の(あとで思い出したけど、チッチとサリーの「小さな恋のものがたり」!)、ちっちゃい眼をしたドジな女の子「すず」。

でも、のどかな・・と思えた物語が描こうとしているのは、昭和10年以降の広島の話で・・すずは、昭和19年(1944)に、広島市江波から、軍港のある呉に嫁いでいく。

戦火が徐々に激しくなっていく時代を、日々の暮らしを通して描いた女性目線の映画は目新しくはないのだけど、今とは違う結婚観や、幼なじみとの淡い恋心も・・これまで見た映画よりもずっと新鮮で、

何もかもがイマドキでない物語の主役を演じている能年玲奈は声優という枠をはるかに超えた存在感で(天才としか言いようがない)、実写映画のリアルさとはまた別の、絵でなければ描けないディティールで、世界の「片隅」が描かれていく。

使用された音楽はすべて「コトリンゴ」で、一番最初に流れるのがこの曲。





調べてみたら、片渕須直監督(大阪府枚方市)も、コトリンゴ(大阪生まれ)も、のんさん(兵庫県)も、全員関西出身で、そんなところも納得してしまう「中央」とはちがう感覚の映画でした。

『君の名は。』のとき、普段アニメ映画を見ない人にも!と思ったけど、
この映画は、一度もアニメ映画を観たことがない人にもオススメ!



映画の内容や見どころなどを
きちんとチェックしてから見たい人へ




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by yomodalite | 2016-11-17 07:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(2)
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昨日は朝からCNNに釘付けの1日だった。できるだけ日本のニュースを避けている私も、このところCSで海外ニュースだけは結構見ていたんだけど、CNNをこんなに長い時間見たのは久しぶり。

そこでは毎日、トランプだけでなく、その支持者に対しても、本当に耳を塞ぎたくなるぐらい酷い差別的な会話がなされていて、そんな人々が、トランプ氏を超差別主義者だと言っていることに、ショックを通り越して怖くなり、CNNほどヒステリックでないBBCを見るようにして、トランプ支持者の情報はSNSで探すようにしていた。

でも、その日、事前予想とまったく異なる結果が次々に開票されていくCNNを見ているのは面白かった。きっと最終的にトランプに投票した人も、彼を支持しているというよりは、同じような気分の人が多かったと思う。トランプを嘘つきだという彼らの言葉にも嘘が多すぎたから。

情勢が判明する昼頃までって思ってたけど、トランプ当確が決まったら、今度は勝利宣言までどうしても見たくなって、午後の予定をキャンセルしてまでテレビを見ていた。

次期副大統領のペンス氏の奥さんの顔とか、午前3時頃に必死に眠気を抑えている、孫にしか見えないトランプ氏の息子の姿とか、全部ダーリンにも見せたかったので同時録画しながら、夜に観に行きたい映画があったので、早めに夕食の準備をした。

大阪の映画館では週末前に終わってしまうこの映画を、慌てて見に行ったのは、信頼するヴィヴィアン佐藤氏が絶賛している映画評を見たから。


最近の日本映画のような華やかな映像は全然なくて、平凡な家庭と、どこにでもあるような風景しか映らなくて、妻と子供がクリスチャンだということだけが少し違う・・

そんな風に思って地味な映像を見ていると、まったく予想の出来ない展開がエンディングまでずっと続く。でも、そのすべてが映画のストーリーのためではない、そんな映画。

今、もっとも見なければならないとは思わなかったし、見てよかったとも言えないけど、本当にオススメしたくない映画だとは思った。

こんな映画は今のアメリカにはないなぁとも思った。アメリカ映画で、田舎で暮らす普通の労働者を人間ドラマとして描かなくなったのはいつ頃からだろう。

トランプ勝利によって、反対派のデモが全国で拡大しているというニュースが大々的に報道されるのは、それが都会で行われているから。ここまでトランプの集会に大勢集まっていた人を無視していたのに、都会で行われていることはすぐに「全米」になる。

マイケルが子供に、誰も信じるな。良い考えだと思っても、自分で良く調べろ。というのを、私も一生懸命守ろうとしているんだけど、真実も、事実も、調べるのは本当に大変だと思う毎日・・・

アーティストが、自分と同じ言葉を政治家に求めることの愚かさよりは、相手によって言うことを変えられる人の方が、政治家として、大勢の人のためになるというか、公平感があるかもね。



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by yomodalite | 2016-11-10 14:45 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(4)
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もう日本の映画しか観ないかも・・と思ったのも束の間、先週3本目の作品は、カナダ&ドイツ映画の『手紙は憶えている』(原題:Remember)。

90歳の老人ゼヴは、目覚めるとすぐに妻のルースを呼ぶが、彼女はすでに亡くなっている。認知症のゼブは、もうそんなことさえ憶えていることができない。

妻の葬儀のあと、同じ施設で暮らす友人から手紙を託され、ゼブは家族にも内緒で施設を出る。ふたりは共にアウシュヴィッツ収容所の生存者で、家族を殺したナチスへの復讐を誓い、車椅子の友人は、ゼブが忘れても大丈夫なように全ての計画を手紙に書いていた。身分を偽り、今も生きているという兵士の名は、“ルディ・コランダー”。容疑者は4名まで絞り込まれていた。

驚愕のラスト5分、あなたは見抜けるか?

というキャッチフレーズから、どうしてもその真実を想像しながら見てしまうことになるのですが、『シックス・センス』の魅力が、8歳の少年を演じたハーレイ・ジョエル・オスメントだったように、この映画では、90歳の認知症の老人を演じている、87歳のクリストファー・プラマーから目が離せなくなる。

ゼブは子供を可愛がり、子供からも優しくされるようなキャラクターで、それがこの物語を見る私たちの視点を混乱させ、『シックス・センス』のような巧妙な叙述トリックはないものの、エンディングの哀しさには繋がっている。

音響的に抑制されたこの映画の中で静かに心に響くシーンが、ゼブがピアノを弾く二度の場面。

最初はメンデルスゾーン、そしてラストはワーグナー。

サスペンスというよりは、認知症でありながら、このふたりの美しい音楽を奏でるゼブという老人の映画だと思いました。タイトルは、『手紙は・・』ではなく、原題どおり『リメンバー』の方がより深く余韻を楽しめたかな。

下記は、ヒトラーがワグネリアンだということは知っていたけど、メンデルスゾーンがユダヤ人だったことは意識していなかった。という人への参考記事。




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by yomodalite | 2016-10-31 10:27 | 映画・マンガ・TV | Trackback(2) | Comments(0)
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映画館で邦画ってこれまではあまり観ていなかったけど、ブログには書いてないものの、『シンゴジラ』や『怒り』も映画館で観たし、今後ますますその傾向は強くなりそう・・

というわけで、今週観た映画の2本目は、西川美和監督の『永い言い訳』。

* * *

テレビにも頻繁に出演する作家の主人公には、美容師の妻がいる。

売れないころからの習慣なのか、妻は夫の髪を切っている。

「衣笠幸夫」という本名へのコンプレックスは、男を作家らしくねじれさせ、女はそれをスパスパと切っていく役割のよう。

男は当然のように妻に不満を抱き、妻が女友達と旅行に出ると、家で別の女を抱いていた。

そんなとき、乗っていたバスが事故に遭い、妻は友人と一緒に亡くなってしまう。

そこからの夫の行動が「永い言い訳」として描かれている。

友人にはふたりの幼い子供がいて、夫は作家とは正反対ともいえる長距離トラックの運転手。まったく共通点がなさそうなふたりは、子供を通して急接近することになって・・・

映画のキャッチコピーは、

妻が死んだ。これっぽっちも泣けなかった。そこから愛しはじめた。

でも、愛しはじめたものが何だったのかは、観る人によるのかも。

同監督の『ゆれる』と同じように、この映画も個性の異なるふたりの男性の話で、こういった心理をよく描いてくれたと感じるのは男性の方が多そう。

一方で、これまでも、女性は物語の外に置かれていることが多く、男性への目線の中に、父親コンプレックスを感じないのも、女性クリエイターとしてめずらしい個性のような・・

私は西川美和氏の小説も読んでみたくなりました。

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by yomodalite | 2016-10-29 07:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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今週のレディースデーは邦画で2作品を鑑賞。

まずは最初に見た『SCOOP!』から。

『山田孝之の東京都北区赤羽』でお顔を拝見してから、なんとなく次作は見てみなきゃ、と思っていた大根仁監督の作品。

昨今の「文春砲」などと言われるスクープに対して、まったく好ましい感情を抱いていないし、MJファンとして、週刊誌やパパラッチをヒーロー視するなんてありえない。そんなネガティブ感情を覆すような展開なんて絶対に無理なんじゃないかと思っていたのですが、

冒頭から下品極まりない始まり方で、タバコを吸いまくる福山雅治は清潔感のカケラもなく、口から出る言葉の90%以上が、最近ではほとんど耳にすることもなかったような下衆いセリフばかりで、そして、そんな彼や、彼の主戦場である雑誌がスクープするのもぜんぜん巨悪というわけでもない。

それなのに・・・

不思議と楽しめたんですよね。

現実のスクープは、芸能人の不倫ごとき内容に、社会正義を振りかざし、まるで絶対悪であるかのように関係者以外の人間に謝罪させるとか・・・そんなことを言っていたら、人類最古の小説ともいわれる「源氏物語」は?、古典小説の多くが絶版になったりしたら・・女子高生に恋愛について聞いてどーするの?とか、

とにかく、もうどーでもいいことで「謝罪」ばっかりさせて・・というところが嫌でしかたなかったんですが、この映画では、下衆が下衆を追うという姿勢が貫かれているところが爽快なのかも。

トップが腐敗していると、トリクルダウンするのは「偽善」ばっかり・・

それで、気概というものが「下衆な場所」の中にしかないように思える現代にぴったりな娯楽作品!

と、そんな風に思ってしまったのは、おそらくアメリカ大統領選挙のせいですがw

今年の助演男優賞なら、リリー・フランキーでキマリだと思う。


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by yomodalite | 2016-10-28 07:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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今住んでいる大阪の家は、これまで以上に映画館が近いせいもあって、この機会にできる限り映画は劇場で、という気持ちが強くて、ミュージシャンを主役にした映画の場合は特にそう思う。映画を観に行くというより、ライブよりも良い席でステージが見られるような気がするし、映画としてハズレだったこともないから。

『ミスター・ダイナマイト』も、『AMY エイミー』も、映画で初めて彼らに会えたような気がしたけど、ジャニス・ジョプリンのことも、それまでCDを聞いていたわけでも、親しみを持っていたわけではなく、これが初めての出会いだった。

平凡な家庭に生まれた3人兄弟の長女であるジャニスは、家族の中でも学校でも、妹や弟より浮いた存在。それでもその歌声は人々を一瞬で魅了し、天才シンガーとして一気に階段を駆け上がっていく彼女は、モントレー・ポップ・フェスティバル(1967)や、ウッドストック(1969)といった60年代の歴史的な音楽祭で大成功を収めていく。

驚いたというか、ある意味、当時からそうだったんだと思ったのは、ジャニスがウーマン・リブの団体から非難されたというエピソード。ジャニスは自分ほど女性の自由な表現を追求して成功したアーティストはいないと思っている。当然そうだと思う。彼女に勇気をもらった人は数知れないだろう。それでも、女性運動家たちはジャニスのバンドは男性ばかりだと非難した。

生前最後のテレビ放送では、酷いいじめに遭っていた高校時代の同窓会に出席すると語っていた。実際に出席した同窓会はテレビカメラに収められることになり、そこには、スターとして故郷に帰った彼女を冷たく迎える同級生たちの様子が映し出された。

ジャニスが27歳という若さで亡くなったのは、それからわずか数ヶ月後のこと。

これまで彼女の歌を意識して聞いたことはなかったのだけど、映画の中で流れる曲はどれも聞いたことがあって、冒頭から息をのむぐらい惹きこまれてしまうものばかりだった。でも、映画のタイトルにもなっている「リトル・ガール・ブルー」は、ジャニスが創った曲ではない。

それは古いブルースのようで、私はニーナ・シモンの曲としてこの曲を知っていたけど、映画の一番最後に流れた曲がそれと同じ曲だということに最初は気づかなかった。

少女の絶望を歌った『Little Girl Blue』は、ニーナのデビューアルバム(1958)のタイトル曲で、ジャニスの曲は3枚目で、生前に発売された最後のアルバム『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』(1969)に入っている。

本当に差別が激しかった時代に黒人として生まれ、正統的なクラシックピアノの教育をうけたニーナには絶望した少女を過去のものにするような黒人のプライドと未来がある。

ジャニスの「リトル・ガール・ブルー」は、彼女の傷口から絞り出したかのような他の曲と比べると、どこか明るさが感じられるけど、絶望はより深く、ジャニスの人生と死がそのまま歌われているように感じる。

亡くなったとき、「27クラブ」に入会してしまったと言われたエイミーには他にも選択肢があったのかもしれない。それでも彼女は、迷いながらもジャズを選んだ。でも「27クラブ」を創設してしまったひとりであるジャニスには、本当にそれ以外になかったように思えた。

大声で差別を訴えることができて、居場所も与えられている「マイノリティ」と違って、本当に誰にもわかってもらえない少女の絶望をわかってくれたのは、彼女だけだ。
誰もジャニスにはなれないけど、なりたいとも言えないだろう。
たったひとりっきりの孤独に耐えられる人なんて、どこにもいないから。


Nina Simone - Little girl blue





Janis Joplin - Little Girl Blue




Sit there, hmm, count your fingers.
What else, what else is there to do ?
Oh and I know how you feel,
I know you feel that you're through.
Oh wah wah ah sit there, hmm, count,
Ah, count your little fingers,
My unhappy oh little girl, little girl blue, yeah.

座って、指を折りながら数えてみる
自分にいったい何ができるの?
感じるのは、ただ年を重ねてしまったということ
座って数えてみる
小さな指を折って
不幸で、哀しい私の少女時代

Oh sit there, oh count those raindrops
Oh, feel 'em falling down, oh honey all around you.
Honey don't you know it's time,
I feel it's time,
Somebody told you 'cause you got to know
That all you ever gonna have to count on
Or gonna wanna lean on
It's gonna feel just like those raindrops do
When they're falling down, honey, all around you.
Oh, I know you're unhappy.

座って、雨粒を数える
ただ落ちてくる雨粒を数えるぐらいしかなくて
誰もがそう言う
何をしても無駄なんだと
できることといえば、雨の雫を数えるぐらいなんだと・・





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by yomodalite | 2016-10-21 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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