浮世絵のきもの[2]「ボストン美術館 浮世絵名品展」(Ⅰ)辰巳芸者とは?

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☆浮世絵のきもの[1]「ボストン美術館 浮世絵名品展」の続き

カタログを眺めていて、更に気になったのは、人物のほとんどが「足袋」をはいていないこと。首元からずいぶんと着込んでいることがわかるような冬の装いでも、足袋は履いていない。

調べてみると、

(ウィキペディアより省略引用)

足袋は布製のものが登場したのは江戸時代初期で、それまでは、革製のものが江戸時代初期まで貴族や合戦時の武士に用いられていた。現在の金属製のこはぜがついたものは、江戸後期から明治前期に普及したもの。

また、「白足袋」は、茶人や僧侶、能楽師、歌舞伎役者、芸人が使用し、能舞台、所作板、弓道場などは白足袋着用でなければあがれないことが多く、土俵上でも白足袋以外の着用は認められない。これらの例からもわかるように白足袋は清浄を示す象徴であり、ほかの足袋とは性格の異ったものとして扱われている。男性は、平服時は「黒足袋」、女性は色足袋を使用していた。

(引用終了)

とのことなので、他所様のお宅に伺うときに白足袋を別に用意するなどは、明治以降の女子教育から始まったのではないかと思う。(ちなみに明治維新期までの寺子屋は男女共学が主流だったので、明治以降の女子教育というのは大抵は欧米の影響ですね)

とにかく足袋を履いている絵は、春信の「伊達虚無僧の男女」と、歌麿の「鷹狩り行列」など、ごくわずかで、磯田湖龍斎の「雛形若菜の初模様」など、吉原の遊女の正月の一張羅を描いているはずなんだけど、やっぱり裸足。

で、裸足といえば、辰巳芸者が有名ですけど、

(ウィキペディアより省略引用)

辰巳芸者(たつみげいしゃ)とは、江戸時代を中心に、江戸の深川(今の東京都深川)で活躍した芸者衆のこと。深川が江戸の辰巳(東南)の方角にあったことから「辰巳芸者」と呼ばれるが、羽織姿が特徴的なことから「羽織芸者」とも呼ばれる。

「意気」と「張り」を看板にし、舞妓・芸妓が京の「華」なら、辰巳芸者は江戸の「粋」の象徴とたたえられる。冬でも足袋を履かず素足のまま、当時男のものだった羽織を引っ掛け座敷に上がり、男っぽい喋り方。気風がよくて情に厚く、芸は売っても色は売らない心意気が自慢という辰巳芸者は粋の権化として江戸で非常に人気があったという。また源氏名も「浮船」「葵」といった女性らしい名前ではなく、「音吉」「蔦吉」「豆奴」など男名前を名乗った。

(引用終了)

辰巳芸者じゃなくても、みんな裸足じゃん!

それに羽織を着た芸者の絵が1枚も見当たらないんですけど。

羽織の美人画といえば鏑木清方(1877〜1972)の『築地明石町』の美人も裸足だけど、でもあれは羽織じゃなくて道中着ですよね。当時あれを「羽織」といったかもしれませんが、辰巳芸者は男羽織を着ていたはずなんですよね〜その弟子の伊東深水(1898~1972)も生まれが深川で、辰巳芸者の絵を描いたと思っていたけど、大正から昭和の画家だし。。。

とにかく、実際に「江戸の粋」と言われた辰巳芸者のファッションが確かめたくなりました。こんなに裸足が多いのなら、辰巳芸者の裸足というのは、襦袢とか、蹴りだしなどもなくて、かなり生足が見えていたとか、なんかもっと特徴があるかもしれないですよね。

なんとなく現在の辰巳芸者のイメージは「江戸褄」を着ているような印象があるのだけど、羽織を着ているのは見たことないような気がするし。。。

で、ネットを徘徊しまくったのですけど、決定打がありません。

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いづつやの文化記号


この絵は、上記のサイトからお借りした画像なんですが、大体こんなイメージをもっている方が多いのではないでしょうか?私もこれをイメージしていたんですけど、なんだか裸足というだけでは、本当にこれが「辰巳芸者」かどうか確信がもてません。


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こちらは、歌麿の「辰巳路考」。路考という名の辰巳芸者を描いたものなので、辰巳芸者に間違いないでしょう。でも上半身だけだけど、帯がちらりと見えているので、多分羽織は着てませんね。

茶色の地に縞の着物、辰巳芸者は地味な鼠色や、茶の着物を着ていたらしいので、「江戸褄」というのは、やはり柳橋や、日本橋の芸者と混同している可能性もありますね。髪飾りはべっ甲でしょうか。地味なきものに、べっ甲の髪飾り。確かに、なんとなく「江戸の粋」という感じがします。でもどうして「羽織」じゃないのかなぁ。。。

下記は、門前仲町、富岡八幡宮の 「深川八幡祭り」での辰巳芸者の手小舞の木遣り行列です。詳しいことはよくわかりませんが、本来は、読んで字のごとく木を遣り渡す(運ぶ)という意味で、威勢のいい町火消のお兄さん達に唄われる唄で、江戸の中期ごろには鳶職人の人達の間で盛んに唄われていたそうで、そのうち町火消が鳶職人を中心に誕生したため、木遣り唄も自然と町火消の中に溶け込み、受け継がれていったといわれています。


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手小舞は、保存会の人により受け継がれているもので、当時の辰巳芸者は、このようなファッションで、祭りを盛り上げていたようです。火消しの半纏を着ていますが、片肌を脱いで赤い襦袢を半分見せています。

辰巳芸者は、深川・木場の職人に愛された芸者ですから、もしかしたら、「羽織」も職人のものということはないでしょうか? 侍を思わせる黒い羽織では、職人の街に不似合いですよね。

とにかく、浮世絵、歌舞伎などで「辰巳芸者」の画像がないかと、必死に探したところ、
こちらを見つけました。

◎落語「名月八幡祭り」の舞台を歩く


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「吾妻源氏 辰美の秋月」国貞画



辰美=辰巳。辰巳の花街の様子です。この絵の一見浴衣?に見える。。これ職人の羽織柄じゃないでしょうか。男羽織をそのまま着ていたのかと思っていましたが、これが羽織だとすると特注ですね。今の羽織とは全然ちがって、着るというよりはマントのように纏っているという感じでしょうか。


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「縮屋新助と芸者美代吉」歌川豊国



上記と同様、着物と同じぐらい長い「羽織?」ですね。
辰巳芸者は「江戸褄」ではなくて、羽織も黒じゃないんでしょうか?

《追加考察》

上記を、羽織と考えるのは、やはり違うのかもしれません。ただ、役割がはっきりしていた吉原芸者の「羽織」と違って、辰巳芸者の羽織とは、フリーの女の意気=男装で、それは下町気質を担っていたはず。「羽織」は、辰巳芸者登場時の流行であり、かなり短い期間の流行だったのかもしれません。ファッションとは大体そういうものですから。ですから、隆盛を誇っていた時代を通してのスタイルではないのかもいれません。

芸人は、羽織に白足袋が基本だったところを、羽織のみ、引っ掛けて。。という気分が「辰巳芸者」の「男気」な気風とあっていたのかもしれません。。。
__________

歌舞伎に詳しい方がおられましたら「名月八幡祭り」や「梅ごよみ」「ゆうれい貸屋」などでの辰巳芸者の衣装はどんな感じだったのか教えてくださいませ。

鈴木春信の「伊達虚無僧姿の男女」に関しても色々探りたいけど、ちと疲れが。。江戸の謎は深いです。。。

☆浮世絵のきもの[3]「ボストン美術館 浮世絵名品展」(Ⅱ)辰巳芸者とは?に続く

◎「杉浦日奈子のおもしろ講座」●大江戸深川事情●
◎『歌舞伎役者市川亀治郎が語る浮世絵の魅力』 〜vol.2 伊達虚無僧姿の男女

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Commented at 2008-10-26 22:04 x
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Commented at 2008-10-26 22:07 x
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Commented at 2008-10-26 22:08 x
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Commented by yomodalite at 2008-10-27 01:08
吟醸さま。とてもとてもご親切なコメント本当にありがとうございます。芸者さんが歌わないのは、知っていたんですが引用元に「辰巳芸者の手小舞の木遣り行列」とあったので。。。でもたしかに誤解をよぶ文章になってますので、こちらで詳しく説明頂けて助かりました!それと深川江戸資料館は、この件に関して調べるのに最適かもしれませんね。ありがとうございます。早速行ってみようと思います。
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by yomodalite | 2008-10-26 00:43 | きもの | Trackback | Comments(4)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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