「社交界」たいがい/山本夏彦

「社交界」たいがい (文春文庫)

山本 夏彦/文藝春秋




「文芸春秋」、「諸君」に連載された1994年から1999年までの掲載文で編集されている。

いつものようにためになる夏彦翁のエッセイながら、あまりない長編のエッセイ『「社交界」たいがい』が収められていて、いつもより更にためになる度合いが高いです。

下記は、今年の1月に亡くなられた月本裕氏のブログでの紹介。

「私たちはまだ20世紀のどん詰まりにいる」

2003年02月16日

私たちはまだ20世紀のどん詰まりにいる

山本夏彦さんの書いたものはすべて読んでおくべきである。本当の栄養に溢れている。昨日紹介した「社交界」たいがいのなかからまたいくつか引用する。ぜひ原書にあたってください。

『情報化時代とは言うけれど』のなかから魯迅の「魏晋の時代相と文学」についてかいつまんだもの。

「歴史上の記事と論断はあてにならない。信じられないところが多い、某朝の年代が長ければそのなかには善人が多く、短ければたいてい善人はいない。年代が長ければ歴史を書くものは同朝人で、当然同朝の人物に迎合する。歴史が短かければ歴史を書くものは別朝人で、自由にその異朝人を悪く言える。魏の曹操の時代は極めて短いので悪く言われること多いが、実は曹操は一個手腕力量のある人物で私は彼に感服している。」

歴史が長くいろいろあり離合集散してきた国だが、と英仏中などの国の外相(外相たるもの洋の東西新古を問わずその才は常に嘘吐き法螺吹きの才である)言い、パウエルは民主主義においては世界最古と胸を張った。だが民主主義の根幹たる選挙がでたらめであったことはついこのあいだのことである。パウエルは気合の入ったいい荒事の顔をしていた。新之助丈よろしく学ぶべきである。

『21世紀はこないだろう(再び)』より。

「かくてテレビはいよいよテレビに、原爆はいよいよ原爆になるよりほかはない。小国が持つことを大国がさまたげるのは我々が文明人の皮をかぶった野蛮人である証拠である。わが胸の底にあるのは昔ながらの色と欲である。

原爆を独占できたらさぞよかろう、世界を制覇できるとアメリカ人もドイツ人も思った。アインシュタインはドイツに先んじられるのを恐れて一刻も早く作れ、作ったら使えと当時の大統領に進言した。ドイツが降伏して日本を爆撃する理由は全くなくなったのに一度ならず二度まで投下した。非戦闘員どころか赤子まで殺した。天人ともに許されぬ大虐殺だと子供に問わせて答えるがいい。

アインシュタインはさすがに髪かきむしって悔いた。来世はブリキ職人か行商人になりたいと嘆いたというが、ほかの連中は後悔なんかしなかった。産業革命以来の科学者は自分の研究、自分の実験をア・プリオリに「善」だ「進歩」だと信じてつゆ疑ってない。」21世紀はこないだろう。

山本さんは「ある種の動物が全地球を覆ってわがままの限りを尽して許されるということはないのである」と結ぶ。
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【内容BOOKデータベースより】西洋人の社交界というものを、かねて私は知りたいと思っていた。それは西様人の会話やスピーチには、機知と諧謔があふれていて、日本人にはそれが全くないと聞いて私は育ったからである—「『社交界』たいがい」や明治の書生の面影を残していた記者の憶い出を綴った「生涯一記者」など、名エッセイの数々。 文藝春秋 (2002/02)

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by yomodalite | 2008-09-10 10:02 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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