2008年 09月 07日
象徴天皇制と皇位継承(ちくま新書)/笠原英彦 |
出生前に性別がわかり、男女産み分けすら可能な時代に、今上天皇と同世代の宮家から急に男子が生まれなくなったのは、どうみても不自然ですが、戦後の皇族にも、ゆるやかな皇統断絶に心理的に激しい反発は見られなかったように思う。象徴天皇を受け入れた昭和天皇も、これを了承していたのだろうか?
戦後改正された皇室典範は宮家を激減させたが、存続した宮家その後の男子出産は、天皇直系で、初めての平民からのお妃を得た今上天皇家にのみ2人の男子出産(現皇太子、秋篠宮)があるのみで、2006年に秋篠宮家に悠仁親王が生まれるまで、12人中、男子はたったの3人。その3人は、すべて天皇家直系に限られ、秋篠宮以降に生まれた皇族9人はすべて女子であり、約40年9ヶ月男子が生まれていない。
GHQによる皇族の激減をはかった皇室典範改正より、占領終了後も、皇統断絶政策に協力した国内勢力の正体が何だったのか。とりあえず宮内庁病院と、愛育病院(他に皇族が出産された病院があるのか不明)には、なにか仕掛けがあるとしか思えない。
本著の、マッカーサーにより「皇統断絶という時限爆弾」がしかけられた、という主張は今更ですが、その後その体制を維持してきた国内勢力には一切触れられていない。
また、皇統を維持のためには、女系天皇を認め、典範改正の方途を探らねばならないというの著者の考えは、現在の今上天皇家を支持して来た、戦後の日本国民にとって、穏当のものだと思いますが、女系の説明なども、特に目新しいものがあるわけでなく、今後の議論のチェイサーになりそうな点はあまりない。
悠仁親王誕生により、いったん終息した議論をどう再開させるか、決着までは、何年もかかり、雅子妃も、愛子内親王も悩み多き日々でしょう。昨年は絢子女王のスキャンダル記事が週刊誌で話題となりましたが、現在まで、女子皇族の意義を無いに等しい状態においてきた国民の怠慢を、もっとも注目を浴びる皇太子家のたった1人の子供として、愛子内親王にも背負わせるのはあまりにも酷であると思う。
○常陸宮家(今上天皇の弟)には、子女がまったくいない。
○三笠宮(大正天皇の第4皇男子)は現在93歳。
○寛仁親王(62歳・麻生太郎と義兄弟。三笠宮の息子)には2女がいる。
○桂宮家(60歳)は、40歳の時桂宮の称号を受け、独立の生計を立てるようになった矢先、病(硬膜下出血といわれるが未公表)に倒れた。独身で宮家を創設したため、家族はない。戦後新宮家の設立はいずれも次男以下の婚姻による独立を契機にして行われたが、宜仁親王は独身のまま宮家を創設すると言う珍しいケース。
○高円宮家(三笠宮崇仁親王の三男。今上天皇の従弟)は2002年に慶応義塾大学病院にて死去。3女がいる。
○皇太子家、2001年に愛子内親王誕生。
○秋篠宮家、1991年眞子内親王、1994年佳子内親王、2006年悠仁親王が誕生。
皇太子(宮内庁病院で出生)
秋篠宮(宮内庁病院で出生)
愛子内親王(宮内庁病院で出生)
眞子内親王(宮内庁病院)
佳子内親王(宮内庁病院で出生)
悠仁親王(愛育病院にて出生。帝王切開)
彬子女王(1981年愛育病院?)※三笠宮寛仁親王家
瑶子女王(1983年愛育病院?)※ 三笠宮寛仁親王家
承子女王(1986年愛育病院にて出生) ※高円宮家
典子女王(1988年愛育病院?)※高円宮家
絢子女王(1990年愛育病院?)※高円宮家
※愛育会総合母子保健センター愛育病院は祖母の崇仁親王妃百合子が総裁を務める
◎毎日1冊!日刊新書レビュー
天皇制に仕掛けられた爆弾〜『象徴天皇制と皇位継承』
このままでは皇位継承者がいなくなってしまうかもしれない──そうした危機意識のもと、2005年1月から有識者会議で検討されてきた皇室典範改正案は、2006年2月、秋篠宮家の紀子妃に男の子、悠仁親王が誕生したことで見送りとなった。
目の前の局面が回避されたおかげで皇室存続をめぐる騒動は緊張感を失いすっかり下火になったけれど、根本的に解決されたわけではないのは子供でもわかるリクツで、遠からず(といってもたぶんけっこう遠いが)再燃するのはあきらかである。
皇統が断絶の危機に瀕しているのは、戦後改正された皇室典範のせいだ。
新典範は旧典範をおおよそ引き継いでおり、有識者会議で議論の焦点だった「男系男子の世襲」や「女帝の否定」なども明治の典範を踏襲したものなのだが、問題は、典範改正にあたり、天皇直系の秩父宮、高松宮、三笠宮以外の11の宮家が皇籍から離脱させられると同時に、側室制度(お妾さんですな)も廃止されたことにある。
万世一系がフィクションでありイデオロギーであることに今日異を唱える人はあまりいないけれど(なかにはY染色体まで持ち出しトンデモも何のそので強弁する八木秀次のような人もいるが)、天皇家の系図が現在まで千数百年以上たどれることは事実だ。
しかしそれは危ない橋を何度もわたることでかろうじて維持されてきたものであって、そういう綱渡りのためのバッファとして、側室や宮家という制度は機能してきたのである。大宅壮一は「万世一系」は「血のリレー」だとミもフタもなく喝破している(『実録・天皇記』だいわ文庫)。
したがって、宮家を減らし側室を廃止すれば、皇統がいずれ淘汰されてしまうかもしれないことは考えてみれば自明であった。
しかし、日本側の要人はこのリスクにどうやら気づいていなかったらしい。宮内庁内部ですら、皇位継承問題が取り沙汰されはじめたのはようやく1990年代に入ってからだという。
本書の最大の眼目は、皇統断絶の危機はGHQによって意図的に仕込まれたものだった、という主張にある。
〈マッカーサーが仕掛けた爆弾〉と著者は表現しているが、日本を占領統治するのに都合がよいからマッカーサーは天皇制を存続させたというのはいまや定説だけれど、用が済んだらお払い箱にすることまでマ元帥は計算ずくだったというのである。
当時の政府はGHQの意向を踏まえた皇室法体系の不備を余りに軽視していた。すなわち「マッカーサーの仕掛けた時限爆弾」に気づいた政府首脳は存在しなかったのである。日本の政府上層部は昭和天皇の存在を確保したことで安心してしまったのではないだろうか
◎女性天皇と女系天皇の違い、わかります?
「皇統断絶=GHQの陰謀」説はほかにも唱えている人を見かけたことがあるが、文字どおり陰謀論の類だろうとばかり思っていた。
著者の笠原英彦は日本政治史および日本行政史を専門とする慶大の教授であり、天皇制議論にかんしては左派も右派も幼稚すぎると切り捨て「イデオロギー・フリー」を標榜、万世一系も神話にすぎないと冷静な判断を下している。そういう人が断言するからには確固たる論拠がある、といいたいところだが、うーん、やっぱり弱いんじゃないかなあ。
笠原はフェラーズ准将が米内光政に漏らしたという「十五年二十年さき日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人がどうなっておられようが関心は持たない」という発言に着目し、日本における共産主義革命を企図するソ連を牽制する目的もふくめ象徴天皇制は創出されたのだといい、〈重要なことは米ソ両国ともに、将来天皇制が消滅することを容認していたことである〉とする。
この「容認」と皇室財産没収などの状況証拠から「仕掛け」という結論は導かれているのだが、受け身の「容認」と積極的な「仕掛け」ではずいぶん話が違うわけで、ちょっと飛躍している。
GHQ側、日本側いずれも思慮が足りず、戦後60年を経てその破綻があらわになっているだけじゃないかという気がするのだが、いずれにせよ、このままでは皇統の断絶が必至であることは間違いない。面倒くさい議論を抜きにして結論にだけ着目すると、皇統を維持するために取りうる選択肢、典範改正案は四つほどしかない。
(1) 女性および女系天皇を認める
(2) 戦後離脱させた旧宮家を皇籍に戻す
(3) 養子を認める(ただし皇族の血を引く民間人にかぎる)
(4) 側室制度を復活する
皇室典範をめぐる議論は、煎じ詰めれば「女系を認めるか否か」という争いに集約される。
女性天皇と女系天皇の区別がいまひとつわからんという人がけっこう多いのでかんたんに説明しておこう。
女性天皇は、女性の皇族が即位した天皇を指す(そのまんまだが)。
一方、女系天皇は、皇族のお母さんから生まれた子が即位した天皇を指す。たとえば、愛子内親王が結婚して生まれた子供が即位すると女系天皇ということになる(男子でも)。
過去には8人10代の女性天皇がいた。しかしこれらの女性天皇は次の皇位継承者が幼かったりしたさいの“中継ぎ”として即位しており、女系の天皇はかつて存在したことがないとされている。
(2)〜(4)は男系世襲こそが伝統であるとハードコアに主張する保守派が訴える改正案で、彼らは、女系を認めることすなわち皇室解体にほかならないと主張したり(西尾幹二ほか)、馬の骨(パンピー)が皇族入りするため天皇制が破綻すると予言したりしている(宮台真司とか)。堀江貴文がブイブイいわせていたとき、「愛子さまがホリエモンと結婚したらどうしますか!」と右翼が絶叫していたが、つまりそういうことである。
有識者会議で出された結論は(1)だった。共産党や社会民主党さえ女系容認の構えをとっているが、これはようするに「どうでもいい」といっているのと大した違いはない(本当は天皇制自体に反対なのだが、象徴天皇制がいかんとも動かしがたいという現状認識に甘んじるしかない以上、男でも女でも別にどっちでもいいんじゃない? ということだ)。
著者も『女帝誕生』(新潮社、2003年)という本を上梓していることからもわかるとおり女系を認める立場だが、象徴天皇制の意義を積極的に評価し維持していくためには女系天皇は不可避であるとしており、共産・社民的なし崩し容認とはちょっと趣が違っている。
GHQにあてがわれたものだったにせよ、現行の象徴天皇制は伝統を正統に継承・発展したものだというのが著者の強調するところである。有識者会議には、皇室問題の専門家がいなかったことに対する疑問や、女系容認の結論ありきではないかといった批判が出ていたが、著者は、「日本国民の総意」の代表たりうる妥当な人選であり議論だったと評価している。
継承すべきは伝統の本質なのである。本質さえ見失わなければ、伝統は革新しうる。皇室の神秘性にのみ目を奪われることなく、「日本国民の総意」に基づく象徴としての天皇のあり方を模索すべきである
◎改革者、今上天皇
著者は、今上天皇こそが「改革者」だという。不執政が天皇の本来あるべき姿であり、今上天皇は象徴天皇制の理想を体現している存在なのだと(昭和天皇はことあるごとに政治に介入しようとした、つまり象徴天皇制の意味を理解していなかったと低い評価を下されている)。
今上天皇の「改革」により実現された現在の象徴天皇制と、男系世襲という古い「伝統」に固執する天皇制を較べれば、どちらが「国民の総意」を反映したものであるかはあきらかであり、女性・女系天皇の問題を矮小化することなく「マッカーサーの仕掛けた時限爆弾」を解除し、典範改正の方途を探らねばならないというのが著者の考えだ。
議論にやや繰り返しが多く、若干とりとめのない印象はあるものの、先行議論の紹介や参考文献が充実しており女系天皇議論の尖端をサーヴェイするには有用な一冊である。「マッカーサーの爆弾」うんぬんはともかくとして(といってもこれがこの本のウリなのだけれど)。
この手の問題は評者の見解を問われることが多いので最後にかんたんに。
象徴天皇制があくまで「国民の総意に基づく」ものであるとするなら、いずれ潰えて、日本は共和制に移行せざるをえなくなるんじゃないかというのが私の予測である(それがいつかはわからないがいつか)。
ただし、天皇という象徴が日本という国を精神的に支えてきた面はたしかにあると思われるし、興味深い伝統(あるいは制度)でもあるので、いま現在の「国民の総意」が支持しているという統計をいちおう信用するという前提で皇室は維持されるべきという意見に同意するのにやぶさかではなく、維持に努めるのであれば、女系天皇を認めるのが現状の社会情勢にはいちばん合致していると思う。
(文/栗原裕一郎、企画・編集/須藤輝&連結社)
【目次】
第1章 象徴天皇制の誕生
第2章 皇統断絶という時限爆弾
第3章 皇室典範と皇位継承
第4章 象徴天皇制の定着
第5章 小泉内閣の皇室典範改正案
終章 伝統と法理
_______________
【内容情報】皇位継承のあり方を論じるとき、欠かせない視点がふたつある。ひとつは、現在の天皇制が「象徴天皇制」であること。もうひとつは、現行の皇室典範は、何ら安定的な皇位継承を保証するものではないこと。古代より近現代におよぶ天皇制のあり方を歴史的に問い直し、戦後GHQによって皇室制度に仕掛けられた「時限爆弾」の存在を指摘する。今上天皇の体現する象徴天皇制の理念を踏まえ、皇統断絶の危機を回避する道を探る。象徴天皇制の今後を考える上で必読の書。 筑摩書房 (2008/05)
戦後改正された皇室典範は宮家を激減させたが、存続した宮家その後の男子出産は、天皇直系で、初めての平民からのお妃を得た今上天皇家にのみ2人の男子出産(現皇太子、秋篠宮)があるのみで、2006年に秋篠宮家に悠仁親王が生まれるまで、12人中、男子はたったの3人。その3人は、すべて天皇家直系に限られ、秋篠宮以降に生まれた皇族9人はすべて女子であり、約40年9ヶ月男子が生まれていない。
GHQによる皇族の激減をはかった皇室典範改正より、占領終了後も、皇統断絶政策に協力した国内勢力の正体が何だったのか。とりあえず宮内庁病院と、愛育病院(他に皇族が出産された病院があるのか不明)には、なにか仕掛けがあるとしか思えない。
本著の、マッカーサーにより「皇統断絶という時限爆弾」がしかけられた、という主張は今更ですが、その後その体制を維持してきた国内勢力には一切触れられていない。
また、皇統を維持のためには、女系天皇を認め、典範改正の方途を探らねばならないというの著者の考えは、現在の今上天皇家を支持して来た、戦後の日本国民にとって、穏当のものだと思いますが、女系の説明なども、特に目新しいものがあるわけでなく、今後の議論のチェイサーになりそうな点はあまりない。
悠仁親王誕生により、いったん終息した議論をどう再開させるか、決着までは、何年もかかり、雅子妃も、愛子内親王も悩み多き日々でしょう。昨年は絢子女王のスキャンダル記事が週刊誌で話題となりましたが、現在まで、女子皇族の意義を無いに等しい状態においてきた国民の怠慢を、もっとも注目を浴びる皇太子家のたった1人の子供として、愛子内親王にも背負わせるのはあまりにも酷であると思う。
○常陸宮家(今上天皇の弟)には、子女がまったくいない。
○三笠宮(大正天皇の第4皇男子)は現在93歳。
○寛仁親王(62歳・麻生太郎と義兄弟。三笠宮の息子)には2女がいる。
○桂宮家(60歳)は、40歳の時桂宮の称号を受け、独立の生計を立てるようになった矢先、病(硬膜下出血といわれるが未公表)に倒れた。独身で宮家を創設したため、家族はない。戦後新宮家の設立はいずれも次男以下の婚姻による独立を契機にして行われたが、宜仁親王は独身のまま宮家を創設すると言う珍しいケース。
○高円宮家(三笠宮崇仁親王の三男。今上天皇の従弟)は2002年に慶応義塾大学病院にて死去。3女がいる。
○皇太子家、2001年に愛子内親王誕生。
○秋篠宮家、1991年眞子内親王、1994年佳子内親王、2006年悠仁親王が誕生。
皇太子(宮内庁病院で出生)
秋篠宮(宮内庁病院で出生)
愛子内親王(宮内庁病院で出生)
眞子内親王(宮内庁病院)
佳子内親王(宮内庁病院で出生)
悠仁親王(愛育病院にて出生。帝王切開)
彬子女王(1981年愛育病院?)※三笠宮寛仁親王家
瑶子女王(1983年愛育病院?)※ 三笠宮寛仁親王家
承子女王(1986年愛育病院にて出生) ※高円宮家
典子女王(1988年愛育病院?)※高円宮家
絢子女王(1990年愛育病院?)※高円宮家
※愛育会総合母子保健センター愛育病院は祖母の崇仁親王妃百合子が総裁を務める
◎毎日1冊!日刊新書レビュー
天皇制に仕掛けられた爆弾〜『象徴天皇制と皇位継承』
このままでは皇位継承者がいなくなってしまうかもしれない──そうした危機意識のもと、2005年1月から有識者会議で検討されてきた皇室典範改正案は、2006年2月、秋篠宮家の紀子妃に男の子、悠仁親王が誕生したことで見送りとなった。
目の前の局面が回避されたおかげで皇室存続をめぐる騒動は緊張感を失いすっかり下火になったけれど、根本的に解決されたわけではないのは子供でもわかるリクツで、遠からず(といってもたぶんけっこう遠いが)再燃するのはあきらかである。
皇統が断絶の危機に瀕しているのは、戦後改正された皇室典範のせいだ。
新典範は旧典範をおおよそ引き継いでおり、有識者会議で議論の焦点だった「男系男子の世襲」や「女帝の否定」なども明治の典範を踏襲したものなのだが、問題は、典範改正にあたり、天皇直系の秩父宮、高松宮、三笠宮以外の11の宮家が皇籍から離脱させられると同時に、側室制度(お妾さんですな)も廃止されたことにある。
万世一系がフィクションでありイデオロギーであることに今日異を唱える人はあまりいないけれど(なかにはY染色体まで持ち出しトンデモも何のそので強弁する八木秀次のような人もいるが)、天皇家の系図が現在まで千数百年以上たどれることは事実だ。
しかしそれは危ない橋を何度もわたることでかろうじて維持されてきたものであって、そういう綱渡りのためのバッファとして、側室や宮家という制度は機能してきたのである。大宅壮一は「万世一系」は「血のリレー」だとミもフタもなく喝破している(『実録・天皇記』だいわ文庫)。
したがって、宮家を減らし側室を廃止すれば、皇統がいずれ淘汰されてしまうかもしれないことは考えてみれば自明であった。
しかし、日本側の要人はこのリスクにどうやら気づいていなかったらしい。宮内庁内部ですら、皇位継承問題が取り沙汰されはじめたのはようやく1990年代に入ってからだという。
本書の最大の眼目は、皇統断絶の危機はGHQによって意図的に仕込まれたものだった、という主張にある。
〈マッカーサーが仕掛けた爆弾〉と著者は表現しているが、日本を占領統治するのに都合がよいからマッカーサーは天皇制を存続させたというのはいまや定説だけれど、用が済んだらお払い箱にすることまでマ元帥は計算ずくだったというのである。
当時の政府はGHQの意向を踏まえた皇室法体系の不備を余りに軽視していた。すなわち「マッカーサーの仕掛けた時限爆弾」に気づいた政府首脳は存在しなかったのである。日本の政府上層部は昭和天皇の存在を確保したことで安心してしまったのではないだろうか
◎女性天皇と女系天皇の違い、わかります?
「皇統断絶=GHQの陰謀」説はほかにも唱えている人を見かけたことがあるが、文字どおり陰謀論の類だろうとばかり思っていた。
著者の笠原英彦は日本政治史および日本行政史を専門とする慶大の教授であり、天皇制議論にかんしては左派も右派も幼稚すぎると切り捨て「イデオロギー・フリー」を標榜、万世一系も神話にすぎないと冷静な判断を下している。そういう人が断言するからには確固たる論拠がある、といいたいところだが、うーん、やっぱり弱いんじゃないかなあ。
笠原はフェラーズ准将が米内光政に漏らしたという「十五年二十年さき日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人がどうなっておられようが関心は持たない」という発言に着目し、日本における共産主義革命を企図するソ連を牽制する目的もふくめ象徴天皇制は創出されたのだといい、〈重要なことは米ソ両国ともに、将来天皇制が消滅することを容認していたことである〉とする。
この「容認」と皇室財産没収などの状況証拠から「仕掛け」という結論は導かれているのだが、受け身の「容認」と積極的な「仕掛け」ではずいぶん話が違うわけで、ちょっと飛躍している。
GHQ側、日本側いずれも思慮が足りず、戦後60年を経てその破綻があらわになっているだけじゃないかという気がするのだが、いずれにせよ、このままでは皇統の断絶が必至であることは間違いない。面倒くさい議論を抜きにして結論にだけ着目すると、皇統を維持するために取りうる選択肢、典範改正案は四つほどしかない。
(1) 女性および女系天皇を認める
(2) 戦後離脱させた旧宮家を皇籍に戻す
(3) 養子を認める(ただし皇族の血を引く民間人にかぎる)
(4) 側室制度を復活する
皇室典範をめぐる議論は、煎じ詰めれば「女系を認めるか否か」という争いに集約される。
女性天皇と女系天皇の区別がいまひとつわからんという人がけっこう多いのでかんたんに説明しておこう。
女性天皇は、女性の皇族が即位した天皇を指す(そのまんまだが)。
一方、女系天皇は、皇族のお母さんから生まれた子が即位した天皇を指す。たとえば、愛子内親王が結婚して生まれた子供が即位すると女系天皇ということになる(男子でも)。
過去には8人10代の女性天皇がいた。しかしこれらの女性天皇は次の皇位継承者が幼かったりしたさいの“中継ぎ”として即位しており、女系の天皇はかつて存在したことがないとされている。
(2)〜(4)は男系世襲こそが伝統であるとハードコアに主張する保守派が訴える改正案で、彼らは、女系を認めることすなわち皇室解体にほかならないと主張したり(西尾幹二ほか)、馬の骨(パンピー)が皇族入りするため天皇制が破綻すると予言したりしている(宮台真司とか)。堀江貴文がブイブイいわせていたとき、「愛子さまがホリエモンと結婚したらどうしますか!」と右翼が絶叫していたが、つまりそういうことである。
有識者会議で出された結論は(1)だった。共産党や社会民主党さえ女系容認の構えをとっているが、これはようするに「どうでもいい」といっているのと大した違いはない(本当は天皇制自体に反対なのだが、象徴天皇制がいかんとも動かしがたいという現状認識に甘んじるしかない以上、男でも女でも別にどっちでもいいんじゃない? ということだ)。
著者も『女帝誕生』(新潮社、2003年)という本を上梓していることからもわかるとおり女系を認める立場だが、象徴天皇制の意義を積極的に評価し維持していくためには女系天皇は不可避であるとしており、共産・社民的なし崩し容認とはちょっと趣が違っている。
GHQにあてがわれたものだったにせよ、現行の象徴天皇制は伝統を正統に継承・発展したものだというのが著者の強調するところである。有識者会議には、皇室問題の専門家がいなかったことに対する疑問や、女系容認の結論ありきではないかといった批判が出ていたが、著者は、「日本国民の総意」の代表たりうる妥当な人選であり議論だったと評価している。
継承すべきは伝統の本質なのである。本質さえ見失わなければ、伝統は革新しうる。皇室の神秘性にのみ目を奪われることなく、「日本国民の総意」に基づく象徴としての天皇のあり方を模索すべきである
◎改革者、今上天皇
著者は、今上天皇こそが「改革者」だという。不執政が天皇の本来あるべき姿であり、今上天皇は象徴天皇制の理想を体現している存在なのだと(昭和天皇はことあるごとに政治に介入しようとした、つまり象徴天皇制の意味を理解していなかったと低い評価を下されている)。
今上天皇の「改革」により実現された現在の象徴天皇制と、男系世襲という古い「伝統」に固執する天皇制を較べれば、どちらが「国民の総意」を反映したものであるかはあきらかであり、女性・女系天皇の問題を矮小化することなく「マッカーサーの仕掛けた時限爆弾」を解除し、典範改正の方途を探らねばならないというのが著者の考えだ。
議論にやや繰り返しが多く、若干とりとめのない印象はあるものの、先行議論の紹介や参考文献が充実しており女系天皇議論の尖端をサーヴェイするには有用な一冊である。「マッカーサーの爆弾」うんぬんはともかくとして(といってもこれがこの本のウリなのだけれど)。
この手の問題は評者の見解を問われることが多いので最後にかんたんに。
象徴天皇制があくまで「国民の総意に基づく」ものであるとするなら、いずれ潰えて、日本は共和制に移行せざるをえなくなるんじゃないかというのが私の予測である(それがいつかはわからないがいつか)。
ただし、天皇という象徴が日本という国を精神的に支えてきた面はたしかにあると思われるし、興味深い伝統(あるいは制度)でもあるので、いま現在の「国民の総意」が支持しているという統計をいちおう信用するという前提で皇室は維持されるべきという意見に同意するのにやぶさかではなく、維持に努めるのであれば、女系天皇を認めるのが現状の社会情勢にはいちばん合致していると思う。
(文/栗原裕一郎、企画・編集/須藤輝&連結社)
【目次】
第1章 象徴天皇制の誕生
第2章 皇統断絶という時限爆弾
第3章 皇室典範と皇位継承
第4章 象徴天皇制の定着
第5章 小泉内閣の皇室典範改正案
終章 伝統と法理
_______________
【内容情報】皇位継承のあり方を論じるとき、欠かせない視点がふたつある。ひとつは、現在の天皇制が「象徴天皇制」であること。もうひとつは、現行の皇室典範は、何ら安定的な皇位継承を保証するものではないこと。古代より近現代におよぶ天皇制のあり方を歴史的に問い直し、戦後GHQによって皇室制度に仕掛けられた「時限爆弾」の存在を指摘する。今上天皇の体現する象徴天皇制の理念を踏まえ、皇統断絶の危機を回避する道を探る。象徴天皇制の今後を考える上で必読の書。 筑摩書房 (2008/05)
by yomodalite
| 2008-09-07 07:08
| 天皇・皇室
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