家族の昭和/関川夏央

家族の昭和 (新潮文庫)

関川 夏央/新潮社

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戦中に生まれ「もはや戦後ではない」と言われた東京オリンピックの年に売れっ子TVドラマ脚本家になった向田邦子が「戦前」で、

日露戦争勃発の年の明治に生まれ、偉大な父露伴から、江戸の粋を身体で覚えさせられた幸田文が「戦後」という章順には、最初違和感を抱くが、‘78年(昭和53年)の『父の詫び状』発表までは「戦前」は暗黒であり、昭和後半までは「存在」していなかった。

昭和という時代は、その後半において、まず「戦前」を発見し、明治・江戸へと遡った。江戸の静かなブームは現在まで続き、平成の世に「落語」が再発見されている。女の自立は、戦後欧米由来一辺倒だったが、昭和後半において、明治の女の自立がようやく発見された。

バブル前夜に若くして亡くなった向田邦子は、戦前の家族を描いて仕事を終えたが、江戸の粋を作家としてではなく、一生活人としてたったひとりで体現していた幸田文は、父を描くだけではなく、戦前の家庭教育による女の骨太な自立を描いて、バブル終焉間近に亡くなった。「昭和史」においては、やはり、この順番で正しいのかも。
 
昭和後半生まれとしては、第3章の鎌田敏夫のドラマは、この中ではもっとも記憶に残っている。「ダイヤル回して手を止めた〜♪」のは、団塊の世代と言われる人たちだった。終戦後4、5年あとに生まれ、必死に豊かさを求めた親をもち、激しい競争と、学生運動という戦争を経て、核家族と、専業主婦による「家族」のドラマは、不倫と、学生時代の思い出をスパイスに描かれていた。

蒲田のドラマの主人公は、その後独身の若者へと移っていき、「家庭」は、育ちのレベルを著わすようになる。経済的格差による抗えないアイデンティティ「○金(まるきん)」、「○貧(まるび)」、ブランド信仰...

『3丁目の夕日』とは全く異なる、永く永く揺れ動いたリアルな昭和史。

向田邦子/1929年11月28日 - 1981年8月22日『父の詫び状』(1978年)
幸田文/1904年9月1日 - 1990年10月31日 『流れる』(1955年)
小川知子/1949年1月26日〜
団塊の世代/1947〜1949(※1955年までの説もあり)

「壊れかけたメモリーの外部記憶」
http://blogs.yahoo.co.jp/rtpcrrtpcr/42923486.html

1.「戦前」の夜ー向田邦子『父の詫び状』と、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』
・平伏する父
・稼ぐ娘
・ふたつの家の「家長」
・「コペル君」たちの東京
・「あの人々」への視線
・「大衆」の住む家
・家族のプライバシー
・大事なことはしゃべらない

2.女性シングルの昭和戦後ー幸田文『流れる』ほか
・女だへの家
・向島の生家
・「おとうと」を亡くした人
・「脊梁骨を提起しろ」
・父の思い出を書く人
・女たちがひとりで棲む街
・玄人に伍してみたい

3.退屈と「回想」ー鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』ほか
・「妻たち」の昭和末
・「回想」する彼ら
・「生まれ育ち」には勝てない
・衣食足りて退屈を知る
・リバーサイドからベイエリアへ
・「昭和」の終焉

終章 家族のいない茶の間
____________

[本の内容]向田邦子『父の詫び状』、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、幸田文『流れる』、そして鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』……。家族が寄り集まっていた茶の間から、一人去り、二人去り、そしてついに誰もいなくなったのが昭和という時代だった。戦前・戦中・戦後、さらにバブル期へ。「家族」を切断面に見た、「昭和期日本」の姿。
新潮社 (2008/05)

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by yomodalite | 2008-08-24 17:20 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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