2008年 08月 13日
映画『崖の上のポニョ』監督:宮崎駿 |
・最後の作品
・主題歌を先に作り、それにあわせてとにかく子供向けに創った。
・初めての「水」の表現。
・全部手描き。。。
などが気になり、今回はスクリーンで観ることにしました。
結果からいうと大正解!是非もう一回観たい。(因みにわたくし、今まで二回以上観に行ったのはディヴィッド・リンチ作品のみです)
作品は、下記の宮崎氏のあいさつ文どおり。
高校生レベルに堕落していた日本のアニメ界へ、堂々としたこどもアニメの勝利です。
押井守と、庵野秀明は、このアニメを最低10回は観て今後の身の振り方をよく考えて欲しい。(←よけいなお世話です。失礼しました)
海辺の小さな町
海に棲むさかなの子ポニョが、人間の宗介と一緒に生きたいと我儘をつらぬき通す物語。
同時に、5歳の宗介が約束を守りぬく物語でもある。
アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、
キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。
海辺の小さな町と崖の上の一軒家。
少ない登場人物。
いきもののような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。
そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、
海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。
少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、
神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。
宮崎 駿
↑というわけなので、
宗介が、ぽにょの入ったバケツに水道の水をじゃぶじゃぶ入れても、
りさ(宗介の母)が幼稚園に行くだけで崖の急カーブを猛スピードで運転するのも、
5歳の宗介が、母のことを「りさ」と呼ぶのも、
人間を辞めて(?)海で暮らすフジモトも、
フジモトの娘(?)がブリュンヒルデ(長姉だから?)なのも、
ポニョが宗介に逢いに来たために、ものすごく海が荒れて大災害が起こったのも、
りさが通行禁止を告げられても、無理矢理崖の上の家に帰宅したにもかかわらず、
カップラーメンを食べただけで、こども2人を置いて再び老後施設に戻るのも、
金魚(人面魚?)だったポニョが少女になって戻ってきたことを宗介だけでなく、
りさまでもが、あっさり納得なのも、、、、
全然問題ないのだ!
今までの宮崎作品で嫌いだった現代社会への警鐘や、人類の希望を一身で担っているような美少女キャラも出ておらず、宗介のふつうの男の子ぶりが、とても好ましい。
「りさ」の親としての態度に批判があるようですが、
今、夜店で金魚釣りしても、金魚を持って帰らせない親がほとんどらしいです。飼えないという理由だそうで、、生きものを祖末に扱ってはいけないってことなんでしょうけど、今責任ある大人の態度、親の態度というのは、こどもを育てる「力」も、人生を生き抜く「力」を失わせつつありますね。
何を観ても「勇気」をもらわないとやっていけないようで、宮崎駿は、そういった批判を「確信犯」としてやっているのでしょう。
『ポニョ』の後では、もう『ファンタジア』(古!)じゃ感動できないなぁ〜
「宗介のところに会いに来たぁ〜〜!」
「宗介のところに会いに来たぁ〜〜!」
★★★★☆(ぽにょぽにょぽにょ魚の子♪
by yomodalite
| 2008-08-13 20:42
| 映画・マンガ・TV
|
Comments(0)