美の死 — ぼくの感傷的読書 (ちくま文庫)/久世光彦

美の死―ぼくの感傷的読書 (ちくま文庫)

久世 光彦/筑摩書房




著者は、『美の死』というタイトルにとくに説明はしていませんが、ここに集録された作品にある「美」が失われてしまったという意味ではないでしょうか。

記憶の底にある著者の仕事はテレビドラマの演出も含め、失われていく何ものかを常に意識させてくれるものでした。

梶井基次郎の3つの短編を分類して、

『檸檬』は白い紙に赤や青や緑のインクで書いたカルテで、『城のある町にて』は患者に自由に描かせた淡彩画、そして『Kの昇天』は、患者の目に映画のレンズを嵌め込んで彼が見たものを撮影したフィルムと、もう一台のカメラで撮った彼自身の生態を記録したフィルムとを、交互に、しかも任意に繋ぎあわせた〈奇妙なもの〉と言うことができるかもしれない。

とい比喩は至極納得。また、太宰治について書かれた「太宰元年」で、

私には年号が三つある。西暦と、明治・大正・昭和の、いわゆる元号歴と、今日まで隠していたが、その他に、私にはまったく個人的な〈太宰〉という年号があるのだ。

という表現には、ドキッとさせられました。家族よりも、親友よりも、自分自身よりも太宰が身近だった時代が私にもあったからです。〈太宰〉は何年続いたでしょう。その後は何になったのか確かではありませんが、〈太宰〉時代は熱く燃え尽き、20代前半で太宰の墓の近くに住んでいたときも、太宰ゆかりの地ということに興味がなく過ごしていましたが、「太宰元年」という言葉により、何十年ぶりに、私の〈太宰〉歴が急激に蘇りました。

他の集録作品は、川端康成「片腕」、内田百間「サラサーテの盤」、川上弘美「春立つ」、織田作之助「蛍」、岡本かの子「老妓抄」、福永武彦「草の花」、渡辺温「可哀相な姉」、梶井基次郎「Kの昇天」、吉村昭「少女架刑」、半村良「箪笥」、江藤淳「南州残影」、高樹のぶ子「透光の樹」、庄野潤三「庭のつるばら」、谷川俊太郎「和田夏十の本」、樋田慶子『つまらぬ男と結婚するより「一流の男の妾におなり」』、星野智幸「目覚めよと人魚は歌う」、坪内祐三編「明治文学遊学案内」、原武史「大正天皇」、渡辺啓助「ネメクモア」、高平哲郎「あなたの思い出」、瀬戸内寂聴「場所」、なかにし礼「愛人学」、柳美里「家族の標本」、水原紫苑「客人」、松浦寿輝「花腐し」、福田和也「甘美な人生」、野溝七生子「眉輪」、筒井康隆「魚藍観音記」、山本夏彦「私の岩波物語」。。。

____________

【BOOKデータベース】「一冊の本を読むことは、一人の女と寝ることに似ている—外見だの評判だのは、むろん当てにならない。女は寝てみなければわからない」とは、著者久世光彦の言葉だが、言いえて妙である。稀代の本読みが心を震わせる本と、三島由紀夫、江藤淳、吉行淳之介、保田與重郎、太宰治など思いを寄せる作家に熱く迫る。 筑摩書房 (2006/03)

[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/8738305
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2008-07-30 22:17 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite