2008年 04月 22日
荒地の恋/ねじめ正一 |
ねじめ正一の著作を読むのははじめて。「荒地」のことも田村隆一と鮎川信夫以外は知らずに「私小説」を久しぶりに読みました。永い親友関係にして、同業者である詩人の妻との定年間近にしての恋の様々な波乱も、奔放、無頼な詩人の生活も、淡々とした日常として描かれている。
◎「荒地の恋」ねじめ正一氏インタビュー(夕刊フジBLOGより)
戦後を代表する詩人、田村隆一と中学以来の親友であり、詩の結社「荒地」の同人である北村太郎が、田村の妻、明子と恋に落ち、家を出て貧窮の同棲生活を送る話である。一種、破天荒な実名の小説はなぜ書かれたのか、著者に聞いた。
昔の作家を扱った実名小説は珍しいものではないが、主人公の北村や田村、北村と明子の、いわば仲立ちをする鮎川信夫にしろ、記憶に新しい現代詩人だけに驚く。
この3人は戦後詩を代表する詩人ですし、マスメディアにも顔を出している人だから、匿名でなく、きちっと名前を出して書かなきゃいけない、という思いがありました。
家族の方が読んだらどう思うかという気持ちはありましたから、ずいぶん取材しました。(北村の恋人となる)第2の女性、第3の女性など、登場人物の女性たちにもしょっちゅうお会いしてこちらの意図を汲んでもらいました。私が書きたいものを書かしていただくわけで、向こうの方は私に対して何の義理もないわけですから、そうしないといけない。いつもその気持ちだけは忘れずにいました。
異論は出なかったのですか。
(連載した)雑誌は必ず送っていたし、生原稿も毎回、読んでもらって、何か問題ありますか、と聞いてました。とくに北村さんの娘さんなどは、回が進むに連れ、変わってきて、父親の北村太郎を、客観的に読めるようになった。父親が家を出てからどういう生活をしてたか、どんな思いで生活していたか小説の中で知りたい、そういうふうに意味合いが変わってきましたね
冒頭、田村さんが北村さんの翻訳した『あるスパイの墓碑銘』(早川書房)を、別の出版社から出す自分の翻訳としてそっくり使わせてほしい、と電話してくる。後に、いわば寝取られ男ともなる田村さんの無頼派ぶりが躍如、むしろ親近感を持たせる場面である。
詩人としての田村さんは、どこか尊敬していたし、無頼である田村隆一も敬愛していたので、そこらへんはちゃんと書いたつもりです
田村の4度目の奥さんとなった明子が、田村から「僕と死ぬまで付き合ってくれませんか」と口説かれた話のあとの、次の文章がすごい。
《殺し文句である。田村の詩も、田村という人間も、もしかしたら田村の人生も、殺し文句で出来上がっている。(中略)言葉で女を殺して、うまいこと利用して、面倒臭くなったら逃げ出すのだ。殺し文句の詩人が大切にしているのは言葉だけである。言葉に較べたら、自分すらどうでもいいのである》。
しかし、この小説の主人公は、田村とは対照的に、新聞社の校閲部で普通のサラリーマンとして生真面目に生き、明子と会うまでは家庭の幸福も感じていた北村である。
普通の人が定年を前にした53歳のとき、ある意味で突然、壊れたのはなぜか。書きたかった理由の一つです。奥さんに明子さんのことを告白してからも、家を出るまでに3年近くかける。北村さんのそういうとこに誠実さを感じましたね。
それにしても、奥さんとの修羅場や、田村家に乗り込んだ奥さんと明子のやり取りなどが、まるで見てきたように生々しく書かれ迫力がある。
分からなくなったとき一番、力になったのは北村さんの詩。人間をぐっとつかまえられる瞬間がある。こういうときに北村さんはこう言うだろうと、捉えられたときが楽しい。北村さんは詩を書きたくて家を出たんじゃないけど、出てから、家への仕送りもあり、生活が厳しくなる。そういう切羽詰まった状況の中で詩が書けるようになったんです
北村は最初の奥さんと子供を水難事故で亡くしている。
人間は明日どうなるか分からない、そういうものを目の当たりにした。以後、死者の側に立って生きていく。簡単に自由自由というけど、自由に生きるってことは、こんなに大変なことなのか、ということが、この小説の中で一番書きたかったことです。
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【内容紹介】五十三歳の男が親友の妻と恋に落ちた時、彼らの地獄は始まった。北村太郎、田村隆一、鮎川信夫。宿命で結ばれた詩人達を描く長編小説。文藝春秋 (2007/9/26)
by yomodalite
| 2008-04-22 12:47
| 文学
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