2008年 03月 21日
橋本治という行き方 WHAT WAY TO GO!/橋本 治 |
「批評軸のねじれ」
いるものと、いらないもの、完成度は高いがいらないもの、完成度の高さを発見するのはそれが必要だから。批評の基軸に従って成り立つようなものが、社会の構成要素として必要だからである。
「行き詰まりの研究」
教養体系は新しい知性を生まなくてはならない。そして自身の生み出した新しい知性が真実「新しい知性」であるかどうかを検証する能力を持たなくてはならない。
「批評軸の乱立」
論理は人を従わせるものではなく、「人を納得させるもの」である。論理は「従わせる」をもっぱらにするような「枠組」ではないが、人はいつしか「枠組」こそ論理だと思うようになる。なぜかというと人は「ある枠組の中だけで成り立つ整合性」によって生活を成り立たせているからである。
「批評とマーケティング」
「つまる」か「つまらない」かの調査側の判断を棚上げにしない限り、「そのものの市場」を調査することなんかできない。その一点でマーケティングは批評に似てしまう。
…その会社の「好調」を実現させた商品が「欠陥を隠し持つ商品」だったらどうなるか?欠陥があることは会社内で理解されているが、克服している余裕がなく見切り発車で市場に送り出され、消費者がその欠陥に気づかず大好評だったら、会社はそのうち欠陥を解消して、という気持ちが薄れていく。欠陥を知るものは「いつかダメになる」と将来を危惧するが、会社からはその「批評」は忌避される。「社会はいつも未完成で、その社会に住む人達はたやすくその未完成を忘れる」である。「未完成」を認めると「完成」を前提として享受出来ていた既得の権益を手放さなくてはならないから、「批評」は嫌われる。嫌われても批評の本来性は本来性としてある。
「いらないかもしれない職業」
今の日本では「そう考えたらいいのか」というその後の方向性を問わない知識や情報ばかりが氾濫しているような気がする。「そう考えたらいいのか」を問われない受けては「主体性を放棄した」と言われても仕方がないような存在だと思う。そういう受け手をレクチャーするのはとても悲しい職業のように思われる。
「よかった」と思うこと
末木文美士(すえきふみひこ)『日本仏教史ー思想としてのアプローチ』という本の文庫版の解説を書き始めて困った。聖徳太子と仏教の伝来から始まるこの本に「近代以後の日本仏教」がない。「それでどうなるの?」がない。それで僭越を承知して「“明治以降の仏教”という部分がない」と書いてしまった。おそらく「日本仏教史」を名乗るどの本にも「明治以降の日本仏教」に関して「なぜ?」を抱えた高校生を納得させるような記述はないのだろうと思った。「そこがおそらく、今の日本人にとっての最大の問題だ」と思ってしまった。末木文美士さんの『近代日本の思想・再考Ⅰ 明治思想家編』と『同Ⅱ 近代日本と仏教』(トランスビュー刊)のタイトルを見てリクエストに応えてもらったとわかった。1の『明治思想家論』の序章は「なぜ明治以降の日本の仏教は“日本仏教史”というものの枠組の外にあったのか?」というトリッキーな謎解きから始まる。
「俗の豊穣」
日本の仏教というのは、江戸時代に大衆化して広まっていくー「信仰」ではなくて、「仏教的な論理」が。日本の格言とかことわざには、へんなひねりの入ったものが多い。そういうひねりの論理はみんな仏教から来ているもんだと思っている。だから日本人の知性ーしかも大衆的な知性のへんてこりんさは、大衆化して定着した仏教論理によるものだろうと勝手に考えているのである。…「日本の俗ってとんでもなくレベルが高いぞ」と思って、「そんな高度な俗が存在することこそが、日本の謎だよな」とも思うのである。
「つっこまない文化」
私がびっくりしたのは、明治の初めの儒学者が「なぜ?なぜ?としつこく繰り返す思考法は仏教のもので、儒学者のものではない」ということを、いとも当たり前に理解していた、そのことである。「そうか、仏教はツッコミ思想だが、儒教はツッコミじゃないんだ」と思って、「なるほど、儒教は“怪力乱神を語らず”で、仏教は“一切、空”だもんな」と納得してしまった。…「日本の通俗理解はすごいな」と思い、「なるほど、それで儒教社会の日本は“なぜ?”というラディカルな問いを突きつけられると、困惑して無視してしまうのか」ということも、どうでもよくなってしまった。…私は兼好法師を「するどいツッコミの人」とは思わない。「常識的であることを身上とする随筆者」だと思う。8歳の兼好法師は無理をして父親にしつこいツッコミを入れていたわけではない。ただ「不思議だなあ、よくわかんないなぁ」という思いだけで質問を繰り返していて、それが自然だったから、その自然さを肯定されて、兼好法師は「ラディカルなツッコミ型思想家」にならず、「穏健で等身大の随筆者」になったのだろうと思う。途中で答えられなくなってしまう兼好の父は「そんなことを考えるな」とも言わない。ある程度まで息子の問いに答えられ、あるところで止まる。鎌倉時代の終わりには既に「そういう父親がいる現実」はあった。そういう父親に守られ育てられたから出家しても兼好はラディカルな思想家にはならなかった。誰も彼の問いを拒絶しないからだ。「考えてもいいんだ」という事実は、思考の自由を生む。と同時に「答えられなくてもいいんだ」という事実は、確定された現実の外側へ出なければならないという強迫観念を生まないーだから穏健になる。「8歳になる困った息子」を愛する父を見ていると、「それが日本だったな」という気もする。
「始まりのない文化」
『古事記』の始まりは「天地創造説」でもあるが『古事記』に「人類創造」はない。いつのまにか人は存在してしまっていて、その点で『古事記』は「支配者の正統性を訴える神話」でもあるけれど、私は『古事記』を「人が神を創造した神話」だと思う。…つまり「もう人類は存在している」を前提にした『古事記』は、「始まり」を生み出さない神話なのである。
「既に始まっていた文化」
「一体、日本人てなんなんだ? そもそも、日本人のその始まりはどうだったんだ?」と考古学的な事実ではなくて、「考え方」の始まり」を辿っていったら、私はここに行き着いた。つまり「自然に囲まれて、我々はもう生きて生活している」のである。その始めが、こんなにも確固としている。「それ以上前」に遡る必要はない。「天地の始まり」を求めて、しかし太古の日本人は「我々は始める。我々は、我々がもう生活をしていることを前提として、そこで重要なものはなにかを発見する」ということをしている。それが私にとっての、日本神話の始まりで、「太古の日本人が考えた“自分たちの始まり”」である。
八百万と言われるほどの多数の神々を登場させていて、日本の神話は、いとも明確に「現実的」なのである。明確に現実的であるそのことが、神々しくて感動的なのである。「日本人は、物を考えるその始めにおいて、かくも具体的に明確だったのか」と思って、私は安心してしまったのである。
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【出版社 / 著者からの内容紹介】いま日本を代表する「知識人」となった著者の、もっとも重要なエッセンスが凝縮された一冊。9・11、イラク戦争、北朝鮮問題といったトピックを素材に、教養、批評、文化など、いま私たちがものを考えるためのヒントが、ぎっしり詰まった好著。
【内容「BOOK」データベースより】
この国のあり方を少し考えた。どうにもならない構造を抱えてしまった大学、企業、そして日本という社会。この行きづまりの状況において、私たちが生きて行くためのヒントを、著者自らの立っている場所から提示する本格的なエッセイ集。 朝日新聞社 (2005/6/16)
【出版社 / 著者からの内容紹介】いま日本を代表する「知識人」となった著者の、もっとも重要なエッセンスが凝縮された一冊。9・11、イラク戦争、北朝鮮問題といったトピックを素材に、教養、批評、文化など、いま私たちがものを考えるためのヒントが、ぎっしり詰まった好著。
【内容「BOOK」データベースより】
この国のあり方を少し考えた。どうにもならない構造を抱えてしまった大学、企業、そして日本という社会。この行きづまりの状況において、私たちが生きて行くためのヒントを、著者自らの立っている場所から提示する本格的なエッセイ集。 朝日新聞社 (2005/6/16)
【目 次】
この厄介な「自分」
この「作家」という職業
この不思議な「距離感」
「雑」と教養
「貫くもの」を考える
「広がること」を考える
・批評の台
・批評軸のねじれ
・機械の苦悩
・行き詰まりの研究
・批評軸の乱立
・受け手の責任
この悲しい「マーケット」
・そういう「批評の不在」
・世界感の差
・批評とマーケティング
・いらないかもしれない職業
・バッシングと批評
・「本」というもの
・「よかった」と思うこと
この「自分の生まれた国」の文化
・俗の豊穣
・つっこまない文化
・始まりのない文化
・既に始まっていた文化
・物語の土壌
この厄介な「自分」
この「作家」という職業
この不思議な「距離感」
「雑」と教養
「貫くもの」を考える
「広がること」を考える
・批評の台
・批評軸のねじれ
・機械の苦悩
・行き詰まりの研究
・批評軸の乱立
・受け手の責任
この悲しい「マーケット」
・そういう「批評の不在」
・世界感の差
・批評とマーケティング
・いらないかもしれない職業
・バッシングと批評
・「本」というもの
・「よかった」と思うこと
この「自分の生まれた国」の文化
・俗の豊穣
・つっこまない文化
・始まりのない文化
・既に始まっていた文化
・物語の土壌
by yomodalite
| 2008-03-21 17:18
| 評論・インタヴュー
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