革命的な、あまりに革命的な −「1968年の革命」史論/絓 秀実

革命的な、あまりに革命的な―「1968年の革命」史論

スガ 秀実/作品社

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この時代を歴史として把握したいと思って挑みましたが、驚くほど読めない。時代を知るもの以外を拒む気配は感じていたものの、想像以上に歯が立ちませんでした。

本読みとしての実力の無さに自覚はありますが、著者もあまりにも大局的な歴史センスに欠けているのでは。03年の著作で、68年革命の再評価でこれですか。次世代の人間には理解されたくないんでしょうか。

ひとつ気が付いたのは、この本の感じは現在の「オタク」にそっくりだということ。当時は政治を語ることが若者文化の一つでしたが、著者は2003年においても、政治や革命を特殊な「文化」圏内で語ることが楽しくてしょうがないようです。

日本は、永遠に「サブカルチャーの国」(by 斎川真)だとあらためて解りました...と書いた後、再度読み直してみました(苦笑)。

「サブカルチャーの国」なんだから、オタク本にこそ価値があるはず(# ゚Д゚)ムキー !
・・・・・・ ( ゚Д゚) う〜ん (判定不能)

【目 次】
第1部 ニューレフトの誕生
「歴史の必然」からの自由がもたらされた時、文化的ヘゲモニー闘争の「勝利」とアポリア 「実存的ロマンティシズム」とニューレフトの創生 ほか
第2部 カウンターカルチャーと理論的実践
詩的言語の革命と反革命、アンダーグラウンド演劇のアポリア、小説から映画へのエコロジー的転回 ほか
第3部 生成変化する「マルチチュード」
世界資本主義論から第三世界論へ、戦争機械/陣地戦/コミューン、ゾンビをめぐるリンチ殺人から内ゲバという生政治へ ほか

________

【内 容】パリの「五月革命」や日本の「全共闘」として知られる「一九六八年」は、世界システム論で知られるエマニュエル・ウォーラーステインの表現を用いれば、「二〇世紀唯一の世界革命」であり、政治・経済レベルのみならず、芸術・思想の領域においても決定的な切断をもたらしたことは、今や世界的に認知されている。本書は、この一九六八年を、日本の状況に即して、文学・演劇・映画から哲学・思想の領域で、いかなる意味を持っていたかについて論じたものである。
六〇年代に生じていた文学・哲学・芸術領域のパラダイム・シフトを個々具体的に論じ、併せてそれが現代の問題にどのように関わっているかを明らかにする。
一九六〇年代を論じた書物は日本においてもいくつか存在するが、多くは一面的な回顧録あるいは情緒的な記述にとどまっており、本書のごとく広範な領域を冷静かつ客観的に論述したものは皆無といってよい。また、日本の現代思想・文学史は今日においてもおおむね「戦後」(一九四五年)を基点として書かれてきたが、本書は「一九六八年」を中心とすることで、まったく新しいパースペクティブをひらく。(2003年 作品社)

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by yomodalite | 2007-10-17 10:15 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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