ペルソナ — 三島由紀夫伝/猪瀬直樹

ペルソナ―三島由紀夫伝 (文春文庫)

猪瀬 直樹/文藝春秋



3部作の中の『ピカレスク』は、期待に叶う作品ではありませんでしたが、こちらは、ノンフィクション作家が、芸術的評価に踏み込んであれこれ言っている部分を気にしなければ興味深い本です。

著者の出世作『ミカドの肖像』と同様、三島の祖父からの一族の歴史は、この本で初めて詳しく知ることが出来ました。

※鹿島茂の解説を下記に引用。

(前文略)〜「三島由紀夫の評伝である本書は、割腹自殺を大団円に置いた『近代日本と官僚制』という題の大河小説と見てよい。主人公は大蔵事務次官平岡公威(三島由紀夫の本名)および父の農林水産局長平岡梓と祖父の樺太庁長官平岡定太郎。三代にわたる高級官僚の家系である。だが祖父は疑獄、父は無能、息子は文学によって結局、官僚機構の落伍者となる。」

つまり、本書は、いかに三島由紀夫の内面に秘密に光が当てられていようと、全体としてのベクトルは、平岡家三代を巻き込んで展開していく「近代日本と官僚制」という外部に向かっている。平岡家三代をミクロで捉えることによって、「近代日本と官僚制」というマクロを浮かび上がらせることをねらった大河小説なのである。いずれにしろ、文芸批評という閉じられたサーキットに内向していくベクトルでなく、文明批評という外側へと開かれていくベクトルを感じ取ることが大切なのである。

こうした外側へ向かうベクトルを支えるのが、この「大河小説」の脇を固める副主人公たち、すなわち、主人公たちと途中まではコースを同じくしながら、途中から枝分かれした運命の道を歩むことになる分身的人物である。平岡家一代目の祖父定太郎には、「平民宰相」原敬、二台目梓には「昭和の妖怪」岸信介、三代目公威には元大蔵事務次官、長岡寛が配される。挫折した官僚一族である平岡家三代の「私」に対して、これら功なり名を遂げた副主人公三人は「公」を代表している。

(中略)だが、なぜ、原敬暗殺が大河小説の発端に選ばれたのか? 原に暗殺の計画ありと警告した人間がいて、それが三島由紀夫の祖父平岡定太郎だったからである。

(中略)平岡定太郎は、政友会総裁原敬の懐刀の1人で、原敬に取り立てられ樺太庁長官という重責を担っていた人物だが、その平岡定太郎がどういう経路で原敬の暗殺計画を知ったのか? ここに大きな謎が生まれる。この謎がストーリーを駆動させる力を持つ。

(中略)「原敬と平岡定太郎の関係は、象徴的な意味を帯びている。ここに『政』と『官』の今日にまで通底するすべてがある。だから掘り下げるのだ。

(中略)平岡は原の野心のために樺太へ向かわせられた。原の野心とは何か。小沢一郎の『普通の国』ではないが、『普通の権力』をつくろうという野心である。では普通の権力とはなにか。(中略)地縁、血縁を清算すれば、冷たく乾いた合理的なシステムが生まれる。ひとつが政党である。もうひとつは、近代的な官僚機構である。
この二つをすりあわせひとつのシステムに練り上げようとする革命を、原は目指した。政党は選挙に勝って議会で多数を占めなければならない。選挙に勝つためにはおカネが要る。」

(中略)平岡定太郎はこの期待によく応えようとするが、度重なる政変によって、志を果たせず、政友会の利権のために陰の部分を担うようになる。そこから、冒頭の暗殺計画の通報となるのである。

しかし、これだけだったら、日本近代史の裏面史の記述にすぎない。本書が明治大正昭和を結ぶ「大河小説」となるのは、この裏面史が突如、『仮面の告白』の「祖父が植民地の長官時代に起こった疑獄事件で・・・・・・・」という祖父のことがたった一か所記述された箇所を媒体にして、作家三島由紀夫の内面の秘密へと接続される瞬間からである。

すなわち、著者は、そこに、三島由紀夫が明治の官僚である平岡定太郎にまつわる記憶を封印しようとする意志を読み取り、これが三島由紀夫の割腹自殺に至る軌跡の原点であると見る。いいかえれば、これまでヒステリー気味の祖母夏子によって「幽閉されていた」幼年時代を探ることで、解明されたと見なされた三島由紀夫の無意識の構造に、封じ込められているという第二の仮説を持ち出すのである。

(中略)「山県有朋や伊藤博文が明治政府の骨格をつくったとすれば、原敬は第二世代のリーダーで対章時代を昭和時代を築くはずだった。
主役は農商務省で廊下トンビばかりしていてロクに仕事をしない消極的ニヒリストの梓ではなく、農商務省同期入省(大正9年)の岸信介だった」

だが、それにしても、平岡梓の陰画として、なぜここで岸信介が登場するのか? それは、岸信介が革新官僚として満州国で練り上げた統制経済的国家体制、つまり日本的官僚制が、戦中というよりもむしろ戦後の昭和30年代になって急速に威力を発揮しはじめ、三島の描いたのとは異なる日本のイメージを作り出してしまうからである。

(中略)私は個人的には、昭和30年代初頭の『小説家の休暇』に描かれた頃の自信にあふれた三島がもっとも好きだが、この自信がX嬢との肉体的恋愛によって支えられたものだとは初めて知った。これは三島由紀夫という人間をある程度理解している者にとっては十分に説得的な説である。そして、その回復された自信をもとにして書かれたのが『金閣寺』であるというのも納得がいく。

(中略)日常性、これこそが、三島由紀夫の最大の敵であった。なぜなら、かつて敗戦で息の根をとめられたかに見えた日本の官僚制あg、岸信介の政界復帰と統制経済の焼き直しである「生産力倍増十か年計画」によって蘇り、凡庸な日常性をひっさげて巨大な壁のように立ちはだかってきたからである。三島由紀夫はこの壁を『鏡子の家』の中で描くことで打ち破れると確信していた。

(中略)『鏡子の家』は無惨な失敗作と評価され、三島由紀夫の戦略は根本から狂うことになる。(中略)そのあげく、三島は、思いもかけなかったジョーカーのようなマクロすなわち天皇を取り出して、この日常性(官僚制)という最強のマクロに待ったをかけようとする。
「こうして官僚たちが設計してきて、これからも設計しつづけるだろう終りなき日常へ、一気に零を掛けることの出来る切り札、それが天皇、というあらためての発見ではなかったか」

平岡家三代というミクロと官僚制というマクロがフィードバックしあって見事な読み物にしあがった大河小説「近代日本と官僚制、あるいは三島由紀夫」は、今日もなお増殖を続けてやまない官僚制という日常性へ、著者自身が渾身の力を込めて投げ付けた抵抗の書でもあるのだ。(鹿島茂)
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【BOOKデータベース】官途を辿った祖父と父にならい、若き日の三島由紀夫は大蔵省に勤めた。文壇への転身から衝撃的な割腹自殺に至るその後の人生を通じて、官僚一家の濃密な「血」は陰に陽に顔を覗かせる。『仮面の告白』に語られた「祖父の疑獄事件」とは何か?綿密な取材を通じて、天才作家の隠された素顔に迫る傑作評伝。 (文藝春秋 1999/11 ※単行本1995/11)

【出版社/著者からの内容紹介】 樺太庁長官にまでなりながら、その後躓いて不遇の晩年を過ごした祖父と、祖父の利権の残る農商務省に入りながら、仕事に打ち込むことのなかった父。本書はまず三島由紀夫を生んだ平岡家の系譜を丹念にたどり、「近代」と官僚の関わりを明らかにしていく。さらに、大蔵省をわずか9か月で辞め、文壇に転身した三島由紀夫の作品にも一族の中に色濃く流れる官僚の血が顔を覗かせると指摘、衝撃的な割腹自殺までの道程を、独自の着眼点で検証する。単なる作家論でもないし、学術書でもない。ある事実から仮説を立て、その仮説を証明する事実を丹念に蒐集する。つまり細部はすべて事実から成り立っているが、大きな仮説を楽しむための文学である。

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by yomodalite | 2007-09-30 23:15 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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