英国機密ファイルの昭和天皇/徳本栄一郎

英国機密ファイルの昭和天皇 (新潮文庫)

徳本 栄一郎/新潮社



著者である、徳本栄一郎氏といえば、『角栄失脚歪められた真実』でアメリカの外交機密文書から、ロッキード事件はアメリカの陰謀ではなかったという結論に導いた妖しげな人(笑) という印象が強いのですが、英国公文書へはどうなんでしょうか? 

貞明皇太后や、開戦前の吉田、白州に関して、初めて聞く話があり、英国の当時の米国に対する感情など、興味深い話がわかりやすく語られている。

それにしても、杉山陸軍大臣の言葉「それは政治問題なので、自分の管轄外だと答えた」など、後述の著『日本人はなぜシュートを打たないのか』と同様の日本人の問題点を感じました。

【目次と主な内容】

■プロローグ 白洲次郎の涙

■第1部 戦前編
「二重戦略―秩父宮留学の裏で」

大英帝国が、東洋の新興国と手を組んだのは、ロシアへの警戒と不信があった。
松方正義の死去、大正天皇への不安、英国政府は新しい対日政策指針に取り組んだ。
英国は、「米国と同盟を結べば、日本への石油、アルミを供給できる」と考え、
唯一頼りになる同盟国は米国との結論に達した。
秩父宮の留学を実現させ、日英友好を演出し、白州のような若者には英国式教育をみっちりと仕込む。同時に、将来の対日戦争計画を作成し、日本人を「黄色人種」と言い放つ。

「秘密交渉―吉田茂の『示唆』 」
満州事変、国連脱退が、日本の国粋主義団体に追い風を送っていた。牧野伸顕の内大臣辞任に、昭和天皇は声を上げて泣く程のショックを受けていた。軍部の発言力は増し「2.26事件」が起こる。
吉田茂は、行き当たりばったりとも見える英国との和平工作を続けた。吉田の独走は、彼1人の思いつきか? 吉田は、日英の関係改善の強い意思は、天皇の意思であることを示唆した。

「日英緊迫―天皇の懇願」
日本の対中政策は、行き詰まりを見せていた。国連脱退〜孤立への焦りは、ドイツとの防共協定締結に結びつくが、欧米列強との関係はますます悪化した。そうした中、秩父宮はジョージ6世の戴冠式に出席するが、賓客の先頭を贈り、最重要の賓客として遇された。英国は天皇の意思を読み取り、メッセージを送ったのだ。

しかしその最中に、北京で盧溝橋事件が勃発。日本の軍の一部には反日運動を終息させようとする強硬派が出現し、中国では全土に抗日運動が拡大していった。たった3発の銃弾が、日中戦争を引き起こした。盧溝橋事件から一か月余り後、ヒューゲッセン英国大使の乗った車が日本軍機の爆撃を受け、英国民は一気に激昂した。吉田と面会した英国は、吉田野言う英米との和平を望む「日本の仲間」の存在自体を疑い、吉田の英国外務省でのクレディビリティは失墜していく。

稚拙な交渉手法、思いつきのワンマン外交を非難するものは今も多いが、実は、吉田の交渉は、昭和天皇、秩父宮、西園寺公望、牧野伸顕など、元老・重臣から成る集団だということが明らかになってきた。クレーギーは、皇族の英国への愛着に、期待をもったが、

大使館に押し掛けた学生の声明ー「欧州の抑圧を取り除かない限り、アジアに平和と繁栄は実現しない。日中戦争は、中国との戦いではなく、南京政府を支援する英国やロシアとの戦いである。これはアジア解放の歴史的闘争で、われわれは日本の政策を全面的に支持する」ー

急進的ナショナリズムが広がっていくのを感じざるを得なかった。

「反逆大使―戻らない針」
中国の蒋介石政権は、積極的な欧米メディア工作を展開していた。中国側の被害を大きく誇張する手法に日本政府は翻弄されていた。

★杉山元陸軍大臣「われわれの見解が理解されていないのは非常に遺憾です。日本軍は日本のみならず、極東、世界のために戦っています。このままでは、ボルシェヴィキズムの脅威が中国から日本にも波及してしまいます。

★クレーギー「かえってボルシェヴィキの影響は増していますよ。もし日本が誤解されていると思うなら、ブリュッセルの九か国条約国会議の場で、世界を納得させるべきでしょう」
杉山は、それは政治問題なので、自分の管轄外だと答えた。

日本のあらゆる新聞は、英国に対抗するため、ドイツやイタリアと手を組むのが、協定の狙いだと報道していた。天皇、広田弘毅、杉山元、本間雅晴は、日中戦争の継続を望んでいない。結果的に、広田は東京裁判でA級戦犯として死刑になり、杉山は、敗戦直後、拳銃自殺を遂げ、本間は、戦後マニラの軍事法廷で、「バターン死の行進」の責任を問われ、銃殺刑となった。日本との宥和政策を打ち出したクレーギーのスピーチは、『極東のミュンヘン』を認める、ことと理解され、波紋をよんだ。

「豪腕首相―切り捨てられた日本」
近衛文麿は、英国政府内で「メランコリック・プライム・ミニスター」(憂鬱な首相)と呼ばれていた。
東条内閣が誕生した時、天皇が内大臣の木戸幸一に「虎穴に入らずんば虎児を得ずだね」と語ったのは有名。

敢えて開戦論者の東条を首相に任命し、主戦派の軍人を、迎えようという天皇の狙いをクレーギーは承知していた。チャーチルには、何としても米国を参戦させたい理由があった。そのため日本の穏健派の和平工作に応じる訳には行かなかった。

「日本の攻撃で、米国が一丸となり参戦したのは天佑だった。大英帝国にとって、これに勝る幸運は滅多になく、真の敵の見方が明白となった。日本が無慈悲に壊滅される事で、英語圏と世界に大きな恩恵を与える」

最後まで、日英の関係改善に尽力したクレーギーに対して、吉田や親交のあった者は、彼の息子のビジネスを支援し、恩を忘れなかった。1998年に天皇訪英の際にも、親子はレセプションに招待された。

■第2部 戦後編(皇室危機―資産隠匿疑惑)
強引とも言えるGHQの手法の裏には、国際政治の水面下の駆け引きが潜んでいた。英国を始めとする極東委員会はGHQが新憲法草案を造り、日本に押し付けた事情を把握していた。彼らのあまりの理想主義が、将来、日本の外交や安全保障論議に混乱を引き起こす事も見抜いていた。

総選挙が実施され、鳩山内閣誕生が確実となったが、GHQの介入に依って、鳩山は公職追放となる。
マッカーサーは、天皇を高く評価していたが、英国は、天皇がマックの前では、民主主義を唱えるが、実は面従腹背ではないのか、と疑う。スイスを舞台にした「皇室の資産隠匿疑惑」が理由だった。
  
広島に原爆が投下された翌日、1945年8月7日、良子皇后が、1千万スイスフラン(数十億相当)の巨額寄付を赤十字国際委員会に行った。寄付金は、終戦後、スイス当局が凍結するが、この資金を巡って、赤十字と英国政府の間に熾烈な争いが起きる。

★英国「資金の大部分は、日本領の英国人戦争捕虜の救援用に送った資金を、日本が為替取引きにより、スイスフランで取得した。これまでに日本は、一度にこれほどの巨額な資金を行った事例がない」

終戦の数週間前、日本人がスイス銀行から300万フランの引出しを試みている。それ以外に500万フランの引出しに成功した例もあった。この時期の皇室ファイルには、目録に載っていながら、閲覧禁止や廃棄処分にされたファイルが少なからずあった。その一つが「昭憲皇太后基金」である。それは、1912年美子皇后(後の昭憲皇太后)が国際赤十字に当時の金額で10万円(約3億5千万)を寄付して創立された基金だ。

不思議なのは、1949年の目録に載った「昭憲皇太后基金」が未だに機密扱いされていること。1948年8月ストックホルムで、第17回赤十字国際会議が開催されたが、ここで採択された決議は「昭憲皇太后基金」にも触れ、それに関する英国政府文書が作成されたが、これが未だに非公開。同じ年高松宮が英国王室に手紙を送っているが、この手紙自体が保存されていない。ひとつ言えるのは、赤十字と英国が対立した1948年夏は、昭和天皇と皇室にとって、最もデリケートな時期だったという事。
 
敗戦を経て、昭和天皇を取り巻く環境は激変した。GHQが「民主化」の名で、日本を改造し、自分を最大限利用しようとしている事は、天皇は承知していた。天皇は、欧米で隠然たる力をもつ人物への接触を試みた。その人物こそ、バチカン市国のローマ教皇だった。

「天皇改宗―ローマの触手」
1948年3月30日、日本で社会福祉活動をしていたヨゼフ・フロジャックは、天皇のメッセージを携え、ローマ教皇ピウス12世に会った。天皇は皇太子時代の欧州歴訪から、法皇庁と連絡を取る必要を感じていた。

英国は、バチカンを警戒していた。その裏には教皇ピウス12世への連合国の不信感が横たわっていた。当時バチカンには、共産主義を公然と敵視したナチス・ドイツへの親近感があり、ソ連には宗教をアヘン呼ばわりし、聖職者を弾圧していた。ローマ教皇庁は、軍国主義の崩壊により、生まれたイデオロギー上の空白地帯を埋めたいと考え、天皇が改宗する可能性に期待していた。日本を巡り、キリスト教と、共産主義が凌ぎを削っていた。
  
天皇自ら地方を視察する「巡幸」も続いていた。天皇を取り囲む進駐軍兵士は、護衛よりも監視と言った方が相応しかった。当時の天皇は物理的、精神的に軟禁状態に置かれていた。終戦直後のマニラで、マックは、「天皇は今の日本で最も民主的な考えを持ち、極めて扱いやすい男だ」と答えているが、この時期の英国政府、ローマ教皇庁の内幕を見ると、冷静な現実主義者で、したたかな天皇像が浮かび上がってくる。

「退位計画―英米の鍔迫り合い」
終戦から3年近くが過ぎ、天皇退位という事態は、絵空事ではなかった。天皇が退位すれば、皇太子明仁が即位する。明仁が14歳の少年となると、摂政が設置されることになるが、秩父宮が肺結核を患っているので、高松宮か、三笠宮ということになるが、高松宮に、英国は強い警戒心を抱いていた。

マックが明確に否定した後も、天皇退位の噂は消えず、芦田内閣の国会図書館専門調査員の入江俊郎が、ガスコインにエドワード8世の国王退位の経験をもつ英国にアドヴァイスを求めてきた。ガスコインは慎重に対処したが、その後も『文芸春秋』に「天皇退位説に因んで」という記事が英訳され、連合国間で、回覧された。(執筆者 森田草平)英訳したハーバート・ノーマン駐日カナダ代表は、個人コメントを添付していた。

★ノーマン「現在の天皇はどちらかと言えば無能、神経質かつ内気だとする声がある。このため、天皇が無意識な政治家、官僚、廷臣に取り囲まれ、利己的な目的に彼の権威が利用される懸念もある。自分も天皇が攻撃的ナショナリズムの集約点となりうる印象をもつ。」

「歴代の天皇が時代に取り残され、時の支配層に支持と保護を求めてきたことを、この著者(森田)は示している。それは封建時代初期の武士階級であり、16世紀の偉大な征服者秀吉であった。(中略)一体天皇制を維持する利点は何かと、読者に問いかけているのである。
  
この辛辣とも言えるノーマン報告は、英国外務省で反発も呼んだ。彼らの内部メモ。

★「(ノーマン報告書は)日本が奉献主義を脱して西洋文明を導入した際、明治天皇が果たした役割を軽視している」。紀元、7、8世紀、皇室が主導して中国文明を取り入れた事も同様だ。」

★「現在の天皇を“無能”“神経質”“内気”と片付けるのは公平ではない。1936年の反乱(2.26事件)の時、これを『謀反』としたのは天皇だけだった。1945年以降も、米国から与えられた役割を彼は信念を持って遂行している。ノーマンや、英国外務省は、天皇制の歴史を調べ上げていた。神武天皇に始まり、戦国時代の信長、秀吉、徳川幕府が時の天皇をどう利用したか、明治維新で天皇が果たした役割は何か、昭和初期の狂信的天皇崇拝はなぜ生まれたのか。彼らが『日本書紀』や『古事記』まで遡り、日本の天皇制を研究していた事が伺える。

ハーバート・ノーマンは、その後、駐エジプト大使に赴任したが、1957年カイロ市内の9階建てのビル屋上から投身自殺した。享年47歳。動機はスパイ疑惑だった。1950年代、東西冷戦が激化するとノーマンがソ連のスパイではないかという疑惑が生まれた。ノーマンは大学在学中、共産主義に熱中した時期があった。

「皇太子攻略―家庭教師派遣に固執した英国」
トルーマン大統領と対立を繰り返したマッカーサーは、連合国最高司令官から解任された。吉田は、顔面蒼白となり、しばらくショックで口も聞けない状態だった。知らせを聞いた天皇も同様の反応だった。天皇は、帰国前に、宮中へ参内させたいという強い希望をもっていたが、反応はそっけなく、逢いたいなら、羽田空港まで見送りにくるべきとの発言に、周囲の相談を無視し「かまわぬ、行く」と決断した。天皇は結局、米国大使館にマックを訪ね、別れの(そして最後の)挨拶を交わした。
マッカーサーの後任は、リッジウェー中将に決まった。GHQはシーボルト率いる外交局が存在を増した。占領中、在京の各国外交団は、単独で天皇と会見しないという暗黙のルールがあったが、米国は公然と破った。再び天皇退位の噂が流れ始めた。

★「松平恒雄(元宮内大臣)は、天皇の贖罪意識を憂慮している。A級戦犯処刑時には、鬱状態が進んでしまった。側近たちは天皇を励まして、皇太子の若さを考慮して『不幸な手段』に走らぬように説得している」

★「(日本政府関係者によると)秩父宮妃の摂政就任を支持する声は大きい(中略)秩父宮妃の資質、性格、人気に疑問の余地はない。彼女を摂政に任命する必要が生じた場合、広く歓迎されるだろう。だが、1947年に公布された皇室典範は、天皇家の家系に属さない彼女を、摂政にできない」

天皇退位が現実味を帯びた当時の緊迫感が伝わる。と同時に本来摂政に就くべき高松宮が、いかに信用されていなかったかが分かる。

■エピローグ 皇居を見据えるユニオン・ジャック

【英国機密文書に描かれた人物寸評】
●昭和天皇
周囲の人間の操り人形とならないためには、強い個性が求められるが、〜持ち合わせていない。気立てがよく、従順だが、知的で明敏には見えない。
秩父宮のような自由を与えられず、意志を決定する機会を持てなかった。
個人としての天皇は自由主義や、穏健主義の傾向が見られる。軍部に対して行動し、
1932年上海からの日本軍撤退は、天皇に依る所が大きかった。
天皇を支持するのは、元老、薩摩、長州、資本家、大地主など、すでに富と権力を保持するもの。

●秩父宮(天皇の弟)
秩父宮を取り巻いたのは、桜会、神兵隊など陸軍の将校、右翼運動家、今の天皇に不満を抱く皇族。事態をややこしくしたのは、貞明皇太后(天皇の母)が、秩父宮をことさら贔屓し、かわいがった事、しばしば昭和天皇に政治的助言を与えることに、天皇が嫌がっている。2.26事件は、昭和天皇を追放しようとして失敗した企てだった。

●高松宮(天皇の弟)
★ガスコイン駐日代表
「高松宮は、反動主義の傾向があり、公職追放された人間達と結びついています。摂政が設置され、高松宮が指導的な役割を果たすようになれば、占領目的上望ましいことではありません」
★マッカーサー
「高松宮は極めて信用できないという評価には、私も同意します。また天皇退位の噂は、国内の公職追放された人間が流し、ウォール街の一部分子が広めているだけです」
元の地位に復帰したい公職追放組が、今の天皇をGHQのイエスマンと見ている。GHQの経済改革に不満をもつ米国のビジネス界も、行き過ぎた財閥解体や、公職追放はビジネスに悪影響を及ぼす。彼らは「ニューズウィーク」など米国メディアを利用し、退位の噂を流している。
★英国極東部
「他の皇族と比べた場合、降伏以来の高松宮は、公式の場で、不用意な発言が目立ち、一貫性がない。占領初期、高松宮は意図的に米国人を歓迎したが、その後は、占領政策の不満分子の影響を受けている」

●貞明皇太后
宮中内外の情報に驚くほど精通し、英国の政治情報にも強い関心を持っていた。
卓越した知性と、強烈な個性を備えた女性。皇太子時代の天皇が訪英出来たのも、
彼女の強い主張に依るもの。
反英感情が高まる中、皇室が持つ英国コネクションへの忠誠は批判も呼び、松平恒雄も、
外交政策で、天皇に悪影響を与えると非難されている。

☆参考サイト→ぽっぺん日記
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【出版社/著者からの内容紹介】 ヒロヒトの全てを報告せよ----。 インテリジェンス先進国の英国は、かつて七つの海を支配した情報網を駆使 し、敵対関係となった太平洋戦争前後も、わが国を冷徹に見つめ続けていた。とりわけそのターゲットとなったのは、日本のトップ、"天皇裕仁"だった。 退位計画、カトリック改宗説、皇室の資産隠匿疑惑。 そして、天皇の"名代"として動いた、吉田茂、白洲次郎の暗躍まで。 何から何まで、英国に筒抜けだったのだ。

ロンドンの公文書館に眠っていた、知られざる昭和天皇の真相! 新潮社 (2007/05)

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by yomodalite | 2007-08-03 16:25 | 天皇・皇室 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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