2007年 03月 12日
大山倍達正伝/塚本佳子、小島一志 |
今日からブログ初め。(3月、4月の記録が異常に多いのは、それ以前に読んだものを記憶により保管したため)
記念すべき第一冊にふさわしい本書は、昭和の偉人伝とも言える内容。
空手、極真いずれにもあまり興味はありませんが、昭和史の一面としてたいへん興味深い内容でした。著者2人による2部校正は、時系列ではなく、各々の取材により倍達の人生を描いていて、真実の補完がされています。それだけに重複する内容も多いのですが、二人とも気迫のこもった文章で読ませ、倍達伝説の検証を細かくやっている点も文句なく、各々一冊でも出版できる内容。
歴史好きとしては、1部の塚本佳子氏の感情を抑えた文章が格調高く堪能できますが、2部の小島一志氏は、極真有段者にして、空手バカ一代の影響をど真ん中で受けた世代であり倍達の悲願であった「空手全科」の編集をまかされていたなど、晩年の倍達の生の姿や、格闘技好きな人にはお馴染みの話題の多くに、リアルタイムで接しています。
梶山一騎による一連の作品だけでなく、多くの脚色に満ちていると思っていた倍達伝説ですが、意外と真実が多いことに驚かされました。
韓国籍を隠し、日本人としての歴史を作るための嘘はあったが、格闘家大山倍達は、虚像ではなかった。
★★★★☆
◎[参考サイト]アングルのバイオリン
波 2006年8月号より
著者インタビュー『大山倍達正伝』刊行にあたって「昭和の闇に封印された真実」
小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』
――624頁という超大作の執筆、お疲れさまでした。
小島 いえ、どうも。大山倍達という一人の人間の生涯を追うのは、言ってみれば富士の樹海に入り込むようなものです。大変な恐怖を感じましたが、まあ死ぬことはないだろうから、と(笑)。
――本書は、塚本さんが「第一部」で人間・崔永宜(大山倍達の韓国名)の生涯を描き、小島さんが「第二部」で格闘家としての大山倍達を検証する、という構成になっていますね。
小島 はい。僕は大学で極真空手を学びはじめ、その後、空手雑誌の編集者を経て、大山総裁のライフワーク『空手百科事典』の編集のため、総裁と親しくお付き合いさせていただきました。それに対して、塚本は私が作った編集制作会社の社員第一号で……。
塚本 95年から極真空手の雑誌の編集に携わりはじめましたが、私は大山総裁を直接は知らないんです。
小島 大山総裁を知らないからこそ書けること、知っているから書けること、それを二人で書き分けられるだろうと考えたんです。
――大山倍達という不世出の空手家の生涯、その実態はこれまで誰もはっきりと把握することができませんでした。それを500点余りの資料、300人近くに及ぶ膨大な証言から浮かび上がらせていくのは、気の遠くなるような作業だったでしょう。
小島 はい。僕は段ボールを6個用意して、資料にすべて通し番号を付けて、時代ごとに分けて入れていったんです。でも、一つの資料を引っ張り出すのに30分もかかったりして……(笑)。
――その結果、大山倍達の伝説が次々と覆っていく衝撃的な本に仕上がりました。そんな中でも、戦後、在日朝鮮人たちの民族運動に彼が深く関わっていたというのは驚愕の事実でした。戦後の在日社会の実態は、昭和史の闇とも言える部分でしたし……。
塚本 民団(在日本大韓民国民団)や総連(在日本朝鮮人総連合会)に関する書籍を読んでいて、たまたま総裁の本名を見つけたんです。それから民団関連の機関紙や韓国系の新聞などを集めていきました。すると、そこには総裁の名前だけではなく、写真も載っていたんです。そして当時の関係者の方々の証言をこつこつと集めていきました。戦後、在日朝鮮人たちは、南側の民族派と北側の共産主義者に別れて、激しい抗争を繰り広げていたんです。
――その戦闘の最前線に、実は大山倍達がいた、と。
塚本 はい、常に意気揚々と戦いに参加していたんです。
――彼が最も多くの実戦を重ねていたのが、この時期だった……。
小島 当時のことを知る人たちは、全員が口を揃えて、「大山倍達は強かった」と語っています。
塚本 その頃の写真を見ても一目瞭然なのですが、本当に凄い肉体をしているんですよね。食糧事情の悪かった中、肉体だけを見ても、彼は「超人」であったと言っていいでしょう。
――また、小島さんの「第二部」では、これまでずっと謎とされてきたアメリカ遠征の全貌が明らかになります。
小島 もともとは、アメリカでプロレスラーと戦ったなどという武勇伝はまったくのデタラメだろうと思っていました(笑)。ところが、そうではなかった。この章を書くにあたっては、流智美や小泉悦次などプロレス研究家の協力を得ました。今はネット社会ですから、世界中にマニアのネットワークが出来ているんです。たとえば1952年5月から7月までのミネアポリスでのグレート東郷(大山倍達と一緒にアメリカを転戦したプロレスラー)の試合の記録はないか、とアメリカのマニアに問いかけてもらったり……。さらに、当時総裁がアメリカから妻の智弥子さんや日本のメディアに送った手紙などを、僕自身、総裁から見せていただいていましたから、それらを一つずつ照合していきました。その結果、すべてがきれいに一本の線でつながったんです。
――大山倍達は祖国を捨て、日本で「世界一の空手家」の名声を手にして長年の夢を叶えるわけですが、その一方で、晩年には祖国への思いを募らせていく姿が本書では描かれていますね。
塚本 韓国での取材で、お兄さんや息子さん(大山倍達は韓国にも妻がいて、もう一つ家庭を持っていた)などに貴重な話を伺うことができました。日本での総裁は、常に公の人であり続けなければいけなかった。しかし、韓国の家族の話からは、すごく人間くさい晩年の総裁の姿が浮かび上がってきました。等身大の人間・崔永宜の居場所が、実は祖国・韓国に存在していたんですね。
(こじま・かずし つかもと・よしこ)
________________________
【BOOKデータベース】
資料五〇〇点、証言者三〇〇人余、渾身の取材で驚愕の新事実続出!同胞同士の抗争に明れ暮れた戦後、アメリカ遠征激闘の真実、祖国のもうひとつの家庭に求めた最後の安息…。伝説の空手家の真の人生が、いま初めて明らかになる。あまりにも衝撃的なノンフィクション超大作。
記念すべき第一冊にふさわしい本書は、昭和の偉人伝とも言える内容。
空手、極真いずれにもあまり興味はありませんが、昭和史の一面としてたいへん興味深い内容でした。著者2人による2部校正は、時系列ではなく、各々の取材により倍達の人生を描いていて、真実の補完がされています。それだけに重複する内容も多いのですが、二人とも気迫のこもった文章で読ませ、倍達伝説の検証を細かくやっている点も文句なく、各々一冊でも出版できる内容。
歴史好きとしては、1部の塚本佳子氏の感情を抑えた文章が格調高く堪能できますが、2部の小島一志氏は、極真有段者にして、空手バカ一代の影響をど真ん中で受けた世代であり倍達の悲願であった「空手全科」の編集をまかされていたなど、晩年の倍達の生の姿や、格闘技好きな人にはお馴染みの話題の多くに、リアルタイムで接しています。
梶山一騎による一連の作品だけでなく、多くの脚色に満ちていると思っていた倍達伝説ですが、意外と真実が多いことに驚かされました。
韓国籍を隠し、日本人としての歴史を作るための嘘はあったが、格闘家大山倍達は、虚像ではなかった。
★★★★☆
◎[参考サイト]アングルのバイオリン
波 2006年8月号より
著者インタビュー『大山倍達正伝』刊行にあたって「昭和の闇に封印された真実」
小島一志・塚本佳子『大山倍達正伝』
――624頁という超大作の執筆、お疲れさまでした。
小島 いえ、どうも。大山倍達という一人の人間の生涯を追うのは、言ってみれば富士の樹海に入り込むようなものです。大変な恐怖を感じましたが、まあ死ぬことはないだろうから、と(笑)。
――本書は、塚本さんが「第一部」で人間・崔永宜(大山倍達の韓国名)の生涯を描き、小島さんが「第二部」で格闘家としての大山倍達を検証する、という構成になっていますね。
小島 はい。僕は大学で極真空手を学びはじめ、その後、空手雑誌の編集者を経て、大山総裁のライフワーク『空手百科事典』の編集のため、総裁と親しくお付き合いさせていただきました。それに対して、塚本は私が作った編集制作会社の社員第一号で……。
塚本 95年から極真空手の雑誌の編集に携わりはじめましたが、私は大山総裁を直接は知らないんです。
小島 大山総裁を知らないからこそ書けること、知っているから書けること、それを二人で書き分けられるだろうと考えたんです。
――大山倍達という不世出の空手家の生涯、その実態はこれまで誰もはっきりと把握することができませんでした。それを500点余りの資料、300人近くに及ぶ膨大な証言から浮かび上がらせていくのは、気の遠くなるような作業だったでしょう。
小島 はい。僕は段ボールを6個用意して、資料にすべて通し番号を付けて、時代ごとに分けて入れていったんです。でも、一つの資料を引っ張り出すのに30分もかかったりして……(笑)。
――その結果、大山倍達の伝説が次々と覆っていく衝撃的な本に仕上がりました。そんな中でも、戦後、在日朝鮮人たちの民族運動に彼が深く関わっていたというのは驚愕の事実でした。戦後の在日社会の実態は、昭和史の闇とも言える部分でしたし……。
塚本 民団(在日本大韓民国民団)や総連(在日本朝鮮人総連合会)に関する書籍を読んでいて、たまたま総裁の本名を見つけたんです。それから民団関連の機関紙や韓国系の新聞などを集めていきました。すると、そこには総裁の名前だけではなく、写真も載っていたんです。そして当時の関係者の方々の証言をこつこつと集めていきました。戦後、在日朝鮮人たちは、南側の民族派と北側の共産主義者に別れて、激しい抗争を繰り広げていたんです。
――その戦闘の最前線に、実は大山倍達がいた、と。
塚本 はい、常に意気揚々と戦いに参加していたんです。
――彼が最も多くの実戦を重ねていたのが、この時期だった……。
小島 当時のことを知る人たちは、全員が口を揃えて、「大山倍達は強かった」と語っています。
塚本 その頃の写真を見ても一目瞭然なのですが、本当に凄い肉体をしているんですよね。食糧事情の悪かった中、肉体だけを見ても、彼は「超人」であったと言っていいでしょう。
――また、小島さんの「第二部」では、これまでずっと謎とされてきたアメリカ遠征の全貌が明らかになります。
小島 もともとは、アメリカでプロレスラーと戦ったなどという武勇伝はまったくのデタラメだろうと思っていました(笑)。ところが、そうではなかった。この章を書くにあたっては、流智美や小泉悦次などプロレス研究家の協力を得ました。今はネット社会ですから、世界中にマニアのネットワークが出来ているんです。たとえば1952年5月から7月までのミネアポリスでのグレート東郷(大山倍達と一緒にアメリカを転戦したプロレスラー)の試合の記録はないか、とアメリカのマニアに問いかけてもらったり……。さらに、当時総裁がアメリカから妻の智弥子さんや日本のメディアに送った手紙などを、僕自身、総裁から見せていただいていましたから、それらを一つずつ照合していきました。その結果、すべてがきれいに一本の線でつながったんです。
――大山倍達は祖国を捨て、日本で「世界一の空手家」の名声を手にして長年の夢を叶えるわけですが、その一方で、晩年には祖国への思いを募らせていく姿が本書では描かれていますね。
塚本 韓国での取材で、お兄さんや息子さん(大山倍達は韓国にも妻がいて、もう一つ家庭を持っていた)などに貴重な話を伺うことができました。日本での総裁は、常に公の人であり続けなければいけなかった。しかし、韓国の家族の話からは、すごく人間くさい晩年の総裁の姿が浮かび上がってきました。等身大の人間・崔永宜の居場所が、実は祖国・韓国に存在していたんですね。
(こじま・かずし つかもと・よしこ)
________________________
【BOOKデータベース】
資料五〇〇点、証言者三〇〇人余、渾身の取材で驚愕の新事実続出!同胞同士の抗争に明れ暮れた戦後、アメリカ遠征激闘の真実、祖国のもうひとつの家庭に求めた最後の安息…。伝説の空手家の真の人生が、いま初めて明らかになる。あまりにも衝撃的なノンフィクション超大作。
by yomodalite
| 2007-03-12 15:29
| 報道・ノンフィクション
|
Comments(0)