堤清二氏の功績と罪と・・・ |
バブル時代というと、派手なお金の使いっぷりや、夜遊び系のことがよく語られているけど、あの頃の東京の土台を創り、他の地域とを分けていたものは、「堤清二」だったような気もする。
様々なバブル紳士が、そのあぶく銭を使って、今までにないものを作りたがっていたけど、百貨店を母体とするような堅実な企業が、文化に真剣に関わって、今の時代なら売れそうにないものを、買わなければ・・と思わせていた「セゾン文化」がバブルの泡となってしまうなんて、当時は思ってもみなかった。
一方、異母兄弟で、西武鉄道グループの堤義明氏といえば、それとはまったく真逆のセンスで、就職してしばらく経った頃に、この2つの企業の仕事をするようになった私は、東京の「ダサイもの」は、すべて堤義明氏のせいなんじゃないかと思うぐらい、彼のことがキライだった。
20代前半の広告業界に足を踏み入れたばかりの女子が、大企業の社長をそんなにも嫌うだなんて、不思議に思うかもしれないけど、当時の西武鉄道グループの人は誰に会っても、いつでも社長の話題ばかりで、話題が豊富で、比較的おしゃれな人が多かった宣伝部の人の中では、異質なほど「体育会系」で、ある日、プリンスホテルの人との打合せに行ってみると、昨日まで普通の髪型だった人が「丸刈り」になっていたことがあった。
驚いて言葉が出ない私の前に、さらにもうひとり「丸刈り」が現れて、詳しいことはわからなかったけど、なにかミスをしたらしく、そんなとき「丸刈り」になるのは、西武鉄道グループではよくあることなんだと説明されたけど、ふたりとも「鉄道」ではなく「ホテル」のひとだった。
そんな丸刈りでスーツの人がウロウロするから、プリンスホテルは「ヤクザ御用達」とか言われちゃうんだよ。と心の中で思ったけど、グループ内の社員移動が頻繁なせいか、「ホテルマン」という意識のひとも少ないようで、義明社長とライオンズのことしか興味のない社員たちの話には、政治家の名前もよく登場して、
当時の西武鉄道グループの窓口は、すべて原宿の一等地に立つ「国土計画(コクド)」の建物で行われていたのだけど、ライオンズが優勝すると、そこには総理大臣からの花が届けられる。「このビルの裏に、歴代の総理が住む家があるんだけど、その家はうちが貸してるから」と、丸刈りのひとりが自慢げに話していたことも・・。
そんなコクドでの打合せのあと、シネセゾンの試写会に行って、パラジャーノフの素晴らしい映画を観ていると、天国と地獄のように「落差」を感じることが多かったのだ。
西武鉄道グループの地獄構造の一端を解説してくれた、猪瀬直樹の『ミカドの肖像』は記憶に残るノンフィクション本で、ピストル堤と呼ばれた父の堤康次郎氏は、義明氏をグループの総師に選び、清二氏は、そんな父を反面教師にして、実業界に特異な位置を築き、成功すると早くに引退して、文学界に進出したのも、父や堤家の呪縛から逃れたいからだと思っていたのだけど、
清二氏が亡くなって、何十年も経って読んだこの本には、父の遺産や、堤家の名誉を守ろうとする姿や、これまでよく語られてきたふたりの愛憎に関しては、実際に愛憎・・というか、愛以外の感情が強くにじみ出ていて、清二氏のスマートな印象とは別の一面や、彼の中に、晩年でさえこれほどの強い感情があったことに驚いた。
また、正妻の息子だった清二氏は、幼い頃から裕福な家庭に育っていたのだと思っていたけど、それも違っていて・・・当時は「天国」のように見えたセゾングループでも、義明氏とはまた違った「独裁」があったという内容が多い。
とはいえ、、セゾン系の社員は話題が豊富な人が多かったけど、鉄道グループはみんな同じことしか言わなかった、という私の印象が変わることはありえないなぁ。
坂道をのぼって、自動じゃない扉を開けて買い物するのが楽しかったし、買い物や映画の帰りにスペイン坂の途中で、人とタバコの煙でいっぱいの人間関係で珈琲を飲むのが大人っぽいと思ってたハタチのころ。コドモかっ!
私もーー!番組よりもCMの方が面白いって言われた時代だったから、ステキな広告いっぱいあったよね。
スペイン坂も、公園通りも、最近、渋谷の魅力がイマイチわからないのは、年とったせいなのかな・・?