大統領の政治(3)

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(シャペルの素敵なスピーチの全文を「注釈」に追記しました)

Dancing With The Elephant からの和訳「大統領の政治(2)」の続き・・・


今回のパート3は、大統領選の一般開票が終了した約1ヶ月後の、2016年12月8日に投稿されたものです。

このシリーズ記事では、マイケルの政治への関わりや、彼が過去の大統領とどう付き合ってきたのか。という点にスポットが当てられていますが、私は、知的レベルの高いMJファンが多く集うこのサイトで、今回の選挙戦がどう語られるのかにも興味がありました。この選挙でのトランプ氏の扱われ方には、全メディアから攻撃を受けていた頃のマイケルを思い出す点がいくつかあったからです(これについては、このあとコメント欄の声も紹介したいと思っています)。


ウィラは、「今までにもまして社会変化を引き起こす、政治以外の方法について話すことが重要になってきている」と、最初に語り、私もそれに強く共感しました。なぜなら、マイケルもそうでしたし、差別よりも、アイデンティティ政治によって人々が分断をされていることの方がより大きな問題だと感じていたからです。



Presidential Politics, Part 3

大統領の政治(3)


ウィラ:リシャ、私たちが前回の投稿を書いてからずいぶんと変化があったわね。この精神的に疲れた選挙はついに終わり、私は驚き、愕然としています。多くの人々が言うように、私たちの政治プロセスは深刻な被害を受け、壊れているのかもしれないと感じています。そして、今までにもまして社会変化を引き起こす、政治以外の方法について話すことが重要になってきています。


リシャ:国家としてどれほど深く分裂していたかに直面することになって、私にとってとても難しい時期だった。 私は、私たちの制度が大勢のプレッシャーに耐えられるほど強いとは思えない。マイケルが「THIS IS IT」で、

「それは、僕たちと一緒に始まる。それは、僕たちのもので、そうじゃなきゃ、何も始まらないんだ」と言ったように。






ウィラ:それは素晴らしい例だと思う。 彼は具体的に、政府の限界と、政治家はそれを導くのではなく、世論に従う傾向があることについて具体的に話している。これは、あなたが引用した箇所につながる文章の中で明らかよね。

みんなは言う。「誰かがやってくれる。政府がやってくれる。心配ない、誰かが・・」って。でも、誰かって誰?僕たちから始めなきゃ。自分たちから。じゃなきゃ、何も始まらない。


リシャ:マイケル・ジャクソンは、2009年の「Earth Song」のパートで、この声明を発表し、差し迫った気候変動への警報を鳴らした。 彼はこれが解決されるには、私たちの参加が必要なんだと警告し、時間がなくなっていることをわかっていた。 私は、彼が7年以上経って、今、どのように感じているのかを想像することができないわ。気候変動を否定している人が、米国環境保護庁長官に任命されそうなのは知ってるけど。(→参考記事) 


ウィラ:私もまったく同じことを考えてた。大きな環境の危機に瀕している時、私たちは間違った方向に大きく踏み出しているように感じる。1つの小さな希望は、イヴァンカ・トランプが、父親とアル・ゴアとの間で会議を開き、その後、ゴアはその会議を「長くて非常に生産的なセッション」と呼び、「続けていく」と言ったこと(→記事リンク)


リシャ:ええ、それは少なくとも希望の光ではあるわね。


ウィラ:でも、ゆっくりと成り行きを見守っていれば上手くいく、とも思えない。 結局、マイケル・ジャクソンは決して政治を信じていなかったしね。


リシャ:本当ね。2007年、エボニー誌がの彼の政治的見解(ヒラリーとオバマのどちらを支持するか?)について彼に尋ねたとき、彼はこう言った。

正直に言うけど、それについてはフォローしてない。僕たちは、人間が世界の問題を解決することをあてにしないようにと育てられた。人々にはそれが出来ないというのが、僕の見方だよ。それは僕たちを超えたものなんだ。(→インタヴュー全文)


ウィラ:素晴らしい名言よね。ただ、彼は政治に疑念を抱いていたけど、それは、彼が社会に関与していなかったという意味ではない。 具体的には、人々の認識や、アイデア、感情を変えるための芸術の力を、彼は情熱的に信じていた。


リシャ:彼は積極的に取り組んで、自分が何をすべきかわかっていた。私は、今日においても、彼が恩恵があるような素晴らしい貢献をしたと思うわ。


ウィラ:まさに。 1980年の「20/20」のインタビューで、彼は、彼の兄弟がステージで演奏したときに観客がどのように反応するのかを説明し、その反応を重要な文化的変化、アーティストが感じることができる感情的な変化に結びつけた。彼の言ったことは次のとおり。

みんなで手をつないで、体を揺らして、様々な肌の色のすべての人種がそこにいて、それは最も素晴らしいことだよ。政治家にはそんなことさえできないからね



(発言は、動画の4:47~)。



リシャ:彼はかなり若い頃からそう語っているわね。その言葉は、その後、彼が生涯かけてやったことをよく表している。


ウィラ:本当ね。そして、私たちは、彼のコンサートだけでなく、歌詞、ショートフィルム、詩やエッセイ、そして、その他の表現においても、その深い文化的な変化に焦点を当ててきました。でも、マイケルのアートのいくつかは、それををアートとしては発表しておらず、しばしばアートだと考えられてもいない。でも、この別の種類の「アート」も、社会の変化をもたらす上でとても重要だった。


リシャ:それは本当にそうね。


ウィラ:例えば、前回話したように、ロナルド・レーガンや、ブッシュ大統領とのホワイトハウスでの会見は、ある種のパブリック劇場と見ることができる。 ステージや衣装、写真や映画、世界中で生み出される画像の数々 ーー 世界中で入念にリリースされたそれらには、あらゆる演劇の要素がある。マイケル・ジャクソンのイメージは、敬意を表される大統領のように、ホワイトハウスで尊敬されるゲストとして扱われ、政治的で芸術的な効果もあった。ホワイトハウスを、自信を持って歩いている黒人のイメージは、アメリカ人がいつかホワイトハウスに住む黒人を持つようになることをイメージさせ、それが、バラク・オバマに道を開くことになったのかもしれない。


リシャ:それは重要なポイントね。 これらはとても強力なイメージで、偉大な白人男性が独占してリードする資格を持っているという古い認識が揺らいだ。私は多くのアメリカ人が「人種差別主義」という言葉を聞くと、すぐにそれを否定しようとしていると思う。それは、デビッド・デュークや、KKKが表現する憎しみがこもった偏見や、排他的な意味だと考えられ、私たちは経験からほとんどのアメリカ人はそうではないことを知っているけど、この選挙期間中は、こういったグループに対して驚くほどの許容度があった。


ウィラ:確かにそうね。 経済的利益の約束と引き換えに、アメリカ人の大部分が人種差別、女性蔑視、外国人嫌い、宗教的不寛容、などの偏見を無視できるというのが、この選挙の最も気分の悪いことのひとつ。


リシャ:これに真剣に取り組むのはつらかった。 私はそれについて多くの否定があることを感じる。 いかなる人種的憎悪を持っていないとしても、人種問題はアメリカ人である私たちの生活の一部。それを認めようと認めまいとね。「人種差別主義」という言葉は、憎悪のグループや、憎悪の言葉だけではない。それはまた、支配的な白人文化がはっきりとした優位性を享受する、人種に基づくカーストシステムを指していて、そしてそれは私たちが必然的に取り組む必要があるものよ。


ウィラ:確実にね。それはとても重要なポイントね、リシャ。


リシャ:でも、あなたが言ったように、1984年、マイケル・ジャクソンが豪華な軍服を来てホワイトハウスの芝生の庭を見下ろしたとき、彼は自分のアートによって、少なくともあの一瞬、そのカーストをひっくり返してみせた。レーガン大統領と夫人を含め、回りのすべての人が舞台裏に追いやられた感じ。それは、パワーを非常に賢い方法で動かすことに挑戦した賢明で大胆な行動だった。


ウィラ:ええ、レーガン大統領と夫人、そして後にブッシュ大統領と一緒に撮った彼のイメージは広く放送され、世界中で強力な政治的効果を得たと思う。私たちは前回、人種差別撤廃のイメージの力を初めて実現したフレデリック・ダグラスについての記事を投稿し、ダグラスが、アブラハム・リンカーンを訪問したことについても触れたけど、選挙後の「サタデー・ナイト・ライブ」で、デイブ・シャペル(米国のコメディアン)がそれについて話したことは興味深かったわ。




(シャペルの発言は9:50~)



シャペルは数週間前にホワイトハウスでパーティーに行くと説明してこう語った。


さて、俺はこれが真実かどうか確かめてはいないんだが、ホワイトハウスに正式に招待された最初の黒人はフレデリック・ダグラスだった。 彼はゲートで止められたので、アブラハム・リンカーン自身がそこまで歩いていって、ダグラスをホワイトハウスに護送しなければならなかった。 そして、俺が知る限り、ルーズベルト(*1)が大統領になるまで、そういったことは再び起こらなかったが、彼が大統領になって、黒人男性を招き入れたとき、メディアから多くの攻撃を受けた。それで、ルーズベルトは文字通り「私はもう二度とホワイトハウスに “ニガー” を入れることはないだろう」と言ったんだ。(←この前後も含めた全文を注釈に追加)


リシャ:私はシャペルの言葉に激しく心を打たれたと言わなければならないわ。アメリカで一定のグループの人間が、そんなひどいやり方で扱われるなんて、なんて恥ずかしく、不名誉なことか。


ウィラ:そうね、ルーズベルト大統領はすべての人の大統領だと言われ、妻のエレノアとともに、多くの場合、市民権を擁護するチャンピオンとみなされているにも関わらずね。実際、マイケル・ジャクソンはルーズヴェルトの写真を「They Don’t Care about Us」のプリズンバージョンに入れている。


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そして、彼は歌詞でルーズベルトの名前に言及し、賞賛するような強力な言葉で歌っている。


教えて欲しい、僕の人権はどうなったのか?

気づかないふりをしてれば、僕が見えないとでも?

宣言書によれば、僕の自由は約束されたはずだろう

恥辱にまみれた犠牲者でいるなんて、うんざりだよ

彼らは、僕に汚名を着せようととしている

ここが、僕が生まれた国だなんて信じられない

こんなことを言うのは、本当に嫌だってわかるよね

政府は、僕を見ようともしないけど

もし、ルーズベルトが生きていたら

こんなことはしない、ありえないよ

(全訳はこちら→)


マイケル・ジャクソンは、このあと、この最後の2行を繰り返し、ルーズベルトの箇所をマーティン・ルーサー・キングの名前に代えています。それは、マイケルがこのふたりを同等に扱っていて、具体的に言えば、ルーズベルトや、キング牧師は不正を大目に見ないことを意味している。 彼らは「こんなことはしない」のだと。


ただ、シャペルの言ってることが本当だとすると、現実は「They Don't Care About Us」の歌詞とはちがうかも知れないわね。ルーズベルトが生きていたなら、彼は結局政治的な圧力に屈していたかも。多くの大統領がそうするようにね。彼自身が、「黒人を招いた」あと、マスコミからの批判に屈したように(*2)


リシャ: では、これについてそろそろ考えてみましょう。人種差別された「他者」を守るために、ルーズベルト大統領がやれる限界があったのは、明らかよね。


ウィラ:そうね。ルーズベルトのやる気にも限界があったのは確かよね。政治家は、投票してくれる人々の思惑を外すと、選挙区を失うことになる。リンドン・ジョンソンは、1964年の公民権法に署名したとき、補佐官に「私たちは南部の支持を失ってしまった」と言った。彼は正しかった。少数の例外を除けば、南部は堅実な共和党支持になった。ノースカロライナやバージニアのようないくつかの州には揺り戻しがあったけどね。


でも、重要な点をついているわね。一般的に、政治家はマイケル・ジャクソンのようなアーティストのように人を動かすことはできない。有権者を強引に先導しようとすると、いま持っている権力を失ってしまうかも知れないから。


リシャ:マイケル・ジャクソンが、「They Don’t Care About Us(彼らは僕たちのことなんて気にしない)」を作曲したのは、もう20年以上前だけど、この歌は、たびたび必要とされて私たちの前に姿を現す。たとえば最近、抗議者たちは「黒人の命が大事にされなければ、すべての人の命が大事にされたとは言えない(black lives matter)」というシンプルな主張のこの歌をストリートで流した。


私たちが実現しようとしていない高尚な理想、「すべての人のための自由と正義」のようなものにぶつかっていくのは、現在とても重要だと思う。マイケル・ジャクソンは、自分たちそれぞれ利害ではなく、心の深いところに突き刺さるような、芸術的手法でこれらを想像した。高尚な理想を実現する基盤になるようなね。前に進み続けられるかどうかは、私たち次第。


ウィラ:間違いないわね。 彼は「They Don’t Care About Us」のショートフィルムでもそれを明らかにした。「Black or White」や、「Can You Feel It」など、他にも数多くの方法でね。私たちは「Thriller」や、「Ghosts」などの探求を通じて、彼の肌の色が根本的に変化したことや、一般的なアートとはいえない、ホワイトハウス訪問などの政治的な舞台も見てきた。でも、そういった政治的光景の中で、彼が気にかけていた点に注意を向けるときよね。


リシャ:私がインスピレーションを受けた例の1つは、1993年のビル・クリントン大統領就任祝賀式典。 マイケル・ジャクソンはこれまで共和党政権の2人の大統領に賞賛されているけど、民主党が政権をとったとき、マイケル・ジャクソンは再び中心的なステージに立った。彼は心配していた問題に注意を喚起する機会を得て、「Gone Too Soon」でライアン・ホワイトに敬意を表しました。これはもう一度見直し、取り組む価値があるものです。






ウィラ:これはとても強力な瞬間ね。 これは、マイケルジャクソンが、アメリカ大統領を取り巻く政治劇場を使って、彼が信じたこと(この場合はエイズ問題の解決)と、彼が気にかけていた人物への意識を高めるための明確な例よね。


リシャ:クリントン大統領と国務長官の両方がこのパフォーマンスによって、実際どのように動いたのかは注視してないけど、私たちみんなが知っているように、この後、世界のエイズ人口の半分以上に救命医療を提供するチャリティ基金が設立された。


ウィラ:ええ、それは本当に覚えておかなくてはね。 私はマイケル・ジャクソンがこの就任演説で、この問題を支持する前に、ビル・クリントンがエイズ問題に多くの政治的資金を費やしたとは思わない。そして、その芸術的行為は、あなたが言うように、世界中の何千人もの命を救うクリントン財団を通じて、長期的な効果をもたらした。


マイケル・ジャクソンは、後にアトランタにも拡がった、ヒールLAプロジェクトのためにカーター元大統領とチームを組んだときに、特定の政治問題に対する意識を高めることにも同様の焦点を当てている。 マイケル・ジャクソンは、1993年のスーパーボウル・ハーフタイム・ショーでのスピーチの中で、LAプロジェクトについて、カーター大統領とクリントン大統領の両方からインスピレーションを受けたと語った。






そして、もちろん、彼はハーフタイムショー自体、とりわけ「ヒール・ザ・ワールド」の壮大なパフォーマンスのフィナーレに、このテーマを取り入れた。カーター大統領はそのプロジェクトに一緒に取り組んでいるとき、実際ネバーランドを訪れてもいた。これは、彼の訪問中に撮影した写真。


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リシャ:この写真大好き!


ウィラ:私もよ! そして、オムニ・コロシアムでのアトランタ・プロジェクトの発表には、多くの写真があります。 この動画は、それらをスライドショーにしたもの。






リシャ:素晴らしいわね。 マイケル・ジャクソンの大統領と付き合いは確かなものだったわよね?


ウィラ:彼は本当につきあっていた。フレデリック・ダグラスと共通するもうひとつの特色ね。


リシャ:この話題ついてはさらに詳しく(次回に続く…)


訳者註)_________


ルーズベルトという名の大統領は、セオドアとフランクリンの2人がいますが、

・セオドア・ルーズベルト(大統領就任期間1901年 – 1909年)

・フランクリン・ルーズベルト(大統領就任期間1933年 – 1945年)


(*1)シャペルが語っているエピソードは、セオドア・ルーズベルトが、アフリカ系の大統領補佐官ブッカー・T・ワシントンとホワイトハウスで夕食をとったときのことが報道されて、激しくマスコミから批判されたときのものではないかと思います。


(*2)一方、ウィラが、妻のエレノアとともに市民権を擁護するチャンピオンとみなされていると言い、マイケルのビデオにも登場しているのは、フランクリン・ルーズベルトで、彼に「黒人を招いた」ことで、メディアから批判されたというエピソードがあったかどうかは、確認できませんでした。


セオドアは、テディという愛称で呼ばれ、それがテディベアの元にもなったと言われていたり、2人とも尊敬され、現代の米国でも1、2を争うほど人気がある大統領ですが、残念ながら、人種問題に関して、熱心に取り組んだことはなく、フランクリンに関しては、公民権運動を妨害する立場だったということもよく知られていますし、第二次世界大戦の開戦時に大統領だったこともあり、日本人への人種的差別的な発言もありました。


世界史にも、黒人の歴史にも造詣の深いマイケルが、フランクリンの公民権運動への態度を知らないわけがないので、彼が、「もし、ルーズベルトが生きていたらこんなことはしない、ありえない」という時代は、マイケルから見て、人種差別があった時代よりも、酷いと言っていることになります。つまり、自分が黒人だからという目線ではなく、国全体をまとめるために、その時代に適した判断を下せるリーダーとして、真っ当だったという評価があるのだと思います。


そういったことから考えると、マイケルが、この曲で、ルーズベルトとキング牧師の2人を登場させたのは、一般的に、尊敬されている政治家・指導者の中から、黒人と白人の代表を1人づつ選んだということでしょう。


記事の中では紹介されていいない、シャペルの言葉の前後・・・


2,3週間まえ、ホワイトハウスのパーティーに行ったんだ。初めてだったんで、すごくワクワクした。BETがスポンサーのパーティーだったから、そこにいる人は全部黒人だった。素敵だったよ。ゲートを通ってね。俺はワシントン出身だから、バスの停留所(ホワイトハウス行きの?)は見たことあった。昔バス停があった角とかさ。俺もそこで学校へ行くためのバスに乗ってたんだけど、いつかこんな夜があるんじゃないかと夢見てたんだ。


ほんとに素敵な夜だった。その夜の終わりに、みんなでホワイトハウスの西側ウィングに行って、ものすごい盛大なパーティーがあったんだ。そこにいるのはみんな黒人だった。ブラッドリー・クーパー(俳優)を除いてね。彼がどういうわけで、そこにいたのかわかんないけど。


壁には歴代の大統領の肖像画があった。


さて、俺はこれが真実かどうか確かめてはいないんだが、ホワイトハウスに正式に招待された最初の黒人はフレデリック・ダグラスだった。 彼はゲートで止められたので、アブラハム・リンカーン自身がそこまで歩いていって、ダグラスをホワイトハウスに護送しなければならなかった。 そして、俺が知る限り、ルーズベルトが大統領になるまで、そういったことは再び起こらなかったんだけど、彼が大統領になって、黒人男性を招き入れたとき、メディアから多くの攻撃を受けた。それで、ルーズベルトは文字通り「私はもう二度とホワイトハウスに “ニガー” を入れることはないだろう」と言ったんだ。


俺はそれについて考えたよ。黒人ばかりの部屋を見渡して、みんなの顔(あと、ブラッドリーも)を見たら、みんなすごく幸せそうなんだ。ここにいる人たちは、歴史上では人権を奪われてきた人たちだ。それを思うとね、希望がありそうに思えたんだ。アメリカ人でよかったなって。この国の未来に関してすごい希望がわいてきたっていうか。


だからさ、そういう気分で、ドナルド・トランプの幸運を祈るよ。彼にチャンスをあげたい。で、彼には、歴史の中で人権を奪われてきた俺たちにもチャンスを与えてほしいんだ。みなさん、どうもありがとう・・・(歓声)


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by yomodalite | 2017-02-09 10:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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