心をさらけだす・・・

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平松洋子氏の『食べる私』に登場して、興味を持ってしまった宇能鴻一郎氏の2014年の純文学作品『夢十夜』をちびちびと読んでみた。


谷崎、三島は雲のかなたにそびえる高嶺だった。しかし、その高みに登る足がかりもなければ、ひきずりおろす手がかりもなかった。ダンテの『神曲・地獄編』で解決した。二人を地獄に放り込んでしまえば、どんな高嶺も眼の下だ。・・・80歳にもなれば、完全に勝手気ままに書きまくれる。エッチ描写が衰えたとみられるか、ますます盛んだと思われるか。いや、いい気分だった。

と、宇能氏はあとがきに書いているのだけど、

谷崎、三島をメインの材料にして、さまざまな著名人を地獄鍋にぶち込込んで、毒々しく煮込んで、かき回したような内容で、たしかに、パラ読みした程度でもエッチ描写はかなりエグい印象。でも、谷崎と三島がお互いのナルシズムについて、地獄で架空対談をしているという「設定」は、宇能氏が巨匠を批判したいがゆえのもので、80歳になっても、自分をさらけだすって出来ないものなんだなぁとか、谷崎や三島や太宰が一流なのは、やっぱりそこなんだよね。と改めて思ってしまう。

昨日読んだ「恥ずかしくて、ほとんど人にしたことがない話」には、「私の嫌いな人」というエッセイが紹介されていた。


それは、ほぼ日塾の課題として書かれた文章で、同じ会社で働く女性ふたりが、お互い相手を嫌いになった理由を語ることによって、自分を見つめ直すことにもなっていて、「自分をさらけ出す」という最初の訓練にもなっているみたい。

心をさらけだしても失うものなんて何もない。何もないのに、何かがあるふりをして行動しないで、本当に大切な何かを手に入れられない。まずは「さらけだす」ことから始まる。僕はほとんどのことを諦めない男だけど、小説家になるという夢は諦めた。そして、そのことへの後悔がないから、今の僕がある。でも、諦めたということはさらけだせていなかった。一体、僕は何を守っていたのだろう。(佐渡島庸平)

自分をさらけ出して書くって、本当にすごくむずかしいことだと思う。自分を率直だと思っている人は、ほとんどの場合、自分にしか興味がなく、そーゆー人は文章を書くことも読むこともしないし・・

ブログでもSNSでも、結局は自分を主張したいという欲求で書かれているはずなんだけど、ネット上の文章のほとんどは匿名にも関わらず、自分が嫌いなことについて書く「嫌流」か、好きなことについて書く「好流」のどちらかになる。

でも、「好き」なことも、「嫌い」なことも、自分自身の内面に関わっているようで、実は、自分が見ている外側の世界のことで、自分を置き去りにしていることには変わりない。

プリンス名言WordsOfPrince
@Princewords1999
カッコよさとは、誰かの尻を追っかけ廻すことじゃない。カッコよさとは、他人全てが愛するようになるまで、自分を愛し抜くこと。"Stlye"より。

Michael Jackson bot ‏
@Michael59273844
「僕を批判したり僕の事をひどく言う人がいるけどそれは仕方ない事だと思うんだ。僕を好きな人がいるなら僕を嫌いな人もいる。もし僕を嫌いな人がいたとしてもその人に対して嫌いとかそう言う感情は持ってほしくない。それは僕の事を悪くいったりするゴシップと同じになってしまうからね」

ふたりを見ていると、自分を愛しているから、人を愛することもできて、だから、自分をさらけ出すこともできる、ような気がするのだけど。



(最高画質1080p60で見てね)


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by yomodalite | 2016-12-08 16:31 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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