マイノリティの反対側

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差別もイジメも、子供時代に突然やってきて、すごく理不尽な苦しみを経験することが多い。つい最近も、米国でまたもや黒人が警察官に撃たれるという痛ましい事件から、暴動が起こり、幼い黒人の少女が「黒人というだけで、こんな目に合うなんて・・」と泣く姿をニュースで見て、本当にいたたまれない思いをした。

少女が口にした言葉は、何十年経っても変わらないもので、その表情は、理不尽なことへの怒りと哀しみに溢れていた。

でも、そのニュースを伝えた人の「米国の黒人差別の根深さを感じます」というような言葉には、その少女の涙とはまったく違うものを感じた。

数十年前の黒人差別と、今起こっていることには「違い」があるはずなのに、それをまったく伝えていないから。

米国の黒人の歴史には、彼らが奴隷として扱われ、そこから解放され、機会均等の原則から、アファーマティブ・アクションのような優遇措置も生まれた。1970年代以降に生まれた日本人にとって、アメリカの有名人を挙げろと言われれば、黒人の方が多くなりそうなぐらい、たくさんの黒人が様々な分野で活躍し、大統領にさえなっている。

今、活躍する人が少ないという分野はあっても、黒人という人種だから、行けない学校とか、入れない場所とか、なれない職業があるだろうか? BET Awards(アフリカ系アメリカ人や他のマイノリティの人々に対して贈られるアメリカの文化賞)は、毎年MTVで放送されているけど、ノミネートされるのも、実際に受賞するのも、グラミー賞で選ばれているメンバーも多く、彼らはポップチャートの常連でもある。

一方、「ブラック・ミュージック」に相応するような「ホワイト・ミュージック」というようなものはあっても、チャートで見かけることはないし、白人しか受賞できないアワードもなく、もしそんなものを作ろうとしたら、どんな非難を浴びるか想像もつかない。

今もなくなっていないのは、黒人をバカにする汚い言葉や、無知による偏見なのだ。

でも、そういった言葉を発したことで、大学を退学になったり、退職させられたり、「黒人差別」には、重いペナルティがあり、その厳しさは時に「正義」の面を被った復讐のように見えることも多い。ユダヤ人も黒人もそれだけの罰則を執行できるほど、力を得られる人が多くなった。それもほんの数年前からではなく、もう数十年も前から。

泣き顔にさえ知性が感じられた黒人少女に、私はこう言いたい。

彼らは黒人というだけで酷い目にあっているのではなく、差別を無くそうとした大勢の人の努力によっても、荒れるゲットーから抜け出せない黒人をゼロにすることができない。そして、そのことが、同じような貧困家庭の白人の不満を増大させているのだと。

黒人というだけで、道が閉ざされる時代はもう終わっている。かつての「黒人」は、アフリカ系アメリカ人と言われるようになり、ワンドロップルールを作った白人はもはや「マジョリティ」ではなくなり、黒人も「マイノリティ」ではなくなった。今のアメリカで、黒人の少女に、黒人というだけでこんな目にあっていると教える大人は、「人種差別」を飯の種にしているか、どこかで心の拠り所にしている人たちなのだと。

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by yomodalite | 2016-10-05 12:42 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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