世界システム論講義(ちくま学芸文庫)/川北稔

プリンスショックで、読書記録を書くことだけでなく、読んでも頭に入らなかったんですが、こちらは、お手軽サイズの良書でオススメ!

* * *

世界システム論は、アメリカの社会学者・歴史学者、イマニュエル・ウォーラステインが提唱した「巨視的歴史理論」(→Wikipedia)なんですが、本書は、ウォーラステインの主著の翻訳をされた阪大名誉教授が行った放送大学での講義をまとめたもので、

ウォーラステインの『近代世界システム』は4巻もある大書ですが、こちらは、2015年に出版された、厚み1センチほどのコンパクトサイズの文庫で、現代日本を考えるうえでも、重要な示唆に富む1冊だと思いました。

下記に、

第2章:アジアにあこがれたヨーロッパ人から、「なぜ『ヨーロッパ』世界システムになったのか」を省略してメモしておきます。

(引用開始)

・・・なぜヨーロッパは「中核」になったのか。じっさい、近代を生み出したとされる火薬や羅針盤や印刷術などは、ことごとくアジア、主に中国の発明したものであったし、海外への探険や航海にしても、中国のほうが先に展開したともいえる。すなわち、コロンブスやバスコ・ダ・ガマに先立つ15世紀前半(明代初期)には、イスラム教徒であった廷臣鄭和が、7度にわたって「南海」を探険し、ジャワ、セイロン(スリランカ)、インドから、ペルシャ湾、東アフリカあたりまで進出していた。バスコ・ダ・ガマがインドのカリカットを訪れたとき、そこの住民は、もっと以前に東からきた鄭和の大軍団のことを記憶していたといわれている。その探険・航海のなかには、数万人の規模に及ぶものもあり、規模の点でも、ヨーロッパ人の「大航海」に匹敵するものであった。
 
 とはいえ、結局のところ、近代世界システムは、コロンブスやガマの航海を前提として、ヨーロッパ人の主導のもとに成立した。それはあくまで「ヨーロッパ世界システム」となったのであり、「明朝世界システム」とはならなかった。この事実は、どのようにして説明されるだろうか。ヨーロッパの生産力が、アジアのそれを上回っていたからだろうか。ヨーロッパの商業がだんぜん発達していたからだろうか。いずれも、ノーである。技術水準ばかりか、農業や製造業の生産力そのものも、おそらくアジアのほうがヨーロッパより高かっただろうと考えるべき理由はいくらもある。商業も、アジアのほうがだんぜん盛んであったということができる。こうしてみると、ますますヨーロッパではなく、アジアが世界を席捲し、「アジア世界システム」が近代世界を統合しても不思議ではなかったように思われる。
 
 しかし、ヨーロッパのシステムと中華システムには、決定的な違いが一つあった。すなわち、前者は政治的統合を欠いた経済システムであったということである。中華システムの「中核」は、明であれ、清であれ、とにかくユーラシア大陸の東部一帯をひとまとめにして支配する「帝国」となっていたのに対して、西ヨーロッパは、まさしくそのような統合を欠き、「国民国家」の寄せ集めにすぎなかったのである。帝国は帝国内部での武力を独占し、武器の浸透や発展を阻止する傾向が強い。これに対して、国民国家の寄せ集めであったヨーロッパでは、各国は「競って」武器や経済の開発をすすめた。このことが、16世紀における東西の武力の圧倒的な差となって現れたとみるべきであろう。
 
 アメリカ人の歴史家K・ポメランツは、その著『大分岐』において、18世紀末まではヨーロッパと、中国に経済水準や技術水準の差異はなかったとして、ヨーロッパが「アメリカ」という、巨大な資源供給地を得たことが、東西の歴史的明暗をわけたとしている。その点では、本書の理解とほぼ同じである。ただ、ここでは、ヨーロッパが「アメリカ」を得たのは、たんなる偶然だとはみない。中国が対外進出を控えて、むしろ「海禁」とよばれる鎖国政策に転じていくのに対して、ヨーロッパが「大航海」に熱中するのには、しかるべき理由があったと思われる。

(引用終了)


下記は、「ちくま学芸文庫版へのあとがき」より省略して引用


「世界の一体化」という表現をよく聞きます。しかし、この表現は、厳密にいうと間違いです。「世界」とは、もともと何らかの意味で「一体化」しているまとまりのことをいうのだからです。じっさい、もともと地球上には、「世界」が沢山ありました。

「地中海世界」や「中華世界」、「インカ世界」などです。歴史学上、「帝国」とよばれるものは、それ自体ほぼひとつの「世界」でした。帝国の支配者たる「皇帝」は、国王とは違って、理念上「世界」を支配しているので、自己と対等の者の存在を認めなかったのです。
 
 ところが、こうしたさまざまな「世界」は、1500年頃以後の歴史において、しだいにヨーロッパを中心とする「近代世界システム」に吸収されていってしまいます。中世のヨーロッパは、神聖ローマ皇帝のもとに、理念的にはひとつの「帝国」であったともいえますが、近代世界システムは、帝国として政治的に統合されておらず、たんなる大規模な分業体制として成立したことが特徴です。しかも、この近代世界システムには、「飽くなき成長・拡大」を追求する内的動機が内蔵されていたことが、この拡大の一つの原因です。こうして、20世紀の始まる頃、地球全体が、ほぼこの近代世界システムに吸収され、「世界」(ワールド)は「地球」(グローブ)と同じ意味になったのです。したがって、一体化したのは、世界ではなくて、地球なのですが、何となく私たちは、「世界の一体化」という言葉に慣れてしまったのです。もっとも、歴史的経緯はともかく、結果的には、どちらでも同じことなのかもしれません。

 この本は、これからの世界がどうなっていくのかを考える前提を提供する目的で、こうした観点から、過去500年ほどの過程をたどりました。本書のような見方に対しては、たとえば、アジア史が書かれていないので、ヨーロッパ中心的だというような、趣旨を取り違えた批判がよくされます。しかし、現代の世界(地球)が一体化しているとして、その現代世界は、どこからきたのかということを考えると、ごく最近までのそれは、やはりヨーロッパを中心とした世界システムの延長線上にあったといわざるをえません。ヨーロッパ世界の展開には、地球上のあらゆる部分が、多くは「周辺」として、それぞれきわめて重要な役割を果たしていくのですが、近代世界システムがヨーロッパ的なものであることは、否定のしようがありません。中華世界やインド洋世界が、ヨーロッパやアメリカを席捲して、中国やインドの価値観が世界の価値観になったわけではないのです。イスラムを中心とした世界システムとか、東南アジアを中心とした世界システムとかいうものも、歴史的には、当然存在したでしょうが、それらの世界システムが地球を一体化させたわけではありません。
 
 歴史家は、それぞれ自己の専門としている地域や時代に愛着をもちますし、それはとても大切なことですが、贔屓の引き倒しでは困るので、明日の世界を考えるには、なぜヨーロッパ的・資本主義的な近代世界システムが地球を覆うことになったのか、という問題を避けてとおることはできないのです。・・・

(引用終了)





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by yomodalite | 2016-07-04 12:00 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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