モナドの領域/筒井康隆

モナドの領域

筒井 康隆/新潮社

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2015年の暮れに出版された、当時81歳の著者が最後の長編だという作品。


モナドについては、ライプニッツのも、数学のも、まったくわからないのだけど、日本の日常に「GOD」が現れるこの小説はかなり楽しめました。


カトリックの幼稚園に通い、プロテスタントの同志社大学を卒業し、神の問題はなじみが深かったという筒井氏は、いわゆる信者としてではなく、GODに興味がある人だというのは、以前読んだ本の解説でも感じていたんですが、SF作家の神テーマってソソられますよね。


ミステリ小説からは、ずいぶんと遠ざかっているので、これが「ミステリ」として面白いのか、どうなのかはわかりませんが、GODが話すことを目的に犯罪を犯した裁判で何を語ったのか、にワクワクしてしまう人には、おすすめ!


GODは、本が売れない出版社の社長の商売の相談にのったり、世界の破滅を救ってほしいと嘆願されたり、さまざまなタイプの人と話をするのですが、そこから、去年から続く『HIStory』20周年にちょっぴり関係がありそうなところ(?)を、あんまりネタバレしないようにピックアップすると、


「あなたのような存在を、今まで想像できた人はいるんでしょうか?」という質問に、


「何人もいるよ。デカルト君とかカント君とか・・彼らは哲学の方法を学問的にしようとして・・・ハイデッガー君はそういう一義的なものに批判的だった。だから師匠のフッサール君の・・・ハイデガー君は存在の問題にした・・・ハイデガー君はトマス・アクィナス君を読んでおるくせに、勉強したとは絶対に言ってはおらん・・・なあに彼の文章を読めば・・一目瞭然だろう。トマス君は今、どうも正当に評価されておらんようだが・・」


など、その他の箇所も含めて、筒井GODは、なんだかんだトマス主義者で、


「どうすれば自分の書きたいことが書けて、しかも読者に喜ばれて、作家としても成長する、そんな作家になれるんだろうか?」と悩む若い作家からの問いには、


「お前さんはジャン=フランソワ・リオタール君の本を読んでおらん。その種の議論なら今のところ彼が一番の優れものだ。ジオタール君は、政治の技術と芸術の問には相関関係があると考えた。政治が形而上学的な理想を形成しようとする時の様態と、芸術がギリシャ語で言うテクネー、つまり技術のモデルが、プラトン君以来詩を『鋳直し』や『型押し』として考えられてきた様態だ。プラトン君の『国家』にも書かれているように、政治の問題は人間の共同体のために善のモデルを遵守することにある。政治哲学が芸術を見習ってきたと言ってよい。これが中世、ルネッサンス、近代へと時代によって変化しながら続いてきた。


ところがナチズムがこの関係を逆転させてしまった。芸術が政治の役を果たすようになったんだ。ナチはありとあらゆる形態のもとにエネルギーの全体的な動員をするため、メディア、大衆文化、新しい技術などを大いに利用した。そして『トータルな芸術作品』というワグナー君の夢を実現した。実はだね、今日の政治もこれとは別の正当化や時には正反対の議論のもとに、やっぱり同じ症状を呈しているんだよ。近代民主主義では大衆の意見が、リオタール君がテレグラフィック、つまり遠隔映像的と言っている手続き、規制したり記述したりする様ざまな種類の遠隔記入によって鋳直されなければならないという原理でヘゲモニー、要するに人びとの意見による主導権が存続している。だけどナチズムが勝利したのもまたこの方法によるものだった。


しかし、これに従属しない思考やエクリチュール即ち書く行為は孤立化させられて、カフカ君の作品のテーマが展開しているようなゲットーヘと追い込まれてしまう。ゲットーと言っても単なるメタファーじゃないよ。何かの隠喩じゃないんだ。実際にワルシャワのユダヤ人たちはただ単に死を約束させられていただけじゃない。彼らはナチがチフスの脅威に対抗するため建設することを決めた壁をけじめとして彼らに対する『予防措置』の費用まで負指しなけりゃならなかった。現代の作家にとっても事態は同じだよ。作家たちがこれに抵抗すれば、ただ消え去るようにあらかじめ定められてしまう。つまり作家たちは自分たちの予防措置である『防疫線』を作るのに貢献しなきやいけないんだ。


そうしている限りはこの防疫線の庇護のもとで作家たちの破滅は遅延させられる。作家たちはその作品がコミュニケーション可能なもの、交換可能なもの、つまり商品化可能なものになるよう自分の思考のしかたや書く方法を変えることによって、ほんのつかの間の空しい延命、作家生命の遅延を『買う』んだ。ところがだな、こうした思考や言葉の交換や売買は、逆説になるが『どのように考えるべきか』『どのように書くべきか』という問題の最終的な解決に貢献しとるんだよ」


「え、それはなぜですか?」


「つまり、人びとの主導権を一層確固としたものにする、ということに貢献しておるんだよ。このリオタール君の考えかたは正しいもの、真であるとわしは決定している。お前さんが思考しなければならず、書かなければならず、その限りにおいて抵抗しなければならないというこの指令の送り手は、いったい誰なのか、その正当性はどのようなものか、こうした問いかけこそがまさに開かれたままの問いかけなんだよ」



と、、こちらも、まったく読んでないジャン=フランソワ・リオタールを正しいと決定されていたり、


多様体論または集合論についてはどうお考えでしょうか?なんて質問には、


「あれはプラトン君のいうエイドスとかイデアとかミクトンというものに・・・これは本来の無限ではないな・・・だからこれを悪無限などと・・・」とか、


他にも、ディヴィッド・ルイス君もある程度は正しいのだが、ではなにが間違っているかというと・・・なんてことにも、ガンガン答えていかれるので、


河川敷で発見された片腕のこととか、ベーカリーで評判になった腕の形のバゲットの謎のことなんか、すっかり忘れているうちにエンディングになってしまいました。


ちなみに、表紙の絵は、筒井氏の息子である筒井伸輔氏による「偏在するGODを表現した絵」だそうです。


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by yomodalite | 2016-03-14 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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