HIStoryと黙示録:『レッド・オクトーバーを追え!』

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HIStoryと黙示録:『意志の勝利』の続き


プロテスタント革命が、論理の解明を求める人を増やす一方で、「ロマン主義」と呼ばれる庶民文化が発展したと、①で書きましたが、人々が、キリスト教に抱いたイメージは、音楽・文学・演劇の中に多くの物語を生みだし、イエスは「革命によって人々を救済する若者」というヒーローの原型となり、ミカエルは勇者のイメージとして、その他、大勢の聖書の登場人物たちが、物語によって語られ、「美」や「正義」や「愛」を一体化した物語への欲望は高まっていきました。


そして、ヨーロッパの帝国が崩壊したあと、「ロマン主義」は、20世紀のアメリカ、ハリウッドへとその中心地を移し、美術と音楽と物語を一体化した「映画」は巨大産業へと発展しました。


アメリカはピューリタン(清教徒)が創った国だと言われることもありますが、大雑把に分けて、3つの宗教勢力がありました。


・清教徒に代表されるクリスチャン(プロテスタント)

・フリーメーソン

・ユダヤ教


アメリカ建国時のヨーロッパは、神の国を求める潔癖なプロテスタントにとっては、堕落した国(=自由の国)になっていて、そこに不満をもったクリスチャンと、


世界第一の都市が、ニューヨークに移転する前は、パリがその地位にいましたが、フランスが革命によって手に入れた「自由、平等、博愛」というのは、労働者の権利もそうなのですが、「(教会からの)自由」という意味も大きかった。「自由、平等、博愛」に、「寛容」と「人道」も基本理念に加えたメイソンリーは、自由の女神像を送るなど、アメリカに希望を見出していたが、それがナチスによって、フランスが占領されたことで、彼らの移住をも加速させた。また、自由主義者である芸術家たちも、アメリカを目指すことになった。


そして、ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人もアメリカに新天地を求め、ナチスによって迫害されたことで、ますます、アメリカへの移住が進んだ。


アメリカの都市文化を作ったのは、宗教的には、後者2つの勢力で、フリーメーソンは、フランスにあった「自由の女神像」をニューヨークにも建て、政界に力を持ち、ユダヤ人たちはハリウッドで映画産業を興し、巨大財閥を形成し、グレートファミリーと呼ばれる一族もユダヤ系だと言われています。


宣教師の教えを信じることで「神の王国」を目指し、清貧を重んじてきたクリスチャンたちが、この2つの勢力が拡大することを、どれだけ嫌ったかは容易に想像がつくと思いますが、これが「ユダヤ陰謀論」の原動力となり、また、当初ナチスに好感をもった理由でもあった。


第二次大戦では連合国だった米国とソ連は、互いに戦勝国となると、資本主義と共産主義に分かれて争うことになりました。米国が、戦後のドイツやフランスのように、社会民主主義政党が強い影響力を持つ形で経済体制を構築できず、現在に至るまで「反共主義」が、ヨーロッパとは比較にならないぐらい強いのは、


アメリカが、政治から宗教を切り離すことができず、共産主義が、宗教否定につながるという面が大きいんですね。


では、そんなことを踏まえつつ、ハリウッドが生んだ3本の映画と黙示録との関わりの最初は、


『レッド・オクトーバーを追え!』について。


この映画が公開になったのは、ソ連が崩壊する1年前の1990年。民主主義と自由経済の最終的な勝利によって、社会の平和と自由と安定無期限に維持され、歴史は終わったという、米国の政治思想家フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は、その1年前に論文として発表され(’92年に出版)、民主政治が政治体制の最終形態で、今後は安定した政治体制が構築され、政治体制を破壊するような戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。と予測し、この時代を「歴史の終わり」と呼びました。


強権的な支配で覇権を極めた国家はすべて崩壊し、歴史を脱却した民主国家は、崩壊せず永久に存続するという、フランシス・フクヤマの主張はさておき、米国人にとっては、「悪の帝国」だったソビエト連邦が崩壊し、自由主義の盟主である我がアメリカ合衆国が勝利したという意識は、この映画のストーリーを米国にとって、楽観的なものにしただけでなく、1991年からの湾岸戦争や、その後のイラク戦争への楽観につながりました。


冷戦後のCIAの「第1の敵」が、ソ連から、日本の経済界へと移り、第二次大戦後の占領下以上に、米国の支配を受けることになった今の日本で、この映画を見ると、二大大国が拮抗しているという「冷戦時代」の良さばかりが思い出され、独裁政権や、社会主義国家以上に、アメリカの民主主義について、いくつもの疑問を感じずにはいられなくなるのですが・・・


◎『レッド・オクトーバーを追え!』とヨハネの黙示録


ストーリーは、1984年11月、ゴルバチョフ政権の前夜、ソ連の最新鋭の原子力潜水艦レッド・オクトーバーが深海に姿を消したことから始まります。艦長と乗組員の一部は、戦艦を手土産にアメリカへの亡命を希望していて、その真意を読み取る英知をもつ者がいると信じて、アメリカに向かう、しかし、第三次世界大戦の引き金になり得る状況に両国では緊張関係が高まり、原子力潜水艦を攻撃すべきだという意見でまとまりそうになる。しかし、アメリカCIAのアナリストが、艦長の真意に気づき、亡命は成功します。


映画の冒頭では、自国の艦長の調査に来たKGB(ソ連国家保安委員会)のエージェントが、艦長の部屋で、ある本を発見し、読み上げる。


その時来たりならば、心してみよ。我は盗賊としてあえて行くなり。ともに集わんとする者たちが、あまねく目指したる場所はアルマゲドン。7番目の天使が鉢を空けると、天国から声が響いた。「業はなされた」日本語字幕より)


これは、全部で22章あるヨハネの黙示録の16章の文章です。


聖書は翻訳によって解釈の幅が大きく、印象が変わることが多いので、この箇所を新共同訳で見てみると、


見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて、恥をかかないように、目を覚まし、衣を身につけている者は、幸いである。汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。


さまざまな解釈の中で、共通しているのは、最終決戦を戦う者たちが、盗賊のようであることと、アルマゲドン(=ハルマゲドン)という場所に集められたこと。字幕訳では、自分の意志で集まっているようですが、新共同訳では、汚れた霊たちが、王たちを集めたことになっていますが、映画では、船長が「善」なのか、「悪」なのかわからない人物で、不穏な計画を疑わせるために、『ヨハネの黙示録』が使われているようです。


KGBエージェントは艦長に


「責任を負うあなたが、世界終焉の本を?」


と尋ねます。ロシアのキリスト教であるロシア正教の中には、ヨハネの黙示録に相当する「イオアンの黙示録」があるんですが、ソ連時代は、共産革命によって、世俗主義、無神論、唯物論を奉じているので、キリスト教自体が禁止されている状態でした(これは中国でも同じで、社会主義国家は、どこも宗教を弾圧しています)


これに対し艦長は、


「我は《死》となり、世界を破滅に導く」アメリカ人が引用した古代ヒンズー教の教えだ。(彼は)原爆を発明。後日、共産主義だと疑われた。


と答えます。このアメリカ人というのは、原爆の父と言われるオッペンハイマーのことです。原爆の破壊力を目の当たりにして、それを兵器として使ってしまったことを、ヒンズー教の経典である『バガヴァッド・ギーター』の一節を引用して、


闘いに消極的な王子アルジュナを説得するために、ヴィシュヌ神の化身クリシュナが、任務を完遂するために恐ろしい姿に変身し、「我は死神なり、世界の破壊者なり」と言ったことに例え、自分がクリシュナになったことを悔やんでいった言葉です。






米国の異常なまでの「反共」意識はさておき、なぜ「共産主義者」だと非難されたのか?


オッペンハイマーは、ドイツから移民したユダヤ系アメリカ人で、ヒンズー教徒だったわけではないのですが、最高峰の知性をもっていると思われている物理学者にも、実は無神論者より、「神の存在」について深く考えている人々が多く、さまざまな宗教書を読んでいる人も多い。オッペンハイマーもそういった人で、国や民族に縛られることのない「神」を考え、世界を破壊してしまう武器を根絶するためにも、世界中の人々との連帯を重要視し、労働者の国際組織を目指した共産主義を信じる人々とも接点をもっていたようです。


艦長の意図は、はっきりとはわかりませんが、


第二次大戦で味方だった、アメリカ人が、大戦後は敵となったことが示唆されているだけでなく、ヒンズー教のエピソードは、細かい点は違っていても「ヨハネの黙示録」と同じ構造になっていて、それは、


「(神の)勝利のために、悪になる」


ということです。


このシーンは、観客に、船長が狂っているのか、善なのか悪なのか、を考えさせようとするオープニングでもあり、このあと、艦長の答えに納得できなかったKGBを、艦長は殺害するのですが、この行動も、亡命を希望する他の乗務員たちの夢をかなえるリーダーとして、


「勝利のために、悪になる」という例ですね。


キリスト教聖書全体も、ヨハネの黙示録でも、それほど単純な善悪二元論ではないのですが、戦いに勝利し、理想の国家を創るというマインドにあふれた米国では、ヨーロッパや日本と違って、現在でも「ヒーロー物語」が数多く創られています。


ウィラとエレノアの会話では、『レッド・オクトーバーを追え!』の新たなヒーロー像として、ショーン・コネリーが演じる、命令に背き、新しい技術をアメリカと共有しようとする艦長のことが言及されていましたが、アメリカ側の、もうひとりの主役であるCIAエージェントは、軍をイメージさせないスマートさで、アレック・ボールドウィンが演じています。


このキャスティングには、007シリーズで英国秘密情報部(MI6)のジェームズ・ボンド役で有名なショーン・コネリーを、冷戦下のオールドタイプのスパイへと押しやり、冷戦に勝利したCIAエージェントを、スマートなヒーローにしようとしている意図も感じられるのですが、


ショーン・コネリーは、この映画の数年前、フランス、イタリア、西ドイツ合作映画『薔薇の名前』で、粗末な衣服を身につけた清貧派の修道士として登場し、中世ヨーロッパ教会の文書庫の秘密を暴く役柄を演じていたり、年を重ねてからのコネリーには、賢者や預言者の風格があって、この映画のように、乗組員を引き連れて、アメリカに亡命するというのは、「モーセ」をも彷彿させます。


この物語は、ロシアの原子力戦艦の艦長と、アメリカCIAエージェントが、お互いに、高い知性と教養を備えたエリート軍人ゆえに、最終的に理解しあえた。という結末なんですが、


知性によって、ウィラが言うように、「まったく違った境遇の人の身になって考え、想像力を働かせて世界を見ることで、最終的に他者への共感がおこる」ことはあまり多くはありません。

 

艦長が引用したのは、まさにその最も大きな例で、


オッペンハイマーや、アインシュタインといったユダヤ系の人々は、ナチスドイツが先に原爆を開発してしまうことに恐怖を感じ、アメリカ国民として、自国の勝利を「最善」と信じ、また、その成果によって、アメリカは第二次世界大戦に勝利しました。


このとき、アメリカとソ連は同じ「連合国」ですが、勝利した連合国はその後、資本主義と共産主義に分裂し、米ソの「冷戦時代」となります。


原爆が実際に使われたことを後悔したオッペンハイマーは、国から監視される身分となり、その後の水爆の開発は、エドワード・テラーが中心になりました。エドワード・テラーは、ドイツによって、より複雑な立場に立たされ、マイケルが「ヒストリー・ティーザー」の舞台に選んだハンガリーの首都ブダペストで生まれたユダヤ人でした。



「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラーの生涯

①で端折ったことや、

マイケルがハンガリーを選んだ理由もちょっぴりわかる

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ソ連とアメリカの冷戦構造が敗れたのは、拡大する一方の軍事開発(+宇宙開発)費が、社会主義国では賄えないきれなくなったことが大きな原因でした。だとすれば、アメリカが冷戦に勝利して、唯一の「世界覇権国」になれたのは、ユダヤ人の貢献が大きかったと言っても過言ではないはずです。


原爆を投下した飛行機には、キリスト教宣教師が同乗し、異教徒は殺していいのだと、宣教師にお墨付きをもらって、原爆を落としました。


しかし、アメリカの勝利を望んで、原爆投下を支持し、実行もしたクリスチャンたちの中には、戦後、自らの罪悪感から逃れるために、その罪をユダヤ人になすりつけ、原爆投下は間違っていないけど、開発したユダヤ人たちは「悪魔」だという考えを支持するようになり、その多くは、共産主義にも反対の立場をとりましたが、冷戦を勝利に導いた資本家たちに対しても、やはり「悪魔」だと罵りました。


また、私たちは、悲惨な事件を何度も起こしながら、アメリカ社会が「銃規制」をしないことを不思議に思っていますが、そこには、独立精神を重んじ、自分の身は自分で守り、狩りによって、食料である肉を調達することで、国に頼らない。数々の間違いを犯してきた「国家」に縛られない自由を求める人々の権利が守られている、という側面もあります。


こういった人々のことを、「反知性主義」と呼ぶのですが、そこには、知的権威や、エリート側への正当な批判も存在しています。


実際のところ、現在の日本で「反知性主義」だと相手を批判している人は、自分の「知性」と「正しさ」に自信をもって表明しているだけで、相手を説得することはまるで考えていない人がほとんどです。彼らは、相手の馬鹿さ加減を、発見して罵ることで、それに共感する人を集め、選挙に勝てると思っていますが、正しさを主張するだけでは勝てないだけでなく、どんな政権であっても、間違いを起こしてきたことは、歴史が表明していることではないでしょうか。


「善」と「悪」が入れ替わるだけではなく、「知性」と「反知性」も常に入れ変わる・・・


ウィラとエレノアの会話にもあった、「誰かを信用するとか、誰が世界を脅かしているとか、私たちにわかるのか?」というのは、本当に重たい問題です。


さて、


①で、ルネサンスがギリシャ文化を復活させ、宗教革命が、神と人との間の教会の権威を失くしたことで、カトリックが、人々にイメージさせていたガブリエルのような「天使」から、古代の神話にあるように「鳥」が神のメッセンジャーとして復活し、ヒトラーのナチスのマークや、様々な紋章に鷲(鳥)が再び登場することになった。と書きましたが、


Part 2で対比した『意志の勝利』と『HIStoryティーザー』に登場した鷲の像は、


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『レッド・オクトーバーを追え』では、CIA長官の部屋に登場します。



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(実際のCIA長官の部屋にも、これとほぼ同じ像があった)


Part 2の会話では、『HIStoryティーザー』の鷲は、ロケ地であるハンガリーの「トゥルルの像」だと言われていますが、この鷲の足元に剣がある像は、0:41~で、もう一度登場します。



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このときも、特にハンガリーの「トゥルル像」の特徴を捉えているというよりは、ローマ帝国や、オーストリア=ハンガリー帝国、ナチス・ドイツも、ロシア、アメリカ、その他アラブ諸国でも国章や国旗になっている「鷲と剣(武具)」の像として撮られていますね。



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参考)https://ja.wikipedia.org/wiki/鷲_(紋章)


『HIStoryティーザー』で、ガブリエル像が登場しないのは、この鷲の方が、世界の人々の根元に共通して関わっている。と、マイケルが考えていたからでしょう。民族や宗教や国家が違っていても、人には、共通している点がたくさんある。ということを、マイケルは世界ツアーで経験していました。


マイケルはミケランジェロを大変尊敬していましたが、ギリシャ文化のように、肉体を通して表現することが、人種差別に繋がることを、彼は、ヒトラーの経験から学んだのかもしれません。


ミカエルの話は、次の『ターミネーター2』で!





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Commented by 矢野 at 2016-02-20 23:30 x
HIStoryと黙示録『地獄の黙示録』に続いて拝読しております。MJがハンガリーのブダペストに強い思いを抱いていたというのは初耳でした。自分の中では世界的ポップスターであっても歴史、文化の洞察者というイメージは皆無でした。
アメリカが第二次大戦後のヘジェモニックステイトになり得たのは核とIT技術で世界をリードしていたからですが、これらに超人的貢献を為したのがハンガリー、ブダペスト出身のノイマン、テラーらだったことも確かによく知られています。他、アインシュタインに、ルーズベルト大統領に原爆開発を奨めるよう唆したり、核抑止論を説いて、核絶対悪論が支配する日本では評判よろしくないレオ シラードや、ゲイツ、ジョブズに比べて地味ですがシリコンバレーの歴史で間違いなく最重要人物の一人、インテルをマイクロプロセッサで半導体業界のヘジェモニックカンパニーに押し上げたアンドリュー グローブスも加えてよいと思います。彼らは、数学的能力に畏敬の念を持たれつつ、放浪癖(致し方なかったんですが) から「宇宙人だ」というジョークまで生まれました。何故ハンガリーのブダペスト出身者にかくなる人材が集中したのか?文化では、歴史的伝統はあるが、20世紀では地理的に「中央」たる英、独、仏から周縁に位置するためハンガリーでは中世的伝統が残っていたから、などと想像します。
Commented by 矢野 at 2016-02-20 23:55 x
中世のヨーロッパで学者が学問を極めようとすると、終の棲家を諦め、生涯を旅すると覚悟を決める必要がありました。ショーン コネリーが主演した映画「薔薇の名前」は中世のアーカイブの様子を忠実に映像化しているとの評判がありますが、要するに、そういう古文書や図書を保有する修道院や大学を巡って勉強していた。そういう学者はリベラルアーツを既に修めていましたから、語学、天文、音楽の他数学も、各地の有力者に乞われてこれらを講じながら旅を続けていたのでしょう。今、日本で掃除機のCMに出演しているハンガリー出身のピーター フランクル氏もこういう中世のヨーロッパの学者の気風を継いだ人なのかもしれません。そういえば、件の「薔薇の名前」の原作者ウンベルト エーコ氏が亡くなりましたね。
Commented by 矢野 at 2016-02-21 16:46 x
ヨーロッパの高等教育機関は、ナポレオンの登場と彼の肝煎りで技術将校養成の士官学校となったエコールポリテクニクで様変わりします。エンジニアという知的専門職を高等教育機関が組織的に養成することになった。このフランスのモデルをいち早く採り入れたのが工学部を最初から備えた日本の帝国大学でした。フランスからみると周縁というよりanother planetだった日本は、かえって「型落ち」のモデルを掴まされず、帝大卒業者達は迅速な近代化の貢献していく。デカルトは数学の座標軸を軍隊にいたとき思い付いたそうですが、近代の特徴たる科学ー技術ー軍事の組織的連携はまずフランスで実践された。アメリカは大学はリベラルアーツ教育第一という空気が強くMITなども「格下」と見られがちでした。ロシアは革命後、国家建設に最重要とエンジニア育成の教育機関設立に力を入れていく。
Commented by 矢野 at 2016-02-21 17:34 x
ソ連の国家建設は必ずしも順調とは言えなかったが独ソ戦を戦い抜き、第二次大戦後はスプートニクショックを起こすほどの科学技術力を備えることはできた。このショックが如何に大きかったか、西側では初等教育から高等教育まで数学・物理の教育内容を大幅に見直しました。初等教育では集合論を教えることになり、高等教育ではソ連のテキストを急遽取り寄せました。今でもプロの研究者の間でノーベル賞受賞者レフ ランダウの著した物理のテキストが世界最高水準と評価されてたりしてます。科学技術の教育水準は西側を凌いでいた。結局ソ連の社会主義は、スターリンというカリスマ的指導者の下革命の荒廃と戦争を克服する力はあったが、彼の死後冷戦は戦い抜けなかった体制でした。
Commented by yomodalite at 2016-02-22 12:54
(矢野さんのコメント)この映画が公開されたとき、少なくともベルリンの壁は崩れていたと記憶してます。私自身は大学を卒業して働き始めてましたが、勤務先の会社は年一回全社員を集め、社長がこう訓示します、「企業経営の要締とはgoing concern,心せよ」と。going concernとは企業会計では有期営業はあり得ないという会計学の原則のことですが、それがいかに経営者にとって苦しい厳しいことなのかを説くのです。個人経営の店なら「ここらで店を畳んで田舎で余生を」なんてできますが、信用取引をしているある程度の規模の会社はそうはいかない。確かに企業にとって経営の環境は常に激変、経営の革新を意識し続けなければならない。こういう苦しい厳しい「我慢くらべ」みたいなこと、人は普通強いられたくない、そういう「我慢くらべ」の強制に耐えさせた(エートスを確立させた)ものがプロテスタンティズムの倫理だったというのがMウェーバーの主張です。
Mウェーバーの説によれば、ソ連の崩壊は社会主義経済における企業経営の苦しさ厳しさに耐えうるエートスの構築が為されず、企業が経営革新を続けてきた資本主義経済との競争に敗れた結果ということになる。科学の教育水準はソ連は優れていたのですから。
現代の社会を管理運営していくのは斯くも大変で、できるだけ責任を免じてくれというのが人の本質なのだから、それを乗り越えて責任を引き受ける気にさせる物語が欲しい、さもないと人の賢しさではいずれ神の法(科学法則)による裁きは免れ得ない。yomodalite様は、MJは安易に出来あいの「物語」を配ってまわる気ではなかった、とお考えだと推察します。MJがChristであることの神学的証明は可能か、今後も拝読します。
Commented by yomodalite at 2016-02-22 12:57
矢野さん、素敵な長文コメントをありがとうございます。

最初に、3番目のコメントのみ「非公開」設定がされていて、内容から「意図的」だとは思えなかったので、最後の二通をまとめて、私の転載という形でアップさせていただきましたことをご了承くださいませ。

>MJがハンガリーのブダペストに・・・歴史、文化の洞察者というイメージは皆無でした。

ハンガリーだけでなく、そして歴史や文化を深く洞察しただけでなく、そこから彼は自ら歴史を創ったんです。そして、それはポップミュージック界に黒人として初めて・・などということだけではなく・・・についてはここでは書ききれませんが(笑)、何ヶ国語も話し、数学者で、大道芸人というフランクル氏は「ユダヤ人は聖書の民であると同時にストリップの創案者で、金権支配と共産主義双方の先駆者で、選ばれた民というコンセプトをもちながら、コスモポリタン・・・」という、リリアンソールがいうユダヤ人のあり方をひとりで現しているような人ですね。
Commented by yomodalite at 2016-02-22 12:57
>IT技術で世界をリード・・

インターネットは人類が発明した最終兵器かもしれませんね。グローブのことは知りませんでしたが、自伝も面白そうで読んでみたくなりました!。

ショーン・コネリーは、レッドオクトーバーでは、セクシーなモーセであり、薔薇の名前では、聖フランチェスコという次世代イエスの弟子でもあり、謎を解くホームズ役でもあったわけですが、マイケルはイエスに見習い、ホームズを生み出すきっかけになったポーの熱心な研究者なんですよね。彼の『Smooth Criminal』という有名な曲は、MJの師匠でもあるアステアに捧げられた曲として有名ですが、ポーにも捧げられていると私は思います。(http://nikkidoku.exblog.jp/20073516/)


>ヨーロッパの高等教育・・・工学部を最初から備えた日本の帝国大学でした。

東工大がいち早くリベラルアーツを復活させたのは、そういった歴史もあったからなんでしょうか。帝国大学も、旧制高校も、そこに学んだ人たちの本を読んでいると素晴らしい教育がなされていたことがよくわかります。そして、それゆえに敗戦後は解体されたんでしょうね。

>第二次大戦後はスプートニクショック・・・

IT技術もそうですが、日本に、湯川・朝永という天才がいた時代、物理学でも、米国ではユダヤ人以外の天才を生むことはできなかった理由にプロテスタンティズムの影響はなかったのでしょうか。

>Mウェーバーの説によれば・・・

ウェーバーの説には、良い部分はすべて自分たちが行ったことで、悪い部分はユダヤが・・というWASPの性懲りのないところも感じますが、天職についてのこととか、ものづくりの精神であるとか、マイケルのビジネス感覚には、プロテスタンティズムから生まれたビジネス書(自己啓発本)の基本精神があり、彼もそういったビジネス界の英雄を尊敬もしていました。
Commented by yomodalite at 2016-02-22 12:57
>MJがChristであることの神学的証明は可能か・・・

矢野さんが知るHIStoryが書かれているコメントの帰結がこれになるとは想像できませんでした(笑)でも、私には、神学的証明なんて出来ません。私が神学に全く詳しくないから、というだけでなく、「Christ」が現れたと大勢の人が感じたことを利用して作られるのが「神学」ではないですか? 唯一神がいる世界では、大勢のひとが神の証明を試みていますが、「Christ」なら、そのサークルから一歩踏み出す必要があるのではないでしょうか?

マイケルは人々がイエスに抱いてきたイメージをいくつも、自分に取り込んだうえで、貧しさを「善」とせず、ビジネスにも長けていました。

芸術と永遠回帰によって生を肯定し、権力に反感を抱くより可能性への意志と感じ、自己のうちに価値の基準を確立したひと・・・私はニーチェの超人にもっとも近い姿をマイケルに見て、それで、私の「Christ」だと感じているんです。

ティーザーに関する翻訳記事の最初(http://nikkidoku.exblog.jp/24488441/)で、「HIStoryは、ゆがんで偏見に満ちた彼についてのストーリーを、彼自身の側から語ったもの」と言うだけでなく、大胆な挑戦状であり、新しいイデオロギーを体現していた。それは「神の内在性」・・・とエレノアが言っていることについて、多少なりとも説明できないか、、との思いから、聖書関連のあれこれに四苦八苦していますが、読んでいただけることと励みに、続きを書こうと思います。
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by yomodalite | 2016-01-08 21:00 | ☆MJアカデミア | Trackback(2) | Comments(8)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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