HIStory Teaser, Part 3「新たなヒーロー像」①

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新年まであと十日余り、慌ただしさも増してきた今日この頃ではありますが、ついに、「HIStory Teaser」の会話の最終編です。


時節柄、相応しい話題ではないのかもしれませんが、今日からお正月にかけて、会話終了後の補足記事も含め、HIStory関連の記事を随時アップしていきたいと思いますので、気が向いたときに、ご覧になってください。


意外にも『Michael Jackson Tapes』と『Honoring the Child Spirit』の2冊合わせたよりも、悩んだ箇所がたくさんあって、childspiritsさんと私は、今年中にこれを紹介することができて、「自分で自分のことを褒めてあげたい」ような気分も味わいましたが、これまで気がつかなかったこともたくさん見えてきて、マイケルがどれほど多くの歴史を意識していたかについて、愕然としたことも一度や二度ではありませんでした。


今回は、『意志の勝利』や『独裁者』という、このショートフィルムの前面に現れている映画ではないので、その引用は瑣末なものだと思われるかもしれませんが、それらは、いわゆる「オマージュ」とは違って、まさに「歴史」を意識したものです。


何かを説明するとき、そこに物語がないと、私たちはなかなか理解することができないものですが、物語というのは、意味のある断片が、いくつか組み合わさって、おのずと出来上がってくるものではなく、物語をつくるために、必要な断片を、組み合わせて、意味をつくるものです。歴史は、勝者が創ると言われていることもそれと同じことですが、事実から報道をつくるときも、ブロガーも、方向性を決めなければ、文章を書くことはできないものです。


ウィラが自分のブログを会話という形にしているのは、ひとりで書く形式では、マイケルを利用して、自説を語ることにしかならないということを、よくわかっているからだと思います。エレノアも、このフィルムを説明するための筋を作ることを避け、ひたすら読み取ることに専念しています。それで、私はこれをすべて紹介したいと思ったんですね。(前回の補足記事で、少し先走ってしまって、今回の会話と一部カブっている部分もありますが・・)


マイケルがこのフィルムに膨大な引用をしている意味はなんなのか? それは、彼が、どういった歴史をピックアップしたかを知ることから、ようやく始まるのではないでしょうか。


これが、『HIStory』ともう一度出会うきっかけになってもらえたら、と願いつつ。。








Source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/


ウィラ:今回、エレノア・バウマンと私は、マイケル・ジャクソンがアルバム『ヒストリー』のプロモート用に製作したショート・フィルムについて、シリーズを締めくくる対談をします。


パート1では、もっとも目立った影響を与えたと思われ、当時の批評家たちがこぞって取り上げた、ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』に焦点を当てました。パート2では、少し目立たない形ではあるものの、より重要な影響を与えた作品、チャールズ・チャップリンの風刺映画『独裁者』について論じました。そして今回は、また別の作品や歴史がどのように「ヒストリー・ティーザー」に反映されているかを考えたいと思います。


今回も参加してくれてありがとう、エレノア。「ヒストリー」についてのこれまでの話し合いで、私は本当にたくさんのことを学ばせてもらったわ。



エレノア:また呼んでくれてありがとう、ウィラ。学ぶところが大きかったのは私もよ。「ヒストリー・ティーザー」を理解しようとずっと考え続けてきて、三本の映画が引用されていることはわかったんだけど、そこからさらに、新しい解釈へのドアが開いたって感じだわ。



ウィラ:そうね。でも、三本のうちの一本についてはまだ話してなかったわ・・



エレノア:最後の一本ってことね!



ウィラ:それと、「ヒストリー・ティーザー」が撮影されたブダペストの「英雄広場」のこともね(*後述)・・あなたが話してくれたことから考えると、すごく大事なことよね。今回はその場所についても話したいわ。



エレノア:確かに。「ヒストリー・ティーザー」が撮影された場所は、1994年のハンガリー、ブダペスト。ここでなければならなかったのよね。考えてみると「ヒストリー・ティーザー」の最後の、MJの像が除幕される強烈な映像は、この驚くべき男性の性質や大いなる志を明らかにするために、この作品が、いかに様々な引用や連想を用いたかを象徴しているんだけど、この映像を研究すればするほど、自分は表面的なことをなぞっているに過ぎないんじゃないかっていう気になるのよね。



ウィラ:ほんとにそうね。では、まず、これまでに論じていない他の作品を検証していきましょうか。『意志の勝利』や『独裁者』のほかに、どんな映画が「ヒストリー・ティーザー」に反映されていると思う?



エレノア:『ターミネーター2』や、『レッド・オクトーバーを追え』とか、『地獄の黙示録』、こういった映画の予告編というか映画自体が反映されているんじゃない? 考えてもいなかったでしょ、ウィラ。『ターミネーター2』と『レッド・オクトーバーを追え』については、 KonstantinosZ が教えてくれたサイト「Film Score Monthly」でのコメントがなければ、ヒストリーとの関連はわからなかったわ。どこにいるか知らないけど、とにかくKonstantinosZにはお礼を言わなくちゃ。『地獄の黙示録』は、キャプテンEOも監督したフランシス・コッポラによる作品だけど、ヘリコプターのシーンが引用されているのよね。



ウィラ:すごく興味深いけど、意外よね!マイケル・ジャクソンはほんとにあらゆるところからインスピレーションを得ているでしょ。高尚な文化からポップカルチャー、絵画、映画、子供の本、詩、アニメ、交響曲、タップダンス、ヒップホップ、パントマイム、バレエ… 挙げたらきりがないんだけど、今挙げたような映画というのは。それはどういうつながりなのかしら?



エレノア:そうね。それらの映画は確かにすごく違って見える。でも、三本とも戦争の狂気についての映画だと言える。



ウィラ:確かに。そして三本ともある特定の戦争を扱っている。世界大戦、あるいは世界中を巻き込む戦争ね。


『地獄の黙示録』は、かつてフランスの植民地だったベトナムに起こった戦争を舞台にしている。その戦争で、東南アジアは、冷戦下のアメリカやソ連、中国との間で駆け引きが飛び交うチェス盤のようになってしまった。


『レッド・オクトーバーを追え』は冷戦時代が舞台で、特にアメリカとソ連の軍事的緊張状態を描いてる。


そして『ターミネーター2』は、機械と人間が、地球だけでなく、宇宙の覇権まで争って戦争をする恐怖の未来から、タイムトラベルによってやってくる。その目的は、そんな恐ろしい未来を避けるために、現在を変えること。


そして、『意志の勝利』はもちろんそうだけど、『独裁者』も、世界制覇をねらったイデオロギーの拡大がテーマになっている。前者はそれを推進し、後者はそれに対抗するという形でね。最終的にそのイデオロギーは第二次世界大戦につながっていくわけだけど、「ヒストリー・ティーザー」に反映されている、この5つの映画は、すべて世界大戦と世界帝国が創られる恐怖が絡んでいるのよね。



エレノア:そうね。どの映画も戦争や国家主義に焦点を当て、そういうものに熱狂してしまう私たちの姿もあぶり出している。



ウィラ:本当にそうね。私たちは、イデオロギーを恐れながらも、それに熱狂する。私が特に興味を持ったのは、『ターミネーター2』と『レッド・オクトーバー』が引用されていることなんだけど、マイケル・ジャクソンは「ヒストリー・ティーザー」の前半で、この二本に使われた音楽をそのまま使っていて、他にもはっきりとは目立たない形でこれらの作品を連想させている。


この二本の映画が引用されていたのは、本当に意外だったけど、考えてみると、2作品にはとても興味深い共通点があるのよね。それは、どちらも、人類全滅の可能性がある深刻な恐怖をもたらすものを扱っているということ。『ターミネーター2』では、将来人間と人間が作った機械が戦争をする時に、人間側のリーダーになる人物を見つけ出すために、未来からサイボーグの暗殺者が送り込まれてくる。そして『レッド・オクトーバーを追え』では、ソ連の潜水艦の艦長が、核武装した戦艦をアメリカまで操縦していく。それは第三次世界大戦の引き金になり得る状況よね。


でも、ここは大事なところなんだけど、結果的に、どちらの映画でも世界大戦は回避され、人類は守られ、生き延びていく。サイボーグは、第一作である『ターミネーター』では、標的である人間を殺そうとするんだけど、『ターミネーター2』では新たなミッションを与えられて、その標的を守ることに身を捧げるのよね。



エレノア:そう。一作目のターミネーターは、人類を壊滅させるべく核による大虐殺を始めたコンピューターネットワーク、スカイネットによって未来から送られる。核による大虐殺より前の時代に戻ったターミネーターの任務は、大虐殺の生存者を率いて、スカイネットに抗戦するジョン・コナーを身ごもる女性を殺し、彼の誕生を妨げること。でもターミネーターは失敗し、ジョン・コナーは誕生する。


『ターミネーター2』では、反乱軍の人間によって、ターミネーターが作り直され、子供時代のジョン・コナーを守るようにプログラムされて、大虐殺前の世界に送り返される。そこでの彼は、ジョンの母親によって学習する回路を新たに組み込まれ、彼のミッションはスカイネットを破壊し、核による大虐殺自体を阻止するということまで含まれている。彼は少年を守るだけでなく、未来を変え、人類を守るのよ。



ウィラ:いいわね。すごく良いまとめ方だと思うわ。そして、レッド・オクトーバー号の艦長は命令に背き、新しい技術をアメリカと共有しようとする。東西冷戦の微妙な均衡が崩れないようにするためにね。つまり、両作品とも、最初は人類を脅かす存在だと見られていたものが、実は人類を守るために努力するという作品なのよ。


そして、まさに、マイケル・ジャクソンもそういう存在だったんじゃない?多くの人は彼をとても怪しんでいた。マイケルが「Threatened」で歌っているように、「けだもの」「モンスター」「ゾンビ」そして「忌まわしい悪夢」というふうにね。でも実際のところ、彼は「世界を癒やす」ために努力していた。


「ヒストリー・ティーザー」もそうよね。一見すると、とても不快で恐ろしい気がする。マイケル・ジャクソンが軍を率いている? どういうことって感じよね。でも、恐れや嫌悪感をこらえて見て、より深く考えていくと、違ったものが見え始める・・・



エレノア:そこがすごいところよね。「ヒストリー」に関しては、私たちはMJを信頼し、最初の不快感を乗り越えなければいけないのよ。理解しようと努力すれば、彼と彼の物語についてより深い理解が得られるのだから。



ウィラ:同感だわ。少なくとも、これまで話してきたような作品が反映されていることを知って、私の「ヒストリー・ティーザー」に対する解釈は違ってきたわ。それと、実は、解釈の変化というのは、この二作品の重要な要素でもあるのよね。


つまりね、『レッド・オクトーバーを追え』はアクション・アドベンチャーだけど、最も緊張感があるのは、アメリカ側がソ連の艦長を信用すべきかどうか、っていうところなのよ。艦長はソ連を裏切るのか、それともアメリカの大都市に核兵器を仕掛けようとしているのか? 救世主なのか悪党なのか? 地位も過去も捨てて反逆者としてヒーローになるのか、ソ連の駒でしかないのか。もしかしたら彼は、大統領に仕える国家安全保障顧問が言うように、妻の自殺によって自分も死にたいと思い、全世界を道連れにしようとする「狂人」かもしれない。とにかく、彼や彼がやっていることをどう理解し、そして、観客としての私たちはそれをどう考えるのか? 艦長の行動をどう解釈するかが、この映画の中心になっているのよね。


そして解釈について、特に、何を、そして誰を信頼すべきなのか、それは、『ターミネーター2』の中心テーマでもある。私たちは、かなり早い段階から、ターミネーターがジョン・コナーを守ろうとしていることを知る。そして、変幻自在の液体金属で出来たサイボーグから彼を守るのよね、このサイボーグは、どんな風にも変装できて、警察官や、小さな女の子、ジョンの母親にも、ただの物体にもなれる。



エレノア:そうね。そしてあなたが言ったような視覚効果は、この映画の必要不可欠な部分で、「コンピューター・グラフィックの進化」がよく表現されている。それは、MJがこの映画に惹きつけられた理由のひとつかもね。テクノロジーと芸術は相反するするものだと考える人も多いけれど、マイケル・ジャクソンは(ターミネーター2の監督であるジェイムス・キャメロンも)テクノロジーを、芸術的な表現の強力な手段としてとらえていた。



ウィラ:なるほど。確かにマイケル・ジャクソンは新しいテクノロジーにすごく興味を持っていたし、いつもそれを迅速に取り入れた。そこは大事な点ね。


そして、『ターミネーター2』でも『レッド・オクトーバーを追え』でも、私たちはいつも自分に問いかけるのよ。見ているものを信じていいのか?人は(物も)目に映るとおりのものなのか?自分たちがすべてを正確に理解していると確信を持って言えるのか?と。そしてもちろん、マイケル・ジャクソンも変幻自在で、多くの人が彼をどう理解していいのか、彼を信頼していいのかわからなかった。



エレノア:たしかにそうね。この二つの映画には変幻が随所に現れる。『ターミネーター2』では、悪者が外見を変化させる。中身は元々のミッションに100パーセント忠実なままね。一方、ターミネーターと潜水艦の艦長はまったく変わらない。見た目はそのままで、彼らのミッションだけが大きく変化する。これらの映画を連想させることによって、「ヒストリー・ティーザー」が伝えているのは、マイケル・ジャクソンは外見を変えていても、彼の音楽を通して世界を癒やすというミッションに変わりはない。私たちは彼を100パーセント信頼していいというだけでなく、人は深く精神的に変わることができる、ということも伝えているのではないかしら。



ウィラ:とても興味深い見方だわ、エレノア。たしかに、どちらの映画も、私たちの解釈は絶えず形を変えていくし、物語も変わっていく。そして、マイケル・ジャクソンに対する解釈もつねに変化していった。彼が亡くなるとすぐに変化したこともそう。



エレノア:そうね。あれは、人というのは一夜にして変わるという彼の考えを、悲しい形で証明することになったわね。でも残念なことに、彼にとって、それは遅すぎた。彼の死というとても大きな悲劇が起こらなければ、多くの人々の目を覚まさせ、彼がどれだけ貴重な存在だったか、彼がいないことがどれだけ大きな損失なのか、彼がどれだけ冷酷に不当に扱われてきたか、を気づかせることが出来なかった。私もそういう人のひとりだったと認めざるを得ないわ。だからこそ、私たちが彼をどう論じてきたかを通して、私たち自身を考えるという作業をはじめたんだもの。


そして、私たちの自滅的な文化への信仰を認めた上で、人間性を保持した集団としての生き残るには、変わらなくてはいけないと、私たち自身に強く言い聞かせないと、地球やそこにあるすべてを破壊することになるかもしれない。でも、「ヒストリー・ティーザー」は、多くの引喩を用いて、人は自分の核になる価値観を変えることが出来るのだというMJの信念を表現している。ターミネーターが、サラ・コナーに頼んで、頭を開けてもらい、CPUを取り出し、スイッチを入れることで、新しいことを学んだり、考え方や、ミッションの範囲を広げたようにね。



ウィラ:私も、そういうスイッチが欲しいかも・・・



エレノア:ほんと、そういうのすごくいいわよね。心を開いて新しいあり方を受け入れることが簡単にできればね!でもいい情報だってあるのよ。異なる時代、異なる場所の人間社会では、ものすごく異なった文化的価値観があるわけだから、人の文化的信条が固定されているわけではないことは明らかなのよね。艦長や、ターミネーターのように、私たちの文化がサバイバルを選ぶことを祈るわ。私たちの凝り固まった認識に変化が起きることを、それが権力やヒエラルキーの構造にも及ぶことを、特に祈りたいわ。マイケル・ジャクソンが、彼の芸術を通して、その道を示してくれたように。



ウィラ:それは素敵な解釈ね、エレノア。それで、考えてみたんだけど、私たちは、「ヒストリー・ティーザー」に現れる様々な作品の影響と、それがどのように使われているかを特定することで、マイケルがやろうとしたことを少しサポートできるんじゃない。



エレノア: いい考えね。前回の記事で私たちは、何もない画面にエスペラント語が響くところから始まることに触れたわね。そのことで「ヒストリー」とマイケル・ジャクソンは、『独裁者』とその主演者・監督であるチャーリー・チャップリンにつながっているし、国際主義というテーマにもつながっている、と話したのよね。それから、「ヒストリー・ティーザー」における最初の引喩は、目に見えるものよりも、耳に聞こえるもののなかにあって、何もない画面も、私たちの注意を言葉に集中させるという点で、ちゃんと役割を果たしている。


そして、そこから思い出されるのは、『地獄の黙示録』のオープニングで、何もない画面に、平和ではなく、戦争の象徴としてヘリコプターの音が聞こえてくるということ。



ウィラ:それは、すごく興味深い話ね。それはたしかに似ているわ。「ヒストリー・ティーザー」のオープニングの方がより曖昧な感じで、男性が叫んでいるのは聞こえるけれど、理由はわからないし、エスペラント語を話せなければ-たぶんたいていの人はそうだと思うけど-何を言っているのかわからないものね。



エレノア:そう。そして、男性の声はあまり平和な感じはしない。



ウィラ:たしかに。(②に続く)





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by yomodalite | 2015-12-21 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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