和訳 “The Hollow Men” T・S・エリオット「空ろな人間」

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世界はますます終わりに近づいているような気がする毎日ですが、人生も惑星の命にも限りがあるので、世界が終わるのは、当然といえば当然なんですが、Godという創造主のことを考えると、人はなぜか「永遠」を考え出すんだなぁなどと思いつつ、


とにかく、ヒストリー・ティーザーについてのエレノアとウィラの会話(これから紹介するPart 3)をより理解するために、そこにちょっぴり登場する『地獄の黙示録』を再度見てみたり、引用された文学作品を読んだりもしているのですが、原作の『闇の奥』は、以前なんとか読んだので、今回は、映画の中で、カーツが読んでいたT・S・エリオットの「The Hollow Men」という詩を読んでみようと思って、岩波文庫『四つの四重奏』(岩崎宗治訳)を買ったんです。


childspirits先生と二人で、エレノアの会話を日本語にしているだけで、もうヘトヘトなので、誰かが訳してくださったもので、あっさりと理解したかったんですが、訳注や解説には、ためになる部分があったものの、実際の詩の方は「?」という部分が多くて、、、しかたなく自分でも考えてみました。


ふだん、直訳とか、意訳という言葉が大嫌いな私ですが、意味がわかる。という意味での「意訳」につとめ、散文的に訳してあります。


気になる点や、間違いはもちろん、

遠慮のないご意見をお待ちしております。



The Hollow Men

空ろな人間


Mistah Kurtz―he dead. (*1)

Mr.クルツは死んだ


A penny for the Old Guy(*2)

ガイさんに1ペニーを(恵んでおくれ)。


I

We are the hollow men

We are the stuffed men

Leaning together

Headpiece filled with straw. Alas!

Our dried voices, when

We whisper together

Are quiet and meaningless

As wind in dry grass

Or rats' feet over broken glass

In our dry cellar


我々はすき間がないほど

詰め込まれていながら、空っぽで

頭の中は藁がいっぱい詰まっている(嗚呼)

お互い寄りかかるしかなく

みんなで一緒に囁いても

かすれるような声でしかなく

枯野の草のように静かで意味がない

もしくは、地下室で

ネズミが割れたガラスの上を歩くぐらいか


Shape without form, shade without colour,

Paralysed force, gesture without motion;


つかみどころのない形、色のない影、

麻痺した力、動きのない身振り


Those who have crossed

With direct eyes, to death's other Kingdom

Remember us―if at all―not as lost

Violent souls, but only

As the hollow men

The stuffed men.


目を見開いて、

死後にある別の王国に渡った者が

もし我々のことを覚えていたとしても

それは、荒ぶる魂というよりは

ただ、無意味だけが

詰め込まれた人間としてだ


II

Eyes I dare not meet in dreams

In death's dream kingdom

These do not appear:

There, the eyes are

Sunlight on a broken column

There, is a tree swinging

And voices are

In the wind's singing

More distant and more solemn

Than a fading star.


この目は、私が夢に出会うことを怖れ

死後の夢の王国が

目の前に現れることはないが、

そこでは

折れた円柱に陽射しが注がれ

木々は揺れ、

そして、声は響き、風は歌う

この消えゆく星よりも

ずっと遠くにあって、より厳かに


Let me be no nearer

In death's dream kingdom

Let me also wear

Such deliberate disguises

Rat's coat, crowskin, crossed staves(*3)

In a field

Behaving as the wind behaves

No nearer―


死後の夢の王国のそばに

俺を行かせないでくれ

あの念入りに見つくろった

死装束をまとわせるのも、だ。

鼠の毛皮、カラスの肌、十字にした棒

この場所では

風が振舞うように、振る舞う

それ以外にはない


Not that final meeting

In the twilight kingdom


あの黄昏の王国での

最後の集いとは違うのだ


III

This is the dead land

This is cactus land

Here the stone images

Are raised, here they receive

The supplication of a dead man's hand

Under the twinkle of a fading star.


ここは、死んだ国

サボテンの国

ここにある石の像は

消えていく星の煌めきの下

死んだ者たちの嘆願を

受け入れるために建てられた


Is it like this

In death's other kingdom

Waking alone

At the hour when we are

Trembling with tenderness

Lips that would kiss

Form prayers to broken stone.


それは、死後の王国で

ひとり目覚めたとき

誰かがそこにいて

優しく震えるように

唇にキスをする者によって

石が崩れ去る、ということか


IV

The eyes are not here

There are no eyes here

In this valley of dying stars

In this hollow valley

This broken jaw of our lost kingdoms


この目に見えるのはそんな場所ではなく

ここにある世界はそうではない

この谷では、星は死にゆき

ここは、空ろな谷でしかなく

この壊れた骸骨が、失われた王国なのだ


In this last of meeting places

We grope together

And avoid speech

Gathered on this beach of the tumid river


最後の集いの場所では

みんなが探りあい

意見を言うことを避け

人々は水が膨張した河の岸辺に

ただ群がっている


Sightless, unless

The eyes reappear

As the perpetual star

Multifoliate rose

Of death's twilight kingdom

The hope only

Of empty men.


盲目でないとすれば

この目にも、永遠の星や

花びらが幾重にも重なった薔薇が

見えるだろう

死にゆく黄昏の王国で

空っぽな人間の

残された希望として


V

Here we go round the prickly pear(*4)

Prickly pear prickly pear

Here we go round the prickly pear

At five o'clock in the morning.


手のひらみたいなサボテンのまわりを

サボテン、サボテン、みんなでまわろう

手のひらみたいなサボテンのまわりを

みんなでまわろう、朝の五時


Between the idea

And the reality

Between the motion

And the act

Falls the Shadow

     For Thine is the Kingdom(*5)


理念と現実の間に

動きと行いの間に

幻影があらわれる        

     神の王国のために


Between the conception

And the creation

Between the emotion

And the response

Falls the Shadow(*6)

     Life is very long(*7)


構想と創造の間に

感情と反応の間に

幻影があらわれる

     人生はとても長い


Between the desire

And the spasm

Between the potency

And the existence

Between the essence

And the descent

Falls the Shadow

     For Thine is the Kingdom


欲望と発作の間に

潜在と実在の間に

本質と堕落の間に

幻影があらわれる

     神の王国のために


For Thine is

Life is

For Thine is the(*8)


あなたのための

人生とは

それを、あなたのために


This is the way the world ends (*9)

This is the way the world ends

This is the way the world ends

Not with a bang but a whimper.


こんなふうに、世界は終わる

こんなふうに、世界は終わる

世界の終りは、

爆発音ではなく、すすり泣く声で。


(訳:yomodalite)

下記の訳注も含め、間違いに気付かれた方は遠慮なくご指摘くださいませ


訳注)________


(*1)コンラッド『闇の奥』からの引用、主人公クルツの死を告げる黒人のボーイの言葉。


(*2)1605年、ジェイムズ一世とその政権を転覆させるため、少数のカトリック教徒の中で、国会議事堂の爆破が計画された(「火薬陰謀事件」と呼ばれる)。しかし、実行予定の前夜、議事堂地下室で火薬の見張りに立っていたガイ・フォークスは捕らえられ、仲間とともに処刑された。英国ではこの日にちなんで、11月5日を「ガイ・フォークスの日」として、彼の張りぼて人形を引き回し、爆竹をはぜさせながら、人形を火に投じる習慣があった。「ガイさんに1ペニー」は、この日に子供たちが、家々をまわって爆竹を買うための小銭をもらうときの言葉。


(*3)Rat's coat, crowskin, crossed staves

このパラグラフ(スタンザ)は、岩波文庫『四つの四重奏』(岩崎宗治・訳)の「詩集1909 - 1925年」に納められた〈空ろな人間たち〉の訳では、

これ以上近くには行かせないでください
死の夢の国で
そしてわたしにまとわせてください
とくに入念な変装を
鼠の毛皮(コート)、烏皮(からすがわ)、十字に組んだ棒
麦畑で
振る舞いは風の振る舞いのように
これ以上近くには----

になっています。訳注では(訳者は、the stuffed men を、案山子人間と訳している。The Hollow Men に案山子の絵が使用されている例は多い)、

「わたし」は、中身の空ろな案山子として生きようとする。案山子はここでは棒を十字に組んで古着を着せたもの。畑を荒らす野鼠や烏を脅すために、そうした動物の死骸を結びつけることがある。原文のRat's coat の ‘coat’ は、「上着」または、「(獣の)毛皮」で、‘crowskin’ は、‘backskin’ (鹿革)に似せた造語で、「烏皮」といったところか。ともあれ、魂のない「案山子人間」には・・・

とありますが、私には「畑を荒らす野鼠や烏を脅すため」や、「まとわせてください」というのは納得できません。


鼠やカラスといった動物から喚起されるイメージと、「I」の〈rats' feet〉との音韻だけでなく、人間の社会では、鼠の上着(毛皮)は、動物の毛皮としては薄くて価値がないし、カラスは羽根に覆われていて、その肌がかえりみられることはありませんが、どちらも自然なもので、同じように、自然社会にあるのは、棒を十字にしたものだけであって「十字架」ではない。


その場所で身につけるものは、人間社会での葬送の儀式で、遺体に着せられるようなものではなく・・という意味からの言葉ではないでしょうか。


(*4)prickly pear


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ウチワサボテンとも言われるようですが、このスタンザは童謡を歌っているようになっているので、このサボテンの能天気な感じを出すために「手のひら」みたいな、にしました。


(*5)For Thine is the Kingdom

これは「主の祈り」とも言われる、『マタイによる福音書』6章9-13にからの引用だと思われます。(→https://ja.wikipedia.org/wiki/主の祈り)


Between the idea ~ And the act までは、「王殺し」をイメージしていて、「For Thine is the Kingdom」は、その行為を後押しする言葉にもなっている。


岩波文庫訳では、

For Thine is the Kingdom
それ〈御国〉は〈汝〉のものなればけり

という訳のわからない(私だけ?)訳になっていて、確かに、Thine は古語で、英語辞書では、「汝」もしくは「そなた」などと書いてあり、


「汝」は、日本の国語辞典では、

二人称の人称代名詞。本来は、尊敬の意を含む語だが、徐々に敬意を失って、同等または目下の者に対する代名詞となり、中世以降はもっぱら目下の者に対する代名詞となった。

と、あります。でも、英語のThine は、「同等かもしくは尊敬の意」なので、Thine=汝というのは、現代の日本人にとって勘違いしやすい訳になっているように思います。例を挙げれば、シェイクスピアのセリフでは「汝」(もしくは「そなた」)で問題ありませんが、『マタイによる福音書』などの聖書訳の場合、「thy」は、神を指している場合も多く、これを「汝」と訳すのは間違いの元ではないかと。


「主の祈り」の英語訳は、


Our Father, which art in heaven,

hallowed be thy name;

thy kingdom come;

thy will be done,

in earth as it is in heaven.

Give us this day our daily bread.

And forgive us our trespasses,

as we forgive them that trespass against us.

And lead us not into temptation;

but deliver us from evil.

[For thine is the kingdom,

the power, and the glory,

for ever and ever.]

Amen.


上記のウィキペディアのリンク先にある日本語訳でも、「thy」がわかりにくい訳になっているので、下記は私訳ですが、


天国にいる、我らの父よ

あなたの名が讃えられ

あなたの王国がやってきますように

あなたはこの地上を

天国のようにされるでしょう

そして、私たちに今日のパンを与え

私たちが、罪を犯した者を許すように、

私たちの罪も許してください

そして、私たちが誘惑に導かれないように

私たちを悪から救ってください

[あなたのための王国、その力、そして栄光は、永遠に続きます]

アーメン。


thyや、thineは、すべて、Our Father, which art in heaven(天国におられる我らの父)を指しています。(ちなみに、ウィキペディアにはもっとも普及していると思われる「新共同訳」が載っていませんが、そちらは、天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように・・・で、[ ]内はありません。ただ、文春新書の『新約聖書Ⅰ』にある佐藤優氏のマタイの福音書の案内によれば、[ ]内は、2世紀頃に付加されるようになったもので、「国とちからと栄とは限りなくなんじのものなればけり」という頌栄がつけられることもある。とのこと

それ〈御国〉は〈汝〉のものなればけり

とにかく、上記の岩波文庫訳では、神の国が「あなた(自分)」のものだと言っているか、もしくは、神に「上から目線」になってしまいませんか?


岩波文庫訳への疑問に文字数を使いすぎてしまいましたが、日本人が考える「神」と「God」の違いは、「God」がこの世界の創造主というだけでなく、


「God」を信じる宗教には「神の王国をこれから創る」という目標があることが、重要で、それは、この詩でも、また『地獄の黙示録』でも、現代の世界戦争においても、重要なテーマになっていると思います。


(*6)Falls the Shadow

Falls も、Shadowも意味深い言葉で、私訳では “幻影があらわれる” としましたが、Fall は、「人間の堕落や原罪」という意味を感じさせる言葉ですね。


(*7)Life is very long

(*5)と同じ文字装飾になっているので、なんらかの引用かもしれませんが、岩波文庫の訳注では、コンラッドの『島の流れ者(邦題「文化果つるところ」』の中で、重大な背信行為を犯した主人公に、年配の船長リンガードが言う言葉。とあり、恩寵に出会えぬまま苦悩し続ける人間にとって「人生は長い」ということ。だと説明されています。


(*8)

For Thine is

Life is

For Thine is the


このスタンザでは、ここまでの言葉の語尾が消されていて、


For thine is (the kingdom)

Life is (very long)

For Thine is thekingdom)


消された部分を繋げると、


その王国はとても遠い王国


という意味になり、ここから、最後の「This is the way the world ends」に続きます。


(*9)

この部分は[V]のサボテンの歌と同じく、童謡をベースにしていて、岩波文庫の訳注によれば、パロディの本歌となった童謡では「こんなふうにぼくらは手を叩く」という童謡があるそうです。




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by yomodalite | 2015-11-16 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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