HIStory Teaser, Part 2「独裁者」④

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(③の続き)


「ヒストリー」では、MJは一度もしゃべったり歌ったりダンスしたりしないけれど、彼の顔を体が多くのことを伝えていて、私に伝わってきたのは、チャップリンが床屋としてしゃべったあの台詞にすごく近いものよね。


申し訳ないが、私は皇帝になどなりたくない。そんなことはごめんだ。私は誰も支配したくないし、征服したくもない。私は、できるなら、すべての人を助けたい。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、黒人も、白人も。私たちはみんな、お互いに助け合いたいと思ってる。人間とはそういうものなんだ。私たちは、お互いの不幸でなく、お互いの幸せによって暮らしたい。憎み合ったり、軽蔑し合ったりしたくない。この世界には、だれにでも暮らせる場所がある。この大地は豊かで、誰にでも恵みを与えてくれる。人生は、自由で美しいはずなのに、私たちは進むべき道を見失っている。



スピーチ全体の和訳

http://nikkidoku.exblog.jp/16974980/



ウィラ:すごい演説よね。アメリカの映画史上最高の演説だという人も大勢いる。『独裁者』は全編通して見ることをみんなに勧めるわ。まだ見ていない人も、とにかくチャップリンの最後の演説だけは見てほしい。ガービッチの、以下のような演説の後だけに、余計に心に響くのよね。


勝利こそが価値あるものだ。今日、民主主義や自由や平等は、人々を惑わせる言葉に過ぎない。いかなる国家もそのような考えの下に進歩はない。そんなものは、何かことを起こそうとするときの邪魔になるだけだ。そのようなものはさっさと捨ててしまおう。将来、一人一人の国民が、絶対服従のもとに国家の利益に奉仕することになるのだ。それを拒むものには思い知らせてやろう。市民としての権利は、すべてのユダヤ人、非アーリア人種から剥奪されることになる。彼らは劣った者であり、それゆえ国家の敵である。彼らを憎み、見下すのが、真のアーリア人種全員の義務である。


このあと、独裁者のふりをしたユダヤ人の床屋という二重の役を演じるチャップリンが、立ち上がって、さっきあなたが引用したような、すべての人に愛を呼びかける演説をする。


私たちはみんな、お互いに助け合いたいと思ってる。人間とはそういうものなんだ。私たちは、お互いの不幸でなく、お互いの幸せによって暮らしたいんだ。


下記の動画は、『独裁者』の最後の部分で、ガービッチの演説と、それに対するチャップリンの激しく心揺さぶられる演説が入っている。





元記事動画が削除のため全編動画を貼り付け

ガービッチの演説は1:57:00~



エレノア:抜き出してくれてありがとう、ウィラ。実際に映画でこれらの演説を見ると文字で読むよりもはるかにパワフルね。



ウィラ:そうね。そして、この最後の部分を見ると、『独裁者』がどのように視覚的に『意志の勝利』の堂々としたスケール感を出しているかもわかるのよね。『意志の勝利』のはじめで、ヒトラーが自動車でのパレードとともに登場するところがあるんだけれど、チャップリンはそれを再現し、権力を誇示する威圧的な建造物や兵隊の長い列も再現している。これらは「ヒストリー・ティーザー」でも再現されているわね。ここにあるのは、『意志の勝利』と『独裁者』と「ヒストリー・ティーザー」からの場面を切り取ったものだけど、その類似性がすぐにわかる。つまり、どの作品でも、背景には国家の力を示す巨大な象徴があり、前景には果てしなく続く隊列がある。



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『意志の勝利』の一場面



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『独裁者』の一場面



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『ヒストリー・ティーザー』の一場面



こういった映像によって、『独裁者』も『ヒストリー・ティーザー』も『意志の勝利』における広大な視野をとらえている。ただ、『独裁者』では、その広大な視野に次々と、自国のファシスト体制に従う兵士たちによって、ユダヤ人市民が抑圧され、殺害までされるという、帝国主義のイメージが織り込まれる。



エレノア:そう、『独裁者』は風刺作品なんだけど、深い苦悩と多くの論争を巻き起こす問題を扱ってもいる。「ヒストリー」も同じなのよね。そして、『独裁者』と同じように、「ヒストリー」は、多くの点でぎりぎりのラインまでやっている。高い技術で簡潔にやるという見事な手腕で、「ヒストリー」はリーフェンシュタール的な映像を、ナチスの恐るべき作品と『独裁者』の両方を思い起こさせるために使っている。マイケル・ジャクソンの立ち位置を、歴史的に、そして、個人的にはっきりさせるためにね。


MJJJusticeProject の洞察力の「ある記事」によれば、


彼のヒーローであるチャーリー・チャップリンと同じく、マイケル・ジャクソンは『意志の勝利』の視覚的効果を引用しつつ、そこにある感情を引きずり下ろした。チャップリンはオスカー候補にもなった『独裁者』でその映画を風刺し、ジャクソンはナチス体制の犠牲者たちを讃え、いまだにファシスト的信条を支持する人々の心のあり方を冷笑するためにその映画を引用した。


ウィラ:その記事は、ヒストリー・ティーザーを歴史的文脈に置き、予告されたアルバム『ヒストリー』を文脈の中に置く、とてもいい内容だった。



エレノア:リーフェンシュタール風の華麗な式典の場に、ヒトラーのような独裁的な指導者ではなく、マイケル・ジャクソンを置いた「ヒストリー・ティーザー」は、『独裁者』に出てくる穏やかな床屋が、ちょっとした変装で、ヒトラー的人物の代役になってしまう場面を思い起こさせるのよね。ナチスドイツのことを思い起こさせながら、ジャクソンとユダヤ人の床屋を結びつけることで、「ヒストリー」は黒人の体験とユダヤ人の体験、黒人のゲットーとユダヤ人のゲットー、ユダヤ人が受けた扱いと黒人がアメリカで受けた扱い。といったことについて、それとなく言及している。



ウィラ:それは興味深い見方ね、エレノア。独裁者という意外な役を演じるマイケルは、『独裁者』で、思いもかけず押し出されて、独裁者の役を演じることになったユダヤ人の床屋の体験を、自分と同列に置いている。ひとつ違っているのは、床屋が自分が望みもしないのに、その状況に放り込まれたことで、すごく戸惑っているのに対して、マイケル・ジャクソンはそうじゃない。彼は「ヒストリー」の中で、ゆったりと自信に満ちて見える。



エレノア:ただね、ウィラ、明らかに、マイケル・ジャクソンは独裁者の役を演じているんじゃなくて、独裁者に取って代わったように見えるのよね。軍隊の先頭で、大股で歩いている彼は、独裁的なリーダーがいそうな場所を独占している。でも、私たちは、独裁者の代わりに、マイケル・ジャクソンという、独裁とは対極の立場をとるひとりの男性を見るわけ。あの床屋のように、「皇帝になどなりたくない」と思っている、誰かを支配したり、征服したりするなんてことのない彼をね。


でも、MJがくつろいだ様子で、床屋はまったくそうではなかった、というのは同感だわ。ただ、結局彼らは二人ともその役柄に忠実だったということじゃないかしら。床屋は脚光を浴びるのに慣れてないし、ジャクソンは政治家ではないけれど、慣れていた。



ウィラ:そうね。



エレノア:でも、彼のあの美しい笑顔については、再び言及したくなっていたから、あなたが、あの瞬間についてとりあげてくれたことは嬉しいわ。私は、彼の笑顔は、チャップリンの歌の「スマイル」を視覚的に表現したものだと思う。そして、それは、アルバム「ヒストリー」のエンディング曲でもあった。彼の放つ輝きは、苦しみを覆い隠すもの。その苦しみはチャップリンにとっては馴染み深いものよね。


でも、マイケルと軍隊の場面に話をもどすと、あのシーンは、チャップリンの『独裁者』の最後の演説のもう一つの部分に繋がると思うのね。実のところ、あの演説は「ヒストリー」のための脚本集みたいなものだと思う。


兵士たちよ。あなたを軽蔑して、奴隷にするような人間に従うな。彼らは、君たちが、何をして、どう思い、何を感じるべきかまで指示し、君を、家畜のように扱って、砲弾の餌食として利用しようとしている。君たちは、機械でも、家畜でもない、心に愛と尊い人間性をもっている人間だ。だから憎んだりしない。愛のない者だけが憎むのだ。愛されず、不自然な者だけが。兵士たちよ!奴隷として戦うのを止めて、自由のために戦うのだ!


制服を着たロボットのような兵士たちの最上位に立つリーダーとして、MJは新しい上官の姿を提示している。「野蛮に・・・奴隷化する」のとは異なった種類のヒーローとして、彼は国家の仕事をするために徴兵されたすべての人々が、その過程において人間性を失っていくことに共感し、MJは、兵士たちが体現している体制にではなく、兵士たち自身と一体であろうとする。彼は偉大な心の大きさを示し、チャップリンの言葉を借りれば、「罪のない人々を拷問にかけ、拘束する」ようなシステムを非難する。そんなことをしてしまう人ではなくね。拷問する人もされる人も、帝国の邪悪な罠に捕らわれているということなのよ。



ウィラ:それは大事な点ね、エレノア。チャップリンが演説のこの部分を、独裁者の抑圧的な命令を遂行している兵士たちに向けて話し、彼らの人間性に訴えているというのは、すごく大事な点。チャップリンは、彼らが悪いことをやってしまったのは否定しない、彼らが市民を傷つけ、殺しさえするところも描いている。ただそれでも、彼らを悪魔だとは言わない。むしろ、兵士たちも、彼らを「見下し、奴隷にする・・家畜のように扱い、使い捨てにする」リーダーたちの犠牲者だ、と暗に伝えている。


そして、あなたが言うように、マイケル・ジャクソンは、兵士にも警察にも敵意を持っていないように見える。それは彼らが、それぞれの立場で命令を遂行していると思っていたからなのよね。実際、彼は兵士たちの隊列と一緒に歩いている。



エレノア:そう。あのとても表情豊かな兵士たちへの敬礼は、ひとつのメッセージよね。たとえ抑圧者の意志を遂行する使命を負わされた人たちに対してであっても、敵意や憎しみではなく共感や尊敬を感じているという。



ウィラ:そう。そして、スーザン・ウッドワードがメールで私に指摘したように、あの巨大な像が除幕されたとき、私たちには片方の腕についた腕章が見える。そこには、エスペラントの星の下に、太字でPOLICEと記されている。(☆)



エレノア:スーザンに感謝ね。それは気づいてなかったわ。もう一度見てみないと。



ウィラ:私も気づいてなかったのよ。でもそれは、重要なディテールだと思う。マイケル・ジャクソンがサンタ・バーバラ警察とのあいだで経験したこと、特に裸にされて取り調べを受けたことを考えれば、彼が警察全体に憎悪を感じていてもちっとも不思議じゃない。でも、「ヒストリー」からはそういう感じを受けない。彼が表現しているのはもっと複雑なものなのよね。


率直に言えば、そういった行為は一種の借用だと思うのね。白人の歌手や音楽家がジャズからヒップホップに至るまで、「黒人」音楽を借用して、白人の観点からそれを作り直したのと同じように、「ヒストリー」でのマイケル・ジャクソンは、白人がもつ権威のイメージ(そして人種を根拠にした権威主義の例として、ナチスドイツ以上のものがあるだろうか?)を流用し、多国籍であるエスペラントの観点からそれを作り直しているということ。あるいは、もっと良い例えだと、Queer Nation(*)みたいなグループや多くの黒人ヒップ・ホップアーティストたちが、過去に自分たちが投げつけられてきた軽蔑の言葉、たとえば「ニガー」とか「クィア」などを借用して、今はそれを名誉の印として受け入れ、それによってそれらの言葉から負の力を抜き取ってしまった、というようなことかな。


エレノア:そうね、借用して変容させているのよね。帝国主義や国家主義の権力構造は、人間の文化によって作られてきた方法よりも、他者を征服することが、人間本来の性質が持たらす生き残り戦略だと考える。だから、彼らは、優れた技術の所有者が優勢になると仮定する。でも、私たちの技術は、農業でも、産業、軍事でも、私たちの生存にとって逆効果になっている。まさに今、私たちの中の何人もの人々が、戦争によって住む場所を奪われたように、あまり遠くない将来、私たち全員が住めなくなるような、そういった世界を構築しつつある。


チャップリンはこう言ってる。


私たちが得た知識は、私たちを皮肉にし、賢さは、私たちを冷たく、不親切にしている。私たちは、考えてばかりいて、感じることが少なくなっている。機械化よりも人間性が大事で、賢くなるよりも、親切や思いやりの方が必要なんだ。こういった本質を失ってしまったら、人生は暴力的になり、なにもかも失ってしまう。


私たちは黒人への奴隷制度を撤廃したことなんかを、優れた人間の特質だと誇ったりするけれど、実際のところ、私たちは、お互いに対話する方法を変える必要があるとは、あまり信じていない。集団としても、個人ベースでもね。でも、マイケル・ジャクソンはそういう見方に与しなかったんだと思う。彼は自分を信じ、根本的なレベルでの変化をもたらす手段としての芸術の力を信じていた。まったく異なった意味での「意志の勝利」を思い描いていたのだと思う。


自分自身とこれまでの冷酷な専制君主を対比させることで、マイケル・ジャクソンは、彼の価値観、つまり芸術は世界を癒やすことが出来ると信じるアフリカ系アメリカ人アーティストとしての価値観と、他者への抑圧につながる価値観との違いや、システムの悪を指摘し、そこに捕らわれてしまった人たちのことも思いやるのよね。



ウィラ:見事なまとめ方だと思うわ、エレノア。ありがとう。そして、再びこの複雑な映像作品への理解を深める試みに参加してくれてありがとう。私たちの議論の結論は次の記事で。そこで、また他の重要な作品について語りましょう。


もうひとつ、皆さんに知らせたいのだけれど、米国議会図書館が最近、ジョー・ボーゲルによる『スリラー』アルバムについての論文を発行しました。このブログの「Reading Room」に加えておくわね。



エレノア:いいニュースね。こちらでわかるようにしてくれてありがとう。では、議論の最後のパートでまたご一緒できるのを楽しみにしてるわ。


(HIStory Teaser, Part 2 終了)


(☆)「巨大な像が除幕されたとき、片方の腕についた腕章のエスペラントの星の下のPOLICE」その他については、「次の記事」で!



☆この続きの「Part 3」はこちら



(註)____________


(*)1990年3月にニューヨーク市で設立された、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ジェンダークィア)の活動家組織のひとつで、同性愛者への差別と嫌悪の撤廃を目指している。





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by yomodalite | 2015-10-27 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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