HIStory Teaser, Part 1「意志の勝利」③

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(②の続き)エレノア:でも、マイケルとヒトラーをこんなふうに比較するというのは、やっぱり、あまりやりたくないわよね。この映像の持つ毒気にあてられてしまいそう。マイケルがヒストリー・ティーザーでやったことは、それだけリスクが高いことなのよね。


ウィラ:わかるわ。マイケル・ジャクソンとヒトラーを比較するなんて、間違ってるっていう気がするもの。あらゆるレベルにおいてね。信仰心、見識、未来へのビジョン、人の苦しみへの感情的な反応、全てにおいて二人は正反対に見える。でもマイケル・ジャクソン自身、2009年に『マイケル・ジャクソン・テープス』として出版されたラビ、シュムリー・ボテアック(*1)との対話の中で、その比較の話を持ち出していて、彼は、ラビと、ヒトラーやホロコーストについて話している時、恐怖感をあらわにする。

ホロコーストだけでどれだけたくさんの子供たちが死んだか、その数を知ったとき…[泣き崩れる]人は何故そんなことができるんだろう? 僕には理解できない。人種がどうであろうと関係ない。わからない。ちっとも理解できないんだよ。どんな事情があろうと… そんなことは、全く理解できない。誰かに言われて、それほどまでの憎悪に駆り立てられることってあるだろうか。人の心にそんな害をあたえることは、可能なのだろうか。

(マイケルがホロコーストのことを話していて「泣き崩れる」と挿入されているのは、ラビによるもの)このように、マイケル・ジャクソンはナチズムにはまったく反対だった。当然ではあるものの。


エレノア:もちろんそうよ。そうではないと信じることなんて、出来るはず無い。でも、信じた人もいたのよね。そういう人たちは、『They Don't Care About Us』における "kike me" などの歌詞が反ユダヤ的だ(だから彼は「ナチス支持」にちがいない)と信じようとした。マイケルは反ユダヤ人なんかじゃなく、むしろユダヤ人の側に立って発言してたのにね。評論家とかメディアとか、つまり既存のシステムを支持し、そこで成功している人たちは、そのシステムを守ろうとする。マイケルのパワーを弱めるために、彼らはそれを否定し、彼を頑固で頭の空っぽなポップスターと呼び、自分自身を祭り上げ、自分と皇帝を同一視するような高慢で愚かなポップスターだと嘲笑った。マイケルは、明らかに帝国の権力を、憎悪の思想として批判しているのにね。


ウィラ:「憎悪の思想」ね。マイケルもボテアックに言っているように「誰かに言われて、それほどまでの憎悪に駆り立てられることってあるだろうか」ってことよね。憎悪の思想は、マイケルの信条や信念に、100パーセント反しているのよね。でも、そのラビとの会話の続きで、マイケルはこんなことも言っている。

「ヒトラーは天才的な演説家だった。彼はあれほど多くの人々の心を変化させ、憎しみに向かわせた。彼はショーマンの才能があり、実際それを発揮した。彼は演説の前に、少し間をおいて、少量の水を飲み、のどをすっきりさせ、周囲を見回す。それは、エンターティナーが観客を惹き付けるためにやることと同じなんだ。」

エレノア:どうする、ウィラ!これから、MJが1分以上微動だにせず、そのあとゆっくりとレイバンを外そうとする動作を見られなっちゃうわ!


ウィラ:まぁねぇ、期待をかき立てるために「演技」に入るのを遅らせる、というのはヒトラーが発明した手法だとは思わないけど、彼がそれを非常に効果的に利用したのは確かで、マイケル・ジャクソンもそうしたのよね。そんな風に考えると、確かに動揺するけど、でも事実なのよね。

だからって、マイケル・ジャクソンを、ナチス支持者だと考えるのは、全くの間違いで、一部の批評家は、先述のラビの本にあるような一節を根拠にそう言ったけど、実際は、シュムリー・ボテアック自身が、繰り返しマイケル・ジャクソンを擁護していて、マイケルを糾弾している人たちは、自分の発言を曲解していると述べている。2009年11月にハフィントン・ポストに載った記事でも、2012年の記事でも彼はそう言っているのよね。

ただ、マイケル・ジャクソンをナチス支持者と呼ぶのは間違いにしても(大間違いで、彼は全く正反対の立場だった)マイケルが、良い目的にしろ、悪い目的にしろ、観客を惹きつけ、操ることのできるパフォーマーの力を理解していたのは確かで、彼がヒトラーをそのような観点から、つまり「天才的な演説家」「ショーマン」といったパフォーマーとして見ていたというのが、すごく興味深いことよね。シュムリー・ボテアックはこのことについて、確認のためにこう尋ねている。

「君はヒトラーとは真逆なんだろうか? 神は驚異的なカリスマ性を君に与えた。ヒトラーが、人間の獣性を引き出すとしたら、君は人間の純真さや善良さを引き出したいと考えている。」

マイケルはボテアックの言うことにうなずいて「僕はそう信じている」と言うのよ。


エレノア:そう。彼は幼い頃から、自分には果たすべき役割、使命があると信じていた。私もそうだっただろうと思う。


ウィラ:それが使命だったのかどうかは、私にはわからないけど、確かに彼は、文化的に驚くほどパワフルな存在になったわ。文字通り、世界を変えるようなね。

だから、扇動者としてのヒトラーの技術と、彼のイデオロギーを切り離して考えることが重要ね。マイケル・ジャクソンは、ヒトラーのメッセージに対しては嫌悪しか感じていないけど、ヒトラーの持つカリスマ性やメッセージを伝える能力については、高く評価せざるを得ないと言っているのよ。ヒトラーは自分の才能を、偏見や憎悪を広めるために使った。自身がダイアン・ソーヤーに語ったように、マイケルはヒストリー・ティーザーで、同じテクニックを、「愛」を広めるために、正しく使おうとした。あるいは「欲求」を広めるために、かな。実際は「欲求」の比重が重いかも。でも、欲求(欲望)というのは愛と密接に結びついたものだから。


エレノア:そうね。そして、欲求(欲望)は明らかにカリスマと結びついている。カリスマとは神秘性なんだけど、その神秘性を理解することにMJは非常に強い興味をもっていた。

カリスマ性というのはテクニックを超える。伝えるべきメッセージと、伝える人のパワーが両方あって、初めて成立する。

そのパワーとは、集まった人々の心の深くに入り込み、深いところにある欲望や願い、あなたの言う欲求(欲望)のことだけど、生存本能とも結びついた魂の奥底にある気持ちを、満足させる力ね。ヒトラーは、ドイツ国民の中にある欲求をかき立てた。彼らの中にある生存本能に訴え、生き残れるかどうかは彼にかかっていると思わせてね。そして、彼がリーダーになれば、生き残れるだけではなく、第一次世界大戦の荒廃の中から、立ち上がり再び輝くことが出来ると。


ウィラ:それはすごく重要なポイントね、エレノア。それは、『意志の勝利』と『ヒストリー・ティーザー』のもう一つの類似点を明らかにする。どちらも、深い屈辱と敗北の余韻のなかで撮られた映像作品ということ。『意志の勝利』の最初の画面には、次の言葉がある。


1934年9月5日

第一次世界大戦の勃発から20年

ドイツの苦難の始まりから16年

ドイツの再生の始まりから19年

アドルフ・ヒトラーは再びニュルンベルグに降り立ち軍事パレードを行った。


つまり映画は、ドイツの第一次世界大戦敗北と、それに続く困難な経済状況という、ドイツにとって本当に大きな苦難の時代を背景にして作られたわけ。

そしてマイケル・ジャクソンは、偽りの児童虐待の申し立てがあった後の1995年にヒストリー・ティーザーを作った。それはマイケルにとって、大きな苦難の時代で、世界中の人が彼のメッセージを曲解し、彼を小児性愛者と呼んでいる時期だった。

でも、屈辱や苦難にもかかわらず、どちらの作品も、自分は負けない、下を向いたりしないと宣言している。

マイケル・ジャクソンは、他の人間が自分にレッテルを貼ることを許さない。自分のレッテルは自分で貼ると。そして、ドイツ人も同じ宣言をしている。マイケルとドイツ、両者とも自分の力で再び立ち上がるのだ、とね。『意志の勝利』の最初の記述が示すように、この映画は「ドイツの再生の始まり」を記録し、祝福している。


エレノア:でも、ヒトラーが見せたのは、単なる再生の未来図ではない。それは、征服の未来図でもあった。生まれ変わったドイツが、その優位性を他の国々に見せつけるという未来図。その結果がどうなったか私たちは知っているわけだけど。


ウィラ:まったく、その通りね。だから今この映画を見ると、このあと何が起こったか知っているから、ぞっとするのよね。


エレノア:そしてリーフェンシュタールの映画は、ヒトラーの示した未来予想図が現実のものになって欲しいという欲求を生み出すために、つまりヒトラーの構想はすなわちドイツ国民が生きのこる道であることを示し、ヒトラーを彼らの英雄、救世主に見せるために、とても重要だった。そして欲求は生み出され、それはあなたの言うように「殆ど恋愛といってもいいし、性的悦楽ともいえる」

集団として生き残る、民族あるいは国家として存続していくには、他の国や民族との関係だけ考えていてもだめよね。世代から世代の生存を確実にするのは、性的な関係によるのよ。

だから、生き残りを呼びかけることは、性的な欲求を持とうと呼びかけることでもあるわけ。ヒトラーは「肉の肉」という言葉を使っていて、リーフェンシュタールはそこを取り上げているわけだけど、これは、アダムとイブ、そして性愛を呼び起こさせるために、彼が意図的に使ったんじゃないかな。

つまり、『意志の勝利』はある種の性的表現としても解釈できる。そこに出てくる映像は全て、優越性と力と強さに関するもので、言い換えれば、マッチョ的なもの。

冒頭には、上半身裸の美しい青年たちが早朝の霧の中に姿を現す場面があるわよね。男性の美しさを政治的軍事的パワーを結びつけることで、戦場での武勇と性的逞しさを結びつけている。


ウィラ:なるほど。それは考えたことがなかったわ。でも確かに、『意志の勝利』は、いろいろな形の男性パワーを見せた場面にあふれている。


エレノア:で、あなたが言ったように、『ヒストリー・ティーザー』は、『意志の勝利』と同じように、期待を呼び起こし、性的欲求をかき立てる

『意志の勝利』の冒頭でヒトラーが殆ど登場しなかったように、MJも殆ど姿を現さない。本当に、MJが見えるところは少ないわよね。でも、彼が現れるところは本当に面白いの。彼の美しい笑顔が大写しになる前に私たちが見るのは、セクシーなブーツとぴったりしたパンツ。それから彼が歩くところが見えるのだけど、その歩き方がすごい。もう威風堂々って感じで、圧倒的な自信に満ちているのね。

そして、彼は兵士たちに共感と敬意を示すために敬礼をして、場面は転換ていくんだけど、その敬礼の直前にカメラがフォーカスするのは… 彼の股の部分よ!すごく独特で、でもすごく効果的な、男らしさの表現よね。

でも、マイケル・ジャクソンによって体現される男らしさは、人間らしさもそうだけど、他の人間を征服することとはまったく関係なく、彼に対する欲求も、“bodice-rippers”(ヒロインが性的に暴行されるシーンを含む恋愛小説)に見られるような、征服されたいという欲求とも関係しない。

ナチス第三帝国の元にもなった帝国主義の根本原理が掘り起こされ、社会に急進的な変化がもたらされること、それは、地球や人類の生存を脅かし、人類の一員である彼自身の生存をも脅かされることであり、マイケル・ジャクソンは、自分のアートの力で、生き残るための新たな方法論、つまり、人々にとっての新しい欲望のありかたを生み出さなくてはならなかったのね。


ウィラ:それがあなたの本のタイトル『The Algorithm of Desire(欲望のアルゴリズム)』に結びつくわけね。つまり、私たちは一回りして同じところに戻ると…


エレノア:そう。どうしてそうなるかっていうと、欲求(欲望)の形が集団の存続を規定する。時代から時代、世代から世代への存続をね。

帝国はそのような存続の基礎を、「分断して統治する」(*2)というアイデアの元に作る。

急進的な変化に対して、マイケル・ジャクソンは、生存のための道(他国や他の国民への関与や性的欲望)を、「分断して征服する」という観念から、切り離さなければならなかった。そして、そのためには、性愛の観念も定義し直さなくてはならなかった。

私は、彼はそうして見せたと思ってる。私たちの感情の奥深くに届き、影響をあたえる自らの芸術の力を通して、彼は新たな連帯を生み出した。彼は私たちの脳の配線を変え、人々が惹きつけられるものに変化をもたらした。一人のスリムな若い男性が引き受けるには大きすぎる任務よね。それでも、彼はやり遂げた。


ウィラ:そうね。でも、性愛の観念を定義し直すということは、彼のキャリアの中で、ずっとやり続けてきたことよね。つまりね、彼は最初は黒人のティーン・アイドルで、世界中の何百万というティーン・エイジャーの欲求の対象だった。白人、黒人、アジア人、全ての人種のティーンたちが、彼を求めたのよ。それ自体が、とても力強い、性愛の新しい定義だったと思うの。

それと、彼は、先人たちとは非常に異なったやり方で、セクシーな存在になった。彼はこの上なく魅力的だったけど、マッチョ的な要素はなかった。男性がセクシーであるということの定義を変えたのよ。


エレノア:そう。女性たちもそれを肯定した。(*3)


ウィラ:面白いわね。じゃあ、あなたは、『ヒストリー・ティーザー』の中でマイケルがやろうとしたことは、軍事力や、性的暴力性といった、帝国主義の男らしさに結びついているものを壊すことだったと思うの?


エレノア:まさに、とてつもなく素晴らしい方法でね。だって、現代の記憶の中で、優越性を利用した体制としてもっとも悪名高いナチスドイツを引用するというのは、帝国主義を批判する最高の方法じゃないかしら。ナチスドイツを表現するとき、ヒトラーの演説と、リーフェンシュタールの芸術の両方のテクニックが見られる『意思の勝利』を、自分の言いたいことを表現するために使う以上の方法はないわよね。

私たちが話してきたように、『ヒストリー・ティーザー』は、マイケルの人生の中でも特に困難な時期に作られてはいるけど、もっと大きな視点で見ることもできる。マイケル・ジャクソンが世に出てきたのは、人々がこれまでの解決方法に自信を失い、新しい何かを探していたときだった。彼は、潮目が変わったことに気づいていた。「潮をよめ。満ち潮にのれば、幸運に通じる」(*4)彼は、その流れを捉えたのよ。

『ヒストリー・ティーザー』が私たちに見せてくれるのは新しいタイプのヒーロー、征服よりも慈悲に身を捧げるヒーローの姿ね。彼の芸術の力は、見るものの生き方を変えるほどに、心の奥底を揺さぶる。目も心も開かれて、私たちは物事を違ったふうに感じたり見たりすることが出来るようになる。死の舞踏ではなく、生命のダンスを踊りたくなるのよ。


ウィラ:そしてこの「新しいタイプのヒーロー」像はチャーリー・チャップリンの素晴らしい風刺映画『独裁者』にも見ることが出来るわね。この映画もまた、『意思の勝利』を引用しつつ批判する形で作られていて、『ヒストリー・ティーザー』に多大な影響を与えている。次の記事では、この映画に焦点を当てながら議論を続けていきましょう。

ではひとまず、ありがとう、エレノア。あなたのおかげで、たくさんのことが議論できたわ。


(ティーザーについての会話Part①を終了)


この会話の続き・・・


訳者註 ____________________


(*1)ラビ・シュムリーの名字

現在のワード検索では「シュムリー・ボティーチ」という表記も多いのですが、英語圏の発音として「ボティーチ」は遠すぎます。アメリカの番組などで彼が紹介されている際の発音に会わせて「ボテアック」を推奨します。


(*2)分断して統治する

分断統治の手法は、ローマ帝国時代や、あるいはそれ以前から存在したと言われるほど、歴史のあるもので、もっとも大きな統治としては、世界覇権国(帝国)が、各国を統治するため、各隣国との交流を制限し、周辺諸国がまとまって、帝国に襲い掛かることを防ぐための方法。

◎参考記事[世界史の窓]分割統治

http://www.y-history.net/appendix/wh0103-023.html

たとえば、現在の世界帝国であるアメリカと敵国関係にあった日本の場合、敗戦後、中国、韓国・北朝鮮、ロシアと独自に交流をもつことは、米国によって厳しく監視されている。また、国内政治においては、権力者層が社会を統治しやすくするため、外交問題をクローズアップし、内政に対する民衆の批判を、国の外側に攻撃の矛先を向けるため、仮想敵国を演出するという方法や、経済格差、人種、宗教、イデオロギーや、性的嗜好など、さまざまな分類を利用したり、また新たな枠組みをつくるなど、市民の結束を分断し、弱体化させるといったことが、反乱を防ぐために使用されている。分割統治の手法は、政治だけでなく、経済分野においても、さまざまに利用されています。

◎参考記事「サラミ戦術」

https://ja.wikipedia.org/wiki/サラミ戦術

右翼、中道主義、左翼、それぞれの中で意に沿わない者を分類し、より細かく(分割)していくことで、各勢力の弱体化を図り、独裁体制を完成させていくような手法。

ヒトラー率いるナチスも、潜在する反対勢力に対し部分戦略を用い続け、対立政党だけでなく労働組合も滅ぼし、既存の組織は次々に、ナチ党の傘下組織に取って代わり、最高法官として全権が委ねられたヒトラーは、最終的に全市民に対する生殺与奪の権利を掌握した。

また、安倍内閣不信任決議案の演説で、枝野幸男氏は、平成25年7月29日に開催されたシンポジウムでの麻生副総理の発言を引用し、こう述べています。

「3分の2という話がよく出ていますが、ドイツは、ヒトラーは、民主主義によってきちんとした議会で多数を握ってヒトラーは出てきたんですよ。ヒトラーは選挙で選ばれたんだから、ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。だから静かにやろうやと。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった、あの手口学んだらどうかね、ワーワー騒がないで。本当にみんないい憲法だとみんな納得してあの憲法変わっているからね」。

結論部分を除けば、私も認識は一緒です。まさにナチスドイツは武力クーデターで独裁を作ったのではないんです。ワイマール憲法という、当時の世界においてはもっともと言っていいくらい進歩的な憲法のもとで民主的なプロセスを経て権力を握り、そうやって得た国会の議席の力で、いわゆる権力委任法という法律でワイマール憲法を事実上停止をし、そして独裁に走った、まさに時代認識はそのとおりです。その手法に学ぶというようなことを堂々とおっしゃっている。まさに今やっていることは、それそのものではないのでしょうか。

演説の動画)

https://www.youtube.com/watch?v=EtY6P7aj0gc

テキスト書き起こし)

http://tekitoeditor.hatenadiary.jp/entry/2015/09/20/183144


(*3)原文では、Eleanor : Yes, she said yes….で、ウィラの反応は、「Ha! That’s funny. 」なので、The Girl is Mineの台詞、Michael : Well, After Loving Me, She Said She Couldn't Love Another → Paul : Is That What She Said → Michael : Yes, She Said It, You Keep Dreaming と関連しているのかも。。


(*4)シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の4幕3場、

There is a tide in the affairs of men. Which, taken at the flood, leads on to fortune; Omitted, all the voyage of their life. Is bound in shallows and in miseries. 

人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その期をのがすと、一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう。

というセリフを下敷きにしていると思われる。


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by yomodalite | 2015-10-01 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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