HIStory Teaser, Part 1「意志の勝利」①

f0134963_11540094.jpg


☆この記事の「まえがき」はこちら

source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/


ウィラ:おそらく、マイケル・ジャクソンの作品の中で私を最も当惑させるのは、アルバム『ヒストリー』のプロモーションビデオで、「ヒストリー・ティーザー」の名前で知られているものでしょう。

大まかなところでは、1934年に作られた、レニ・リーフェンシュタールによる、ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』を基にしているのですが、この映画がマイケル・ジャクソンのビデオの発想のもとになるなんて、まったくありえないというか、私には信じられなかった。それで、このビデオについてどう理解していいのかと何年も考えてはきたものの、納得のいく答えは見つけられず、なにか重要な意味が込められているのに、自分にはそれが見えていないという、もどかしさを抱えてきました。


そんなとき、私たちの友人エレノア・バウマンが、『The Algorithm of Desire(欲望のアルゴリズム)』三部作を書くに当たって資料を精査してみたら、この論議を呼ぶ映像について新たな考察が出来るようになったと言うのを聞いて、俄然やる気が湧いてきて・・・ありがとう、エレノア。あなたが新たに見つけたことをぜひ聞きたいわ。



エレノア:こんにちは、ウィラ。マイケル・ジャクソンについて現在進行中のとても重要な議論に参加させてくれてありがとう。すごくワクワクするし、学ぶことが多いわ。ヒストリー・ティーザーに頭を悩ませているのは、あなただけじゃない。実際私もどう考えていいかわからなかったし、表面的に見れば、あのビデオはMJが誇大妄想狂だということの証明になってしまいそうだものね。



ウィラ:多くの批評家はそう解釈したわよね。ダイアン・ソーヤーは、1995年にMJとリサマリー・プレスリーにインタビューしたとき、そういう批評を紹介している。


批評家は、あのビデオを「ポップシンガーが、かつてないほど厚顔無恥に、空虚な栄光に彩られた自己神格化を大真面目にやった例」だと言った


というふうにね。彼女はまた、ナチスのイデオロギーを広めているように見える軍隊のイメージの使い方を問いただすのだけれど、マイケルはそれを否定する。するとダイアン・ソーヤーは、例のビデオを見せて、そのあと、自分も批評家の言っている通りだと思うと、かなりはっきり言うのよね。




(その部分はインタビューが始まって21分くらいのところ)




☆こちらの記事の後半で、

インタヴューの主要な発言を紹介しています

http://nikkidoku.exblog.jp/14511016/




エレノア:当然そうでしょうね。批評家もマスコミもMJを「理解」したことなんてないもの。ダイアン・ソーヤーもそうだったように、彼があれを「大真面目に」やっていると思い込むっていうのは、あのビデオの意図をまったく理解していない証拠。MJという人間を、彼が何をめざしていたかを理解する点において、そういった批評はまるで意味をなさない。


ただ、それでも問題はのこる。私たちがMJについて知っていることを前提にすると、ヒストリー・ティーザーにはどんな意味があるか、っていうことよね。だって、意味があるのは確かなんだから。『ヒストリー(彼の物語)』は、主人公である男と同じように、謎だらけ。でも、その謎には手がかりが示されている、一見何でもないようなところにね。掘り下げて考えていくと、表面的には意味が無いように見える事柄の底に、隠されたロジックがあるということは、今までの経験でわかるのよね。



ウィラ:ええ、それは私も経験してきたつもり。最初は本当に訳がわからなかったり、不快感さえ感じたりするビデオ作品、たとえば『スムース・クリミナル』とか『ユー・ロック・マイ・ワールド』とかね、そういう作品は、理解するための鍵を見つけると、もの凄くパワフルな作品だとわかったもの。



エレノア:そうなのよね。そして、ヒストリー・ティーザーも例外ではない。アルバム『ヒストリー』のティーザー(まえふり広告)とされているけど、この映像はそれ自体がひとつの芸術的な作品になっている。これは、マイケル・ジャクソンのストーリー、「彼の(his)」ストーリーで、当時語られていた、ゆがんで偏見に満ちた彼についてのストーリーを、彼自身の側から語ったものよね。


『ヒストリー(彼の物語)』というタイトルが示すとおり、この作品はマイケル・ジャクソン自身の個人的な物語、彼の置かれている立場や、広い意味での歴史とどのように呼応しているか、もっと言えば何を象徴しているか、を示している。だから、この作品の中には『意志の勝利』を含め、いろいろな映画の引用があるんだけど、それらは、マイケルが自分の立場を説明し、私たちに理解してもらうのにふさわしいと判断したからこそ、取り入れられているのよね。


『デンジャラス』は、スーザン・ファストが『DANGEROUS(33-1/3)』の中で言ったように、大人のマイケル・ジャクソンを記念する作品であったわけだけど、『ヒストリー』は、アルバムもビデオも、文脈(コンテクスト)の中での、彼という人間を描き出している。その文脈とは、明確なビジョンを持ったアーティストとしての文脈であり、アフリカ系アメリカ人という文脈であり、帝国の文化としての文脈。痛烈な政治批評であり、文化についての鋭い分析であり、個人としての力強い宣言でもある。そこには、いままで隠されてきた、彼の複雑性、知識や、思考の深さなどが明らかになっている。


ウィラ、あなたや、このサイトに登場している人たちがしばしば指摘していることだけど、マイケル・ジャクソンの創り出す不調和は、多くの場合、私たちを不快にさせる。そして、私にとって、そういった不調和の中での最たるものが、ヒストリー・ティーザーに登場するマイケル・ジャクソンよね。現代史においてもっとも邪悪で、抑圧的な軍事独裁体制の象徴に囲まれて、これらのイメージとMJが並んで存在することと、自分の知っている彼の人物像や、彼の生き方とがかみ合わない。「いったい何考えてるの?」っていう感じ。そこには大きなリスクがある。でも、マイケル・ジャクソンという人は、常にリスクをとる人なのよね。



ウィラ:私もそう思うわ。そこが、アーティストとしての彼を決定づける特徴ね。



エレノア:でも、マイケル・ジャクソンが考え無しに何かをやるということは、一度だって無かった。だから、ヒストリー・ティーザーがリスクの高い作品だということはもちろんわかっていたはず。特に彼が直面していた状況を考えるとね。彼には、自分の声を人々に届ける方法が必要だった。そして、彼はそれを「HIStory(自分の物語)」に見つけ、「HIStory(彼の物語)」は私たちを挑発した。つまり注意を向けさせるということね。彼は、私たちを不快にすることで、疑問を投げかけ、表面以上のものを見せようとした。



ウィラ:そして、ダイアン・ソーヤーのインタビューで言っているように、それこそが彼の目的で、マイケルは「みんなの注意をひきたかった」と言っている。



エレノア:ほんと、たしかに私の注意はひいたわ。それで、この作品を考察するにあたって、丁寧に、映像のひとコマひとコマの行間を読むようにしていくと、これを作った人がどんな人間であり、どんなことを訴えようとしたか、より深く理解することが出来た。そして、彼が成し遂げようとしている仕事の凄さ、大きさもより理解できて、最終的には、この作品が彼の不屈の精神と未来への揺るぎない希望の証だということがわかった。


彼は、他の人なら完全につぶされていたような、世間をあげてのバッシングの的になり、警察からの暴力を受け、サンタ・バーバラ郡の検察からは執拗につきまとわれ嫌がらせを受けた。検察は、有罪の証拠は不足し、無罪の証拠は山とあるなかで、一見してまったく意味をなさないような攻撃をしたのよ。彼は、文化の歴史という観点から、自分に押し寄せたそれらの事柄を分析して、その背後にあるものを見つけようとした。『ヒストリー』はその分析の結果を私たちに見せてくれている。『ヒストリー』で、マイケル・ジャクソンは、自分を告発する人たちと自分の立場を逆転させている。つまり、自分を罪人にしようとしている社会の罪を問うているのよ。


悪の帝国と結びついたイメージを使いながらも、そのイメージと、世界を癒やすことを心の底から望んでいる男のイメージとを並立させることによって、『ヒストリー』はマイケル・ジャクソンの価値観と、彼を追い詰めていく人々の価値観を対比させ、それらの異なった価値観を明らかにし、新しい種類、新しい種族の文化的ヒーローを表現することによって、マイケル・ジャクソンへの悪意に満ちた攻撃は、恐れから発しているのだ、という議論を引き起こしている。


その恐れとは、マイケル・ジャクソンは、生き方においても芸術においても、帝国主義的な社会、つまり、人々を統合するより、分割していくこと(*1)、多くの場合、人種で人を分割していくことによって支えられている社会の前提を崩してしまうのではないか。という恐れよね。


『ヒストリー』は、マイケル・ジャクソンへの攻撃がどんな性格を帯びていたかを、政治的文化的な見地から、断固としたアプローチで明らかにした。それは、彼の政治的文化的パワーの証明になり、彼が象徴した、そして象徴し続けている体制への脅威の大きさを表しており、そのパワーと脅威は、スーザン・ウッドワードが、彼女自身の興味深い著書『Otherness and Power』で認知し分析したものね。



ウィラ:スーザンの著書からは、私も多くを学んだわ。実を言うと、彼女はその著書について私と話をしてくれることになっているの(*2)。でも、『ヒストリー』についてあなたが言ったことに戻ると、たしかにこれは1993年の疑惑後、初めてのアルバムで、ヒストリー・ティーザーは、その発売の幕開けとなるものだった。そして驚くべきことに、彼は自分のことをなんと言われようと、警察やマスコミからどんな目に遭おうと、恥じて沈黙することなど決してしない、ということをはっきりさせたのよね。ヒストリー・ティーザーは、大胆な挑戦状なのよ。


でも、あなたもこのフィルムの「政治的かつ文化的」イデオロギーの背景に、彼が真っ向から挑戦したと考えているのは興味深いわ。とにかく、彼の主張そのものではなく、その主張方法というか、既存の偏見を利用することで、文化的な怒りを引き出すという方法について、まず、聞きたいんだけど。



エレノア:ではウィラ、私の考えを述べさせてもらうわね。あなたが言ったように、この夏、本を書いている時、帝国主義と人種差別の関係について考えていた。もっと詳しく言うと、マイケル・ジャクソンを論じるに当たって、帝国主義的な文化的価値観が果たした役割について考えていたんだけど、このヒストリー・ティーザーの「帝国主義的」イメージが頭から離れなかったの。


私の本は、全体としては、社会のあり方を形成していく神話の力について述べているんだけど、特に論じているのは、


「創世記」にある創造神話が、肉体を持たない神が、物質を超越するという考えを浸透させることで、いかに帝国主義的な社会を形成し、維持していく力になったか、ということ。


「創世記」は、神という超越した存在を、自然や物質的な世界と切り離して、神聖なものとする。神は全てを見守り、自分と似た姿の人間を作り、その優越性に基づく世界観や価値観を、分離と階層を基本に構築する。自然から人間を切り離し、肉体を精神と分離してね。


西洋キリスト教社会の歴史では、どの帝国も次々とこの世界観、つまり、ある選ばれたグループや人種が、完全な「神の似姿」として作られ、それゆえ「完全な人間」だとする考え方を利用してきた。


選ばれた者たちは、その他大勢の上に位置し、他を支配し、物質よりも精神と強く結びつくと考えられ、支配される側は、肉体と結びつけられる、精神なき肉体というわけね。そういう者たちは、総じて文化的に価値の低いことや、肉体労働を引き受け、半人前の人間として扱われる。人間扱いされない場合さえある。たとえば、アメリカの憲法では(第一条第二項)奴隷は、自由人の16分の1の価値しかないとされていたのよ。



ウィラ:ちょっと前の記事で、あなたと話したのは、この「優越性」のイデオロギーと、それがどのように女性嫌悪や人種差別に結びつくかという話だったわね(*3)。その記事の中で私たちは、


「優越性」がキリスト教・ユダヤ教文化における中心的コンセプトだということを議論し、マイケル・ジャクソンは文字通り新しいイデオロギーを体現していて、それは、「神の内在性」ということだった。


あの議論はすばらしかった。あれで私の世界を見る目が変わったくらい。あなたはまた、この優越性のイデオロギーが、人間と環境にもたらす恐ろしい結果についても説明してくれたわよね。



エレノア:ええ、私にとっては、マイケル・ジャクソンの文化的重要性は、彼が神の内在性を体現していたという事実なの。優越性に基づく世界観に対抗するものを体現することで、彼は反帝国主義をも体現していた。だから、『ヒストリー』において彼が、今までに作られた帝国主義のプロパガンダとしてもっとも有効な作品であった『意志の勝利』にふれたことは、すごく重要なこと。


私は、『意志の勝利』はナチ体制がその権力の頂点にあったときに製作されたもので、ナチスの重要な集会をそのままドキュメンタリーにしたものだと思っていたのね。でも実際は、あなたが指摘したように、あれは1934年という早い時点で撮られていて、あの集会は撮影用にリハーサルを行った上で構成されている。だから、


リーフェンシュタールは事実を記録したのではなくて、映像を使って事実の構築をしている。その映像は、ナチの世界観を反映しているだけではなく、創り出してもいる。リーフェンシュタールはナチスドイツを創造し、維持していくための神話を創り出そうとしたのよ。



ウィラ:エレノア、それはすごい指摘ね。



エレノア:2003年の彼女の死去のすぐ後に書かれた記事によれば、「いまの社会主義国国家が発表するドキュメンタリーは、必ずこの映画のシーンを取り入れている。この映画ほど、私たちの社会主義国家に対する視覚的イメージを作り上げたものは無い」とのこと。



ウィラ:それはすごく興味深い問題で、私が長い間深い関心を持ち続けてきたことと結びついているわ。事実を反映するだけでなく、事実を生み出す、芸術の力ということにね。



たとえば、18世紀に、ふたつの非常に重要な潮流が同時に起こっている。それまでにはなかった新しい社会階層(中産階級)の隆盛とそれまでなかった新しい芸術形式(小説)の隆盛ね。『Desire and Domestic Fiction(欲望と家庭のフィクション:小説の政治的な歴史)』(*4)の中で、ナンシー・アームストロングは、この新しい文学形式は、単にこの新しい社会階層の興味を反映しているのではなく(評論家は小説を中産階級の複雑な歴史を表すものと見る傾向があるけれど)、小説が新しい階級の形成を助けていく側面があった、と言っている。アームストロングが言っているのは、


小説が、人間は社会的な地位でなく精神のありようで判断されるべきだという新しい社会認識を生み出し、この新しい認識が社会の流動性へのイデオロギーを生み出し、それが中産階級の登場につながった、ということ。


このプロセスは、『意志の勝利』についてもまったく同じことが言える。あの作品は、現実にナチのイデオロギーが民衆に受け入れられている場面を記録していると言うよりも、ナチが勝利をおさめればこのようになるだろうというビジョンを提示している、それによって、勝利が現実になることを助けているわけ。


マイケル・ジャクソンにもすごく近いところがあるんじゃないかと思うのね。作品を通して、彼はパワーのある芸術を創造しているだけじゃなく(それはもちろんやっているのだけれど)、社会的な変革を可能にするための新しい文化的覚醒を生み出そうとしたんじゃないかって。彼が私たちに見せてくれるのは、いかに今の社会の構造がいかに失敗しているか、特に社会から排除され無力な状態に置かれている人たちにとってはね。そして彼は、新しい文化の可能性を提示している。



エレノア:まったくその通りね。彼は、あなたが言ったように、「社会的な変革を可能にするための新しい文化的覚醒」を生み出そうとしている。マイケル・ジャクソンは、リーフェンシュタールと同じく、私たちの世界観に影響を形成し、影響をあたえる芸術の力、この場合は映像の力を理解していた。


『ヒストリー』にリーフェンシュタールを引用したことで、彼は自分もまた神話を作ること、それも新しい現実を生み出す、新たな神話を作ることを宣言している。


でも彼は、メディアや評論家が考えたように(ダイアン・ソーヤーのところの引用参照)お祭り気分で新たな帝国の建設準備をし、自分を神格化しようとしたわけじゃない。


彼の神話の最も重要な点は、誰もが平等であるということで、彼は帝国主義の神話を根こそぎ否定しているのよね。


『ヒストリー』のリーフェンシュタール風の映像、つまり記念碑的建造物や、広大な大通り、広場、ビッチリと密度の高い長い列を作って行進していく男たち、そういうものが多くの人に、帝国の栄光ではなく、ナチスの残虐行為を思い出させるということを、彼はわかっていたはず。それでも彼は、批評家やメディアはだめでも自分のファンたちは、マイケル・ジャクソンの信念とアドルフ・ヒトラーの信念の違いを理解してくれるだろうと信じていたのよ。


興味深いことに、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンであるMJは、ナチスがユダヤ人と同じくらい見下していた人々の代表でもある。退廃的なアフリカ系アメリカ人の音楽(当時はジャズのこと)を聴くことは、ナチスによって禁止されていたし、拘留や、ときには死刑で罰せられることもあった。いわゆるアーリア人とその文化を純粋なものにする運動の一環としてね。ここにナチスのジャズに対する恐れや嫌悪についてのすごく面白い論文があるんだけれど、それによるとね、「ナチスに占領されたヨーロッパでは、…ジャズは抑圧された…それは不道徳と革新と情熱の象徴であり…全体主義者が眉をひそめたくなる全ての資質を兼ね備えていた(反ファシストの理論家セオドア・アドルノもジャズに関してはあからさまな嫌悪を持っていた)」とあるわ。



ウィラ:それはとても重要な問題ね。この6月のコメント欄で(*5)Midnight Boomerさんと Ultravioletraeさんが話してくれるまで、私もよく知らなかった。このことをもっと深く議論して、いつかみんなで記事を作りたいわ。。。でも、まずは、


ヒストリー・ティーザーで、マイケル・ジャクソンは、帝国と帝国主義についての物語を呼び起こし、その書き換えを行ったという話よね。



エレノア:そうね。「ヒストリー」は、兵士たちにソビエト連邦の制服を着せて、グーラグ(旧ソ連の矯正労働収容所)やKGB(Stranger in Moscowで「僕をつけまわしてた」と歌った)の記憶を呼び戻した上で、あらためて帝国主義を葬ろうとした。そこに、のちにアフリカ系アメリカ人の居住区で、ドアをぶち破り、職務質問をかけることで悪名をはせた、アメリカの特別機動隊を加えることで、ヒストリー・ティーザーはさらに一歩踏み込んで、帝国の悪を、身近な、ひとりひとりに関係あるものとして描き出す。


ソビエトの全体主義と、身近な存在であるアメリカの国家警察を、ナチスのファシズムと結びつけることで、ヒストリー・ティーザーは、過去、現在にわたる、3つの帝国的な抑圧の形を組み合わせた。その組み合わせに、並外れた洞察力と偉大な精神を持った黒人アーティストであるマイケル・ジャクソンと、彼の個人的、人種的な歴史を加えることで、この作品は、私たちに過去を思い出させ、それは彼の過去も含めてね、未来への希望を与えるものになっている。



ウィラ:そして、私たちは彼の他の作品から、この帝国主義の問題が、彼にとって重要なものだとわかる。彼は繰り返し、私たちの過去の植民地主義をさりげなく思い出させるということをやっていて、植民地主義や帝国主義の、後々まで続く結果を批判している。たとえば、そのことについては、『Black or White』や『They Don't Care About Us』や『Liberian Girl』のショートフィルムについての記事で、少し話したことがあったわよね。彼が、帝国主義の影響が長く尾を引くことをずっと懸念していたということは、ヒストリー・ティーザーを考察する上で非常に重要な背景だと思うのね。


それで、あなたは、ヒストリーのなかで、彼は、それまで抱き続けてきた帝国主義への懸念を、ファシズムやその他の独裁主義的な社会構造へと広げていったと思っているわけね?すごく面白いわ。それがわかると、どうして彼が『意志の勝利』を手本にしたか、説明しやすくなるわね。(②に続く)


訳者註__________


(*1)人々を統合するより、分割していくこと… ここでは、「分割」という言葉にしましたが、この文章の中で、度々登場する帝国主義の基本原理である「分断して統治する」と同じ意味です。他の国と比べ、アメリカは世界覇権国として、他の国を統治し、戦争を遂行するために、国内政治においても「分断政治」を基本とし、社会主義を徹底して嫌い、人々を、人種、宗教、イデオロギー、性別、性的嗜好、経済力・・・だけでなく、自由や、個性といったことまで含めて「違い」を強調することが前提となっています。アメリカニズムと同じ意味だとも言われるグローバリズムによって、同質社会傾向が強かった日本も急速に「分断」が進みつつあります。


(*2)Michael Jackson’s Otherness and Power

(*3)In My Veins I’ve Felt the Mystery

(*4)日本語の参考記事:http://d.hatena.ne.jp/toshim/20060601

(*5)Lessons in HIStory



[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/24488441
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by jean moulin at 2015-11-12 18:38 x
Yomodaliteさん、こんにちは
HIStory Teaserの記事、Part1からゆっくり読み直しているとことです。
まずは、ここで話されている事を、私自身が確認して、理解して行こうという感じなので、この後、言及される事や、どこか別のところで、Yomodaliteさんが書いている事と重なる事もあるかもしれないけど、許してね。

まずいきなり、「その恐れとは」に続くボールド部分がよくわからなくて、英文みてもわからなくて、付き合わせるのも四苦八苦。
注釈も読ませていただいて、深呼吸して活性酸素を取り入れてみたり、あめなめて、糖分を補ってみたりしたんだけどなかなかわからない。
けど、ここを理解できなかったのは、帝国主義に対する認識の薄さが原因で、私のぼんやりしたとらえ方は、帝国主義は統合(unite)する事で、そこにおいては分割(divide)を基礎とするという事をあまり理解してなかったからだと気がついた。(まえがきにも書いてくれてたのに・・)その後は、お二人の会話の前提がわかり、理解しやすくなった。

このアメリカ人のMJに対する「恐れ」というのも、とても重要な要素だと思う。
ヨーロッパ人は圧倒的な精神に対する自負を持って(だって神様みたいだから)、帝国主義を推し進めて行けた。けれど、アメリカ人は精神性においては、ヨーロッパ人にコンプレックスを持ちながら、アフリカ系アメリカ人の現前する資質と向き合わなければ行けなかったわけで、それはそれは怖かったろう。
ましてや、MJはその精神性と物質性を、これまでの歴史にはなかった側面から示してくるのだから、恐怖からの回避にじたばたするのも当然だと思う。

「神の内在性」もすごく気になるけど、この英文は読めないし(泣)、でも、二人の会話を読み進めると何かわかる事があるんだよね。

と、こんな感じのまったくきれのないコメントが時々入るかもしれないけど、ごめんね。

いやーそれにしても、Part1だけでもかなり変な汗かいたんだけど、あらためてYomodaliteさん、Childspritsさんがどれだけご苦労されたかを思い、ひたすら敬意を表します。
Commented by yomodalite at 2015-11-12 19:34
>英文みてもわからなくて、付き合わせるのも四苦八苦。

だよねぇ。。ふたりであーだ、こーだと侃々諤々、1パラグラフで、翻訳が完成するまでに1ヶ月ぐらいかかったこと箇所もあったりして。つーぐらい、時間かかってるの。

日本語でも文脈が辿れるような言葉を選ばないといけないし、で、それを選んで、もう一回訳文を立て直して、そこから、極力読みやすくするために、全体を彫刻しなおすみたいな・・Part1は、特に時間かかってるんだよね。

>あめなめて、糖分を補ってみたり

私たちの「マイケル太り」っていう感じ、ちょっぴりわかったでしょ(笑)

>「神の内在性」もすごく気になるけど・・・でも、二人の会話を読み進めると何かわかる事があるんだよね。

「神の内在性」については、Part 1だけじゃないかなぁ。。といっても、Part3は、まだせいぜい半分ぐらいなんだ。

>yomodaliteさん、Childspritsさんがどれだけご苦労されたかを思い・・・

ありがとーーーーーー!
結果はどうであれ、とにかく苦労だけは目一杯させていただいてますw
Commented by jean moulin at 2015-11-14 18:59 x
>「マイケル太り」って感じ
わかるぅーー
訳していただいた日本語だけ読んでると、違和感なくて、すらっと読んじゃうんだけど、ひとたび英文読むと、この、英語をよくぞ、ここまでって感じ!

もう、遠慮なく太っちゃって(凄)
Commented by yomodalite at 2015-11-17 16:52
Part 1と2では、統合と分割を頭に叩き込んで意識してないと日本語にできないとこ、いっぱいあって、そこが一番の重要ポイントだと思ったんだけど、

>「神の内在性」もすごく・・・この英文は読めないし(泣)

うん。。私もそのリンク先まだ読めてない(泣)、でも、「神の内在性」については、Part 1だけじゃないかなぁ。って言っちゃったけど、そのワードが出てくるかどうかについては、まだ最後まで読めてないので、わかんないんだけど、

Part 3では、moulinさんに調べてもらった「レッド・オクトーバー」や「ターミネーター」や「地獄の黙示録」という映画が登場するんだけど、例えば、「レッド・オクトーバー」の最初の方に、主人公のロシアの船長(ショーン・コネリー)の部屋に、ヨハネの黙示録が置いてあるとか、「地獄の黙示録」で、カーツが「金枝篇」や「The Hollow Men」を読んでいるとき、彼らは「神の内在性」に触れていると言えなくもないよね(レッドオクトーバーに関しては、艦長が狂人なのか、どうなのか、観客に迷わせるという意図の方が大きい気もするけど)。でも、監督のコッポラがエンディングでものすごく苦しんだっていう話なんかも、マイケルのそれと比較して考えてみることができるし、

Part 3は、ヒーローがテーマで、それはマイケルが「KING OF POP」を背負って、様々な「王」について考えたことが登場するから、やっぱ、すごく関係あると思う。

マジでいっぱいいっぱいなんだけど、やっぱリンク先も読んでおかないと・・・って気がしてきた(ぐっすん)

>もう、遠慮なく太っちゃって

このブログの終りは「マイケル太り」のため。ってことで間違いなさそう(泣)
Commented by jean moulin at 2015-11-17 18:24 x
>Part 1と2では、統合と分割
そうだね。
「神の内在性」に踏み込むところはないみたいだね。
それにしても、読む度発見のある内容で、またその翻訳のすばらしさに感嘆してしまうわ。

>「ターミネーター」や
ん?
という事は、やっぱり最初の音楽は「ターミネーター」だったのかな?
楽しみー

>やっぱリンク先も
まずは、Part3に専念して!
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2015-09-28 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(5)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite