シャーリー・テンプル ー 私が育ったハリウッド(上・下)

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私が初めて、マイケルとシャーリー・テンプルとの関係について知ったのは、オックスフォードスピーチだったと思います。そこでは、「ふたりは会ってしばらくの間、言葉も交わさず、ただ涙した」と言うような表現がされていて、シャーリーのことを巻き毛の金髪がかわいい1930年代頃の子役スターというイメージしかなかった私は、マイケルが会いに行ったとき、すでに彼女は人々から完全に忘れ去られ、消息を探すことさえ困難で、財政面でも精神的にもとても悪い状態だったのでは… と想像していました。

それで、数年前に初めて『MJ Tapes』で、シャーリーとの出会いの部分を読んだときも、マイケルが、かつての子役スターを慰めるために、彼女を訪問したのだと思って飛ばし読みしていたんですが、翻訳を公開するうえで、再度読み直してみたら、まるっきり逆だったので驚いたんですよね(自分の英語力のなさが怖い)。(→「マイケルとシャーリー・テンプル:深くつながる心」

そんな反省もありつつ、数年ごしで、マイケルとシャーリーの出会いの部分を公開することになった、この機会に、マイケルが最後の最後まで「心の糧」とした女性の魅力について、ちょっぴり知りたくなったので、会話の中に登場した『Child Star』を読んでみました。

『MJ Tapes』では、「僕はまだ読んでいないんだ」と言っているので、正確には、愛読書の認定はできないのですが、この会話のあと、MJはより大きな困難に見舞われ、また、それを乗り越えたあとのステージを準備していた2009年でさえ、彼女のことを「心の糧」としていたことを考えると、やっぱり、その後に読まなかったとは思えないんですよね。


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THIS IS ITのリハーサルでも彼女のバッジが胸に



では、前置きが長くなりましたが、

本書は、1988年に出版されて、アメリカで大ベストセラーになった本で、、、

(下記の青字は本書を要約して抜粋したもの)

ふたりの男の子のあと、女の子を熱望した母親、ガートルードは34歳でシャーリーを妊娠し、女性的本能のありったけを総動員して、ラジオのクラシック音楽を聴き、文学書を声高に読み、美術館をめぐり歩き、途中わざわざ立ち止まってはその建築的な美しさを称賛し、映画館では、同情の涙をそっとぬぐいながら、ロマンティックな映画の音響や刺激に、まだ生まれていない子供をさらしただけではまだ飽き足らず、花々や自然の美しさについて感想を述べながら海まで歩き、うちよせる波のリズミックな音、太平洋の風に鳴る椰子の美しい景色、、

などなど、とにかく胎教を最大限、重視した母親によって生まれたシャーリーは、プロのダンサーとして訓練をさせたいという母の願いによって、3歳になるとすぐに、ミセス・メグリンのダンス教室に通うようになる。

私は彼女の映画を見たことがなく、『MJ Tapes』の翻訳のために、動画を断片的に見ただけなのですが、その中で印象に残った、伝説のビル・“ボージャングルス”・ロビンソンは、シャーリーよりもずっと前から有名人だと思っていたのですが、当時7歳だったシャーリーは、彼をほぼ同時期に映画出演のチャンスを手にいれた、もっとも相性のよかった「相方」と考えていて、

その頃、映画界で黒人が活躍する機会は限られていたが、この不利な点にさえ彼の気はくじけなかった。賭け事好きのスポーツマンタイプの男で、酒も飲まず、女を追いかけもせず、幸せな結婚をしており、幸運の女神を絶対的に信頼していた。大きなチャンスを狙って西の方にウィンクを送りながら、彼の職業上の救いが、ミセス・メグリン・ダンス教室の「一群の子供たちが作り出すさざめきと混乱のなかにあろうとは、誰にも予想できなかった。とりわけ、ビル・“ボージャングルス”・ロビンソンその人にとっては、思いもよらぬことだった、と。

また、ビル・ボージャングル・ロビンソンは、「神様はシャーリーを唯一無二の存在として創られた。あの子に続く者は二度と現れないであろう」と述べているそうです。引退後に外交官となり、ガーナ大使となった彼女には、成人後も人種的な偏見がなかったように感じられ、そういったところもマイケルが愛した理由だったように感じました。

シャーリーはデビュー前にかなりのダンス訓練をうけていて、子役の可愛らしさでスターになっただけでなく、今でも彼女の歌が教科書に載っているほど、彼女は歌と踊りで魅了したミュージカルスターだったのですね。







その他、この本に書かれていることは、私にとっては知らないことが多すぎて、また、彼女のような女性が自分のきもちを表現しようとしたエッセイを、魅力的な日本語にするのはむずかしいからか、意味が通じない箇所がかなり多いうえに、上下巻のボリュームがあり、最後までかなりガマンを強いる読書だったことは確かで、おすすめすることはできません。

彼女について知るうえでは、シャーリーのWikipediaは詳細で、自伝を読んだあとでも、概ね、客観と主観の違いしかないように感じました。


清教徒として生まれ、明るく健気、楽天的で清楚というイメージのシャーリーは、国民の誇りとして、二度目の結婚の際は、懇意にしていたFBI長官が部下に素行調査をさせるほど、アメリカ社会の上流階級から守られた存在で、85年の生涯すべてにおいて彼女の地位は揺らくことはなかったと、そこにはあるのですが、

しかし、ダイアナ妃や、ジャクリーヌ・オナシスなど、マイケルには上流階級の女性の優雅さを好むところがありましたが、ふたりはいずれも世紀の悲劇に見舞われ、ダイアナ妃はメディアの魔の手から逃れられなかったことで生涯を閉じました。

恵まれた生まれであっても「悲劇のヒロイン」になったプリンセスはめずらしくありません。

また、MJの親友、エリザベス・テイラーも、少女時代からスターとして、晩年まで過ごしましたが、彼女が本当に「大女優」になったのは、成人後のことであって、シャーリーのように少女時代に、その「子供らしさ」で、アメリカを代表するような国民的スターになり、そこから最後まで道を外れなかったというのは、これまで誰も成し得なかったことです。

彼女の輝かしい人生は、差別を受ける黒人として生まれ、メディアから最大限の逆風をうけたマイケルとはかなり異なっているようにも思えます。

「ほとんどの子役スターは、ハリウッドの子役時代に対して何らかの心の傷を抱えている。しかしシャーリーは、ハリウッドという危険な虎の穴に入って、その体験を楽しみ、けろりとして無傷で出てきたほとんど唯一の存在であった」(Wikipediaより)

この「けろりと無償」の裏に、どれほどの辛さがあったか、それは、彼女を生涯「心の糧」としたマイケル以外にはわからないことなのかもしれませんが、

どんなビッグスターとも比較にならないほどの飛び抜けた売り上げを誇ったシャーリーには、仕事のプレッシャーだけでなく、誘拐をはじめとした、他の子役スターが経験しなかったほどの様々な恐怖があったはずです。

無垢で明るい魅力を保ち続けることほど「強さ」を必要とすることはないのだ。と彼は感じていたのではないでしょうか。

私は、シャーリーの自伝を読んでいて、ダイアナ・ロスの自伝のことも何度か頭をよぎりました。翻訳のむずかしさはあるものの、シャーリーの自伝は、彼女の文才や知性を感じさせるものでしたが、ダイアナの自伝はどちらかといえば、その逆で、読者が聞きたいと思う部分を避けたというだけでなく、感情をそのまま綴ったような文章からは、彼女が矛盾を抱えたまま、ただ前を向いて突き進んできたことだけが伝わるようなものでした(特に公私ともに関係の深かったベリー・ゴーディへの記述は二転三転し、矛盾に満ち溢れている)

ただ、マイケルが生涯尊敬し続けたふたりの女性には、共通点もあるようにも感じられたんですね。

シャーリーは、生涯アメリカ社会の富裕層の一員として過ごし、彼女の生きかたには国家が奨める「模範」と言っていい「正しさ」が感じられる一方、ダイアナは、貧しい黒人家庭に育ち、シンガーとしての成功だけでなく、不倫や、奔放な恋愛で世間を騒がせ、芸能界の熾烈な争いから、彼女の周囲で傷ついていったライヴァルたちのことも度々取り上げられてきた。

その生き方に憧れ、真似したいと思うとき、彼女たちの支持者は、それぞれ重なっているようには思えないのですが、シャーリーはアメリカ社会の富裕層にふさわしいと思って、自分のスタイルと決めたわけではなく、また、ダイアナも、どんなに後ろ指を指されても自分の選択に恥じるところはないと思っていた。

人は様々なものさしで、自分が信じる「正しさ」を判断するものですが、マイケルにとって、もっとも重要なのは、大人の良識ではなく「無垢な心」で、それは、誰にとってもこうするのがいい。という規範があるものではなく、激しく批判されても、貫き通す「強い心」を養うことで守られるものであり、ひとり歩んでいく孤独に耐えることだと、彼は考えていたのではないでしょうか。

彼は、実の母とダイアナの両方を、自分の子供の後見人に指名していましたが、熱心な信者としての生活を第一に考え、何度夫が浮気をしたり、外に子供を作っても離婚しなかった母親と、ダイアナも180度違った生き方をしているようですが、マイケルの母も、自分の信仰を子供や、ほかの誰にも押し付けることはなく、「ただ、自分が信じる道を、ひたすら自分の努力によって進んでいく人生」という意味では共通していて、それは、マイケル自身にとっても、自分の子供たちへのメッセージとしても、そうあるべきだと思っていたのではないでしょうか。

また、シャーリーとダイアナは、ふたりとも母親からの教えをとても大事にしていて、マイケルも母への感謝を常に語っていましたが、彼自身は自分の子供に母親を与えなかった。マイケルには「そうでなければならない」条件のようなものより、なにかもっと「大事なもの」を瞬間瞬間で感じとるセンサーがあって、私は、そこにいつも行き当たりばったりの「感性」と呼ばれるものではない、どこか一貫した「論理性」を感じるんですね。

そして、読みにくく、決して理解できたとは言えないシャーリーの自伝にも、ときおり、それと同じ類いの知性が感じられました。


______________

註)この上下巻には、シャーリーが生まれてから、22歳で二度目の結婚をし、映画界を引退するまでが描かれています。『MJ Tapes』の中で、マイケルが「いま彼女は2冊目の本を書いている」と言っていた本は、政界に入って外交官を務めていた頃からを取上げて執筆していたようで、二巻になる予定だったそうですが、最終的に出版されなかったようです(要確認)。






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by yomodalite | 2015-09-15 06:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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