21世紀の自由論/佐々木俊尚

21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚)

佐々木俊尚



21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ (NHK出版新書)

佐々木 俊尚/NHK出版



元々政治に疎く、ずっと長いこと政治に期待を感じられずにきた私だが、昨今の政治状況が一段と行き詰っていて、来るところまで来ていることくらいはわかる。最近では選挙があるたびに、投票したくなる候補とてなく、脱力感にさいなまされる。ただ、どうやら私一人感覚が歪んでいるということでもないようだ。誰に聞いても、判で押したように同じような感想が返ってくる。ここ数年は、疎いとばかりも言っていられないため、自分なりに日本だけではなく、国際政治についても多少は勉強してみたつもりだが、知れば知るほど混乱の極みにあることがわかってくる。自分なりの政治思想というか、政治スタンスを確立しようと試みるのだが、確立どころか、一層深い霧の中に迷い込んで行く気がする。(←http://d.hatena.ne.jp/ta26/20150623)

というのは、今の世の中でもっとも多くの人が感じている感覚ではないかと思う。

本書では、現代日本の「リベラル」と「保守」の両方について、海外のそれとの違いとか、それぞれが陥っているジレンマや矛盾について、左右どちらにも寄与しない的確な分析がなされていて、それは、逆に言えば、左右どちらかの人にとっては不満な内容であり、サイレントマジョリティにとっては、どちらも「あるある」と言いたくなってしまう内容でもある。

リベラルの問題点については、

日本人は在日などアジアの人民を抑圧する側に立っている。だとすれば日本を批判する権利があるのは、そういう弱者たちだけだ。だから、豊かな時代の日本人は弱者の視点からみて、弱者の視点で日本を批判すればよかった。

佐々木氏はこれを「マイノリティ憑依」と名付け、様々なマイノリティや被害者に乗り移り、勝手に代弁することで、日本社会を容易に非難できる立場を確保することが、1970年代以降、学生運動からさまざまな市民運動やマスメディアに拡散した「日本のリベラル」の中心的な考え方だという。

この見方は、成長し、安定している社会にはそれなりの妥当性があった。しかし、外側である弱者は幻想の存在だから清浄にみえ、内側の社会はリアルな人間社会であるから、つねに汚れているように誤解してしまう。リベラル支持者は「ゼロリスク」思考に陥りやすく、リスクをどう減らすかという「リスクマネジメント」ができないという。


保守の問題点については、

日本の保守は、総じて「歴史や伝統を重んじ、個人の自由よりも国益を大切にしよう」という考えが主流を占めている。しかし、彼らが求める伝統や歴史というものが、あまり根拠がなく、近年になってから映画や小説、ドラマなどで刷り込まれただけのもので、「日本民族の伝統に則した愛国心」などといっても、江戸時代までは、知識人を別にすれば、ほとんどの日本人は郷土や藩への帰属意識しかなかった。

愛国心には、ステイティズム、ナショナリズム、パトリオティズムの3種類があって、

・ステイティズムは政府の力を強くする「国家統制主義」
・ナショナリズムは、国民が一つになって団結する(一般的に言われる愛国心に近い)
・パトリオティズムは、郷土とそこに住む人々への愛着心、郷土愛。

ステイティズムも、ナショナリズムも、近代になってから生まれたもので、本来あったのはパトリオティズムで、郷土愛をまとめる形でナショナリズムが成立したという。

しかし、他国との対立によってひとつにまとまるというのは、グローバリゼーションが拡大する世界では有効ではなく、美しい日本の風土や素晴らしい生活スタイルを想起することを、心のよりどころにしても、どこも同じようなショッピングモールとファミレスが立ち並び、村落の共同体が崩壊しつつある日本のどこに、そのような「郷土」があるのか。よりかかる「郷土愛」がなくなったからこそ、「日本」に帰属したいという人が増えたのではないか。

さらに大きなジレンマは「親米保守」。

戦前のオールド・リベラリストたちは軍部を憎み、彼らが留学しその文化に馴染んでいた米国や英国の自由な気風を愛した。それは、共産主義革命を防いで、資本主義体制を維持しながら、経済成長するには都合が良かったものの、アメリカが追い求める理念と、日本の保守が考える方向は激しく対立するようになった。。。


『崩れゆく世界 生き延びる知恵』の中で、「右(保守)か左(リベラル)か、ではなくて、右でもありかつ左でもある」ことが素晴らしいと副島隆彦氏に称されていた佐藤優氏は、安部政権の幹部たちはコンビニの前でウンコ座りしている連中と同じだといい、近著では「反知性主義」というワードを頻繁に駆使しておられましたが、

佐々木氏は「ネトウヨ」などと呼ばれる現代の保守を「反知性主義」というワードでは説明しない。

たしかに、アベノミクスをはじめとして、安部首相がさまざまな政策を自信をもって踏み切っているのは、基礎教養が低いせいで、悩みが少ないから。というのは説得力がある。でも、そのような政権が誕生したのは、基礎教養が足りない人々のせいではなく、

右でも左でも真ん中でも、リアリズムでも、地政学でも、あらゆる理論を駆使して、リスクマネジメントしようとしても、

本書で「リベラル」の代表として名前が挙げられている内田樹氏がいうように「アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない」からでしょう。それは、副島隆彦氏が政治評論を始められた当初から認識されていたことだと思う。

経済学者の水野和夫氏は『資本主義の終焉と歴史の危機』で、定額金利が0.2〜3という社会は、マイナス成長社会であり、そういった社会の中で、成長の誘惑を断って、借金を均衡させ、さらに人口問題、エネルギー問題、格差社会など、さまざまな問題に対処していくには、旧態依然の金融緩和や積極財政に比べて、高度な構想力を必要とする。


現在、日本のリベラルの知性が鈍化しているように見える最大の原因は、現在の戦争への危機が、経済問題であるにも関わらず、今でも、というか、今こそ「戦争反対」という意思を表明することが何よりも大事だと思っていることではないでしょうか。

「朝日新聞」に代表される日本のリベラルは、戦前の軍部を「権威」の象徴とし、常にその幻の権力への恐れを煽って批判してきた。「戦争をしない」というのは、戦後の日本で、もっとも強く国民全体で教育(洗脳)されてきたことで、そこには、すでに高度な知性や理屈を必要とすることなど何もない。知性が必要なのは、戦争を避けることや、戦争に勝ったり、負けないことであって、「戦争反対」に理屈はいらない。

だから、中流が下に追いやられるほど経済が疲弊した日本では、「反権力というポーズ」だけの学者や知識人は、ただの既得権益者でしかなく、実体として、日本のリベラルは「保守派」となり、彼らへの嫌悪感から、本来は、伝統を重んじ、変化を好まない「保守派」が、日本の伝統を壊そうとするグローバリズムの推進者たちを応援するという逆転現象が起きている。

数日前におきた、百田尚樹という大阪出身の作家の発言も、政権与党の勉強会という場所を考えると、安部内閣に蔓延っている反知性主義と権力の横暴のように聞こえますが、数年前に東京から、大阪に住むようになってわかったのですが、あれは「反権力」「アンチ東京」としての発言であって、大阪ではあれぐらいのことが言えないようでは「一人前のオヤジ」として認められない(笑)。というのも、大阪では「市役所の役人」ぐらいが権力なので、東京のように、役人には勝てないという意識もなければ、警察が国家の犬だったり、税務署や銀行がヤクザよりも恐ろしいなんてこともないので(笑)、東京とちがってオヤジが元気なんですよね(百田氏のことを応援してるわけではないので勘違いしないでね)。

また、「大阪都構想」の住民投票のときに言われた世代間の格差なんていうのも、東京目線による論評で、大阪には東京にあるような世代間闘争などというものはない。おそらく名古屋にもないでしょう。どちらも急激な変化を望まない安定した都市ですから。

でも、変化を求めて地元を去った若者が多い東京では、10年ごとに、他国の要望によって変わらざるを得ないにも関わらず、それを自分たちの意思のように感じて変化しなくてはならないと思わされるという事情があり、そのため、常に前の世代は邪魔でしかなく、彼らの経験知を生かすことができない社会になっている。それは現在の保守派がいびつになっている理由にも大いに関係があると思う。

他国を悪と呼び、正義を掲げて強いアメリカを意識させ、サブプライムローンを認めたブッシュJrと同じぐらいの知性をもつ二世議員の安部氏が選ばれて、アベノミクスを実行し、戦争ができる国にしようとしていることには共通点があるけど、それを選んだのは「保守派」ではないし、日本の大多数の声でもない。

と、ここまでは、主に「第1章」の内容についての感想です。

次の第2章では「ヨーロッパの普遍性」の終了について、最終章の「第3章 移行期をどう生きるか」で、タイトルにもある「優しいリアリズム」が登場するのですが、それは、ここまでの歯切れのいい分析とは異なり、マジョリティがこれを求めることが可能なのかという疑問が増幅し、スッキリしない読後感があったのですが、ただ、ネットワークの共同体の可能性については、ほんのわずかではあるものの、感じる点がありました。

いちばん納得したのは「ネットによって拡張されている新しいメディア空間について」のこんな文章。。

波紋に参加する限り、波紋の外側には誰も出られない。言い換えれば、誰も絶対的な第三者にはなれない。それが従来の新聞やテレビとは異なる、この新しいメディア空間の不思議な性質である。外側に出られるのは、参加しない人たちだ。波紋が起きた環の外側には、発言しないサイレントマジョリティが包囲し、波紋を広がる様子を楽しんで消費しているかもしれない。しかし、彼らも、波紋について言及したとたんに波紋の環の中に投げ込まれ、参加させられてしまう。

(実際に本書を読んで、この前後を是非お読みくださいね。これは、本全体の極一部でしかないですから)

ともかく、

私は、この本により政治関連本への興味が尽きた気がして、

今後は、しばらく読んでいなかった日本の小説などを読もうかなぁと思いました。

グローバリズムで日本のことを考えても、、というわけではなく、

If you wanna make the world a better place(世界をより良い場所にしたいなら、自分自身を振り返って自分を変えろ。「Man In the Mirror」より)

そして、

Make a little space, Make a better place.(小さなスペースを見つけて、より良い場所にする。『Heal The World」より)を、ますます意識するようになったというだけのことですが・・・




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Commented at 2015-07-01 20:52 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yomodalite at 2015-07-01 21:28
鍵コメさん、ご指摘ありがとうございます!
訂正させていただきました。
Commented by むむむ at 2015-07-02 07:36 x
あのですね・・。第二次安倍政権が自民総裁選でどれだけぎりぎりで成立したかを思い出して頂ければ、政権成立にアメリカ政府の影響なんて陰謀論みたいなものと分かって頂けるかと。

更に安倍氏は右翼だと米の新聞、シンクタンク、政治家、学者に散々叩かれて警戒されておりましたが・・。歓迎などされていないというw

また、安倍氏はデフレ脱却議連やら個別にクルーグマンという左派のノーベル経済学者の話を聞いたり、日本で五指に入るマクロ経済を理解している政治家です。

逆に、水野和夫という学者は緊縮、金融引き締め論者であり、こういう人は世界基準では経済右派といわれており弱者に厳しいのですよ。安倍に反対さえすれば弱者いじめの経済学者でも何故か日本ではリベラル扱いという不条理な状況になっておりますが。

とりあえず、高橋洋一氏あたりの本からマクロ経済を始めることをお勧めいたします。経済観がズレていると、政策観がズレ、政治を見る目すべてがズレてくると思われますので。

もし安倍氏の外交安保政策が嫌だということであれば、安倍氏レベル並の弱者にやさしい金融政策を実行できる左派政党を作るしか現状方法はありませんね。共産党も金融政策は安倍氏の4分の一レベルの貧弱さです。

色々エラソーに言って済みませんでした。ただ、高橋洋一の本だけまずはお読み頂ければ、私のムカつく失礼なたわごとなんぞ忘れてくださって結構です。では。
Commented by yomodalite at 2015-07-02 09:31
むむむさん、
失礼だなどということはまったくないです。丁寧なコメントに感謝します。

陰謀論的な言い方は、私も避けたいですし、その論法を使わないところが、この佐々木氏の本の魅力だと思いました。

>第二次安倍政権が自民総裁選でどれだけぎりぎりで成立したかを思い出して頂ければ、政権成立にアメリカ政府の影響なんて陰謀論みたいなものと…

陰謀論的な言い方は、私も避けたいのですが、民主党政権が発足当時から、マスメディアと官僚によっていじめ抜かれてつぶされたという経緯と、オバマ大統領の安倍首相嫌いを見て思うのは、それはアメリカ政府の影響ではなく、それ以前から日本統治を担ってきた勢力によるものではないですか。

左翼も右翼も、その時々の好みで「反米」や「親米」を利用するものですが、サイレント・マジョリティの「反米」は、グローバル経済への不安だと言っていいのではないでしょうか。会社の利益は経営者と株主にだけ還元され、国の経済成長は家計に直結しない。それは、世界的な問題であって、安倍首相だけでなく、誰にも解決できない問題で、ゼロリスクはない。

私は、安倍首相が「この道しかない」というなら、概ねそうだと思いますよ(笑)ただ、政策というのは「それしかない」と信じるものではないですし、信仰ではないと思うのですが、首相に限らず、人の行動というのは、たいていの場合「信仰」の道を歩んでしまうでしょう。

だから、勉強したうえで、どちらでもないという「リスクマネジメント」が、マジョリティにとっては「ベター」ではないかと。それが「優しいリアリズム」であると、私は、佐々木氏の本を理解したのですが、私には、そんなの無理かも(笑)
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by yomodalite | 2015-06-30 06:00 | 政治・外交 | Trackback | Comments(4)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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