日本語で読むということ/水村美苗

日本語で読むということ

水村美苗/筑摩書房

undefined


英語が「普遍語」という世紀の中での日本のあり方を問う『日本語が亡びるとき』を読み直したあと、読んでいなかった『日本語で読むということ』を読んだので、そこから、少しメモしておきます。

(省略して引用しています)

◎美しく生きる 
ー中勘助『銀の匙』

中勘助はこの一作だけで、目本の文学史に名を残しました。その『銀の匙』に「伯母さん」が出てきます。「あんまり人がよすぎるで」と借金を踏みたおした当人から嘲笑されるほど人のいい「伯母さん」は、ついに無一文となり、主人公の「私」の家の厄介ものとなって、病弱の「私」の子守をすることに生きがいを見いだしています。 
『銀の匙』が長く読みつがれてきたのは、ひとえにこの「伯母さん」の美しく生きる姿のせいだと言っても過言でぱないでしょう。「美しい」ことと「美しく生きる」ことの差ーーそれは、もっとも露骨にいえば、美しい女の人の写真と『銀の匙』の差です。この差が文学の基本にあることは誰の目にも明らかなことでしょう。

『銀の匙』の年のいった「伯母さん」がふつうの意味で美しい人だったとは考えられません。それでいてこの小説が出版されてから今日に至るまでの八十年間、彼女はまさに美しく生きた人として深く読者の心に生き残り続けてきたわけです。微妙なのは、文学の基本にあるという、この「美しい」ことと「美しく生きる」ことの差が、「表面的な美」と「内面的な美」という言葉には置き換えられないということです。
 
「内面的な美」という表現は、究極的には、ある人の生きざまが倫理的であることを意味するように思います。そして、倫理的であるということは、究極的には、その人の生きざまの立派さというものが万人にとって理解できるものであること、つまりその人の生きざまの価値に客観性があるということを意味するのではないでしょうか。ところが「私」の「伯母さん」の生きざまはそのようなものではありません。見方によっては、彼女は一人の意気地にの男の子を猫可愛がりするだけの無知蒙昧な老婆に過ぎないからです。

そんな老婆の姿が美しいのは、それを美しいと思う「私」という主人公の感銘に因るだけなのです。あるいは、その感銘を中勘助という一作家の文章を通じて共有できる私たちの感銘に因るだけなのです。

このように考えると、「美しい」と「美しく生きる」の差は「表面」と「内面」の差だとはいい切れません。それは二つの異なった価値の比喩、すなわち、万人にとって自明な価値と、自明ではない価値の比喩だといった方がよいでしょう。文学に即していえば、作家が書く必要のない価値と、作家が心をくだいて表さねばこの世に存在しないような、まことに捉えどころのない価値の比喩だといえるのかもしれません。
 
文学などというものはなんの役にも立たないものですが、端からみればどうでもいいような存在に光をあて、「美しく生きる」姿を人に知らしめることーーそれが、その小さな使命のひとつなのではないかと思っています。


◎たくさんの着物に彩られ綴る女性の半生
ー幸田文『きもの』

幸田文は女の作家である。そして彼女は着物について書いた。だが、女が着物を着ることと、女流作家が着物について書くことーーこの連動しているように思える二つのことがらは実は対立関係にある。その対立関係を示し、それゆえに幸田文が作家となる必然性があったことを暗示するのが、るつ子と着物のかかわりあいなのである。

そもそも、胴着の片袖を引き千切るところから始まるこの小説は、女が着物を着る話ではなく、女が自分の気に入らない着物を脱ぐ話なのである。事実るつ子は気に入らない着物を着せられると発疹してしまう。女学校へ上がったとたんに、るつ子だけ自分で着物を着るようにしつけられるのは、るつ子にとっての着物は、ふつうの女にとっての着物と同じ意味をもたないからなのである。
 
おばあさんはるつ子に言う。「よくおきき。お姉さん達は、いい恰好ならそれでいいんだけど、おまえさんはいい恰好より、いい気持が好きなんだよ」。このるつ子の性癖は、のちにおばあさんが、姉たちは結婚のなかに納まるだろうが、「るつ子は、下手をするとはみ出しそうな気がする」と心配をするのに通じる。
 
小説は、るつ子か結婚初夜に男に着物を脱がせられる場面で終わる。それはのちの不幸を予兆する。自分で着物を脱ぐ女として規定されているるつ子が、この男との結婚を脱ぎすてずにいられるはずはないからである。


◎日本の「発見」

「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである」
 
第二次世界大戦中、坂口安吾は「日本文化私観』というエッセーでこう書いた。あれから半世紀たつ。異国で少女時代とに青春時代を送り、大人となってあこがれの母国に帰ってきた私を待っていかものは、まさに停車場だらけーーいや、駐車揚だらけの日本であった。法隆寺は残っていたが、多くの懐かしい〈形〉が消えていだ。〈形〉のあるものが滅び、なおかつ日本の「文化や伝統」が「決して滅びはしない」ということなど、はたしてありうるのだろうか。
 
日本はたんに近代化したのではなく西洋化したのである。タクシーが駕籠にとってかわるのは近代化だが、洋服が着物にとってかわるのが近代化かどうかは疑わしい。ましてピアノが邦楽にとってかわるのを近代化と呼ぶことはでぎない。タクシーを選ばざるをえなかった日本は、迷わずピアノを選んだ。日本はたんに近代化しかよりもいさぎよく日本的なものを捨てていったのである。その過程に拍車をかけだのが、「壮大が目本の伝統を見失」っても「日本を見失うはずはない」という、ひどく楽天的な民族主義である。そしてそれは、文化とはひとつのかけがえのない〈形〉である、という認識の欠落とつながっている。しかし〈形〉なくして日本の「民族の栄輝ある文化や伝統」などあるはずもないのである。たとえば安吾は桂離宮を「発見」したブルーノ・タウトにかんして言う。「タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は目本を発見するまでもなく、現に目本人なのだ」と。
 
だが日本人は日本を「発見」せずにすまされるのだろうか。ヨーロッパ人自身、近代との葛藤の中に自分の伝統文化を「発見」したのである。「発見」というのは、今、ここにかけがえのない〈形〉があるのを認識することにほかならない。その認識がなければヴェニスのサン・マルコ広場だって駐車場になっているであろう。
 
旧いものが消え、新しいものが生まれ、時のながれに文化が変容していくのはあたりまえである。だがあまりに多くのかけがえのない〈形〉を、ここまで平気で壊してきた日本が私にはひたすら悲しい。ただその日本にも、日本を「発見」し、日本の〈形〉をひきつぐことにお金にもならないのに一生をかけている人たちがいる。日本に永住の地を求めてもどってきたこの私を慰めてくれるのは、ほかならぬ、そのような人たちの存在である。


◎『絹明暗』のあとに

ユダヤ教が世界宗教のキリスト教となる契機は、パリサイ人批判にあった。パリサイ人とは一般的に偽善者と呼ばれるものである。だが彼らは実は「文士」なのである。安息日に何をすべきで何をすべぎでないかを論じ合う彼らは、外部の人間には意味をなさないルール内でのゲームにうち興じる人たちにほかならない。キリストは「文士」たちのルールの恣意性を指摘することによって、ユダヤ人以外の「人間」にユダヤ教の門を開いた。ところで、キリストにこのような「文士」批判を可能にさせたのは神ではない。それは旧約聖書に書かれている「言葉」なのである。パリサイ人は始終イエスに難問をふっかけて来るが、イエスの答は決まっている。かれは聖書の「言葉」を引用して、「あなたがたはこう書かれているのを続んだことがないのか」と言うのである。すなわち、キリストの世界性とは「読むこと」の結果なのだ。それは「今」と「ここ」から離れた所にある「言葉」との交流から生まれたものである。
 
鴫外の『青年』には漱石をモデルにしたふせきという人物が出てくるが、鴎外は主人公の青年の口を借りてその人物をこう評している。「ふせきという人は流行に遅れたやうではあるが、とにかく小説家中で一番学問があるさうだ」。この鴎外の文章では「流行遅れ」であることと「学問がある」ことが漫然と並列されているが、実はこのふたつの事実は同じことを指し示すものである。『青年』が書かれた当時(明治四十三年ー四十四年)日本で流行していた「自然主義」に漱石が無関係にやってきたことをわれわれは知っている。

そうして当時の人間の目に「流行遅れ」に見えた漱石が、実際は流行に無関係に、すなわち、「人間」に向かって書くことができたのは「学問」があったからなのである。「学問」とは「今」と「ここ」から離れた「言葉」を読むことである。のみならず、それが書かれた時からすでに「今」と「ここ」から離れていた「言葉」を読むことである。よくいわれる漱石の漢文学及び英文学の素養とは、そういう「言葉」との交流にほかならない。人は真空の中で孤高を持する訳には行かない。「人間」に向かって書かれた過去のテクストを続むことによってのみ、「人間」に向かって書くことが可能になるのである。
 
『績明暗』は漱石を読むことを通じて「人間」に向かおうとするひとつの試みである。そしてそれはわたしにとって日本語との結びつきの必然性を今一度選びなおそうという試みでもある。


◎作家を知るということ
 
ある作家をほんとうに知る。それはその作家を個人的に知ることではない。その作家が書いた作品を知るということである。そもそも作家というのは、自分を個人的には知らない読者に向けて書くのであり、その作品はそのような読者のためにのみ存在する。では、作家を個人的に知るということは、どんな意味をもつのだろうか? それはその作家をよりよく知ることとつながるのだろうか? あるいは、よりよく知ることとは何の関係もないのだろうか?
 
この問いに答えてくれるのが、ブルーストの『失われた時を求めて』に出てくる一つの逸話である。少年の主人公はある夏、海辺の避暑地でヴィルパリジス侯爵夫人という、祖母の友である老婦人と出会う。夫人は、娘時代に、今はすでに伝説の一部となった作家をたくさん個人的に知っていた。夫人の父親が始終晩餐会を開き、さまざまな作家を家に招いていたからである。主人公が驚くのは、そのような作家に対する侯爵夫人の評価である。夫人は何よりもまず晩餐会の客として彼らを評価する。その結果、夫人の作家の評価は、まったく的外れなものとなってしまっているのである。スタンダールは「ひどい俗人」として片づけられ、もう今では誰も読まないような作家が高く評価される。
 
しかも夫人は主人公に向かって断言する。「私にはその人達のことを話す資格があると思うのですよ、だってその人達はみんな私の父の家にいらしたのですから。……その人達に親しく接し、その人達の真価をより正確に判断できたものの言葉を信じなくてはなりませんわ。」
 
この逸話が指し示すのは、作家を個人的に知るという事実に内在するイロニーにほかならない。作家を個人的に知るというのは、その作家をほんとうに知ることと無関係だというだけではない。無関係だというだけでなく、大いなる妨げとなるものなのである。すなわち、ある作家の最高の読者でありたければ、その作家を個人的に知るべきではない。
 
さて、私は加藤周一という作家の最低の読者である。加藤さんは気がついたとき私の人生に登場していた….

『加藤周一コレクション2』のために書かれたこの素敵な文章の続きと、そのあとの “「個」の死と「種」の絶滅 ー 加藤周一を偲んで” は、ぜひ本書で。





[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/24045139
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2015-05-24 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite