ウィラとヴォーゲルの会話への感想。。

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先日紹介したウィラとヴォーゲルの会話(Boy, is that Girl with You?)で、引用されていた本が面白くて、ふたりの会話について、chiidspirits先生とおしゃべりしてみました。


* * *


Y:いつもは、私がリクエストしてばっかりなんだけど、この記事は、childspirits先生の方からオススメしてもらったんだよね。最初に興味深いと感じたのはどういった部分だったのかな?



C:うん、この曲とショートフィルムが、人種の壁をぶち破る、というマイケルの意思表明だということは、タイトルからすぐわかるんだけど、、それ以上の要素がいっぱい詰まっているということを考えさせてくれる記事で、みんなでシェアしたいなと思ったのね。


たとえば、ショートフィルムのブロローグ部分が、白人家庭の孤立と機能不全、特に父と息子のそれを描いているとか、人種だけではなくジェンダーの壁を破ろうとするメッセージが込められていたんだとか。私たちのよく知らないアメリカの社会的背景とか、そういう見方もあるのかぁ、と思わせてくれる記事だったから。このサイトの記事はどれもそうなんだけどね。


あと、ラルフ・エリソンとかジェイムズ・ボールドウィンなどの作家の名前が、MJとの関連から出てきたことにも興味をひかれた。考えてみると彼らは文学の世界で、人種を越えたファン層を獲得し、議論を巻き起こした、いわばMJの先達なんだよね。「MJと文学」という観点は、自分には興味深くて、多くの人にも知ってもらいたいような気がしたのね。それと、もうひとつ、去年から頻発している黒人青年と白人警察官の事件がボルティモアで暴発したということもあって、この歌でMJが提起した問題は、まったく今日的なことなんだなぁと、改めて思ったので。



Y:この文章からは、マイケルが「人種の壁を突破した」とか「黒人として初めて、、」と言われていることが、実際にどれほどの偉業だったかについて、あらためて理解できるよね。ただ、当時の日本のファンは、MJのことを黒人という意識では見ていなかったし、彼が登場した80年代以降、日本のお茶の間にまで浸透したアメリカのスターは黒人の方が多かったという印象もあって、人種差別は、切実な問題として考えられなかったんだよね。



C : 彼らの活躍を目の当たりにすれば、アメリカの人種問題の深刻さや残酷さを感じることは少なかったかもしれないよね。


でも、かつては日本でも、結構アメリカの黒人が抱える問題を意識してたんじゃないかと思う。文学の話で言うと、1961年から68年にかけて、立派な黒人文学全集刊行されて、この中にはラルフ・エリソンやボールドウィンや、彼らの先輩であるリチャード・ライトも取り上げられている。そういう全集が編まれたってことは、需要があったんだよね。それに私が中学校の頃、音楽の教科書には「オールド・ブラック・ジョー」ものっていたし、「アンクルトムの小屋」の話も、小説全部読んだことはなくても、あらすじくらいは知ってる人が多かった。でも、今の若い人にはどちらも全くと言っていいほど、なじみがないみたい。先に挙げたボルティモアの暴動についての新聞記事を大学の授業で読む場合、かなり予習が必要な感じがするもの。



Y:その頃、黒人文学とか、人種差別について熱心だったっていうのは、“人権” について考えることが日本が近代国家になるために重要だっていう認識が教育現場にあったからじゃないかな。日本が貧しくても、上を見ていられた時代には、差別に打ち勝ってきた黒人たちへの共感があったんだと思う。


でも、日本人としてのプライドが揺らぎ始めた昨今では、日本礼賛みたいな教育の方が重要みたいで。。当時はよくわからなかったけど、最近の嫌韓・反中といった恥ずかしいブームを経験して、ようやく、今だに絶えない黒人差別がどういうことだったか、少しわかったような気がするよね。要するに今まで下に見ていたものが、そうとはいえなくなったとき、差別感情は、前よりももっと激しくなるということが。。



C : うん、人権についての関心は、上っていくべき目標がはっきりしていた、精神的なゆとりがあったからというのは、本当にそうだと思う。敗戦後、とにかくアメリカについて何でも知らねば、という機運もあったのだろうしね。かつてアメリカで、黒人に対してもっとも差別意識や憎悪をあからさまにしたのは、レッドネックと呼ばれるような貧困層の白人で、それはある意味分かりやすい構図だったのかもしれない。でも黒人の地位が上がり、大成功して何もかも手に入れているように見える黒人が現れてくると、既得権益をおびやかされる白人の層はかつてとは違ってくるわけで、差別や嫌悪の現れ方も違ってくる。


それは、日本で今起きている差別問題からも感じることだけど、私たちは、結局、アメリカの人種差別から大して学んでおらず、安全なところから黒人に対して勝手な共感を抱いたり、同情していただけだったのでは、と思わされるね。



Y:貧困層から始まった差別感情が、中間層の落ち込みにともなって、拡大していくという構図は、アメリカも日本もまったく同じで、その感情は黒人だけでなく、ユダヤ人感情にも見られるものだよね。


ただ、日本人が、黒人差別がわからないのは、異人種が少ない島国だからという部分もあるけど、ヨーロッパには、いっぱい黒人がいるのに、これほど差別が激しく、差別を根底にした暴行事件が多発しているのは、アメリカだけなんだよね。そういう意味では、ウィラは、「人種というのは、生物学的事実ではなく文化的なコンセプトによって生じるもの」だと言っているけど、私は、それを世界で最も受け入れないことが “アメリカ文化” だと言えるんじゃないかと思う。少し皮肉めいた言い方をしちゃうけど、アメリカのアカデミーで「人種問題」というのは、いつの時代もトレンドであって論文にしやすいんだなぁ、と。



C : ウィラの「人種というのは・・・」という発言は、現実の「アメリカ文化」がそれとは正反対だからこそ、特に意味を持つわけだよね。



Y:それで、そのことと少し関係があると思うんだけど、ロバート・ブライの『アイアン・ジョンの魂』が取り上げられてたでしょう。私たちふたりとも、その本を知らなくて、あわてて読んでみたわけなんだけど、訳してるときに想像してた内容とは印象が違ってて、それについても少し驚いたよね?


◎アイアン・ジョンの魂(単行本)

◎グリム童話の正しい読み方―『鉄のハンス』が教える生き方の処方箋 (文庫)



C:てっきり、マッチョな男性像や、家父長的な強い父親を取り戻そう、みたいなメッセージかと思ったら、のっけから全然違っていて、すごく意外だった。でも、調べてみたらブライという人は、シュールレアリストとしてスタートし、芭蕉や一茶の翻訳もしてるし、戦争や自然についての優れた作品もあり、異文化や歴史について広く深い関心を持った詩人なのよね。単純にマッチョの回復なんか提唱するするばずはないんだね。やっぱりちゃんと、原典にあたるの大事だなぁと、またもや実感。MJに関わってると、それをくりかえし諭されるように思うのだけれど、すぐ忘れちゃって・・・ベストセラーに対する偏見(笑)も悪い癖です。



Y:ホント実際読んでみてよかったよね。これはグリム童話の『鉄のハンス』(米国ではアイアン・ジョンとして知られている)の物語の解釈から、人生を探求する物語なんだけど、神話やおとぎ話やフロイトの理論について、自分の成長に繋げて考えるのではなく、世の現象や、他者への分析にカンタンに解答を出すための手段としか考えていないような人が書いたものとは一線を画す内容で、


「大変な時代を生きることになった。今まで通用してきた “男らしさ” なんてものがヨレヨレに擦り切れて、使い物にならない時代になってしまった」


ってところから始まる。ヴォーゲルは、この本について、「それがすべての男性に通じる普遍的なメッセージで “男らしさの危機” に対するオールマイティな処方箋だと思ってる」ところが問題だと言っているけど、


ブライが90年代に投げかけた問題というのは、むしろ、誰にでも有効な処方箋なんてないにも関わらず、正しさを世界中に押し付けたり、あるいは、様々な考え方を “調和させて” 、ひとつの正しさをつくることに熱中するあまり、古いものや、伝統から学ぶことが出来なくなっていること、それが、90年代のアメリカの病理の原因のひとつだと指摘しているところじゃない。


「鳥たちは、裸の木にどうやって巣をつくるのか、渡り鳥はどうやって越冬の地に飛んでいくのか、そういった情報は、本能の中枢に溜め込んで子々孫々へと伝えられていくわけだが、それでは人間たちはどうしてきたのだろう。新しい状況に対応していくために、たくさんの選択肢が必要であることを知って、そのための情報を、本能以外のところに蓄えることにしてきたのである。それが、おとぎ話であり、伝説や神話や昔話なのである。(...)この分野では、近世さまざまな人物が傑出した研究をしている。ジョージ・グロデック(*1)、グルジェフ、カール・ユング、ハインリッヒ・ジンマー、ジョーゼフ・キャンベル(*2)、ジョルジュ・デュメジルなどがあげられる。おとぎ話の世界に、私の目をひらかせてくれた先生は、マリー=ルイズ・フォン・フランツで、彼女のたくさんの著書の中で、女の物語に真摯に取り組んだように、私は男の物語について、忠実に追求してみたいと思っている」


というような記述からも、単純な「男性回帰運動」のようなものではないことがわかると思うし、ウィラが、「郊外で肘掛け椅子に座ってた父親がアフリカに吹き飛ばされて、マイケルジャクソンが部族の男性たちと踊る」という部分が、ブライのメッセージをそのまま表したシーンだと言っている意味も、少し想像できると思う。ただ、次に「インドの女性や、ロシアの男性グループとも踊る」ことが、ブライのメッセージとはかけ離れているかどうかは微妙かなぁ。



C : 私も、神話やおとぎ話やそれを分析する心理学の要素をふんだんに盛り込んで説明してくれている彼のメッセージと、マイケルがやろうとしていたことの間には、それほどギャップがあるとは思えなかったなぁ。「“男らしさの危機” に対するオールマイティな処方箋だと思ってる」のは、本の内容を受け取る側の問題であって、ブライが提起した「90年代のアメリカの病理」は、マイケルが『ブラック・オア・ホワイト』で突きつけようとしたものの中にもあって、それは、今に至るまで解決されてないと思う。



Y:この本を読んでいたら、以前、MJが子供たちのために書いたホラーストーリーのことを思い出して、このとき、MJは「通過儀礼」の重要さをわかってる人なんだなぁと思ったんだけど、ブライの考え方は、父親としてのMJの考え方と割と近い感じがしたよね。


◎[関連記事]Michael's Horror Story



C:マイケル、こんなホラーストーリー書いてたんだ。このメモに、昔話に出てくる「通過儀礼」の要素があるというのは、「アイアン・ジョン」を読んだあとだと、よくわかるね。MJは神話や心理学についてもすごく本を読んでるし、考えてもいたものね。子育てしているときのMJについては、子供を抱いたり世話をしたりという、ちょっと母性を感じさせるような文章や画像も多いんだけど、じつは彼は父として、ブライの言う「ワイルド・マン」の要素もすごく大事に思っていたんじゃない。それに、周りいた少年たち(フランク・カシオ含め)や若いアーティストたちへの接し方を見ると、MJは、若者たちが「ワイルド・マン」に出会う助けをする年長者(この本の訳では「年寄り」だけど)の役目を果たそうとしていたようにも見える。この本にある、子供と黄金のマリの話(7章)なんかも、MJが子供について言っていることと、すごく共通点があるし、体や心に受けた傷によって「ジーニアス」を発見していく(8章)、なんていうところも印象的だった。



Y:最初に「僕はシーツなんか恐くない:『ブラック・オア・ホワイト』における黒人の男らしさ再考」というヴォーゲルの論文のタイトルを見たとき、これがマイケルの「男らしさ」について論じられたものだということに、あんまりピンと来なかったのね。というのも、MJといえば「ピーターパン」で、大人になりたくない、いつまでも少年でいたい若者の代表で、黒人社会の中でも、ネイション・イスラムのルイス・ファラカンとか、“男らしくない” MJは、黒人の若者に悪影響を与えるみたいなことを言ってたでしょう。MJはこれまで「男らしくなくてもいい」というアイコンだったと思うんだよね。


でも、MJと同世代のスパイク・リーは『ブラック・オア・ホワイト』に共感して、ネイション・オブ・イスラムの呼びかけによるミリオンマーチに参加する予定だった人々を “別の場所” へと連れていく『ゲット・オン・ザ・バス』という映画を作り、同じ年(1996)に『ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス』のショート・フィルムも撮っている。これらの作品は、従来のような人権運動家による黒人の権利の獲得や、ブラックパワーのような黒人礼賛ではなく、人種を超えた連帯を表現したものだった。


◎[関連記事]マイケルとスパイク・リー



C:両方の作品とも、より高い次元を目指して若者を導いていく、男性の姿があるよね。「ピーターパン・シンドローム」という言葉のおかげで、ピーター・パンといえば、「大人になりたくない」部分ばかり強調され、MJが自分をたとえて言った意味も、かなり狭められて伝わっているけど、ブライの本では、飛翔し続ける若者、という意味で論じられているんだよね。



Y:ブライの本は1990年に出版されたものだから、『ブラック・オア・ホワイト』についての記述はないけど、マイケルが登場する箇所はあるんだよね。それは第4章の「父親不在の時代における王への飢餓」という章なんだけど、


「誰でも “王” と一緒にいられたらなぁと思う。若い女の子たちのあの熱狂ぶりはどうだ。「キング」と呼ばれたエルヴィス、最近では「プリンス」を目にした時のあの興奮ぶり、ディヴィッド・レターマンの家に絶えず押しかける女性たち。チャールズ皇太子の部屋からナプキンを盗んだり、マイケル・ジャクソンの家の外でキャンプをしたり、、、みんなが「王」の前にいたがる。ダライ・ラマは多くの人たちのために「王」の役を演じている。場合によっては、彼は法王の座さえ揺るがしかねない。父親に対する飢餓感は、王に対する飢餓感に形を変える…」


MJが「KING OF POP」という称号を大事に思って、本当に素晴らしい “王” になるためにどれだけ多くの努力していたか。それはポップミュージック界の王様というだけでなく、「人民のための王」という意味まで含まれていたよね。


マイケルとの繋がりを感じてしまう箇所は他にもいっぱいあるんだけど、第7章「赤、白、黒毛の馬にのること」の中から要約して引用すると、


「ヨーロッパのおとぎ話を調べれば、赤、白、黒の3色にこだわっているのがわかる。しかも、この3色には、ある順序が見られる。(...)白は、新月の聖母マリア、赤は満月の母親気質、最後の黒は、旧月の老婆。(...)若い女が、純潔の白から始まるのなら、少年は赤から始まる。(...)若者たちは、炎のように燃え、戦い、赤を見ては難題にぶつかるように鼓舞される。(...)


中世では、アイアン・ジョンの順序に、大いなる注意が払われていた。パルジファルの冒険談はその一例で、ここには赤騎士から白騎士へ、そして黒騎士へと、物語の展開がある。赤騎士時代に、どんなに多くの反社会的な行為に耽ることか!でも、赤を経ないでは、白には到達できないのである。でも、現代はそうはいかない。私たちは義務教育によって、子供を直接「白騎士」へと仕立てようとしている。(...)


私たちアメリカの、白騎士の段階には、どんな危険性が考えられるか。この白騎士は、赤の段階を通ってきていないため、耐えられなくなることが多いんだなぁ。そして悪しき赤を、インディアンや、共産主義者や、言うことをきかない女たちや、黒人たちに投影している。(...)レンブラントの絵は、彼が年をとっていくにつれて、周縁部の方がだんだん暗くなっている。黒の段階にいる人は、通常、他人を非難しなくなる。(...)ユーモアは、黒の段階になると生まれる」



こういった色の感覚についても、MJはすごく取り入れていたし、彼が『ブラック・オア・ホワイト』のとき、すでにユーモアを身につけるという黒の段階にあったことは、記事の中で紹介したメイキング動画でも感じられるけど、「I’m not going to spend my life being a color(僕は生涯、有色人種と呼ばれて生きる気はない)」というラップを、自分や黒人ラッパーではなく、制作者のひとりであるボットレルにやらせたのは、彼がラッパーではなく、しかも白人だったから。というエピソードなんかも、そういった事実を強化する話だよね。


◎[参考記事]http://7mjj.blog.fc2.com/blog-entry-194.html



もう少し、要約引用を続けると、


「私たちが『アイアン・ジョン』の物語から得られるものは、ほかでもない、若い男性が赤の強烈さから、白の交戦へ、そして黒の人間性にまで進んでいくという考え方ではないだろうか。(...)


聖職者たちは、赤の段階を飛び越えたたえに、自分を白の段階に強制的につなぎとめておかなくてはならない。政治家は、現実には正体不明の色である間も、白を装わなくてはならない。


人が黒へと動いていくとき、その段階で、影の材料すべてがあらわになってくる。それは、長いあいだ、悪玉の男や女たちや、共産主義者や、魔女や、圧政者の顔面に、内なる黒として投影されていたものだ。だから、この過程は、影を取り戻し、食べることだ、と言っていいと思う。ロバート・フロスト(*3)は、自分の影をたくさん食べた。だから彼は偉大なのだ。


黒へと進む男は、「道ある限り歩く」必要がある。黒に入っていくには、長い時間がかかる。男が投げ捨ててしまった、彼自身の暗い部分を見出す前に、どのくらいの年月が過ぎていくのだろう?彼がその部分を発見し、とっさにその瞬間、彼の黄金の髪が肩にはらりと落ち、すべての男たちは、彼の正体を知るところとなるーー」



で、、この文章は、「だが、それは次の物語である」で終わり、次章は、第8章「王の家臣から受けた傷」で、そこには、さまざまな “傷” についての話と、トリックスターの話も登場するんだけど、、2000年以降のマイケルの変化を語るうえで、ここに書かれてあることは重要だよね。社会が何を忘れていたのか。を思い出させてくれるし、MJがおとぎ話の重要性について語っていたことが、“子供らしさを失わないこと” ということだけではなかったこと。そして、マイケルが “子供らしさを失わないこと” を、あれほど語っていながら、父親として子供に良い教育ができた秘密についてもね。



C:そう。対談では、ブライのメッセージをかなり限定した形で引用したきらいもあるんだよね。それは、当時の一般的な理解のされ方がそうだった、ということなのかも知れないけど。とにかく本全体からは、マイケルが伝えようとしたこととの共通点がたくさん含まれていると思う。それは、最近あったボルティモアの抗議運動で『ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス』が使われ、そして、その抗議行動の中で起こった暴動を抑えたのも、MJの『ビート・イット』だったという事実にもよく表れていると思う。



今回ウィラたちの対談を訳したことは、始めに述べたような意味ですごく勉強になったんだけど、でもいちばん勉強になったのは、このブライの本を読んだことかなぁ。この本を丸ごと肯定するとかじゃないけど、マイケルのことや、自分のことを、いままで出来なかった角度から考え直すヒントを、いっぱい与えてくれそうな気がするもの。それと、ここには西洋の思想教養をもとにした分析があるけれど、私たちの先祖にはどういう神話や民話があり、それがどう通過儀礼と結びついていたか、などもさかのぼりたくなったなぁ。



Y:同感!ブライがこの本で語っている男性の段階について、マイケルは、すごく自覚的にその段階すべてを経験しようとして、「道ある限り歩き続けた」と思う。私たち、最終的にいつもこの結論に達しちゃうんだけど、またもや、「マイケルにはすべてがある」って思っちゃった。


未だに、MJについて、輝かしい成功を納めたものの、度重なる整形や、晩年は奇行が目立ち、、というような “物語” だと思っている人は、ただ、年をとったり、デカいだけのおバカな “お子ちゃま” で、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪である」とか言った男は、青年期の成功から一歩も成長できなかったんだなぁなんてことも、よくわかったしね(笑)



C:「黒」に至るかどうかは、年齢に関係ないんだよね。



Y:マイケルのメッセージというのは、あらゆる考えの人々が利用したくなるほど、とても、ひとりの人間のメッセージとは思えないぐらい、「他者」を取り込んでいるんだよね。 

 

こうなると、ますますウィラが感動したという、ヴォーゲルがブライを引用して、MJの男らしさについて書いた論文も読んでみたくなるよね。childspirits先生!(笑)



C:英文読むのが遅い私に新たなが苦難が…。でも、いままでの経験からすると、MJに導かれてやることに、ハズレはないからなぁ。



Y:ブライは、第8章「王の家臣から受けた傷」の中で、「教師やセラピストたちは、自分の中に強力な料理人や、神話学者、あるいは魔術師を持っていることが多い。けれども、もし教師がワイルド・マンやワイルド・ウーマンを育てなかったなら、その人は私たちが「学者屋」と呼ぶだけのヘンテコな存在になってしまう。。」など、しばしば “学者屋” に対しての批判をしているんだけど、、ヴォーゲル、だいじょうぶかなぁ?(笑)



C : それ、私にとってもドキッとする言葉。やっぱり、読んでみなくちゃね!



《註》_________



(*1)ジョージ・グロデック/日本の著書ではゲオルグ・グロデック。精神分析者としてこのエスの概念を最初に提唱した。フロイトはグロデックからこの概念を借りている。著書『エスとの対話』『エスの本』など。



(*2)ジョーゼフ・キャンベル/『スターウォーズ』にも影響を与えたと言われる『千の顔をもつ英雄』で神話の基本構造を論じ、神話学の巨匠となる(ただし翻訳本はものすごく読みにくい)。死後に出版された『神話の力』は、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談集で読みやすくおすすめです。



(*3)ロバート・フロスト/自伝『ムーン・ウォーク』の中で、マイケルもフロストを引用しています。

There are so many things all around us to be thankful for. Wasn't it Robert Frost who wrote about the world a person can see in a leaf? I think that's true. That's what I love about being with kids.

僕たちの周囲には感謝することがあふれてる。1枚の葉の中に世界を見ることができるって書いたのは、ロバート・フロストだったっけ?それは本当だと思う。僕が子どもたちと一緒にいるのが好きなのも、そういうことなんだ。(←この日本語は私訳。Chapter 6「愛こそはすべて」P287)

フロストのどの詩のことなのかはよくわからないのですが、、
こんな有名な詩があります

“Nothing Gold Can Stay”


Nature's first green is gold,

Her hardest hue to hold.

Her early leaf's a flower;

But only so an hour.

Then leaf subsides to leaf,

So Eden sank to grief,

So dawn goes down to day

Nothing gold can stay.


--- Robert Frost




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by yomodalite | 2015-05-17 22:30 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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