Boy, is that Girl with You?(1)

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2009年に、アメリカ議会図書館で『スリラー』のショートフィルムが永久保存されるというニュースを聞いた方は多いと思います。それは「アメリカ国立フィルム登録簿」に保存されたということで、ショートフィルムとしては史上初の快挙だったのですが、


そういった「マイケル・ジャクソン・アカデミー」の今が垣間見える記事を「Dancing With The Elephant」から紹介します。


取り上げられているのは、マイケル作品の中で『スリラー』以上に言及の多い『ブラック・オア・ホワイト』。今回ウィラと対話しているのは『マイケル・ジャクソン・コンプリートワークス(Man In The Music)』の著者、ジョー・ヴォーゲルです!


翻訳は、childspilits先生に全面的にご協力いただきました。



Source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/



Boy, is that Girl with You?

APR 2


ウィラ:今週は長年の友人ジョー・ヴォーゲルに来てもらえてとってもうれしい。あ、Dr ジョー・ヴォーゲルと言わなきゃね。この前話した時から、あなたはたくさんのことを成し遂げたのよね。どうしてたか、話してくれる?



ジョー:こんにちわ、ウィラ。また話せてうれしいよ。ここのところ忙しくしてたけど、このサイトはいつもチェックしていて,そのたびに新しい、すごい議論が繰り広げられてた。あなたとジョイエは、マイケル・ジャクソンの創作活動や人生の様々な面について、素晴らしい探索をしているよね。あなたが言ってくれたように、僕は、最近ロチェスター大学でPhDを終えて、いまは、ジェームズ・ボールドウィン(*1)についての本を書いてる。彼の1980年代の文化やメデイアに対する批評に焦点を合わせてね。



ウィラ:面白そうねぇ。あなたはブログでも度々ボールドウィンについての論文を載せていたけど、本を書いていたことは知らなかったわ。



ジョー:これは博士論文のひとつの章をふくらませたものなんだけど。ボールドウィンの仕事について詳細に調べ始めると、彼の洞察力の凄さに驚くね。彼の作品は、今日の世界に生きている僕たちにこそ大事なものだよ。


それと、MJに関連したものもいくつか書いた。一部はもう活字になっていて(議会図書館の『スリラー』の項目とか、アルバム『エスケイプ』のライナーノート)、スクリブナー百科事典(*2)のために書いたものや、僕たちがこれから議論する「僕はシーツなんか恐くない:『ブラック・オア・ホワイト』における黒人の男らしさ再考」という論文も近く出版される(この論文は「The Journal of Popular Music Studies」誌に掲載された)。



ウィラ:それについて話すのを楽しみにしていたのよ。あなたの論文には、私を魅了し、驚かせた点がたくさんあった。たとえば、あなたは「ブラック・オア・ホワイト」を映画産業における人種差別の長い歴史を覆そうとしたものだと見ていて、その差別の歴史をふり返ることから始めてるんだけど、正直言って、あの部分にはショックを受けたわ。


あなたが指摘しているように、ハリウッドの最初の映画、私たちがいま考える映画という意味での最初の作品は、D・W・グリフィスの「國民の創生」だった(*3)。これはクークルックスクラン(KKK)を讃える映画で、事実、元々の題名は「クランズマン(The Clansman)」だったのよね。


あなたは論文で次のように指摘してる。


その映画は映画という娯楽産業の形を変える、新しい芸術形式の先駆けとなった。『國民の創生』は当時もっとも収益をあげた映画で、インフレ率を換算すれば、史上もっとも収益をあげた映画かもしれない。制作に10万ドル以上かかった初の映画で、音楽をつけた初の映画であり、ホワイトハウスで上映された初の映画で、最高裁や議会で上映された初の映画で、何百万もの観客を動員した初の映画でもあり、それは、アメリカが生んだ大ヒット作だった。


『國民の創生』はアメリカの新興映画産業に大きな影響を与えたのよね。映画とはどういうものか、どうあるべきかについて、人々の考え方や、人種についての一般的な考え方が形成されるのに手を貸した。そしてあなたは『ブラック・オア・ホワイト』も、そうした課題に取り組んだと考えている。アメリカにおける、人種と映画産業という双頭の怪物に戦いを挑んだと。



ジョー:そのとおり。ラルフ・エリソン(*4)は『國民の創生』のことを、「スクリーンを通して、けだものじみたレイプ犯と、ニタニタ笑いにギョロ目の道化という、ふたつの黒人像を捏造した」と述べている。あの映画は南部だけではなく北部でも、もの凄いパワーと影響力を持っていた。ロサンゼルスでもね。初上映では、スタンディングオベーションが起こったんだ。





*黒人の描き方の例 2:08:42~、2:17:02~ 2:29;20~




ウィラ:そうね。実際、映画のストーリーの転換点は、白人女性をレイプしようとしたという罪に問われた黒人男性が殺されるところだし、異人種間結婚や「けだものじみたレイプ犯」としての黒人男性に対する恐怖は、最初から最後まで描かれ続けている。たとえば、映画の終わりに、二組の白人カップルが同時に結婚式を挙げる。そして、それは、北部から来た兄妹が、南部の兄妹と結婚するんだけど、彼らを結びつけているのは、つまり、南北戦争の惨禍のあとの北部と、南部を結びつけているのは、黒人男性への恐怖だということなのよ。



ジョー:マイケル・ジャクソンは映画の歴史に精通しているけど、興味深いと思うのは、1991年に、世界中で推定5億人が見たというすごい環境で、マイケルはこの生まれたばかりの、つまりD・W・グリフィスが長編映画のパイオニアだったように、彼自身がパイオニアになったショート・ミュージック・フィルムというメディアを使って、グリフィスが遺した黒人男性についての、そして黒人という人種全体についての神話に異議を申し立て、それに代わるものを提示しようとしたことなんだ。



ウィラ:そうね。あなたが書いているように、


グリフィス自身、あの作品の重要な目的が、「白人の中に、とりわけ白人女性の中に、黒人男性に対する嫌悪感を植え付けること」だと認識していた。


さらにあなたはこう言っている。


グリフィスはその目的のために、人種間の違いを誇張し、「あからさまな対比のある世界」を描いた。黒人の登場人物のほとんどは顔を黒く塗った白人が演じ、実際の黒人の肌の色は人によっていろいろ差があるにもかかわらず、皆一様に、実際よりも黒い色に塗っていた。そして黒人たちはしばしば暗いところで、狂ったような笑みや、肉欲にとりつかれたような表情で現れる。一方白人の主人公たちは、まばゆく輝くオーラをまとっていて、それが彼らの白さや生まれながらの高貴さを強調している。


マイケル・ジャクソンは、『ブラック・オア・ホワイト』のショートフィルムで、より複雑で、より俯瞰的な人間に対する見方を提示することによって、この「あからさまな対比の世界」に異議を申し立てた。そして彼の抗議は「白か黒か」という皮肉の効いたタイトルで始まる。この作品には、真っ黒なものも真っ白なものも、殆ど登場しない。



ジョー:そのとおり。音と映像で、彼はたえず「カテゴリー」に対する我々の理解に揺さぶりをかけ、注意深く複数のものを同時に提示して、緊張のバランスをとる。マイケルのこの作品は、グリフィスの映画の中心にあった前提、つまり人種の純粋性や、そこから発展した白人優越主義という誤謬を、根底から覆すものだったんだ。



ウィラ:本当にそうね。たとえば、グリフィスは顔を黒く塗った白人俳優を使って、人種の違いをまるで漫画のように表現したけど、マイケル・ジャクソンが私たちに見せたのは、黒と白両方の色で顔にペイントを施したアフリカの部族の男性たちだった。つまり彼らの顔は、白と黒のコラージュよね。これは大事なシーンで、このシーンとともに、ブラックオアホワイトの音楽が始まり、マイケルが登場する。私がすごいと思うのは、登場するなりマイケルは、この男性たちと踊るのよね。そして、単純な人種の定義を揺るがし、それに抵抗している彼の顔は、こういう部族の男性たちの真ん中に最初からあるのよ。黒と白のアートに飾られた、男性たちの顔に囲まれてね。


作品の後半には、あの有名なモーフィングの連続シーンがあって、アメリカン・インディアンの男性の顔が、黒人女性に変わり、それから白人女性に変わり、次に黒人女性、東アジアの女性、というふうにどんどん変化していく。私にとっては、黒と白のペイントを施した部族の男たちとモーフィング、このふたつのシーンは、あなたが言った「人種の純粋性という誤謬」をアートの形で表現しているのだと、私には思える。


生物学的には、「人種」というものは無い。つまり、片方に黒い遺伝子、もう片方に白い遺伝子がある、というものではないのよね。人種というのは、生物学的事実ではなく文化的なコンセプトによって生じるもの。人間は、肌の色や顔の特徴や髪質など、膨大な身体的特徴情報の集積で、人種の区別というのは人為的に与えられたものに過ぎない。




Black Or White(モーフィングで終わるShort Ver)





《註》_________



(*1)ジェームズ・ボールドウィン/アメリカ合衆国の小説家、劇作家、詩人、および公民権運動家。著作の大半は、20世紀半ばのアメリカ合衆国における人種問題と性の問題を扱っている。黒人であり、同性愛者であることに関連した社会的なコンプレックスや、心理的圧力を掘り下げた。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェイムズ・ボールドウィン)



(*2)スクリブナー百科事典/The Scribner Encyclopedia of American Livesのこと。世界的に知られているアメリカ人が掲載されている。ジョー・ボーゲル氏が書いたのは、「世界におけるアメリカ:1776年から現在まで」のマイケル・ジャクソンの項。



(*3)「國民の創生」/D・W・グリフィス監督による1915年公開の無声映画。リリアン・ギッシュ主演。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・ペンシルベニア州のストーンマン家と、アメリカ南部・サウスカロライナ州のキャメロン家の二つの名家に起こる息子の戦死、両家の子供達の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカーンの暗殺、KKKの黒人虐待などを、白人の視点から壮大な叙事詩のように描いている。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/國民の創生



(*4)ラルフ・エリソン/アメリカ合衆国の小説家・文芸評論家・音楽評論家・エッセイスト。小説『見えない人間』(Invisible Man、1952年)によって、1953年に全米図書賞を受賞した。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ラルフ・エリソン


☆(2)に続く




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by yomodalite | 2015-05-09 21:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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