もうたくさん!「We've had enough」(4)

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☆もうたくさん!「We've had enough」(3)の続き


エレノア:子供たちの問いは、神の問題へと通じ、神と国家との関係という問題を提起している。この女の子からすれば、国家は神の許しなく振る舞っているいうことになるのでしょう。彼女はとても難しい問題を私たちに突きつけている。





How is it that you get to choose

Who will live and who will die?

Did God say that you could decide?


誰が生きるか、誰が死ぬか、

どうしてあなたが決めるの?

神様がいいっていったの?


一方で、幼い少年の投げかける問題はより哲学的ね


Did God say that they could decide

Who will live and who will die?


誰が生きるか、誰が死ぬか

彼らが決めていいって、

神様が言ったの?



ウィラ:うんうん、よくわかる。私はひとつの解釈しかわかってなかったわ。女の子が警官はお父さんの命を奪う権利なんかなかったと訴え、少年も同じような訴えをくり返す、と解釈してた。でもあなたの言うとおりだわ。二人の問いには、些細なようで重要な違いがある。


ひとつは、少女は警官に直接抗議してるけど(あなたが決めていいって、神様は言ったの?)、少年は何が起こったか父親に尋ねてる(彼らが決めていいって、神様は言ったの?)。代名詞が「あなた」から「彼ら」へと微妙に変化してることで、状況も、私たちがそれをどう解釈するかも大きく変わってくる。というわけで、また代名詞の問題になったわね。あなたが言うとおり、代名詞の使い方によって視点を変える、マイケル・ジャクソンの洗練された手腕は、もう素晴らしいと言うほかない。彼の作品ではいつもそうだけど。


それで、エレノア、あなたが指摘しているように、この女の子は、怒りに駆られて警察官に立ち向かい、どうしてこんなことをするのかと詰め寄るけど、少年はどう理解したらいいんだと苦しむ。何日も、何週間も、もしかしたらこれから何年もね。そして、父親にどう理解したらいいのかと尋ね続ける。



エレノア:そう。この、妻の命を救う術がなかった、そして母を失った子供に、説明しがたいことを説明しなければならない、哀れな父親の姿を思い浮かべると、本当につらいわね。



ウィラ:本当にね。私の父は、5歳で父親を亡くしたんだけど、私の個人的な経験から言うと、その喪失感を克服するのには一生かかることだってあるわ。親を失うことほど大きなダメージって、そうあるものじゃない。



エレノア:悲しいことよね。どれほどのものか、想像もつかない。でも、これらの物語の内容を感情的に見ることから離れて、その根底にある論理に目を向けてみましょう。2つの物語はどちらも、国の代理人である、制服を着た男たちが、子供たちの親の死に直接的な責任を負っていることを明らかにしている。そして、どちらの子供も、誰が生きるか誰が死ぬかを決められるのは神だけだと思っているらしい。


だから、唯一出来る説明は、神が、国家に彼らの親たちの命を奪ってもいいと許可を与えたのだ、という説明だけなんだけど、そんなこと言われても、子供たちにはさっぱりわからない。


もし子供の親たちになんの罪もないとすれば、神が邪悪であるか、または、国家が何らかの方法で神の権限を横取りした、ということになるけど、どちらも論理的にはありえない。ひとつ残された理屈の通る説明は、子供たちの言うことは違っていて、彼らの親には何らかの罪があるということ。


でも、これはマイケル・ジャクソンが歌っている歌だから、MJの世界においては、子供たちは嘘はつかないし、物事を誤りなく見る目がある。マイケルが大事にしていたのは、この聡明で純粋な資質で、この曲の子供たちもそれを持っている。この子供たちは、真の意味での子供たちなのよね。


大人たちは黒を白と言いくるめることもあるけど、子供の深い知恵は、物事の本質を捉える。どのように見ようと、この曲で子供たちは、何かが腐敗している、何かがおかしくなっている、理屈に合わなくなっている、と私たちに伝えているのは確かよね。


もし「神」が制服の男たちに罪なき命を奪う権利を与えたとしたら、それはどんな神なのか(こんな人間と手を組むなんて)?


子供たちには根本的な矛盾が見える。彼らは、黒を白に、白を黒にしてしまう詭弁、たとえば、黒人に生まれたり、敵対する地域だと見なされた場所に生まれてしまえば、そういう子供たちの親は、罪ある人間で、殺されてもしかたない、と主張するような、ややこしい政治的あるいは論理的詭弁に惑わされることはない。


子供たちは鈍感になったり、慣れたり、飽きたり、洗脳されたりしない。子供たちは本当に純粋だから、それがわかってる。こうしたことが起こったとき、現実に対する私たちの理解の仕方かも知れないし、「神」に対する私たちの理解の仕方かも知れないけど、何かが、たがの外れた状態にあるってことをね。


胸の痛むような、子供たちの物語と、彼らのシンプルでまっすぐでこの上なく真っ当な問いは、神について、少なくとも、アブラハムの宗教の神は、完全な善であり、完全なる力を持つという、従来の考えの中にある根源的な矛盾を明らかにしている。そして、その矛盾が示すのは、そこで語られる神は「神」ではない、最も組織化された宗教の神は、それほど賞賛される存在ではない、ということ。



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ウィラ:それは、人々が何千年もの間悩んできた問題をも提起するわね。どうして、慈愛に満ちた全能の神がひどいことが起こるのを許しておくのか、という問題よ。どうして慈悲深い神はホロコーストを許し、戦争を、飢餓を、病を、拷問を、見過ごしているのか?マイケル・ジャックソンはこの疑問について、ラビ・シュムリーとの会話の中でも考えている。たとえば、『マイケル・ジャクソン・テープス』の「カルマと正義」という章でね。


MJ:僕はカルマなんて信じない。そんなのはゴミだよ。なぜって、世界のトップに君臨する多くの邪悪な精神を持つ悪人たちは上手くやっているし、人々も彼らを好んでる。


SB:君がそんな風に強く主張するのは、いいことだね。


MJ:うん、残念だけど、ゴミだね。カルマなんていうセオリーは、誰かがでっち上げたものだよ。


SB:そうだね。「自分がしたことの結果は、自分にはね返ってくる」というのはいい。それは、偉大な真実だ。だけど、カルマは、障害をもった子供たちに「それはなにか前世で悪い行いをした報いだ」というように、実際に害を及ぼす。


MJ:それも微妙だね。こんなことはあんまり言いたくないんだけど、でも、僕は、誰かがそういったことを言うのは、本当に嫌なんだ。障害がある子供たちは、前世で悪いことをしたから、神がその子供に障害をあたえる? 以前ある国から飛行機でアメリカに養子に迎えられる孤児たちがいた。その飛行機は墜落し、乗っていた子供たちはひとり残らず亡くなった。なぜだろう? もし誰かが天国にいて、子供たちを守れるなら、こう言ってるはずだ。「この飛行機は落ちない。他の飛行機は落ちることがあっても、これは落ちない」僕ならそうするね。


◎『MJ Tapes』第3章 “カルマと正義”(マイケル・ジャクソン対話集)



エレノア:これはすごく興味深いやりとりだわ。マイケルがこういった問題といかに格闘したかが、はっきりとわかるし、彼が「お仕着せの神学理論」を鵜呑みにしていないのもわかる。もし私たちが、全能の神がこの世に起こることすべてに責任を負っていると考えるなら、私たちは良心ゆえに、この世に起こる多くのことに怒りを感じる。MJがそうであったように。すると、私たちは人間の方が神よりも善悪の区別ができると考えるようになるけど、それは従来の宗教の教えではありえないことよね。


けれど、神の論理に欠陥があったとしても、ある人にとっての神は、このような出来事に対して説明をしてくれる唯一の存在であるし、ある人にとっての神は、一般的に生殺与奪の力を持っていると考えられていて、ある人にとっての神の意思は、国家の行いの理由付けとして考えられることもしばしば。


マイケル・ジャクソンは私たちに、国家の行いと神の意志の関係について多くの人々がそうだと思い込んでることについて、よく考え、疑問を投げかけてほしいと、心から思っているんじゃない? 


その関係性についての思い込みが、無意識であるにしろ、いかに私たちの意思を麻痺させ、個々の人間の責任について考えなくさせているか問うてほしいと。彼は私たちに、「国家」とはいったい誰のことなのか、誰の意思のもとに国家は行動するのか、そして、誰がどうやって価値のない命があるなどと確信を持つのか、ということを考えてほしいんだと思う。



ウィラ:私もそう思う。「We've Had Enough」は、私たちに従来の知恵や、それぞれの信仰にさえ疑問を投げかけるようにうながすことで、神について表現するような歌になっているけど、この歌の中心テーマが神だとは私は思わない。


この歌は、私たち自身を問う歌だと思う。人間がいかに、何であろうと自分のイデオロギーを打ち出すために、神の概念を都合よく利用してきたか、ということを。


エレノア:人間の長い歴史は、まさにそれの繰り返しね。古代ギリシャや、ローマでは、皇帝はしばしば神としてあがめられ、それゆえ国が何かの行動を起こすとき、彼の意思は神の意志と見なされた。やがてこの皇帝=神の考え方は、王権神授説へと進化し、それによってヨーロッパの絶対君主たちは苦もなく支配権を行使し、数知れない罪は覆い隠され、果てしない宗教戦争に燃料を注ぎ続けることになった。今日でも、国家は、自分たちが神の意志を行使する役目を仰せつかっていると信じ続け、そのように振る舞い続けているのでは、と思いたくなる証拠が数多くある。


人間が(非人間的に)自分の利益目当ての振る舞いをし、それをよく見せたいとき、神の名前を出せば、都合の良い権威付けになる。


昔から国家と手を組んで仕事をしてきた、組織化された宗教の神は、いわば薄いベールをかぶった「国家の代理人」で、国家が何千年にわたって自分たちの行為を正当化し、市民を操る為に利用してきた。その、人の行動を心理的に支配するための概念は、特に、価値のある命とそうでない命をより分けるときに利用されてきた。


ウィラ:すごいわ、エレノア。この歌には考えるべきことが満載ね。「人間が(非人間的に)自分の利益目当ての振る舞いをし、それをよく見せたいとき、神の名前を出せば、都合の良い権威付けになる」っていうのは本当だと思う。例を挙げると、国も宗教も(フットボールチームでさえ)、たびたび「神は我らの側に」と主張し、自分たちの行為は、それがどんなに暴力的あっても、神の意志を実行しているものである、と言うのよね。



☆(5)に続く








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by yomodalite | 2015-03-31 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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