「Dancing With The Elephant」の記事を紹介します! |
MJJFANCLUB JAPANで、管理人の方が丁寧な訳で紹介してくださっている、ウィラとジョイエの会話をお読みになった方は多いと思います。『M Poetica』の著者である、ウィラ・スティルウォーター博士と、MJFCのファウンダー、ジョイエ・コリンズ氏のブログ「Dancing With The Elephant」は、私がもっとも好きなMJブログです。
マイケルが旅立ったあと、世間の彼への見方は一変し、性的幼児虐待とか、変人であるということが覆されても、彼の顔の変化については「白斑症という病気の被害者」を強調するばかり。そこには、彼の意思や、アートが詰まっているという私の期待に応えてくれるものはどこにもなく、スティルウォーター博士が同様の表明をしてくれたときは、世界で初めて共感できる方を発見したように感動し、なんだか肩の荷が降りた気さえしました。
その他、「マイケル・ジャクソンは私たちが想像すらできないようなレベルの悪口雑言に耐えていたけど、私たちが想像できないほどの喜びも経験していた。彼はどん底も、とんでもない高みも感じていた。(http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-3480.html)
という感覚を基調にした内容の多くに、いつも感嘆しながら眺めてはいたものの、自分で翻訳する力はなく、残念に思っていたのですが、今回紹介する記事は、ウィラと彼女の友人である、エレノア・バウマン氏との会話です。
その内容は、私が、MJの顔の変化へのこだわりのあと、のめりこんだ問題の多くに関わっていて、それで、、
「今、この記事を紹介できないんだったら、もうブログにマイケルのことを書く意味なんてない!」
と、私に泣きつかれたchildspirits先生の全面協力のもと、記事を翻訳することが出来ました。
内容は、まだ記憶に新しいミズーリ州ファーガソンで起きた、白人警官に黒人青年が射殺されたことへの抗議で、マイケルの「They Don't Care about Us」が歌われたことから始まり、もうひとつのプロテストソングである「We've Had Enouth」の解釈へと進みます。
冒頭で紹介されているD.B.アンダーソンによる記事を以前に読んだとき、私は、心を動かされることはありませんでした。マイケルをどんなに高く賞賛されていても、彼が、他のセレブたちに望む基準を、MJに求めているように感じられたからです。
でも、ウィラとエレノアの会話が行き着いた地点には、マイケルの偉さと、自分への情けなさを痛感して、号泣せずにはいられませんでした。