ギタンジャリ/ロビンドロナト・タゴール、川名澄 (翻訳)

タゴール詩集 ギタンジャリ―歌のささげもの

ロビンドロナト・タゴール/風媒社

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去年読んだ本で、ブログに記録しておかなくちゃと思う本が溜まり過ぎていて、2015年の最初に紹介する本を何にしようか迷ったのですが、こちらは、私が思う『ギタンジャリ』のベスト翻訳本。

ディーパック・チョプラ氏が、マイケルが旅立つ2週間前の会話で、彼がタゴール詩集を読んでいたと明かしていたことで(『ギタンジャリ』かどうかはわからないのですが…)、この詩集を読んでみたという方も多いと思います。


私もそのひとりで、多くの翻訳本がある『ギタンジャリ』をすべて読み比べてみたわけではないのですが、本書は、一般的な単行本よりも一回り小さく、厚み1センチのコンパクトサイズ。タイトル部分は、銀箔押しで、ベッドサイドやお気に入りの読書スペースに置いておくのにも相応しい素敵な装幀で、平易な言葉で散文的に訳されているだけでなく、英語詩も併記されています。

本書の「はじめに」から、要約して引用します。

タゴールの詩稿は、画家のウィリアム・ローセンスタインの奔走によって詩人のイェイツや、エズラ・バウンドに見出され、英語詩集『ギタンジャリ』は、イェイツの序文とともにロンドンのインド協会から発行され、その数年後、タゴールは、アジア人として、最初のノーベル文学賞に輝く。英語版の『ギタンジャリ』は、小説家のアンドレ・ジッドによるフランス語訳をはじめ、世界各国で翻訳され、詩人の増野三良が日本語に訳した『ギタンジャリ(歌の祭贄)』が出版された翌年の1916年に、タゴールは初めての日本訪問を果たしている。タゴールは詩作のかたわら、演劇、小説、評論、作曲、教育、絵画といった分野でも活躍し、20世紀前期のヨーロッパ、アジア、南北アメリカなどの諸国を歴訪しながら東西文化の交流にひと役買った。

題名の『ギタンジャリ』は、ベンガル語で《歌のささげもの》という意味である。

収録作の多くが、作者である「わたし」から、永遠の存在である「あなた」へとささげられた歌の形式で書かれている。「あなた」が、神であるならば、これらの歌はすべて神にささげられた詩人の祈りであるといえるだろう。

英語版の『ギタンジャリ』は、1910年に上梓したベンガル語版『ギタンジャリ』から、53篇、その前後の10年ほどの期間にものした『ささげもの』「渡し舟』などの詩集から50篇、しめて103篇のベンガル語の韻文を自選し、タゴール自身の手で英語の散文に翻訳して1冊にまとめられた。

それぞれの詩に通し番号が打たれているだけで、題名はついていないが、元々バラバラに書かれた作品である。

(引用終了)

通し番号だけでは内容がわかりにくい「目次」には、詩の冒頭が日本語と英語の両方で記されていて、


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対訳もある本文は、こんな感じ。。


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横浜三渓園で撮られたというタゴールの写真に、なぜか既視感を覚えたりw、私が海外の詩を日本語にするときに思い描いている「理想」(散文的で、詩的な印象の漢字や表現をできるだけ避けたもの)に近いからでしょうか。『Dancing The Dream』に納められていたら、マイケルが書いたと思ってしまうような詩もいくつかあって、そんなことも、「ベスト翻訳本」に選んだ理由なんですが、、



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「訳者あとがき」より、要約して引用します。

タゴールは英語の独特な擬古文で『ギタンジャリ』を書いた。少年の頃から、サンスクリット語のヴェーダ文献や叙事詩、中世インドの宗教詩に親しむとともに、シェイクスピア、バイロン、ワーズワースなどの英語の詩文にも傾倒し、青春時代には《ベンガルのシェリー》という渾名がついたという逸話もある。タゴールが詩の翻訳を試みるときに、英語の擬古文を採用したのは、自然のなりゆきだったにちがいない。しかし、わたしは英語のテキストが擬古文だからといって、日頃なじみのない古雅な日本語に訳すのではなく、水のように透き通った現代語に置き換えていくことに、ひたすら心血をそそいだ。本書を訳すにあたり、先行する訳業の数々を拝読して幾重にも敬意を表したうえで、これから初めてタゴールを読もうとしているひとの心にも自然に届くような日本語をあてはめていくことを肝に銘じた。

(引用終了)


本書から一篇だけ選ぶのに、すごく迷いました。

次に訳そうと思っている『Dancing The Dream』の “WHEN babies SMILE” や“children OF THE WORLD”を思い出す詩もあったのですが、わたしは、MJがチョプラに、「タゴールの詩を読んでいる」と言ったのは、そのこと自体が、「別れの挨拶」だったように思えて、それで、そういった詩の中から選んでみました。

*  *  *

わたしは知っている、この世が見えなくなる日が訪れることを。

いのちは無言で立ち去るだろう、わたしの眼に最後のとばりを垂らして。


それでも星は夜の見張りをして、朝はいつもどおりに起床するだろう。

海の波のように時間がうねり、愉しみと苦労を打ちあげるだろう。


わたしの時間の終わりをおもうとき、時の障壁が破れて、

死の光に照らされたあなたの世界の素朴な宝のありかが見える。

そこでは身分の低い席ほど大切にされる、卑しいいのちほど大切にされる。


わたしが無駄に待ち望んだものと、わたしが手に入れたもの ーー

それらは消えるにまかせよう。

かつてわたしが拒絶して見過ごしたものだけを、いつわりなく手元に残してくれ。



I KNOW THAT the day will come when my sight of this earth shall be lost, and life will take its leave in silence, drawing the last curtain over my eyes.


Yet stars will watch at night, and morning rise as before, and hours heave like sea waves casting up pleasures and pains.


When I think of this end of my moments, the barrier of the moments breaks and I see by the light of death thy world with its careless treasures. Rare is its lowliest seat, rare is its meanest of lives.


Things that I longed for in vain and things that I got-let them pass. Let me but truly possess the things that I ever spurned and overlooked.



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by yomodalite | 2015-01-05 13:05 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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