『MJ Tapes』の翻訳について[3]序章を終えて

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Photo : Angel Ball 2000


いつになったら終わるの!と、みなさんをイライラさせていた、シュムリーの1人しゃべりもようやく終わり、ついにMJとの会話が始まったわけですが、ここまでのストレスとか、今後のことも踏まえて、またまた、childspirits先生とおしゃべりしてみました。


《前回のおしゃべり》

最初、childspirits先生も、シュムリーへの不満を爆発させまくってやると勢いこんでいたんですけど、なんだかんだ、yomodaliteがいっぱいしゃべってます(てへへ)

☆ ☆ ☆


yomodalite(以下Y):序章、長かったよねーーー(しみじみ。。)あのヒゲメンwのしゃべりが長過ぎるせいで、「公開のお知らせ」から「まえがき」、前回の「おしゃべり」や、注釈と、言いわけするのに必死になって、しわは増え、老眼が進み、肌荒れ、腰痛、体重増加に、各種更年期障害の悪化と、自分たちで始めたこととはいえ、お互い散々な目にあってるわけだけど、なんかいいことってあった?(笑)ホント覚悟を決めていたつもりだったのに、モヤモヤしたり、読んでくれている人の笑顔が想像できなくて、胃が痛くなったりしたよね(泣)。


でも、何度でもはっきり言っておきたいんだけど、私たちは、シュムリーの見解に共感して、これを公表しているのではなく、とにかく全部読まずに批判したり、考察の材料とするなんてこともしたくないので、「全訳」にこだわったんだよね。


それと、これは、私たちではなくて、「私個人」の理由なんだけど、以前、「マイケルと神について」を書きはじめたとき、私は、様々なひとが、自分の信じていることや主張に都合のいい部分だけをとりあげて「マイケルの思想」だとか、マイケルの神はナントカと似ているとか言っていることが不満だったのね。だって、似ていると感じる点から、MJを考えていても、今、自分が信じていることを(無意識に)補強するだけでしょう? 私には、Godはひとりで、それは「Jehova」だと、2005年の時点で、MJが言ってたことをわかっている人はいないように見えたし、私にもわからなかった。


でも、彼が否定していたり、ここについては留保しているとか、そういうことだったら、少しはまとめられるんじゃないかと思って、無謀にも書きはじめたんだけど、当初の予定では「Imagine」と「All In your Name」を比較して、その違いについて書いたら、一応「第一部」終了というか、少しはスッキリすると思ってたんだけど、「All In Your Name」の訳詞が自分で納得できるまで完成できなかったのと(その後に和訳しました→)、それ以外にも、資料不足を感じることが多くて、それで、これに関しては、もっと徹底的に「遠回り」しようと思ったのね。で、その遠回りの第一歩が『MJTapes』の全訳だったんだよね。


childspirits(以下C):「MJについて語られた言葉より、MJが語った言葉」を知ってもらおう、という本来の目的にたどり着く前に、息絶えてしまうのではないかと思ったよね。そんなにしてまでどうして訳す?喜んで読む人ばかりではないのに。と自問したこともあるんだけど、シュムリーなしにはここに収められたMJの言葉は日の目を見なかったことを思うと、彼の解説を自分の意にそぐわないからといって「なかったこと」にするのは有用ではないし、今の時点で、自分たちなりに、シュムリーに対して反論すべきは反論し、共感すべきは共感したほうが、この対談がMJ研究の資料として生きたものになるんじゃないかな。というか、生きたものにしたい。とはいえ、まず反論すべきは反論したいんだけど(笑)、


この前、yomodaliteさんと話し合ったときは、シュムリーの語りの部分だけでなく、『MJTapes』全般を視野に入れていた気もするし、MJから学びたいのなら、最初から批判的になったり、感情的になっちゃいけないとかなり自制していたところがあるんだけど、シュムリーのまえがきは、その長さもしんどかったけど、全体を通して、後出しジャンケンみたいなものじゃないか、という思いはあったよね。MJとやった対談という「作品」に対して、「実はこうだった、ああだった」と、共同制作者が反論できないところで書くというのは、フェアではない気がしたよね。


Y:確かにね。でもさ、その批判はもっともではあるけど、反論できないところで、、っていうのは、シュムリーに限らず、ファンも含めてすべてに言えることだよね。MJは自ら語ることをずっと抑えていたしね。MJについての証言には様々なものがあって、彼について、なにが本当なのか?と思い始めると、じゃあ、誰が嘘をついているのか?と考える人もいる。でも、私自身はね、それは、誰かが嘘をついているわけではなくて、「MJストーリー」に対して、それぞれの人が感じた「プロット」の違いだと思うのね。


ストーリーは「物語」、プロットは「筋」というか、物語に因果関係を加えて解釈したものだ。と考えてもらえばいいと思うんだけど、もう少し説明すると、


彼が旅立つ前の一般的な “MJストーリー” というのは、「ジャクソン5で、一世を風靡した少年が、青年になり、類いまれなるダンスや、整形によって顔を変えたことで、史上空前の成功を手にしたものの、整形の繰り返しや、浪費癖、少年との不適切な交際によって、その栄光を台無しにした」というものだったよね。


これは、莫大な成功のあとには、転落がつきものという庶民感覚に則っていて、その要因を「整形」とか「浪費癖」とか「異常な性的嗜好」に結びつけて、さらにその原因は「幼児期のトラウマ」だとかっていう、児童への性的虐待をのぞけば、こういったストーリーは、大抵の芸能人にも当てはめることが出来るし、それは、誰もが想像できるストーリーだったよね。

でも、実際に、彼が亡くなってみると、そんな誰もが疑っていなかったストーリーに混乱が起きた。それが『THIS IS IT』で、「転落したスター」としてエンディングを向かえるはずだった物語に「復活」というありえない展開が起こった。


私たちはふたりとも『THIS IS IT』での復活からMJを考えてるよね。なぜ、彼は復活できたんだろう?って。私たちは、彼の最後を輝かしい結末だと感じて、彼の人生は不幸なこともあったけど、見事な人生だったんじゃないかという思いから、今までの “MJストーリー” を見直して、これまで想像していなかった事実をいっぱい発見した。


でも、『MJTapes』のシュムリーは、彼が亡くなった直後、彼が薬物の中毒で亡くなったという情報と、これまで流布された、性的疑惑を払拭したいという気持ち、加えて、彼との友情が壊れた原因から考えている。だから、素晴らしい人間性をもっていたMJが、性的児童虐待という疑惑に苦しみ、処方薬の乱用のせいで、徐々に気力をなくし、悲劇的な最後をむかえてしまったというのが、シュムリーが思う “MJストーリー” だよね。


「マイケルの死」には、そのあたりがよく表れていると思うんだけど、シュムリーには、親密だった思い出と、別れの思い出があって、親密だった思い出の中には、MJの優しさや、自分の子供たちへの態度から、児童への性的疑惑については、なんとしてでも誤解を解きたいという思いがある一方で、別れの思い出を辿っていると、自分から離れて、彼が思う「堕落した社会」であるエンターテイメントの世界に戻ろうとするMJに、生活態度を含めて批判的で、彼とのプロジェクトが上手くいかなかった一番の原因も、処方薬の使用について、自分がウルサく言うようになったことを、MJが疎ましく思うようになったからだと考えている。


そして、それがついに、彼の命をも奪ってしまったと思うと、父親としての責任を果たさずに、幼いこどもたちを親のない子にしてしまったという怒りも重なって、MJを強く非難している部分も目立つ。


C:シュムリーの感情がずいぶんダイレクトに表現されてる部分だよね。私ね、彼のしゃべりがあまりに長いから、訳しながら、「この本はシュムリーテープスかっ」って毒づいたときもあったけど、ある意味「シュムリーテープス」で間違いないと思う。彼という人間が、よく表れているもの。


この本が出版されたときのテレビ番組を動画で見たんだけど、そこでは本の内容を断片的に流したり、番組のキャスターが、”Some people say…”みたいな言い方で、シュムリーに話をふったりして、ある結論に誘導するために、他人の言葉を引用したり、状況の一部を切り取ったりするでしょう。純粋に「客観的」というよりは、建前としての「客観的」で、「他の人もこう言ってます」とか、「みんなそう言ってますよ」みたいな楯の陰で、自分だけは安全なところから、ものを言ったり、他人に石を投げたりする。


シュムリーが、そういった材料をメディアに与えたこと自体に、腹立たしい思いを抱く人もいるかもしれないけど、MJの「子供っぽい」と批判されたキャラクターの裏側には、知的で、複雑な内面があったという、その両面を見せてくれていることで、彼のこどもへの愛が本物だったことや、本当に優しくて、エンターティナーとしてだけでなく、人間として素晴らしかったことを提示してくれたことも確か。


『THIS IS IT』で、そのことを大勢の人が目の当たりにする前、無罪判決でさえ、まったく信じようとせず、異常な性格というイメージを流布しようとするメディアに向けて、自分が知っているMJを根拠に、彼の本当の人間性を提示したという姿勢には、卑怯なところがなくて、敬意を払いたいし、訳してても面白かったんだよね。


Y:そうそう、本の中では、MJの子どもの接し方に文句を言ってるように感じる部分もあるけど、メディアに登場してるときは、毅然として疑惑を否定してくれている感じがするよね。彼はもともとMJに対してメディアで言われてた印象しかなくて、直接交流して、その人間性に惚れ込んで、疑惑について否定すべき点は否定しなきゃって思ってるわけだから、メディアの主張とある程度バランスをとってしまうのは仕方ないしね。


それで、「プロット」の違いについての話をもう少し続けたいんだけど、私がフォローしてる海外ブログでみた画像なんだけど、


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The loneliest people are the kindest

最も孤独な人は、最も思いやりのある人である


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The saddest people the smile the brightest

最も哀しい人は、最も朗らかに笑う人である


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The most damaged people are the wisest

最も被害を受けた人は、最も賢明な人である



こうやって、なじみのある彼のショットに、逆の意味の言葉が添えられていると、共感する人が多いんじゃないかと思うんだけど、私たちは、MJから様々な面を感じている。でも、解釈つきの文章というものは、往々にして、どちらか一方を無視して納得させようとするものが多いんだよね。


例えば、この文章をシャッフルして、


・最も孤独な人は、最も朗らかに笑う。とか、

・最も被害を受けた人は、最も思いやりがある。


とすると、個々の要素はMJにあるものなのに「しっくりこない」。

つまり「ストーリー」として認識しにくいんだよね。


でも、それぞれの頭の部分で繋げて、


・最も孤独な人は、最も哀しく、最も被害を受けた人である。


とか、後半部分をつなげて、


・最も思いやりのある人は、最も朗らかで、最も賢明な人である。


だと「すんなり」するでしょう。


つまり、これが「筋の通ったストーリー」なんだよね。


3段目の写真はあんまり対照的なセレクトではないけど、1枚目と2枚目の彼のキュートな笑顔にメロメロにならない女子は少ないよね。この笑顔をみると、こっちまで幸せになっちゃうもんね。でも、彼がメディアに嫌がらせをされていたり、MJ自身が少年時に辛かったなんて、話を聞くと、彼のことを「かわいそう」だと感じて、彼の寂しげな表情もたまんなくて、そこも「キュン」ときちゃうでしょ。つまりさ、自分を幸せにしてくれた相手を、同時にかわいそうだと思って、私が応援してあげなくちゃ。と思う気持ち、「ファンの愛」って、大体そういうものだよね。


だから、このすんなり納得できるパターンは、正義を求めて、誰かを銃弾するようなブログの主張や、フェイスブックで、速攻「イイネ」がもらえるタイプの記事にも多い。


どういうことなんだろう?という疑問を解くために、人はそれぞれ自分が納得できるプロット(筋)を求める。「それじゃ、筋が通らない」なんてことをよく耳にするでしょう。ひとを納得させるためには、「筋が通っている」ことが重要なんだよね。でもね、上記の写真の例のように、筋を通すためには、筋が通るような部分を繋げるものでさ、だから、「真実」としてすっきり納得できるようなストーリーは、決して「リアル」ではないことが多い。


『MJTapes』は、全体にプロットが求められる通常の本と比べれば、ある章で感じるようなMJとはまた別の面が、次の章では展開されていたり、リアルなMJが垣間みれるという点は貴重なんだけど、シュムリーがひとりでしゃべっている部分は、自分との別れと、死因として取り上げられた薬物を直結させた「プロット」になっているから、そこは注意が必要だよね。


彼は、MJが鎮痛剤を必要としていることを、精神的な苦痛からの逃避としか捉えてないし、クリエイターの生活がわかってないから、これまでに見たスターが薬物で亡くなったというニュースに、MJを重ね合わせて考えているんだけど、当時、MJがヒストリーツアーと『インヴィンシブル』の製作でどれほど疲労していたかという想像はまったく出来ていない。


それから何年も経ってから、一緒に仕事をしたウィル・アイアムやエイコンといったクリエイター達が、少年のころに憧れだったMJに会ったとき、彼が薬物でダメになりかけていたとしたら、すごくがっかりしたはずなんだけど、彼らは自分がスターになった後でさえ、MJへの尊敬を失わなかったし、むしろ、直接その人間性に触れたことで、もっと尊敬するようになってる。


書き手というのは、どんな人でも、自分が主張したいことを書いてしまうものだし、主張に見合った証拠ばかり目に入りがちで、よく見つけてしまう。自分もそうなってしまうとよく反省するんだけど、


文章は、結論に向かって一直線に書いた方が説得力がある。


さまざまな事実を照らし合わせて、結論を出すのは至難の業だけど、最初から結論を決めて、エビデンスを揃えるのはすごく簡単なんだよね。特にネット社会では!


もっとも、ネットでMJについて書かれた文章の場合、それをエビデンスだと思うのも、あなただけだっていう文章がほとんどだけどさ(笑)


☆『MJ Tapes』の翻訳について[4]に続く





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by yomodalite | 2014-11-25 01:19 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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