マイケルと読書[8]1976年のこと

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2009年6月28日のデイリータイムズの記事から、1976年に、17歳のマイケルと乗馬を楽しんだ家族によるエピソードを紹介します。

あくまでも、MJの読書についてのメモなんですが、1976年は、ジャクソン5がモータウンを離れ、ジャクソンズとして羽ばたくことになった年でもあり、テータム&ステファニー&テレサ期ともいえる時期ですねw(写真は大体同時期からセレクト)。

source : http://www.delcotimes.com/


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乗馬のときも、この帽子だったのかしら?



Radnor family had inside look at Michael Jackson

1976年の夏、スージ・ナッシュは、バレーフォージ国立公園の丘を、未来のキング・オブ・ポップの腰に手を回して馬に乗っていた。

17歳のマイケル・ジャクソンは、まだジャクソン5の一員で、その日、彼らは、ナッシュが子供時代を過ごした、ペンシルベニア州ラドナーのウェイン地区にある家に訪れていた。それは、その後10年以上にわたって続いたマイケルとの交流の始まりだった、とナッシュは語る。彼女はこの並外れたエンターティナ-がフィラデルフィアでコンサートをやるときは、いつもその前後に彼のところへ行くようになった。



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このベルトに挟んだキーも、ファッションかしら?



「それは、たしかにワクワクするようなひとときでした。彼はこの上なく素敵な男性でした。少しシャイで、どこか物静かで。彼といると、私はついお姉さんぶってしまいました」そう語るナッシュも、マイケルに会った当時は、ティーンエイジャーだった。

ジャクソン兄弟がナッシュ宅を訪れたのは1976年の7月15日、フィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオでレコーディング中のことだった。プロデューサーのデクスター・ワンセルは、彼らにちょっとした休息を与えたいと思い、友人のトニ・ナッシュにお膳立てを頼んだ。

(トニは、スージとマイケルとラリーの母で、かつてWGBS-TV57の番組「プロファイルズ」で進行役をつとめ、現在は彫刻家でもあり、アンドリュー・ターナーのドキュメンタリーの監督、制作にも関わっている)



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罪深い視線!



「デクスターとは友人で、あくまでも個人的な付き合いの中での頼みだった。だから、誰もマスコミに知らせたりなんかしなかった」とトニは言う。彼女は、家族が所有する3頭と友人から借りた数頭の馬を、スナイダー夫妻の家のあるアイビー・ホローへと運び、そこで、ジャクソン兄弟は野球をやったり、馬に乗って、バレーフォージ国立公園を馬で巡ったのだ。

スージは、兄弟たちが “カウボーイ” を気取ってはしゃいでいる間も、マイケルはリムジンのそばでたたずんでいた。と語る。

私は、「あなたは馬に乗らないの?」って聞いたの。そしたら、彼は『だって、全部、君が準備をした馬だから』って。

マイケルは、自分も馬を持っているけど、家にはもう2年も帰っていないし、上手く乗れるか自信がないと言ったので、スージは、ミッドナイトという名の自分の馬にマイケルを乗らせることにした。



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わ、私も写真撮るの、好きなんですけどぉ。。



「私が馬をひいて彼と一緒に歩き出すと、彼は『君の靴が泥だらけになっちゃうよ。僕が馬を引いて歩くよ』って言うの。

それで、自分の馬を持っているなんてすごくラッキーだから、友達にはいつもミッドナイトに乗ってもらって、自分は引っ張る役にまわるのだと説明し、「誰にでもそうするの。あなただけが特別じゃないわ」と言うと、マイケルは『本当?』って言って、そのあとは、彼はすごくリラックスして、落ち着いているようだった。今まで誰も、彼に対して「特別じゃない」なんて言ったことがなかったのね。スージは笑いながら語った。

馬小屋のそばで45分ほど、彼の乗った馬の手綱をひいたあと、スージはこのポップスターと一緒の馬に飛び乗り、腕を彼の腰に回して手綱をとった。マイケルは、一緒に3時間、馬に乗っている間、非常にリラックスしていた。最後には一緒に笑ったりして、「歌も口ずさんでくれたのよ」と、スージはふり返る。



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食事中なのに、4つもボタン外すなんて。。



「ひとりの時間をあげたかったの」

数年後のフィラデルフィアでコンサートを行ったときの訪問で、スージはタイトルもろくに見ず、両親の書棚から1冊の本をつかみだした。マイケルに何かプレゼントをしたいと思い、彼が古い本が好きだと言っていたことを思い出したのだ。

運命のなせる技か、その本は、1902年出版のジェームズ・アレンの『As a Man Thinketh』(邦訳『「原因」と「結果」の法則』)だった。

「彼は私を見て、飛び上がりそうだったわ。『どうしてこれをくれようと思ったの?どうしてこの本選んだの?』と言って」

マイケルは、「世界中で一番好きな本なんだ」と彼女に言った。そのタイトルは、聖書の箴言、23章7節に基づいている。

"As a man thinketh in his heart so is he,"
思考が人間を創る。人は心の中で考えているような人になる。



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ジャクソン兄弟がナッシュ家を訪れた日は、奇しくもマイケル・ナッシュの13回目の誕生日だった、とトニは語る。乗馬から帰ってくると、彼らは、ウエストアベニューのナッシュ家に、大きなケーキと共に再び訪れた。

「ハッピー・バースディ」を歌ってくれたのよ、とトニは言う。彼女は、自分の息子のためにジャクソン兄弟が歌ってくれたテープを持っているそうだ。スージは、マイケル・ジャクソンと会うときに、一緒に写真を撮ってと頼んだことは一度も無いという。

「私たちは、写真やサインをねだったりしなかった。だからつき合ってもらえたのだと思うわ」

スージと彼女の一家は、ジャクソン兄弟が訪問の際は、彼らのボディーガードに入念にチェックされた。本を見ようと、マイケルがスージとリビングルームから、彼女のベッドルームに行くと、ボディーガードが素早くあらわれて、マイケルに「大丈夫か」と尋ねた。と彼女は言う。

スージは初めてマイケルに会ったとき、周りの人間が、どれだけ彼をコントロールしているかを見てショックを受けた。その時彼は18歳の誕生日を6週間後に控えていたというのに。

「みんなは、マイケルがディナーに出かけるのはよくないと思っていたわ。人目につくところに出て欲しくなかったのよ。ボールを踏んで転ぶといけないからって、テニスもさせなかったし、風邪をひくといけないからって、泳ぎにも行かせなかった。あの時は、絶対馬に乗りたいって、彼、頑張ったんじゃないかしら」



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チェスター郡のバレーフォージ音楽祭でのパフォーマンスのあと、マイケルを訪ねたときのことを彼女は思い出した。マイケルは、サインをもらおうとペンを取りにいった小さな男の子を待っていたのだが、そのとき、彼の「仕切り人たち」に体ごと運ばれてしまった。彼らは次のスケジュールへと彼を追い立てようとしていたのだ。

「彼らは文字通りマイケルの胴と足をつかんで持ち上げたの。マイケルは私の襟をつかんで、『僕を連れて行かせないで!』と言って、すごく動揺していた。『あの子をがっかりさせたくないんだ』って」

最後に会った時、マイケルはついに自分の人生を自分でコントロールするようになったみたいだった、とスージは言う。「彼は本当に穏やかで親切で優しい話し方だった。でも、自分の周りで起こっていることについては完全に把握していた。それでもやっぱりシャイだったけど」

あるとき、彼女は一家と仲の良かった女の子を、マイケルに会わせてやろうとニューヨークでの記者会見に連れて行った。緊張しているその子に、スージは、マイケルはあなたよりもっと「ドキドキしているのよ」と念を押した。

「会見中は、マイケルは本当にじっとしていました。彼が動くとその瞬間、フラッシュが一斉にたかれて目がくらんでしまうから。それで、彼はただただじっとしていたんです」



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この帽子のことも、一生忘れられないわw



記者会見のあと、マイケルは快くその女の子に会ってくれた。「彼はその子にとても優しかった。座って挨拶してくれたの。その子は、それはそれは大喜びだった」とスージは話す。

マイケルの名声の大きさにスージがショックを受けたのは、兄弟愛の街(フィラデルフィア)にマイケルがコンサートで来た時のことだった。彼の動物好きを知っていたので、フィラデルフィア動物園を案内するわ、と提案した。するとマイケルは、「前の日に動物園に行くことを考えたんだけど、動物園を閉園にして貸し切り状態にするための手配が間に合わなかった」と言ったのだ。

「私は思ったわ。目の前にいるこの人は、やろうと思えば、街の施設を閉めることができるんだ、ってね」

彼女の目には、整形手術や白斑と呼ばれる皮膚の病気ゆえに体に変化が起こる一方で、マイケルは自分の人生の舵をとっているようにも見えた。

「彼の外見はどんどん様変わりしていったかも知れないけど、彼は会う度に、落ち着きを増しているような気がしたし、自分をとりまく状況をコントロールする度合いも増えていったと思うわ」

マイケルが、ロスから北西125マイルに、遊園地や動物園も兼ね備えた2600エーカーの広さのネバーランドに引っ込むようになると、彼女と連絡を取り合うことはなくなり、マイケルはそこに、何百人もの子供たちを招いた。

「彼があれほど子供と関わったのは、子供仲間と遊ぶ機会を持たなかったからだと思うわ。5歳から働いていたのだもの。公園に遊びに行くことなんかなかったでしょう」



公園では遊ばなかったけどね...



マイケルは、13歳の少年に対する性的児童虐待疑惑で2度も訴えられた。1993年の民事訴訟では、彼は容疑を否認し、法廷外で和解に至った。2005年には、ガンから生還した少年に飲酒を勧め、性的虐待に及んだという容疑に対し、陪審で無罪判決を得ている。テレビドキュメンタリーで、マイケルは子供たちに自分のベッドを使わせたことは認めたが、それはあくまで「やさしさ」のあらわれで「性的」なものとは一切関わりが無いと主張した。

「閉まったドアの向こうで何が起こっているか、誰にわかるの? 私は、彼が私の弟と一緒にいるところを見たけど、弟に変な興味を持っていると感じたことなんか一度もないわ。今に至るまで、一度もね」

2度の離婚をして、3人の子供を持つマイケルは、2002年、ベルリンで、ファンの群衆にむけて、まだ赤ん坊の息子をホテルのバルコニーから外へ抱いてつり下げ、非難を浴びた。彼はまた、ペットのチンパンジーと一緒にいたり、医療用のマスクをかけたり、高い声でしゃべったりと、その風変わりな行動で、非難された。

「彼はいつも半分ささやくような声で話したけど、それは声帯を守るためよ。世間では気取ってやってるんだ、と思ってたみたいだけど」トニは言う。彼女は、マイケルがレコード契約しているとき、「ささやき声で話せ」と言われていたことにも触れた。

13ものグラミーを獲り、7億5千万枚以上のレコードを売り上げたマイケル・ジャクソンは、大変な浪費家としても知られていた。ネバーランドに対する245億ドルの債務が不履行になると、その不動産は昨年、抵当物請け戻し権喪失手続きのオークションにかけられる寸前だったが、ある投資会社が彼のローンを買い取った。マイケルはロサンゼルスのホーンビーヒルズにある借家に住み、十数年ぶりのコンサートの準備をしているとき、心臓発作のため、50歳で亡くなった。

「本当に残念だったと思うわ。彼はカムバックしようと頑張っていたのよ。いろいろな事情を抱えながらも、彼はカムバックしようとしていた。でも、それに伴う本当に多くの問題があったのよ」

創造的な面でいえば、マイケル・ジャクソンは「ミュージックビデオを再発明した」功績がある、とトニは言う。音楽や映像を通して、世界的な問題への人々の認識を高める努力をした人としても名を遺すだろう。加えて1992年のヒール・ザ・ワールド基金の設立や、エリザベス・テイラー・エイズ基金へのサポートを含め、慈善活動に力を注いだこともよく知られている。

「彼の人生がもっと幸せであったなら、と思います。彼にはもっと幸せな人生を送らせてあげたかった。心の内に喜びがなければ、どんなに成功しても意味が無いでしょう?」とトニは言った。

木曜の午後、スージは、弟のマイケルから、偉大なシンガーでありダンサーであるマイケルの死を知らされたとき、地元の農園で作業をしていた。一緒に馬の背に揺られた、あの有名な友がいなくなったことが信じられず、悲しかった。

「私から見ると、ある意味、彼は死に追いやられたのだと思います」と彼女は言う。「彼のように、金魚鉢みたいな(他人に見られる)生活は、想像を絶するものでしょうから」

(引用終了。翻訳はkumaさんにご協力いただきました)


ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』は、ナポレオン・ヒルや、カーネギーにも影響を与えた自己啓発書の原点とも言われる古典なので、意外なところはありませんが、マイケルが、ティーンエイジャーの頃に読んでいたと聞くと、妙に「納得」という感じの本ですね。


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どうしてわかったの



以上、ティーンエイジャーの頃のマイケルの読書に関するメモでしたw

◎[Amazon]ジェームズ・アレンのページ
◎[ジェームズ・アレンの名言]


本を見て飛び上がった瞬間!w


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このセーター柄はルネサンス絵画では、、ない?



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Commented by co at 2014-10-15 01:16 x
most beautiful smile in the world 検索しました!
キャプテンは、音楽と愛だけでなく、笑顔でも宇宙を救っていました!
もーーーーー、どれだけ救っちゃうつもりなんでしょー
Commented by yomodalite at 2014-10-15 17:53
ホント、救うよねーーーー!
なにもかもが、No.1だけど、笑顔もぶっちぎり!

ボイジャー(古っ)に搭載したゴールデンレコードにも、キャプテンの音楽と笑顔をつめこんどくべきだったよね。。
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by yomodalite | 2014-10-13 22:27 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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