藤森かよこ氏の講演会に行く(2014.9.14)

f0134963_19294041.jpg

連休中に、アイン・ランドの『水源』を日本で初めて翻訳された、藤森かよこ氏の講演会に行きました。

ランドの『水源』は1943年に出版され、聖書の次によく読まれた思想小説として、現代アメリカでもよく読まれている小説です。






日本でこの本を読んでみようと思うような人は、ネオコンとか、ハイエクとか、ティーパーティなどのワードから現代アメリカ政治について専門家ぶりたい。。という人が多いのだと思いますが、

翻訳者の藤森氏のランドへの愛は、
それとはまったく異なっていて、とても面白い講演でした。


5センチもの厚みを開くと、ニ段組みで文字がびっしり!という本ですし、暇な私でも、読むのにずいぶん時間がかかった本なので、「おすすめ」することはできませんが、

藤森氏は、アメリカ人は全員この本を「誤読」している。ハワード・ロークの生き方は労働自体に喜びを感じる日本人の方がわかる人が多いはず。と熱弁されていました。私もこの本を政治思想と結びつけるより、ブロードウェイ・ミュージカルや、ハリウッド映画の精神との共通性から読んだ方が面白いと思いますし、何より、ロマンティックな女性の生き方として、ランドを感じた方がいいのではないかと思います。

講演の資料の中には『水源』の中で、藤森氏が、特に好きな言葉が抜粋されていて、その中から、主人公ハワード・ロークが、恋人だったドミニクに言った言葉を少しだけ紹介します。

f0134963_19401244.jpg

(引用開始)

「君は、こんなこと聞きたくなかったと、思っている? でも、僕は君に聞いて欲しい。僕たちは一緒にいるとき、互いに何も言う必要がなかったよね。全然、必要なかった。でも、これから僕が言う言葉は、僕たちがもう一緒にいられなくなったときだからこそ必要な言葉なんだ。


ドミニク、僕は君を愛している。僕が存在しているのと同じぐらいに自己本位に僕は、君を愛している。僕の肺が呼吸するのと同じぐらいに自己本位に僕は君を愛している。僕は僕自身の必要から呼吸している。僕の身体に酸素を送るために、僕が生き延びるために、僕は呼吸している。

僕は、君に与えた。僕の犠牲ではなく、僕の憐れみではなく、僕の自我と僕のむき出しの欲望を君に与えた。これだけが、僕が望む君が僕を愛するやりかたなんだ。今、僕が君と結婚したら、僕は、君の存在すべてになってしまう。そうなったら、僕は君が欲しくなくなってしまうよ。そうなったら、君は君自身を必要としなくなってしまう。そうなると、君はもう僕を愛さなくなってしまうよ。

『私はあなたを愛している』と言うためには、人は、まず『私』の言い方を知らなければならない。君から、僕が君という一種の『降伏者』を得ても、何も獲得しないのと同じことだ。そんなもの空虚な残骸でしかない。もし、僕が君に、僕に降伏することを要求したら、僕は君を破滅させることになる。だから、僕は君を止めない。

僕は、君を君の夫のところに行かせる。今夜、僕はどうやって過ごせるのか、耐えられるのか、ほんとうは僕にもわからない。それほど今の僕は苦しい。でも、僕は君を行かせる。自分自身が選んだ戦闘から逃げない君のような人間、そういう君という人間全体が、僕は欲しい。僕と同じような、そんな君という人間が欲しい。戦闘というものには、少なくとも自分というものがあるよね」

(第二部 532より)


この言葉について、藤森氏のブログでの解説は、

CONTENTS → Ayn Rand Says(アイン・ランド語録)
→ 第27回 恋愛は人類にはまだ早い(12/21/2008)

にあります!


(写真は、最近撮った近所の薔薇。
アイン・ランドと藤森氏の印象から選びました。)




[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/22930502
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2014-09-16 17:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite