『MJ Tapes』の翻訳について[2]シュムリーの序章

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☆『MJ Tapes』の翻訳について[1]のつづき。。


Y:シュムリーは、このあとの会話でも、「名声」や「物質的な成功」「愛情」「孤独」…といった、誰もが自分の人生において悩む課題について、様々な方面からMJに質問して、彼の内面を引き出しているよね。ただ、彼は、この時期のMJを低迷していたと認識して、自分との対話によって「あるべき姿」を取り戻してほしいと思っている。メディアがどう報じようと、音楽界で、MJが「低迷」していた時期なんてないことを知っているファンとしては、見当違いと感じる部分もあるけど、私が驚いたのは、人生のあらゆる問いに関して、MJがすでに多くの「答え」を持っていたことなんだよね。



C:認識の違いということで言えば、「出版の経緯」でシュムリーは「惨めなほどの孤独さについて」告白されたことにふれている。マイケルは「皆に自分を愛してもらいたかった。心の底から愛してもらいたかった。なぜなら、真に愛されたと感じたことがなかったから」と語り、シュムリーはそんなマイケルに対して、「名声が手に入っても、身近な人からの愛情は手に入っていないよね。ファンの気持ちと本当の愛情は違うよね、かわいそうに」と言いたげ。でも、このシュムリーの認識も、マイケルの現状とは違っているんじゃないかな。


だって、マイケルほど愛された人はいないのだから。ファンを別としても、マイケルに接した人はみな、彼に魅了されたと言っているし、シュムリー自身が、実際会ってみたらマイケルの人柄の魅力に惹きつけられた、と「私たちの出会い」に書いている。そのマイケルが「愛されたかった」という時の「愛されたい」は、自分の「愛されたい」とは違うのでは? マイケルが「孤独だ」という時、自分の「孤独」とは違うのでは? とシュムリーは疑問を持つべきだったと思うのだけど。



Y:MJは、自伝『ムーンウォーク』でも自分の孤独について、『僕は自分が世界で一番孤独な人間のひとりだと信じている』と語っていて、表現者として、その感覚をもっていることに、誇りを抱いているという感じだものね。


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それと、そんな感じで同情させるの、MJがよく使う手だよねって思った人もいると思うけどw、でもさ、シュムリーだけじゃなく、男って嫉妬深いから、名声や仕事に対して自分より上の男を目の前にすると「身近な人からの愛情は手に入っていない」なんてことをまず考えるじゃない。可哀想ぶってるなんて批判されることもあるけど、MJにしてみれば、それは男の嫉妬を和らげ、相手の懐に入る方法でもあると同時に、実際、彼はあらゆることを「愛」を中心に考えていたと思う。



C:名声-これは彼が選んで手に入れた薬物と言っていい-、そして舵のきかない人生が、彼を徹底的に打ちのめしてしまったのだ。彼の人生における最大の悲劇は、注目されることと愛情とを間違えたこと、家族より名声を、真の精神的な目標より物質的な成功を選んだことである。


これは、「MJTapes」において一貫しているシュムリーのマイケル観で、表現を変えて、繰り返し述べられているよね。でもね、『THIS IS IT』のマイケルを見れば、2009年、シュムリーと別れてから8年(ただの8年じゃない、ものすごいバッシングと好奇の目に晒される年月)経った時点でも、彼は精神的に壊れていたわけじゃないし、名声や物質的な成功に左右された破滅などしていないことがわかるよね。


これも、シュムリーが独善的であるとか、マイケルを利用しようとしたということではなく、「名声」や「愛情」や「成功」というものの意味が、両者の間で違ってたということじゃないかな。シュムリーは「名声」を得ること=「物質的な成功」、「名声」=「愛情」の代用品、そして、「物質的な成功」は「精神的な目標」に劣ると捉えているけれど、マイケルにとっては、多分そうじゃない。


マイケルにとって作品を創ることと、「名声」や「物質的な成功」は、並行してやってくるものだけれど、彼は、それ自体を目標としていないし、「物質的な成功」と「精神的な目標」を相反するものとは考えていなかった。「精神的な目標」のために「物質的な成功」を手に入れようとしてたのではないかな。



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Y:MJは、仏教でいう、上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)のような分類で言えば、上品(じょうぼん)を目指してる。彼は、少年時代からイエスを見習いたい人として、尊敬してきたような人だから。


シュムリーは、聖書について深く研究してきた人だと思うけど、ユダヤ教では、成したことを重視する傾向があるので、精神性の高さについては厳しい見方をするみたい。でも、今はあらゆる分野で、下品(げぼん)から見ようとするね。その方が「お客さん」を多く集められるし、世の中には汚いことがいっぱいあるからね。


ケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』とか、1960年代以降、MJが尊敬していたチャップリンや、J・Mバリ、ウォルト・ディズニーらを、幼児性愛や同性愛者として、徐々にその裏面を描くことが「真実」といった風潮になっていったけど、MJはその流れに逆行するかのように、彼らが成し遂げたことを讃えたでしょう。他にも『MJ Tapes』では、ハワード・ヒューズのような、MJ以前に、アメリカでもっとも「メディアの餌食」になったような人物についても「大好きだ」と答えている。そんなところからも、多くの人が選ぶ道以外を進むには、人々からの批判や疑惑を受け止めて、自分を磨いていかなくてはと、彼には最初から相当の覚悟があったように思える。


『THIS IS IT』に対して、自分が見た「真実」と違うと批判した人もいたし、殺されたのではという疑惑もあり、彼の死の真相については色々な言葉がとびかった。シュムリーも含めて、彼らの言葉には、かならず「原因」を自分以外に求め、他者の責任を「追求」するところがあるけど、MJは、あれだけ批判にあっても、誰かを批判することはめったにしなかったし、少しだけ言ってしまった場合も、後から反省したり、自分のことを振り返ってみようとしていたよね。


ファンや家族にとって、彼の死以上に悪い結果はないけど、おそらく、MJにとって一番悪い結果は「死」ではなかったんじゃないかな。


よく生きることと、どう死ぬかを考えることは、同じように大事というか、精神的なことと、物質的なこともそうだけど、一見対立していると思われていることも、実はそうではないのでは、とか。MJを見ていると、自分がどれだけ狭い見方をしているか、思い知らされることがよくある。



C:なぜ、今『MJTapes』を、しかも、シュムリーの主張まで全部紹介するのって言う人もいると思う。私も、以前はこの本を敬遠していて、日本語にしようなんて考えてもいなかった。でも、MJに対してこのようなアプローチをしてくれた本はやっぱり他にないじゃない。死後5年経って、MJに関する本がつぎつぎと出版されていても、彼の思想や精神に注目してくれた本はこれだけで、新しい世紀を向かえるこの頃、MJが何をどんな風に考え、『THIS IS IT』まで生きたのかを知りたい者としては、無視して通ることはできないと思うんだよね。



Y:シュムリーのプロローグは、マイケルの死にショックを受け、ふたりの友情が続いていた頃から自分はずっと注意していたのに、というやりきれない怒りと、またもや始まったメディアの狂騒の中での、彼へのいわれのない誤解も解きたいという思いが錯綜しているよね。


このあと公開する部分では、友情が終わった理由について語られているんだけど、シュムリーは自己弁護もあって、彼が思う「MJの黒い部分」についての話が続くでしょう? 自分との関係が終わったことと、マイケルが死に至った原因を直結させているところに疑問は多いものの、シュムリーの批判は、これまでメディアに登場したものの中では、まだ真っ当な方じゃない。



C:そうだよね。さっきも言ったけど、MJの思想や精神を紹介したいなら彼の言葉だけ取り上げて、って考える人もいるかも知れない。でもシュムリーには、ユダヤ教のラビとして、揺るがない自分の信念や、考え方の基盤があるから、話のかみあい方や、先に言葉の認識のところで述べたような、話のくいちがい方に、MJの考え方が浮き上がってくるように思う。物事を論じるときに、比較っていうのはすごく有効な方法だからね。


ただそれは、読む側にとってのこの本の価値で、マイケルがこの対談を行った意図は、また別に考えなきゃいけないよね。シュムリーと面識を持ちたいと言ったのは、マイケルの方だった。「どうして、ラビだったのだろう」とシュムリー自身もこの本の中で問いかけているけれど、マイケルは、深く考えてシュムリーを選んでいるだろうし、自分の意見に同調してくれるばかりの人物ではないということも、望んでのことじゃない?


揺るがぬ信念を持って座標軸になってくれる人物は、ユダヤ教のラビに限ったことではないかもしれない。プロテスタントの指導者でも、カソリックの指導者でも、仏教の指導者でもいいわけだけど、ユダヤ教のラビを選んだんだよね?


なぜかなぁ、と考えるとき、Black or Whiteの、“I’d rather hear both sides of the tale.”という一節を思い出す。マイケルをこれを実践していたんじゃないかなって。


何度か本を読んで「ユダヤ人とは?」って知ろうとして頓挫している私だけど(汗)、彼らがホロコーストを含む長い受難の歴史を持ち、その中で多くの優秀な人材を輩出していることはわかる。アメリカの政界や財界にも厳然とした力を持ち、ショービジネスの世界でも絶対的な力を持っているよね。それなのに、というか、そうであるがゆえに、一方ではたえず陰謀を画策しているようなイメージを持たれたり、受難の歴史にこだわりすぎる、理解の難しい人たち、と考えられることもある。


MJは、アメリカで、っていうか世界でかも知れないけど、大きな力ゆえに大きな疑念や偏見の対象にもなるユダヤ人を、話を聞くべき ’side’ だと考えたんじゃないかな。ジャクソン5時代の家庭教師がユダヤ人女性だったこともあり、彼は子供の頃からユダヤ人の歴史については関心を持っていたし、ビジネスの世界でもユダヤ人との関わりを多く持っていたわけだけれど、ここで改めて、彼らの考え方の根本であるユダヤ教について学び、自分の考え方との違いや共通点を知り、理解しようとしたんじゃない?


MJの住む世界のことを知らないシュムリーが、ラビとしての善悪の基準を前面に出して批判的なことを言うときも、彼は激高したり、無視したりするのではなく、冷静に自分の意見を述べている。MJがシュムリーとやりとりする姿勢は、「他者」というのは、非難したり追求したりして、自分が優越感を感じるために存在するんじゃなく、対話して、自分を高めていくためにあるのだ、ということを教えてくれるように思う。


MJは、自分がどんな人間か世間に知って欲しい、と言ったわけだけれど、この本でそれは成功してるんじゃないかな。彼が「愛」や「孤独」をどう考えていたかということもだけど、何より彼が「対話」と「理解」の人だということがよくわかるもの。それが翻訳したいと思った一番の理由なんだよね。だから、たとえシュムリーが私たちには不愉快に感じられることを言っていたとしても、切ってしまわずに伝えたい。



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Y:私も、ユダヤ教やキリスト教のお勉強については苦労してるんだけど、今の時点で、MJが会話の相手として、シュムリーを選んだ理由は大きく分けて2つあると思う。


ひとつは、自分の中で培われた信仰を確認するための対話者として。MJは「エホバの証人」を離れてから、宗教指導者を通して、神を学ぶということをしていないでしょう。それは、誰かが言ったことを鵜呑みにしないで、自分自身で考えるという訓練にはなっているけど、良くない点としては、自分の都合のいいように神を創造してしまうこと。新興宗教の教祖を目指すならそれでもいいし、律法を重視しないプロテスタントは解釈の違いで数多くの宗派を生んだけど、そもそも「三位一体」とか、「一神教」とはいえなくなっている部分もある。


でも、MJにとって、神がひとりだということはものすごく重要な概念なんだよね。彼は「エホバ」というユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通した神を信じているわけだから、それを生み出した「ユダヤ教」の指導者と対話するというのは、何かを学ぶときに、必ず「原点」から振り返ってみるという、彼が守ってきたやり方を考えれば必然だったと思う。


ユダヤ教とキリスト教の違いは、イエスがいるかどうかの違いという人もいるけど、MJにとってのイエスは、神ではなく目指すべき人間であり、ユダヤ教にとっての「救世主」は、まだ現れていないという解釈だから、シュムリーが、このあと「メシア・コンプレックス」なんて言って、MJを批判しているのも当然の流れと言えるし、彼にとっても「望むところ」だったんじゃないかな。


もうひとつは、


現在も収束する気配が見られないイスラエルとパレスチナ間の悲劇的な事態を、当時から危惧していたから。


ヴィーゼルは、2014年8月1日、米国の新聞に全面広告を出してて、


http://www.algemeiner.com/2014/08/01/elie-wiesel-condemns-hamas-for-using-children-as-human-shields-calls-on-gazans-to-reject-hamass-child-sacrifice/


記事の内容を端的に言うと、ハマスが「人間の盾」として子供たちを使っていることへの非難で、なにより悪いのはハマスだっていう主張なんだけど、記事では、シュムリーもそれに同調し、援護するかのようなコメントも紹介されてる。というか、シュムリーはこのキャンペーンを主催する立場で、見ようによってはヴィーゼルよりも過激にハマスを非難し、イスラエルの正当防衛を主張しているんだよね。


ガザで犠牲になった大勢の子供たちの写真を見せられると、シュムリーたちの言い分を支持することはむずかしいけど、パレスチナの政権は不安定で、イスラエルに行ったユダヤ人たちが、周辺国のテロに怯えるのはもっともで、それを米国に住むユダヤ人たちが援助しようとすることもよくわかる。でも、米国のユダヤ教会が、一丸となってイスラエルを支持しているわけでもないし、そもそもイスラエル建国に関しても、多くのユダヤ人が反対してた。


世界の富が、極少数の人々に集中していることも、ユダヤ人に力を持っている人が多いのも、彼らが国を超えて強力なネットワークをもっていることも事実。そんなことから、日本でも「ユダヤの陰謀」みたいなことが頻繁に話題にされ、侮蔑的な表現をカンタンにしてしまう人も多い。


でも、世界を思うがままに操る権力者の会議が、ユダヤ人を中心に行われていたとしたら、様々な国で暮らす同胞のユダヤ人を、イスラエルというひとつの国に集めて、イスラム国家を攻撃することにどんな意味があるのかな?


私が、世界を牛耳る権力者の考えを想像するのは、めちゃくちゃ無理があると思うけど、国をもたないことで差別をうけてきたと感じているユダヤ人のために「中東」の地に国を作って、そこに武器を投入して、イスラム国家を弱体化させる。っていう作戦は、世界覇権をもくろむ「ユダヤ人以外の人たち」にとっては、都合がいいんじゃない?


私たちの国でも「愛国」が敵国を意識させることとセットになっているように、戦争を起こしたがる勢力は、まず「国」を意識させたがる。それで、国をもたずに世界中にネットワークをもっているユダヤ人を嫌い、利用しているという部分もある。


第二次大戦のとき、ドイツが先に原子爆弾をもったら。という恐怖は、ユダヤ人の科学者にその研究を推進させた。でも、原爆がつかわれたのはドイツではなく、「日本」だったよね。


米ソの代理戦争のような朝鮮戦争のあと、韓国はキリスト教へと改宗し、「反日」政策を強めていった。日本も、韓国も、恨む理由があるとすれば「米国」のはずなのに。中東のテロリストと言われるような人は、欧米への憎しみを強めていて、特に「反米」意識が強いけど、彼らが「ユダヤ人」にターゲットを絞っていないのは、イスラエル=ユダヤだとは思っていないからでしょう。


MJが言っているとおり、人種や国や民族の問題じゃないんだよね。


それなのに、国や、民族や、宗教や、肌の色で、差別的をしたり、敵だと思ってしまうのは、何の罪もない、子供たちを不幸にすることで、その間違いをおかしているのが、今の「自分たち」でもあると。MJは伝えたかったんじゃないかな。


シュムリーが、イスラエルの正当防衛を主張している件だけど、彼は『MJ Tapes』の中でも、何度もエリ・ヴィーゼルの名前を口にしているよね。でも、そこはMJとの「温度差」がもっとも感じられる部分で、シュムリーがどれだけヴィーゼルのことを尊敬していたにしても、この本において必要とは思えない不自然さで、ヴィーゼルを持ち上げてるでしょう。MJとの関係や、彼をシンパに出来なかったことを、自分のコミュニティにいる人に言い訳したかったことが一番大きいのかもしれないけど、シュムリーにとって、MJの存在が、自分のメンターへの気持ちに動揺をきたすほどのインパクトを持ち始めていたようにも思えるよね。


少年時代の孤独感から、信教の道に進んだシュムリーは、マイケルが世界の子供たちの代弁者になりたいという言葉に心を動かされたと思う。でも、それは、ユダヤ民族の代弁者としてのヴィーゼルらの活動とは、どこかで衝突せざるを得ない。このあと紹介する「友情の終わり」には書かれていないことだけど、私には、ふたりの関係が終わった理由に、ヴィーゼルの存在が影響を与えなかったとは思えない。


黒人とか、ユダヤ人とか、そんなことはどうでもいい。みんな同じように神のこどもで、だからこどもの頃はそんなことを意識していなかったじゃないか、とMJはいう。でもシュムリーは、自分がユダヤ人だということから逃れることは出来ないし、君は、黒人として生まれたことから逃れられないのではないか。自分は、夫として、そして、こどもたちの父親として、彼らを育てる責任があり、ラビとして人々を導く責任もある。大人には、他にも様々な「立場」があると。


MJも、シュムリーの批判は受け止めたと思う。「ぼくはヒトラーの心だって変えることができる」と言っていたけど、それは、ヴィーゼルにも届かなかったし、彼はこの頃、はじめて自分自身のこどもを持って、本当に、他の子供を、自分の子と同じように愛せるかと、何度も自分に問い直したと思う。


私たちはユダヤ人じゃないから、彼らが経験したことを実感するのはむずかしいけど、個人としてではなく、日本人として、つまり「立場」をふまえての選択を迫られたときは、シュムリーのように行動する人が多いんじゃないかな。彼は、家族と同胞のために、正しい道を選び、正しいと思う人のために働いた。ヴィーゼルは「ノーベル平和賞受賞者」で、MJは、全メディアから批判されているポップアーティストに過ぎないって、何度も自分に言い聞かせて。


そして、多くの人は、進むべき道を決めるとき、選ばなかった道を批判して前に進む。シュムリーのこの長いプロローグも、そういうことなんじゃない。でも、MJは『THIS IS IT』まで、シュムリーよりももっと長い年月をかけて、自分が選んだ道だけを示して旅立った。


自分に出来ることは、イデオロギーで理想を実現したり、世界を変えることではなく、人の心を癒すことなんだって。。


私は、それが、彼の『THIS IS IT』だと思った。


MJは、これまでもずっとそうだったと思う。でも、、それは自分の想像をはるかに越えていたんだよね。


(一旦おしゃべり終了)


シュムリーのプロローグは、まだしばらく続きます。シュムリーは、『MJ Tapes』のときから、「どうして自分だったのだろう」と何度も問いかけていたけど、このあと、次作の『Honoring the Child Spirit』の序章を読み返すと『THIS IS IT』を見て、彼がもう一度、思い直したことも伝わるかもしれません。


彼が讃えようとしたのは、子供の精神ではなくて、MJの精神ではなかったかと。


◎『MJ Tapes』の翻訳について[3]序章を終えて…に続く





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Commented by F at 2014-08-27 01:53 x
素晴らしい対談を公開してくださってありがとうございました。
読みながら案の定、言葉にならない感情が猛烈に沸き起こり、頭が痛くなるほど泣いてしまいました。ごめんなさいごめんなさいと繰り返しながら(疲れましたw)。

yomodaliteさんとchildspiritsさんが明確に言葉にして語ってくださったおかげで、私の中でどうしてもうまく掴めなかった「マイケル・ジャクソン」という人が、少しずつはっきり見えてきたように思います。でも、この探求の旅はまだまだ続きます。私の人生すべて費やすことになるのかも……と思うとワクワクします。

「MJ Tapes」、大切に読ませて頂いてます。海外のМJファンがどうしてシュムリーに対して怒っている人が多いのか知りたかったので、プロローグを全て翻訳してくださるのは私にとって大変有難いことです。

これからも更新を楽しみにお待ちしております。ですが、どうぞご無理のないように……。
Commented by childspirits at 2014-08-27 16:48 x
Fさん

コメント、ありがとうございました。
ほんとにMJは私たちをたくさん泣かせる人ですね。いろんなふうに。

>でも、この探求の旅はまだまだ続きます。

同感です!
今回、私たちなりの思いを整理してみましたが、まだまだ考え続けたいことばかり。MJは、ページのつきない書物のような存在です。

この対談を終えてすぐ、『ハンナ・アーレント』という映画を見ました。
ホロコーストとユダヤ人について、そして、真摯に思考することの厳しさについて、深く考えさせられる作品です。見るチャンスを逸していたこの作品を、このタイミングで見られて、よかったなと思っています。
MJが「ヒトラーの心だって・・・」と言ったのはなぜか、なぜシュムリーと決別に至ったのか、など改めて考えたくなりました。

昔買って読み通していないアーレントの著作にも、もう一度挑戦してみなくては、と思っています。MJを知ってから読むようになった本というのもありますが、以前読んだ本が、MJを通すと違って読める、ってことも多いにありますよね。

シュムリーにムカつくこともありますけれどw、『MJ Tapes』、これからも頑張ります。よろしくお願いします。

Commented by yomodalite at 2014-08-28 10:10
Fさん、いつもありがとうございます!
>言葉にならない感情が猛烈に沸き起こり、頭が痛くなるほど泣いてしまいました。

どこが泣いてしまう部分だったのか、はわからないけど、感情が猛烈に沸き起こり、、頭が痛くなるほど。。と言われる感じは、私と「一緒だなぁ」と思ってしまいます。

もっと「序章」の内容に限定すればよかったという反省もあるけど、対話は、友情関係だった8年ほど前、序章は、突然の死からすぐに書かれたもの。そこには2人のシュムリーがいて、彼を「序章」の印象だけで見て欲しくないという思いと、

現在、シュムリーが何をやっているかについても伝えないとって思って、、イスラエルとパレスチナの件は、日本人にはわかりにくいけど、特に、心情的にイスラエルを理解できる人はいない。でも、日本としては、米国の政策についていくことになり、イスラエルに武器輸出さえ。。そこには支持できることは何もないし、ホロコーストの拡大解釈についても、そう。
Commented by yomodalite at 2014-08-28 10:11
でも、ユダヤのような極少数の民族が、あらゆる分野で優秀な人材を生んだ理由について、ずっと不思議だったんだけど、背景にある「反ユダヤ」の複雑な重荷が、彼らの強靭な思考力を生んだんだなってことだけは、最近「実感として」わかるようになってきて、、

それは、歴史にのこるようなユダヤ人ではなく、シュムリーのような普通の知識人の心情が、MJを通して知ることができたからだと思うのね。MJを通すと「実感として」わかるような気がするのは、MJが、何もかもわかっていたからじゃなくて、彼が、悩んだり、考えることを止めなかったことが伝わってくるからだと思う。

MJは、自分のことをこれでいい。とはずっと思わなかった。だから、彼のことを考えていると、「彼の思想」(そんなことを言うのは、自分の思想をMJに重ねているだけのインチキ!)ではなく、彼が思考し続けているという姿勢に影響を受けてしまうみたい。

シュムリーも、ときどき断定しすぎるところがあるけど、彼も何度も考える人だってことは、MJへの質問を聞いているとよくわかると思う。
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by yomodalite | 2014-08-26 11:02 | MJ考察系 | Trackback | Comments(4)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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