『MJ Tapes』の翻訳について[1]THIS IS ITの衝撃

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ここまで『MJ Tapes』を読んでいただいた方に。


未だに終わらないシュムリーの序章ですが、なぜ、今、これを紹介しようとしたのか?について、翻訳の監修者である、childspirits先生と2人でおしゃべりしてみました。


それは、5年間を振り返ることにもなり、私たちの会話は、シュムリーに負けないぐらい長くなってしまったのですが。。



yomodalite(以下Y):2009年の6月26日のことは、覚えてる?



childspirits(以下C):それはもうはっきりと覚えてる。あの朝、何気なくテレビをつけたらワイドショーで、「今朝はいった大変なニュースです。マイケル・ジャクソンが亡くなりました」って言ってるのが耳に飛び込んできて。いきなりのことで、びっくりしたけど、もっとびっくりしたのは、ニュースを聞いた瞬間、涙があふれ出したこと。


マイケル・ジャクソンのことを日頃考えていたわけでも、彼の音楽をフォローしていたわけでもない。『オフ・ザ・ウォール』で、「あのマイケルが、こんな青年になったんだ」と思い、『スリラー』に驚嘆したあとは、「すごく売れてるんだな」と横目で見ているくらいの感じ。多くの人がそうだったように、世紀が変わる頃からは、スキャンダルにまみれ、メディアに追いかけられる彼しかわからなくなった。それなのにすごく涙が出て、あとはテレビの前に座り込んで、延々と彼の死に関するニュースを見続けてた。



Y:私も、朝の情報番組だったと思う。今は、なんとなくテレビをつけることはなくなったけど(これもMJが原因)、当時はまだそういう習慣があって、家の前に救急車が停まってる映像とか、ヘリコプターとか、見てても仕方のない映像なのに、そのときだけは目が離せなくて、とにかくショックだった。自分に出来ることなんか何もない状況なのに、どうしたらいいんだろう、って動揺しただけでなく、なんだか自分のせいなんじゃないかって思ったよね。そう思ったのは、私ひとりじゃなかったと思う。芸能人が亡くなったときに、負い目を抱いた人が大勢いたという経験は、MJ以外に誰かいたかなぁ。



C:あれほど強烈に、大勢の人にそう感じさせたのはMJだけじゃない?自分の事で言うと、彼がメディアに、容姿や奇行や家族のことで面白おかしく取り上げられ、バッシングされているのを見ながら、アメリカで黒人が影響力あるポジションを手に入れることのしんどさを想像したけど、一方で、彼の側にもバッシングを誘発してしまう要素はあるんじゃないか、とも思っていた。「白人になろうとしている」みたいな解釈も、何となく受け入れていたかな。ただ、そんなふうに傍観していたことで、彼を追い詰める流れに荷担したんじゃないかって、感じた。ある種の後ろめたさ、は彼の生前から感じていたのかも知れない。2008年だったかなぁ、リーディングのクラスで、MJの記事を取り上げたことがあったのね。



Y:どんな記事?



C:簡単に言うと、「マイケル・ジャクソンは本当にもうだめなのか?」みたいな記事。彼は近年キャリアの面で目立った活躍はなく、スキャンダルばかりで知られるようになっている。しかし、彼は本来は世界最高に売れた、才能あふれるエンターティナ-のはずだ、ってね。書き手の口調はどちらかと言えばMJに好意的だったと思う。


どうしてその記事を取り上げたかっていうと、マイケル・ジャクソンといえば変な人、という刷り込みしかされていないであろう若い人に、実はすごい人、の面も知って欲しかったから。授業ではよく知られているニュースについての英文記事を読むことで、メディア・リテラシーみたいなこともやりたいと思っていたからね。


ただ、その記事の書き手がそうであったように、MJのキャリアに再びピークがやって来るとは私も考えてなかったし、彼が実はすごい人、っていう場合の「すごい」が『スリラー』であるという認識も共通していた。そして、あの日のニュースを聞いたんだよね。



Y:私はね、当日は泣いたと言うよりは、朝からテレビで彼に関する映像をいっぱい見ないではいられないほどショックを受け、それほど大きなショックを受けた自分にも驚いたりして、それで夜には、もう今後メディアを通してマイケルを見ることを止めようということと、この衝撃が何なのかについて自分だけで考えたいという、なにか「決意」のようなものを抱いちゃったんだよね。



C:MJの死亡のニュースが入った日は、まるまるテレビで報道を見っぱなしだったけど、いくら見続けても、どうして涙が出たのか、自分にとってのMJとはどういう存在だったのかわからず、自分が関心をはらっていなかった時期の彼をとにかく見てみようと思ってPCに向かった。YouTubeを使うようになったのは、2009年6月26日以降だよ(笑)。で、「彼は、こんなにずっとかっこよかったんだ」、というよりは「こういうかっこよさを持っていたんだ」ってことに呆然とした。



Y:私は「デンジャラス」からファンだったから、80年代より、90年代以降のMJをよく覚えてるのね。ビッグスターに乏しかった90年代、彼のカリスマ性は並ぶものがなかった。ただ、その頃から徐々に「等身大のスター」が求められるようになって、「天才」で「お金持ち」というイメージのMJは、時代に合わないと思われるようになっていったみたい。



C:私は、デンジャラス以降は、ほとんどフォローしてなかったから、MJがどういう存在だったかについては、今と全然違う答えを持っていた。彼はすごい才能の持ち主で輝かしいことを成し遂げたけれど、ピークは過ぎていて、マスコミのバッシングに苦しみながら、失意のうちに死んでいったみたいに考えていた。彼の悲劇の根源を、奴隷制度にはじまり公民権運動を経て半世紀が過ぎてもなお差別され続けるアメリカの黒人、っていうステレオタイプの図式に求めていたんだよね、きっと。『THIS IS IT』を見るまではね。




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Y:初日に観に行ったんだよね。どんな感じだった?



C:うん、「最後まで頑張っていた彼の姿はどんなだったんだろう」という、期待と不安とおそらくは同情の入り交じった気持ちで見に行ったんだけど、上映後は、すぐに立ち上がれないまま涙を流していた。正確に言うと、立ち上がれなくなったのは、映画を見終わったあとじゃない。映画始まってわりとすぐ。ダンサーたちがMJと同じステージに立てる喜びについて語る場面のあと、『THIS IS IT』のオープニングシーンになるでしょ。オルテガの説明と共にいろいろな映像に輝く「ライトマン」が出てきて、’piece by piece’って開いて、MJが登場する。彼が右手をスッと掲げ、Wanna Be Startin' Somethin’ が始まる。その瞬間、もう、頭からどっかーんと何かが落ちてきたようなショックを受けた。


つま先から指先まで電気が走っているような立ち姿や、サングラスからのぞく、つぃっと上がった眉、引き締まった口元の表情を見て、「この人は、世間が自分を化けもの扱いしている間も、努力を怠らず、たえず挑戦し続けていた」っていう思いが閃いた。


右手を天に突き出し、体全体から放電しているような立ち姿というのは、「スリラー」のダンスシーンにもあるよね。あの頃のMJは坂道を猛スピードで駆け登っているような状態だったけど、そのあと、『THIS IS IT』までのMJには、困難な状況が次々起こっているよね。なのに同じポーズが、「スリラー」の時よりも、エネルギーに溢れて見えた。スリラーからの四半世紀を、普通のスターとして過ごしてきたら、こんな事が起こるはずはない。あんなひどいバッシングの中で、こんな進化を遂げるのは、並大抵の精神力や思考力じゃないなって、思った。


上映後に流した涙は、「この」MJを知った感動と、いままで知らなかった、知ろうとしなかった、自分のダメさ加減への後悔によるものかと思う。それで、結局19回も『THIS IS IT』を見に行くことになったんだよね。



Y:話を聞いてると、私のあの日のことも甦ってくるなぁ。呆然とした気持ちでスクリーンを後にしたとき、またもや、「自分はこれからどうしたらいいんだろう」って感じで、ただ、もう自分を落ち着かせる目的でダーリンに電話して、「今までに感動したこととは比べようがないぐらい、人生で一番感動した」って言ったと思う。他にどんな言葉も発したくなかったから、それだけで電話を切ったのね。友だちに『THIS IS IT』すごく良かったよ。なんていう普通の会話も絶対にしたくなくて、それで、リアルフレンドには、その後もずっとマイケルのことを話さないようにしてた。


それまで、私はオリジナルアルバム全部と、ブカレストライブを持ってるぐらいのライトなファンだったけど、あの大観衆の1人になるのが嫌で、MJのライブに行きたいと思ったことがなくて、だから、初めて実物の彼に出会えたような気分だったのかもね。


映画館にいるあいだはすごく幸せを感じて、どんなに泣いても、それは「感動の涙」だったのね。でも、観終わって家に帰ってきてからも涙が止まらなくて、それは感動の涙ではなかった。私は、通勤も、子供の世話も、介護もしなくていい身分だったから、もう本当に1日中泣いてて、自分がこれほど激しく泣いている状態をどうしたらいいのか、一体インヴィンシブル以降に見てきたマイケルは何だったのか。その答えを求めて、5年も経ってしまったみたい。



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C:私の生活は、『THIS IS IT』をはさんで、「紀元前」と「紀元後」って言えるくらい変わったと思う。とにかく毎日MJのこと考えた。スペースも予算も考えずCDやDVDを買いこんだのはもちろんだけど、彼に関係する本を手当たり次第に読んだ。で、読むほどに、映画を見た時に感じた彼の思考力は、現実のものだったという気がした。



Y:私もどこが変わったとは言えないけど、読む本は確実に変わった。MJ以外の人がどんなにキレのあるダンスをしても、振り付けをこなしているように見える。でも、MJが指先を少しどこかに向けただけで、そこには「意志」があり、「意味」があるように見える。彼の精神と肉体は完璧に一致していて、『THIS IS IT』まで、なにがあっても変わらなかったことが、私にはものすごい衝撃だった。


それまで、MJのことを、そんなに知性があるとは思ってなくて、本を読むのが好きだというインタヴューを聞いていても、成功本の類いであるとか、とにかく自己啓発好きで、ポジティブ思考という印象しかなかったんだけど、誰もが彼の人生は行き詰まっていると思うような状況の中、最後まで、その肉体から精神性が感じられるというのは、彼が、本質的な「知性」をもっていることに他ならないじゃない。それは、どんな「真相」よりも私には明らかなことだと思えたのね。


知識は本から学べても知恵は経験からしか学べない、という言葉があったと思うけど、彼は熟練のパフォーマーとしての「経験」だけでなく、それを長く実践するために極限の努力もして、世界一と言われるほどの成功を手にできるほどの「知恵」もあった。MJは、学んだ知識を最大限アウトプットすることが出来たひとだよね。


それなのに、MJほど、自分を賢く見せなかったアーティストもめずらしい。だとすれば、彼が自分を賢く見せなかったことには、「なにか特別な理由」があったはずだと思ったのね。それで、彼がどんな本を読んでいたのか、ものすごく興味が湧いてきて、彼が読んだと思われる思想書や宗教に関する本も、あらためて真剣に読むようになったんだよね。


C:私も「ムーンウォーク」や彼の詩集、オックスフォードでのスピーチや、色々なインタビュー、さらに彼が残したメモを読んで、それから彼の歌の詞を読み直した。そうしてみると、間違えていたことがちょっと具体的に見えてくるようになった、自分なりに、だけど。たとえば、彼がいつも口にしていた、子供のために生きている、というような発言。それを子供好きなんだなぁとか、自分の失われた子供時代への回帰なのかなぁと捉えていたんだけど、そんなに浅薄なものではないとかね。彼は子供の世界を、自分が癒されるのに必要な場所ではなく、この世界にある病を癒すのに必要な innocence の泉だ、と真剣に考えていたんだということがね。



Y:私の場合、オックスフォード・スピーチに感動したあと、さらに衝撃を受けたのが、『MJ Tapes』だった。相変わらず、センセーショナルなことのみ紹介されて、ユダヤ教のラビが、MJを裏切って出版したみたいな扱いだったけど、彼が、90年代に「こども」について以外言いたくなかったこととか、めったにしゃべらなかったこととか、色んなことが、今までとは違って見えてきたよね。



C:確かに「こども」への思いだけではMJの全体像に迫れない気がする。というか、どうして「こども」が最優先事項なのか、が理解する必要があるよね。そういった意味で、『MJ Tapes』には、手がかりになることが多いよね。英文学の世界にグロッサリー(glossary)という言葉があって、それは作家が特別な意味を持たせて用いた語の説明を集めた特殊辞典で、有名なのは「シェイクスピア・グロッサリー」なんだけれど、『MJ Tapes』はもしかしたら、マイケル・ジャクソンという人物(書物)を理解するためのグロッサリーの役目を果たしてくれるかも。


MJとシュムリーの対談を読み込むと、ひとつの語に対して、二人の認識が微妙に食い違っていることに気づくでしょう。その差異が「マイケル・ジャクソン・グロッサリー」になり得る。言葉=思考だものね。


☆『MJ Tapes』の翻訳について[2]に続く




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by yomodalite | 2014-08-25 11:36 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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