World Cup 2014 が終わった。

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海外クラブの試合なんて、ほとんど観ることができない時代に、サッカーファンになったからかもしれないけど、やっぱり私にとって、「ワールドカップ」こそがサッカーだと思った大会だった。




それは、何年も前からそうだったけど、2014年に、特にそう思ってしまうのは、今回は、特に世界の変化が気になっていたからなんじゃないかと思う。

今回は、開催国というだけでなく、人種が融合し、“We Are The One” がどこよりも似合うブラジルに優勝して欲しいと思っていた。

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彼らの明るいサッカーで、この世界的な祝祭が盛り上がることを期待していたけど、結果はそうじゃなかった。ワールドカップの勝敗は、国力とは微妙に異なっていたり、そういった国力と言われるもの以外での、国民性や、国がもつ個性があらわれることがよくある。経済的に発展したブラジルが歴史的大敗を経験してしまうのも、アルゼンチンやギリシャの底力がすごかったり、衰退まっしぐらとしか思えなくなってからの米国サッカーの安定した力や、可能性とか、、

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何度も聴いた6万人が歌っていた国歌

イピランガの穏やかな川岸から聞こえる勇者たちの鳴り響く雄叫び
その時、祖国の空に自由の太陽が光り輝き、力強き腕で勝ち取りし、平等の誓い
自然が生んだ雄大さ、美しく、強く、勇敢な巨人
未来が映し出す汝の偉大さ
あがめる大地、数多の中で、最愛の国よ、ブラジル!
この大地の子の優しき母、いとしき祖国、ブラジル!

(歌詞:NHKワールドカップ総集編より)

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日本代表は、世界に近づいたと言われ、これまで以上の結果を期待されていたけど、私は、いつの時代の日本代表の戦い方にも、第二次大戦のときからまったく変わらない日本マインドを感じる。

今回何度も聞かれた「自分たちの戦い」という言葉は、まさに象徴的で、日本は、歴史的に負けたことで奴隷になり、勝つことで、そこから脱け出せるというような経験がないせいか、戦いにおいて、いつも自分のいいところを出したい。という気持ちに溢れているように見える。

勝つことよりも、自分のいいところを出したいというマインドは、ちっとも悪いことじゃないけど、日本はサッカー以外でも、世界でこの20年あまり(ある分野では)ずっと負け続けていて、その負け続けている分野の人々が、自分が負けていることをまったく認めずに、誰かに戦えと言ってるような気がして、それで少し暗くなってしまうのだ。

毎回どんな試合も「絶対に負けられない」というキャッチフレーズが踊るけど、毎回「負けられない」という時点で、なにか、その言葉には空虚な響きを感じてしまう。そんなことを言ってると、「いざというとき」には、もう疲れきってしまっているし、やっぱり、私たちは「負けたくない」よりも、「自分たちの戦い」が好きなのだ。

◎[参考記事]リアリスト(?)俊輔の見方
◎[共感した感想]オランダ、スペイン戦は衝撃だった


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決勝は、アルゼンチン(南米)対ドイツ(欧州)。

優勝は、多くの人が予想していたとおりドイツで、私もドイツが勝ってよかったと思った。メッシは素晴らしかったけど、アルゼンチンが優勝するには何かが足らなくて、ドイツにはその何かが備わっていた。

でも、ドイツが勝ったからといって、ヨーロッパ勢が2014年を制したかというと、他の欧州強豪国は惨敗が目立ち、アルゼンチンのサッカーは南米ぽくはない。

だから、体格的にも似ていて、自分たちのことを精神的には「白人」だと思っている日本が、サッカーが強くなるために見習うとすれば、アルゼンチンではないかと思うけど、私たちはそんな選択はしないし、オランダやドイツのような戦略は日本には無理だけど、おそらく、日本はこれからも「自分たちのサッカー」を探し続けて、ヨーロッパから監督を選ぶでしょう。ただ、欧州のビッグクラブを率いた経験のあるプロの監督にとって、日本の代表監督が「オイシい仕事」だということは、ザッケローニによって広まったと思う。







開催前、ブラジルではワールドカップに巨額費用を投じる一方で、住民の生活のことを考えていないとする抗議の激しさなども伝えられていて、“They Don’t Care About Us” は、そんな抗議に、うってつけのテーマソングのようにもなっていた。

私はどんな運動であれ、マイケルの政治利用には感心しない。

政治的手法は、MJの表現とは異なるもので、こういった抗議活動が、政治に与える影響も見えないし、正義の旗に酔うためのレクリエーションのように思え、運動が大きな盛り上がりを見せても、代表者が「取り引き」する姿しか想像できないのは、私が悲観的すぎるからかもしれない。

ただ、ワールドカップの祝祭性にも、貧困とか差別といった政治運動にも、マイケルの音楽はぴったりと合っていて、それは、自分の気持ちを「政治的な言葉」や「正義行動」にしてしまう人には持ち得ない「メッセージ」で、そこが、MJの天才性だと思う。

FIFAや、日本のサッカー協会が腐っていたとしても、ワールドカップや、サッカーを楽しみ、そこに意味を見いだすことは出来る。


ボスニア・ヘルツェゴビナが初出場して、久しぶりにオシムの元気な姿も見られた。

下記は、民族融合チームの夢に尽力したオシムの言葉。

みんながサッカーを愛する必要はないが、
勝利を祝う姿を見るだけでも、国民には喜びとなる。
その気持ちが大事なんだ。

自分はなにかの一部だと感じ、
人々とともに道に出て、ともに歌い踊る。
生活や仕事に希望が戻り、国が再び歩み始めるんだ。

(NHKワールドカップ総集編より)


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冒頭の写真は、実際の映像ではなくて合成だと思うけど、ブラジルの映像といえば、コルコバードのキリスト像がいつも映っていて、その映像を見ると、MJの “They Don’t Care About Us” を思い出して、やっぱり、その像の人と、MJは似ていると思うのだ。




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by yomodalite | 2014-07-15 11:07 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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