Among School Children[2]自分で訳してみる!

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[本当にしつこいようですが、修正協議まだやってますw]

☆Among School Children[1]の続き


せっかく、岩波文庫からの訳詞を紹介したのに、

自分でも訳してみようという、いつもの無謀な試みです(止せばいいのにww





こちらは[1]の高松氏訳だけでなく、海外詩文庫『イエーツ詩集』に収録された出淵博氏の訳も参照しました(どこにも反映してませんがw)。最後の「どうして我らは踊り手と踊りを分かつことができようか」を、より理解するために、

散文的に訳し、独自の解釈を加えています。

間違いのご指摘のほか、色々とご意見をお待ちしております。



Among School Children

William Butler Yeats

学童たちの中にいて思ったこと

ウィリアム・バトラー・イェイツ


(1)

I walk through the long schoolroom questioning;

A kind old nun in a white hood replies;

The children learn to cipher and to sing,

To study reading-books and history,

To cut and sew, be neat in everything

In the best modern way — the children’s eyes

In momentary wonder stare upon

A sixty-year-old smiling public man.


私が長い教室の中を歩きながら問いかけると

白いベールの年老いたシスターが (a)

子供たちは、数字や記号を学び、歌をうたったり

本を読むことも、歴史や、裁縫も

最新の方法できちんとやっています。と、答えてくれた

すると、子供たちは、にこやかに微笑む60歳の議員である私を

一瞬驚いたような眼で見あげた


(2)

I dream of a Ledaean body, bent

Above a sinking fire, a tale that she

Told of a harsh reproof, or trivial event

That changed some childish day to tragedy —

Told, and it seemed that our two natures blent

Into a sphere from youthful sympathy,

Or else, to alter Plato’s parable,

Into the yolk and white of the one shell.


私はレダのような姿を思い浮かべる(b)

彼女はその身をかがめるようにして熱を抑え、苛酷な叱責について語った

ささいな出来事や、無邪気な日々を悲劇に変えたいくつかのこともーー

それらが語られると、私と彼女のふたつの本性は、

若さゆえの共感から、融合し、ひとつの球体のようになった

あるいは、プラトンの比喩を少し変えて

ひとつの卵の黄身と白身になったというか


(3)

And thinking of that fit of grief or rage

I look upon one child or t’other there

And wonder if she stood so at that age —

For even daughters of the swan can share

Something of every paddler’s heritage —

And had that colour upon cheek or hair,

And thereupon my heart is driven wild:

She stands before me as a living child.


そして、私は、自分を見上げたこの子にも、他の子にも、

自分にも覚えがある悲しみや怒りの衝動を見る

白鳥の娘でも、そのあたりにいる水鳥と

少しは同じ性質を分かち合っているのだから

彼女(Maud Gonne)もこの年頃にはこんな頬で、

こんな髪型だったのだろうかと思っていると

彼女は生き生きとした子供になって私の前に立ち

私はますます物狂おしい気分になった


(4)

Her present image floats into the mind —

Did Quattrocento finger fashion it

Hollow of cheek as though it drank the wind

And took a mess of shadows for its meat?

And I though never of Ledaean kind

Had pretty plumage once — enough of that,

Better to smile on all that smile, and show

There is a comfortable kind of old scarecrow.


彼女(Maud Gonne)の現在の姿が、心に浮かぶ

これは中世のイタリアの芸術家が作り上げた姿だろうか

痩せた頬は、風を飲み、影を肉として食べているのだろうか?

私もレダの類いだったことは一度もないが (c)

美しい羽根はもっていた。ーーだが、もういい

ここでは、微笑む者すべてに、微笑みを返し、

気楽な老いぼれ案山子のような姿を見せた方がいいのだ


(5)

What youthful mother, a shape upon her lap

Honey of generation had betrayed,

And that must sleep, shriek, struggle to escape

As recollection or the drug decide,

Would think her Son, did she but see that shape

With sixty or more winters on its head,

A compensation for the pang of his birth,

Or the uncertainty of his setting forth?


蜜月のときを裏切られた若い母親が

息子をひざに抱いている

眠りを必要とし、泣き声をあげ、逃れようともがくその姿は

生まれる前の記憶か、薬によるものか

息子は、60年を通り越した白髪まじりの頭を見たとき

産んだときの苦しみや、生まれて来たときの不安を

償ってくれるだろうか?


(6)

Plato thought nature but a spume that plays

Upon a ghostly paradigm of things;

Solider Aristotle played the taws

Upon the bottom of a king of kings;

World-famous golden-thighed Pythagoras

Fingered upon a fiddle-stick or strings

What a star sang and careless Muses heard:

Old clothes upon old sticks to scare a bird.


プラトンは、自然とは泡の動きのようであり

万物は幻影にすぎないと考えた

もっと堅実なアリストテレスは、革の鞭で(d)

王者の中の王(アレクサンドロス王)の尻をたたいた

世に知られた黄金の腿をもつピタゴラスは

弦楽器の弓や弦を使って、星が歌っているかのごとく自然に、

女神たちに調べを聴かせ

古着をまとった棒きれ(案山子のこと)は、鳥を怖がらせる


(7)

Both nuns and mothers worship images,

But those the candles light are not as those

That animate a mother’s reveries,

But keep a marble or a bronze repose.

And yet they too break hearts — O Presences

That passion, piety or affection knows,

And that all heavenly glory symbolise —

O self-born mockers of man’s enterprise;


シスターも、母親も幻影を崇拝している

しかし、蝋燭に照らされる像は、母親が抱く夢とは違って

大理石やブロンズで出来ていて動かない

しかし、大理石やブロンズで出来ている像を見て、

シスターたちは、母親たちと同様に悲嘆にくれる。存在とは…

全ての天の栄光を象徴するものよ。

それらは、自ら生んだことと、性の営みをあざ笑うものなのだ


(8)

Labour is blossoming or dancing where

The body is not bruised to pleasure soul.

Nor beauty born out of its own despair,

Nor blear-eyed wisdom out of midnight oil.

O chestnut-tree, great-rooted blossomer,

Are you the leaf, the blossom or the bole?

O body swayed to music, O brightening glance,

How can we know the dancer from the dance?


悦楽の花が開き、踊るとき、肉体は傷つくことなく魂は喜び

自分への絶望から、美が生まれることもなく、

真夜中の灯油にかすんだ目から、本当の知恵は生まれない

巨大な根を下し、花を咲かせる、マロニエの樹よ

お前は葉なのか、花なのか、それとも幹なのか?

音楽によって体が揺れ動き、明るく煌めいているとき

どうして踊り手とダンスを分けることができるだろうか?


(yomodalite訳)


[1]のみっちさんのコメントもご参照ください。


コメント欄にて修正協議中。訳文は随時変更しており、未だ完成に至っておりません。


__________________


(a) old nun in a white hood 白いベール(white hood)は、見習い期間中、もしくは初誓願のシスターがかぶるもの。彼女は老いてはいても、修道院の中で長く過ごしたわけではなさそう。


(b)Ledaean body  レダの娘のような肉体。


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イェイツが、老いたシスターといて、レダの娘のような肉体を思い浮かべたのは、イェイツが何度も求婚した相手、Maud Gonne(モード・ゴン) との関連による。


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Maud Gonneは、アイルランドのジャンヌ・ダルクと言われた美女で、アイルランドの独立運動などの政治活動を経て、その後カトリックに入信し、イェイツの求愛を終生断り続けた。(4)で、現在の彼女の姿と言っているのも、モードのことで、

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彼女は、イェイツと出会った頃、すでに妻子のある男の子供を妊娠していて、その後、その男との間に2人の子供を出産した。



(c)Ledaean kind  神話に登場するような肉体というような意味。


(d)taws は、学童を指導するときの鞭のことらしい。

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プラトン、アリストテレス、ピタゴラスを表すのに、プラトンがイデア論なら、アリストテレスは論理学。それで最初は、当ててはじき出す、ビー玉(taw)のことで、Upon the bottom も、ビー玉をぶつける部分ではないかと思ったのですが、、やっぱり家庭教師の方かなぁ。。







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Commented by mitch_hagane at 2014-06-11 19:25
あっ、あのぉ、みっちは女性の服のことは何も知らないのですが、(汗)
> old nun in a white hood ...
これはどう見ても、この学校の校長級の修道女でないと具合が悪いと思います。
なにしろノーベル賞受賞者で、アイルランドの議員でもあらせられる、大詩人を客に迎えて、説明をするのですから。(笑)
このhoodは、Cornetteのようなものであったという解釈はどうでしょうか。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cornette

それと、
>老いたシスターからレダの娘のような肉体を思い浮かべた...
これは絶対ないと思います。はい。(笑)
レダの娘、すなわちトロイのヘレンでありますから、世界一の美女であります。そんな老修道女ごときから連想するようなものではありましぇん。(爆)
まあ真面目な話、ここはMaud Gonneの不幸な学校生活(無理解な教師に叱られたらしい)のことを思い出して、連想したのだと思います。
Commented by yomodalite at 2014-06-11 22:35
>これはどう見ても、この学校の校長級の修道女でないと具合が悪いと思います。

私もキリスト教系の学校じゃないので、わからない部分は多いんですけど、小学生を教えているシスターでいいのでは? それに僧職以外の男性とは接しないということもありますし、女性校長だとしたら、余計に議員にペコペコするイメージないんですが。。Cornetteは、校長がかぶる帽子でしょうか。。私には、校長には、白いベールもフードもイメージなくて、わざわざ白いと言っているのは、まだその世界に間もないという意味合いで、それが、後年カトリックに入信したモードへの思いに繋がっていると想像したんですが。。これに関してご存知の方がおられましたら、ぜひ教えてくださいませ。
Commented by yomodalite at 2014-06-11 22:36
>老いたシスターからレダの娘のような肉体を思い浮かべた...

そこは、みっちさん的には絶対ないでしょうしw、イェイツの性癖でもないと思うんですけどw、
なぜ、シスターといて、モードへの思いに繋がったかということなんですが、、モードは当時すでにカトリックに入信して、イェイツと同年齢なので、それで、老シスターからの連想が成り立つという意味です。レダのような肉体は、若き日のモードのイメージですよね。小学生も、案山子のような自分も、老シスターも、グラマラスな美女だったモードと、枯れてしまったモード、それらすべてが、かつてはみんな小学生だったのに。。という詩なのでは?

モードが後年カトリックに入信したっていう、私の知識が間違ってるのかな?
Commented by mitch_hagane at 2014-06-11 23:47
はい、まあ色々な考え方があるということで。(笑)

みっちの調べた資料だけ、一応ご紹介しておきます。
http://snap.waterfordcoco.ie/collections/ejournals/119482/119482.pdf
これを読むと、1926年6月にYeatsがSt. Otteran's Schoolを訪問し、大いに感銘を受けたことが書かれています。
Yeatsを迎えたのは、修道院長(Mother Superior)Mother de Sales Lowryと、聖堂参事会会員CanonのPrendergast of Ballybricken他です。
この学校は、Mother de Sales Lowryが尽力して作ったものらしく、『モンテッソーリ教育』システムの採用が売りのようです。(「モンテッソーリ教育」はウィキペディアにもあります)
Mother de Sales Lowryは、わざわざシスターをロンドンまで送って、同システムの教育プログラムを受講させています。
彼女の写真が上記PDF文書の3ページ目に載っています。なかなか綺麗な方ですなぁ。(不謹慎-笑)
この訪問がくだんの詩のベースになっているんですが、非常に近代的な学校だったんですね。みっちの想像してたのとは、大分違いました。(驚)
Commented by kuma at 2014-06-12 01:07 x
Yeatsのこの詩を、涙目で読んでいます。
感動の涙、ではなくて、「わかんない!」の涙です(汗・・も出てます)
(1)を拝読したときには、目の前に緞帳が下りたようで、呆然として泣くことすらできなかったのですが、みっちさんのコメント拝読し、yomodaliteが訳してくださって、だんだん緞帳がカーテンとなり、さらにレースのカーテンになりかけ・・・って感じです。まだ、ぼーんやりとしか、この詩の姿が見えません。
そもそも、sheがモードだってことがわからないと、始まらないんですね。以下、私の「わからない!」の羅列です。

IIIの1~2行目は、
そこにいるこの子やあの子に顔に、私は(自分にも覚えがある)悲しみや怒りの衝動を見る
ってことかなぁ、と思いました。
また、And had that colour upon cheek or hair, は、
頬の色や髪の色に、その名残(そのあたりにいる水鳥の)を残すのだ
と思ったのですが、どうでしょう?

Commented by kuma at 2014-06-12 01:24 x
IVの
enough of that,のthatを、私はplumageだと思い、「羽を持っていた。豊かに」と考えたのですが、ここではあえて、「まあいい」となっているのでしょうか。私の理解が違っているような気も・・・。

Honey of generation had betrayed,
とはどういう意味でしょう?どちらの訳でも私にはわからないんです。
ぱっと見には、「子を産むという甘美な思いは打ち破られ」というふうに読めました。この節では、母にとっては子供を世に送り出すことは大変なことだ、っていうことが述べられているのでしょう?(ちがうかな?)

VIIの、
self-born mockers of man’s enterprise;
も、みっちさんの説明をお聞きして、この訳を拝読してもわかりませんでした。誰が、何を嘲笑するのか。man's enterpriseとは何なのか。
ふぇ~ん。(ここで再び、「泣き」が入っております)
Commented by kuma at 2014-06-12 01:30 x
そして、以上のようなことが全部すっきりわかったとしても、
致命的なことに、私には、最後の節と、それまでの流れの繋がりがわからないのです。どうしよう・・・。

なんだか、大泣きしながら、当たり散らしているような気もするので、いったん席を離れ、気を落ち着けて、もう一度読み直してお便りしたいと思います。

失礼いたしました!

Commented by yomodalite at 2014-06-12 11:04
kumaさん、待ってました!

土台工事は終えてみたけど、この上に建てるものに関して、細かい部分の設計図くださいよ。親方ぁー! みたいな気分だったので、みっちさんや、kumaさんなど、英語巧者の方々に色々言ってもらえると助かります!

>sheがモードだってことがわからないと、始まらないんですね。

詩人の感性とはほど遠いイェイツと同世代の欧米人や、さらに異なる現代日本人への解説としては、一応あった方がいいと思ったけど、仮に、イェイツが発表したときに、誰もがモードのことを思い出すということが織込み済みだったとしても、別に、この詩を理解するうえで、必要条件じゃないよね。

登場人物が、小学生、老シスター、私(イェイツ)、教会の像に祈る人々、、でもいいんじゃない。
Commented by yomodalite at 2014-06-12 11:04
わたし、みっちさんからの、この学校が近代的な教育に熱心な学校という情報とか、kumaさんのコメントを見て、なんか「やる気」出てきた。でもって、♪Feelin Comes... Feelin' Come... Feelin' Come To Me… のイントロ来た(笑)

https://www.youtube.com/watch?v=Ts_tRQZhjQ0

>致命的なことに、私には、最後の節と、それまでの流れ…

だよね。。最後のダンスに繋げるために「Sex」を何とかしないとね。

不格好だけど、何本か柱を立てるように修正してみるので、またよろしくお願いします!
Commented by mitch_hagane at 2014-06-12 11:07
わ~い、kumaさん、お久しぶりです。('◇')ゞ

またまた、みっちの偏った意見を。(yomodaliteさん、済みません)

基本的に、Yeatsは何を見てもMaud Gonneに見え、何を考えてもMaud Gonneのことになる、という人だと思います。(笑)はい、その前提で、
>私は(自分にも覚えがある)悲しみや怒りの衝動...
このthat fitは、11、12行にある、GonneからYeatsが聞いた子供時代の『つらい叱責』や『悲劇』のことだと思います。つまり、「自分の」衝動ではなく、「Gonneの」衝動です。
>頬の色や髪の色に、その名残(そのあたりにいる水鳥の)を残す...
ここも水鳥の名残ではなく、YeatsはGonneの名残を見ていると思います。もちろんGonneが白鳥の娘であり、回りにいる子どもは、普通の水鳥です。それでも、Yeatsに彼女のことを思い起こさせるには十分で、Yeatsは物狂おしくなるんですね。
>enough of that,のthatを、私はplumageだと思い、「羽を持っていた。豊かに」と考えた...
ここはplumageを受けているのなら、enough of itではないでしょうか。

ちょっと長くなったので、また残りはいずれ。
Commented by mitch_hagane at 2014-06-12 13:34
はい、不評を物ともせず、みっちの偏見はまだまだ続く。(笑)

>Honey of generation had betrayedとはどういう意味でしょう?
たしかに難しいですねぇ。(汗)この第5スタンザは難関です。
"Honey of generation"については、Yeats自身がコメントを残しています。ポルピュリオスPorphyryの"The Cave of the Nymphs"というエッセイから採ったんだそうです。英訳はここにあります。
http://www.tertullian.org/fathers/porphyry_cave_of_nymphs_02_translation.htm
これが高松センセのいうトマス・テイラーの英訳のことです。
で、意味ですが、ずばり『性交への願望』でしょう。(汗)
それが『裏切る』とは、必ずしも望んではいないのに、赤子を授かるからだと思います。
a shape upon her lapからAs recollection or the drug desideまで、すべて赤ん坊の描写ですね。
赤ん坊が暴れるのを、生まれる前の前世の記憶によるとしているようです。占星術、神秘主義の思想です、drugはwineのことらしいですが、定かでない。神秘主義への傾倒は、Yeatsのもう一つの危ない面であります。

Commented by mitch_hagane at 2014-06-12 13:34
さらに続く。(笑)

>誰が、何を嘲笑するのか。man's enterpriseとは何なのか...
尼僧は神にすがり、母は息子に傾倒する。しかし、天なる神は期待するほど慈悲に満ちていない、息子は母の思うほどハンサムでも立派でもない。(笑)こうした偶像への期待は、何ものも生み出さない。人の所業をあざ笑うmock、という訳ですね。ここで、カソリックの偶像信仰を批判するのはともあれ、なぜ息子が?ということですが、これもGonneのことが念頭にあると見ます。(笑)
Maud Gonneの息子はSeán MacBrideってえ、ノーベル平和賞ももらった立派な人なんですが、Maudとは政治的なスタンスに温度差があったと見ます。SeánはYeatsがこの詩を書いた頃、アイルランドの政治家Éamon de Valeraの秘書だったんですが、MaudはÉamonのことを過激さが足りない(汗)と考えていたようです。

Commented by yomodalite at 2014-06-12 14:44
みっちさん、まるでアリストテレスみたいで、スゴいっす。
そんなスピードで鞭を入れられても、駄馬なので早く走れないんですけどぉ(笑)

kumaさん、とりあえず(3)の1~2行目を修正しました。And had 〜、(4)のAnd had that colour 〜はそのままです。また、Honey of generation had betrayed ここは、みっちさんも難しいとおっしゃるぐらい難しいのですが、最初のコメで言ったように「Sex」をなんとかしないと、最後の行がイマイチなんですよね。

それで、mitch Aristotélēs は、モードの息子を使って責め上がる論理を授けてくれているのですがw、

万物はすべて泡だというプラトン、King of Kingsを育てたアリストテレス、数学と音楽に秀でたピタゴラスのことを考えているイェイツは、その3人を統合して、King of Kingsよりも、もっと素晴らしい王様を想像し、“Abortion Papers” や “Slave to the Rhythm” で、悩んでいた私たちのKING OF POPの魂に近いはずだよね?
Commented by yomodalite at 2014-06-12 22:52
それから、man's enterprise も、Honey of generation had betrayed も難問なんだけど、私が今のままで一番ヤバいかも。。と思っているのは(8)スタンザの、

Labour is blossoming or dancing where
The body is not bruised to pleasure soul.

魂が喜びを感じているとき、体が傷つくことはなく

これ、、なんとかならないかな?
Commented by kuma at 2014-06-13 21:31 x
みっちさん、お久しぶりです!

「わからない!」とだだをこねる熊を助けてくださって、ありがとうございます。で、みっちさんは、やっぱり、電光石火というか、快刀乱麻というか、もうびっくりするくらい、素早く明快・・・yomodaliteさんがおっしゃるように、どうついて行ったらいいのかと、またまた涙目です。

おかげさまで、enough of thatの部分や、"Honey of generation"については、「そっかー」と自分なりに納得できました。betrayedが「望まない妊娠」を表す。それは、レダを連想させるものでもありますし、スタンザの最後の言葉にもうまく繋がっていくと思いました。

でも、今回はどうも「わからない」をこじらせてしまったみたいでw
(3)スタンザについては、まだ納得していないんです。

Commented by kuma at 2014-06-13 21:48 x
>Gonneが白鳥の娘であり、回りにいる子どもは、普通の水鳥

というのはわかるのですが、その場合、that fit of grief or rage がGonneのものだとすると、3行目のsoはどういうふうにとればいいでしょうか。「彼女もそのようであっただろうか」というとき、その理由が、彼女、つまり白鳥の子もも水鳥たちの性質を共有しているから、というのが理由なら、soがGonneの特性であってはおかしいのではないかと思いました。
私は、For以下を、she stood so at that age の理由付けとしてとらえる、という前提で話しているのですが、それでいいでしょうか?
Commented by kuma at 2014-06-13 22:24 x
それにしても、この詩が、YeatsとGonneのことをよくわかってないと理解できないということに、なんだか釈然としない気がします・・・なんて言ってるから英詩が読めないのかなぁ(がっくり)。

で、読めない私が言うのもなんですが、
Labour is blossoming or dancing where~
の部分、
「魂の喜びのために体が傷つけられるような場所では良い仕事は生まれない」ということでしょうか?
それは、「絶望から美が生まれることもなく、真夜中の灯油にかすんだ目から、本当の知恵は生まれない」のと同じように?

こんなんですからyomodaliteさん、Yeatsの魂と、私たちのKINGの魂が近いのかも、まだよくわからないんです(ぐっすん)。



絶望から美が生まれることもなく

かすんだ目から生まれた知恵は、真夜中の灯油から生まれたのではない
Commented by mitch_hagane at 2014-06-13 22:44
おや、第3スタンザで引っかかりましたか。
ここ、そんな問題ありましたっけ。

>For以下を、she stood so at that age の理由付けとしてとらえる...
これは全くそのとおりだと思います。

別に難しくとらなくて、素直に読めばいいんじゃないですか。
Gonneは白鳥の娘だから、いずれ成長すれば、その辺のアヒルの子なんぞの及びもつかぬ、美しさに輝くのですが(凄)、流石に幼い子供の頃はそこまでの差はなく、他の子供たちとそんなに変わらない。(頬や髪の色ね)だから、目前の子供たちの姿で、詩人は十分にGonneを思い起こすことが出来たのではないでしょうか。
Commented by mitch_hagane at 2014-06-13 23:05
第8スタンザは肝心かなめのところですね。(愉)

みっちはクリスチャンではないので、本当の確信はないのですが、キリスト教的には、labourは単に苦痛なだけの労働ではなく、生きていく上で必須の義務を意味していると思います。
だから、労働というか人生とは、花がパッと咲くような、あるいは踊りに陶酔するような、そんな素晴らしいものなんだよ。そこでは、魂を喜ばせるために、体を傷つけるようなことはないし、己に絶望しては、美も生まれない、深夜まで灯油を灯して霞んだ目には、智慧は授からないのさ。
てな感じと違いますかぁ。
Commented by yomodalite at 2014-06-14 02:14
kumaさん、みっちさん、色々とありがとうございます
予告どおり、不格好ですが、何本か柱を立てるように修正してみました!

もっとも大きく変えてみたのは、

(7)の最後、O self-born mockers of man’s enterprise; を、最初は、

人は性の営みによって生まれるのだと(神を)侮る人よ。

に変更したのですが、この際なのでw、さらに変えて、

ああ、自ら生んだことも、性の営みをも侮る人々よ

にして、最後に移動しました。

(8)の、Labour is blossoming or dancing where
The body is not bruised to pleasure soul.

最初は「苦労が花開き、心が躍るとき、肉体は傷つくことなく魂は喜ぶ」

に変更したのですが、(7)の変更に揃えて

「悦楽の花が開き、踊るとき、肉体は傷つくことなく魂は喜び」

blossoming、dancing、pleasure、body、music
brightenin、glance … そして、dancer from the dance? 

(8)は、性の肯定という意味合いが重要ではないかと。。
不評な場合は取り消しますが、新案として提案してみました。
Commented by yomodalite at 2014-06-14 11:09
上記から、さらに修正してみました。この上のコメントで言い忘れましたが、labour は、仕事・労働というだけでなく「性の営み」を示唆する必要があると思ったので、とりあえず、blossoming に「悦楽の」を加えてみました。

不評かもしれませんが、自分的には(勘違いかもしれませんが)、結構イイところまで来たような気がするんですけど、、気のせいかな(笑)

それと、、この詩を、散文的に理解するには、

(1)→(3)→(2)→(4)→(7)→(5)→(6)→(8)

という順番で読んだ方がいいのかも。。
Commented by kuma at 2014-06-18 10:13 x
またまたお邪魔します。

みっちさん、第3スタンザについて、アドバイスありがとうございました。
soについてだけは、まだ引っかかっているのですが(しつこいw)、だいぶ素直に読めるようになってきました。

そしてyomodaliteさん、ほんとに大変な訳業になっていて、お疲れ様です!
でも…でもですね、最後の2つのスタンザにおける、enterpriseやlabourに、私としては、性的な営みのニュアンスを読み取れないというのが正直なところです。
Commented by kuma at 2014-06-18 10:23 x
第7スタンザについて、私の今のところの理解は、

修道女も母たちも、母子像を崇拝する
しかし、ろうそくに照らされている母子像は母親の楽しい空想を満たしてくれるものではなく(つまり現実の母子関係は、母子像のようにはいかないから)
大理石に刻まれた静かな像である
それでも、人の心を乱すことに変わりはない。
(なぜなら)母子像は、情熱や信仰や愛情を表す存在であり
聖なる栄光の象徴でもあるが、
そのことは自然に、人間の営み(つまり現実の母子関係)をあざ笑うことになるからである。

みたいな感じなんです。うーーーん、何度読んでもこの詩、難しいですねぇ。
Commented by mitch_hagane at 2014-06-18 12:52
はい、第7スタンザ、みっちの読み方はこうです。

尼僧たちも母親たちも、イメージ(幻)を崇拝します。
その幻とは、尼僧たちはイエス像、母親たちは息子が対象です。
蝋燭に照らされる像(すなわちイエス像)は、母親の夢想を具現化する幻(息子像)とは違って、大理石やブロンズで出来ています。だから動かないし、むろん口も利かない。
しかし、そうした大理石・ブロンズ像も、息子がその行動で母親を悲嘆に陷れるのと全く同様に、尼僧たちを悲嘆に陷れるのです。(イエス像に頼っても現世の救済は得られない)
おお、存在者たち(イエスと息子を総称してこう呼ぶ)よ、それらは愛と、信仰と、情愛が認めたもの、
そして、全ての天の栄光を象徴するものよ。
それらは、自ら独力で生まれいでたと錯覚し、人が営々と築いた努力をあざ笑うものなのだ。

高松センセの注釈では、イメージの対象を、母親の場合は息子でなく、「自分の赤児」としてますね。まあ、でもみっちは、息子と限定したほうが、分かりやすい気がします。
Commented by yomodalite at 2014-06-19 18:09
kumaさん、みっちさん、ありがとうございます。
自分の思い込みからか、理解するのに時間がかかっています。

少し質問したいのですが、

>おお、存在者たち(イエスと息子を総称してこう呼ぶ)

O Presences が、イエスと息子というのがわからなくて、、これは、その前でも言われているイエス像と母子像という意味ではなく、生きているイエスと息子ですか?

ここが私には理解できなくて「存在者たち」… O Presences は、三位一体という教義でもあり、そこからさらに信者におもねって創った偶像でもあると思いますが、、、

と、まだ、その一点でつまづいているところなのですが(7)に関して、中途半端ですが、修正してみました。
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 19:56
おやおや、なかなか議論が、かみ合いませんねぇ。
少し凍結して、時間を置いたほうがいいかもしれません。
一応、質問されたことに、ご返事しておきます。

>その前でも言われているイエス像と母子像と...
みっちは、イエス像と息子像という解釈です。
高松センセは、イエスと自分の赤児説ですね。

キリスト教の教義に、Presenceという言葉はないと思います。
ここは、わざと宗教色のない単語を選んで、イエス像と息子像の両方を指し示す言葉に使った、と解釈します。ちなみに、高松センセは、『特定の神に呼びかけるのを避ける』と表現されてますね。

ここでいったん切ります
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 19:56
続きです。

あと、『passion, piety or affection knows』は、関係代名詞thatを介して、『O Presences』にかかります。
『that all heavenly glory symbolise』はこれで独立しており、『O Presences』と並列される関係と取ります。
高松センセは、ここを、『That は53行目のPresencesにかかる関係詞の目的格。55行目のthatも同じく関係詞だが、こちらは主格』と明確ですね。

なお、詩文の表現上は特に現れてこないのですが、この『息子を溺愛する母親』というのは、キリスト教のマドンナ/イエスのいわゆる母子像の、不埒なパロディであると思います。
Yeatsってのは、とっても皮肉な奴ですね。
Commented by yomodalite at 2014-06-19 20:42
みっちさん、とりあえず一点だけ。

>イエス像と息子像という解釈です。

息子像って母子像のことですか?
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 21:04
原詩では、nunsがworshipするimageと、mothersがworshipするimageと書かれているだけです。
ですから、それ以降は、われわれ読者の『想像』でしかありません。(笑)
だがまあ、nunsの方は、キリスト像か、十字架か、まあマドンナか、あるいはピエタかも知れない、そのあたりでしょう。
mothersの方が問題で、そんなに崇拝するものなんてあるのか?、ということになるのですが、自分の子供のことと取る理由は、第5スタンザです。
ここでは、あんなに慈しんで育てた息子が、見るも無残な老境になっているのをみたら、がっかりしないだろうか、と揶揄するようなニュアンスの表現になっています。

むしろ、みっちは、『母子像』というのがよく分からないです。どこから母子像なんて出てきたんでしょう?
Commented by yomodalite at 2014-06-19 21:19
みっちさん、ごめんなさい。

「息子像」がわからなかったんですが、これは、ブロンズで出来ているようなものではなくて、理想の息子のイメージという意味ですか?
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 21:46
えっー、あのぉ、純金の無垢でできた息子像です。(嘘)

はい、真面目な話、第7スタンザの2行目から4行目までの表現から、nunsの崇拝する像とは違って、mothersの崇拝する像は、生き身の血の通った人間であることが、想像できます。
それで、息子の理想像イメージ、と取ったわけです。
Commented by yomodalite at 2014-06-19 22:08
純金じゃないんだぁ(笑)

>イエス像と息子像という解釈です。

これは、「イエスのイメージと息子のイメージ」という意味だったんですね。。ふむぅ。。ようやくスタートラインに立った感じです。そうすると、

>おお、存在者たち(イエスと息子を総称してこう呼ぶ)

これは、イエスのイメージと息子のイメージではなくて、
実在のイエスと、息子(赤子)ですか?
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 22:36
>実在のイエスと、息子(赤子)...
まあ、イエスが実在したか?というのも、大問題なんですが。(笑)

それはそれとして、ここでは信仰の対象としてのイエス像(概念)でしょうねぇ。
ブロンズや大理石でできた固い像のことではないと思います。それらが象徴する信仰の対象物そのものと取ります。
Commented by yomodalite at 2014-06-19 22:54
>イエス像(概念)でしょうねぇ。

そうすると、「存在者たち」という訳は変ではないですか?

>それらが象徴する信仰の対象物そのものと取ります。

この「対象物」とは、大理石やブロンズでできた像のことでは?(笑)

そうではない「対象物そのもの」とは何でしょう?
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 23:10
ブロンズや大理石でできた固い像が象徴する、信仰の対象物そのもの、それはもちろん神です。
神がmockerだなんて、すごく不敬なんですが、ここではそういう意味かと。
神は現世に救いをもたらさないと、そう言っていると解釈します。
Commented by yomodalite at 2014-06-19 23:21
みっちさん、ありがとうございます!

揚げ足をとっているように感じられたら、どうしよーと心配で、今コメントを書き直そうかと思ったところだったんですが、スッキリとした解答を頂いて感謝です。

>それはもちろん神です。

了解です。また、それなら「存在者たち」という人称を思わせる言葉や、複数形はわかりにくいと思います。

>神がmockerだなんて、、

に関してや、その他については、もう一度考えてみます。
Commented by mitch_hagane at 2014-06-19 23:31
>また、それなら「存在者たち」という人称を思わせる言葉や、複数形はわかりにくいと思います...
Presencesと複数形になっているのは、しつこいくらい何度も書いてますが(笑)、尼僧たちにとっての『神』と母親たちにとっての『息子』の両方を指しているからです。
対象は『神』と『息子』ですから、人称を思わせるような日本語訳を当てるのは当然かと。

ちなみに、上記解釈はみっちだけの特殊なものではなくて(笑)、yomodaliteさん自身が紹介された高松先生の訳もニアリーイコールだと思います。(センセ、突然引き合いに出して申し訳ありません-笑)
Commented by kuma at 2014-06-19 23:58 x
おおこれは、すごい「大河」コメント欄になっていたのですね!
おふたりの議論をひたすら拝読するのみです。
ただ、母子像という言葉を持ち出してしまったのは私ではないかと、冷や汗が・・・。nunsが崇拝というところから、私は「聖母子像」を想像してしまったのです。でもそれだったら、マリアと幼子イエスはひとつの像になってるわけで、imagesとは言わないのかな。そこの誤解があったためか、わたしも、images → presences と考えてしまっていました。
失礼しました。
Commented by yomodalite at 2014-06-20 13:04
kumaさん、コメントありがとうございます!

>nunsが崇拝というところから、私は「聖母子像」を想像してしまったのです。

nunsとmothers が崇拝し、蝋燭に照らし出されている「images」なら「聖母子像」を想像しますよね。これは、marble or a bronze で出来ている。

蝋燭に照らされる像(イエス像)を見て、普通の母親は「息子」を思わないでしょう

>わたしも、images → presences と考えてしまっていました。

私もそう思います。私にはまだ、みっちさんが言われるイエスから息子、存在者たち=イエスと息子が理解できないので、もうしばらく考えたいと思います。
Commented by yomodalite at 2014-06-20 13:42
息子像と、存在者たちに、引っかかって、なかなか理解できなかったのですが、6-18 12:52 のみっちさんの訳については、概ね理解できたので、修正しました。

最後の「それらは、自ら独力で生まれいでたと錯覚し、人が営々と築いた努力をあざ笑うものなのだ」ですが、最後の行を「それらは」で繋げてしまうと、意味が逆のように思えてしまって、、、引きつづき考えてみます。
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by yomodalite | 2014-06-20 13:44 | 文学 | Trackback | Comments(40)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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