Among School Children[1]対訳イェイツ詩集(岩波文庫)

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マイケルへの思いをバネに英語詩を読もう!シリーズ

そんなシリーズあったっけ?と思われるかもしれませんが、
一応ここにあるMJの詩以外は、すべてそうだと思っているんですが、

今回は、MJが高校の教科書に登場したときに引用された詩です。

教科書に関して、まだご存知ではなかったという方は、
こちらの「とてもとても素敵なブログ」をご覧ください。

私は教科書は買ってないので、本文の方への関連はわかりませんが、まずは、引用された詩「Among School Children」の全体を読んでみたいと思いました。

下記は、岩波文庫の『対訳イェイツ詩集』から、注釈も含めて転載しています。



Among School Children
William Butler Yeats

小学生たちの中で
ウィリアム・バトラー・イェイツ

I
I walk through the long schoolroom questioning;
A kind old nun in a white hood replies;
The children learn to cipher and to sing,
To study reading-books and history,
To cut and sew, be neat in everything
In the best modern way — the children’s eyes
In momentary wonder stare upon
A sixty-year-old smiling public man.

私は長い教室を歩きながら質問する。
白い頭巾の老いた尼僧が丁寧に答える。
子供らは数の足し引きや、歌や、
読本の読み方や、歴史や、
抜ち方や縫い方を教わり、すべて
最新のやり方で整えることを学びます。
にこそかに微笑む六十歳の議員さんを
子供らの目が、一瞬、いぶかしげに見あげる。

II
I dream of a Ledaean body, bent
Above a sinking fire, a tale that she
Told of a harsh reproof, or trivial event
That changed some childish day to tragedy —
Told, and it seemed that our two natures blent
Into a sphere from youthful sympathy,
Or else, to alter Plato’s parable,
Into the yolk and white of the one shell.

私は心に思う、消えかけた火の上に屈む
レダの体を、彼女が語った
つらい叱責の話を、子供の一日を
悲劇に変えた小さな出来事をーー
語って、二人の本性は若さゆえの共感から
融合し、一つの球体となった。
あるいは、プラトンの寓話を変えて言えば、
一つの卵の黄身と白身になった。

III
And thinking of that fit of grief or rage
I look upon one child or t’other there
And wonder if she stood so at that age —
For even daughters of the swan can share
Something of every paddler’s heritage —
And had that colour upon cheek or hair,
And thereupon my heart is driven wild:
She stands before me as a living child.

私はあの悲しみや怒りの発作を思い起し、
そこにいる子やあそこの子をながめ、
彼女もこの年頃にはこんなふうだったかと
思い一一白鳥の娘でも、その辺の水鳥と
同じ血をいくぶんかは分ち合うことがある一一
煩や髪の色もああだったかと考え、
だちまち心は狂おしく錯乱する。彼女が
生身の子供となって目の前に立っている。

IV
Her present image floats into the mind —
Did Quattrocento finger fashion it
Hollow of cheek as though it drank the wind
And took a mess of shadows for its meat?
And I though never of Ledaean kind
Had pretty plumage once — enough of that,
Better to smile on all that smile, and show
There is a comfortable kind of old scarecrow.

現在の彼女の像が心に浮ぶーー
15世紀イタリアの指がこれを作ったのか、
痩せこけた頬は、風を飲み、
食事代りに影を食べたかのよう。
私はレダ一族の一人ではないが、それでも
昔はきれいな羽根をしていたーーまあいい、
いまは微笑むみんなに笑みを返して、気安い
老いぼれ案山子もいることを見せてやろう。

V
What youthful mother, a shape upon her lap
Honey of generation had betrayed,
And that must sleep, shriek, struggle to escape
As recollection or the drug decide,
Would think her Son, did she but see that shape
With sixty or more winters on its head,
A compensation for the pang of his birth,
Or the uncertainty of his setting forth?

生殖の蜜がこの世におびき出した形、
記憶や薬の作用のままに
眠り、泣き叫び、逃げ出そうとするものを
膝に抱く若い母親が、どんな母親であれ、
わが息子が、この形が、60年を、いや、
さらなる歳月を経て、白髪を頭にいただく
姿になり果てるのを見たら、出産の苦しみや、
この世に出すときの不安を償ってくれると思うか?

VI
Plato thought nature but a spume that plays
Upon a ghostly paradigm of things;
Solider Aristotle played the taws
Upon the bottom of a king of kings;
World-famous golden-thighed Pythagoras
Fingered upon a fiddle-stick or strings
What a star sang and careless Muses heard:
Old clothes upon old sticks to scare a bird.

プラトンは自然が、事物の幻影ともいうべき
範例に戯れかかる泡にすぎないと見た。
もっと堅実なアリストテレスは
王の中の王の尻を鞭でぶった。
人も知る黄金の腿(もも)したピュタゴラスは、
ヴァイオリンの弓や弦をひねくって、星が歌い、
無頓着な〈詩の女神〉が聞いた調べを奏でた。
棒切れに引っかけた古着が鳥を脅かそうというのだ。

VII
Both nuns and mothers worship images,
But those the candles light are not as those
That animate a mother’s reveries,
But keep a marble or a bronze repose.
And yet they too break hearts — O Presences
That passion, piety or affection knows,
And that all heavenly glory symbolise —
O self-born mockers of man’s enterprise;

尼僧も母親も幻像を崇拝する。
だが蝋燭に照らされる像は、母親の
思いに生気を吹きこむ像とは違って、大理石や
ブロンズの静謐をたもつ。だが、これらの像も
人を悲嘆に陥れるのだ一一おお、〈存在者たち〉よ、
情熱と、信仰と、情愛とが認め、
天の栄光の一切を象徴するものよ、おのずから
現前して、人間の営みを嘲笑するものよ。

VIII
Labour is blossoming or dancing where
The body is not bruised to pleasure soul.
Nor beauty born out of its own despair,
Nor blear-eyed wisdom out of midnight oil.
O chestnut-tree, great-rooted blossomer,
Are you the leaf, the blossom or the bole?
O body swayed to music, O brightening glance,
How can we know the dancer from the dance?

魂を喜ばせるために肉体が傷つくのではなく、
おのれに対する絶望から美が生れるのではなく、
真夜中の灯油からかすみ目の知慧が生れるのでもない、
そんな場所で、労働は花ひらき踊るのだ。
おお、橡(とち)の木よ、大いなる根を張り花を咲かせるものよ、
おまえは葉か、花か、それとも幹か。
おお、音楽に揺れ勤く肉体よ、おお、輝く眼差しよ、
どうして踊り手と踊りを分つことができようか。

(翻訳と下記の解説:高松雄一)

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Among School Children[1927年8月The Dial 誌初出。詩集The Tower (London,1928)に収録] history『集注版』による訂正。旧版『仝詩集』では韻を合わせてhistoriesとしてある。 A sixty-year-old smiling public man イェイツは1922年にアイルランド自由国の上院議員に選出された。この詩は公人として学校を視察したときの感懐。 Ledaean body レダ(またはその娘ヘレネ)を思わせる姿。 our two natures blent / lnto a sphere 形而上派詩人ダン(John Donne,1572-1631)の詩 'The Ecstasy' は、並んで土手に寝そべる男女の魂が肉体を抜け出して中空で合体融合し、精錬され、ふたたび別れてそれぞれの肉体へ戻る、と歌う。 Plato’s parable 対話篇『饗宴』にある。人間はもともと男女両性を合せ持つ球体であったが、ゼウスがこれを「ゆで卵を髪で切る』うに」二つに切り分けた。以後それぞれが自分の半身を求めて合体しようとする。 daughters of the swan 白鳥に変身したゼウスがレダに生ませた娘たち。高貴な美女。 Quattrocento イタリア語。 15世紀(1400年代)イタリアの美術・文芸について記述するときに使う。 Honey of generation 3世紀の新プラトン主義哲学者心レピュリオスは『オデュッセイア』第13歌のニンフたちの洞窟の描写を解釈して、蜂蜜が浄化作用、性交願望、生成の歓びを表すとした(トマス・テイラーの英訳による)。 recollection 前世の記憶。 Plato プラトンは、イデアが真の実在で、自然の事物はその模像にぎないと考え両者を峻別した。 paradigm 形相(form)と同義のつもり。 Solider Aristotle アリストテレスはアレクサンドロス大王の少年時代に家庭教師を務めた。事物は形相の可能態であると見なして両者を結びつけたから、少年の尻を鞭打って矯正することもあり得だろう。  golden-thighed Pythagoras ピュタゴラスは弦の長さに応じて協和音程が得られることを発見し、また地球を中心として回転するいくつもの天球が美しい音楽を奏でていると考えた。当時は神格化されて黄金の腿を持つと伝えられていた。 images 尼僧は幼児イエス・キリストを、母親は自分の赤児を。 Presences 至高の存在者たち。イェイツは特定の神に呼びかけるのを避ける。 That は53行目のPresencesにかかる関係詞の目的格。55行目のthatも同じく関係詞だが、こちらは主格。 chestnut-tree horse chestnut とする説をとる。
_________________

すばらしいお手本のあとに、お茶を濁すようですが、
自分でも訳してみようと思います。







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Commented by mitch_hagane at 2014-06-10 09:55
おおっ、今度はYeatsですかぁ。(愉)
おかげで、いろいろな英詩に親しむことができます。

ただ今回、高松雄一さんというのは、大先生なんだろうけど、どうもこの訳はピンと来ないです。(不遜-汗)
もとのYeatsの詩がイマイチなのかもしれない。(またまた不遜-笑)

たとえば、『真夜中の灯油からかすみ目』ってなにさ。(笑)
burn the midnight oilは、「夜遅くまで仕事すること」だから、ここは、『深夜にわたる努力で霞んだ目からは、智慧は生まれない』ってとこじゃないのかなぁ。
careless Musesを、『無頓着な〈詩の女神〉』ってのも、無頓着な感じ。(笑)
ここはcarelessをnaturalと取って、『星が歌うのを、ミューズたちが聞き流した音楽』くらいか。

だた『55行目のthatも同じく関係詞だが、こちらは主格。 』てぇのは流石ですね。(当たり前か-笑)
Commented by yomodalite at 2014-06-11 10:45
>『55行目のthatも同じく関係詞だが、こちらは主格。 』てぇのは流石ですね。

そこが流石なのかどうなのかも、私には良くわかりませんが、
みっちさんのコメントは相変わらず流石です!

私は、みっちさんのように不遜なことは言いたくないんですけどぉ(笑)

高松氏の訳は、イェイツが何を言っているのかわからないまま訳されているとしか思えないんです。小学生の授業を見てから始まって、最後の「どうして踊り手と踊りを分つことができようか」に行くつくのか、これでは全然わかりませんよね。

次にアップする私訳は、とりあえず意味が伝わるように徹底的に散文的にしていて、全体の構成はこんな感じだろう。という点は大体合ってると思ってるんですが、細部はヤバい点や、イマイチわかってない部分がいっぱいあるので、そちろの方にも、ぜひ、ビシビシとご指摘くださいませ。
Commented by mitch_hagane at 2014-06-11 12:27
yomodaliteさんの私訳、楽しみにしています。(‘◇’)ゞ

参考までに気のついたことを、以下に挙げておきます。

スタンザIIからIVに出てくる『彼女』、すなわちMaud Gonneのことは、説明しないと普通の読者には、よく分からないと思います。(汗)
さらに、Yeatsがアイルランド出身で、アイルランドはカトリック国なのに、Yeatsはプロテスタントだという事実、これは尼僧に対するYeatsの(なんだか冷たい)態度に関係していると思います。

高松さんの訳については、他にも気になる箇所が。
>棒切れに引っかけた古着が鳥を脅かそう...
是非、案山子(かかし)を連想させるような言葉が欲しいです(笑)
鳥を脅かすだけの、古着を着た案山子たちよ、くらいかな。

>これらの像も 人を悲嘆に陥れるのだ...
これらの像と、他に何が人を悲嘆に陥れるのか、明確にしないといけませんね。
尼僧の場合は『イエス像』、母親の場合は『息子』という偶像です。

あっ、字数オーバーだ。(汗)
Commented by mitch_hagane at 2014-06-11 12:27
続きです。

>おのずから現前して...
self-bornの正確な訳になっていない。このままでは訳しただけで、意味不明です。
やはり(人の手を借りず)自ら生まれた、生まれ変わった、というニュアンスが欲しいです。イエスは復活resurrectionしているし、息子は母親から生まれたに決まっているけれど、自分一人で生まれてきたような顔(態度)を取るわけです。

あと細かいけど、
>ヴァイオリンの弓や弦を...
ピタゴラスの時代にヴァイオリンなんかあるわけないので、弦楽器くらいに。
Commented by yomodalite at 2014-06-11 15:47
みっちさん、早っ!私訳の前に、もうコメントくださっているなんて。。(汗)

ざっと見たところ、フォロー出来た部分とそうではないところがあるような。。もう一度考え直したり、まだ細部が気になっている部分もあるので、ぜひまた[2]の方によろしくです。
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by yomodalite | 2014-06-09 12:01 | 文学 | Trackback | Comments(5)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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