マイケルとハワード・ヒューズ[6]ヒューズの広報「ディック・ハナのファイル」

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☆マイケルとハワード・ヒューズ[5]の続き

マイケル・ジャクソンが旅立った後、彼への印象が変わったという人は多いと思う。

それまで、多数のメディアが報道していた堕ちたスターの姿とは異なり、他の誰ともちがう、まぎれもない天才だったことを、MJが、その一挙手一投足のみで覆したことへの衝撃は大きく、彼が「被害者」だったと印象づけられた人は大勢いると思います。でも、メディアが彼の秘密を暴こうと躍起になり、彼のイメージを貶めて行ったのは、マイケル自身の卓越した「戦略」が、永きに渡って功を博し、すでにこれ以上は考えられないほど成功したスターが、金にモノを言わせて、他にマネの出来ないプロモーションを行なうことへの反発があったということも忘れてはいけないと思います。

下記は、ヒューズの遺産によって創られた「Howard R. Hughes College of Engineering」がある、ネバダ大学ラスベガス校のサイトから、

MJが言っていた「僕にとって、彼はある意味、先生なのかもしれない。人を操る術っていうか、彼はみんなが興味を持ってしまう方法を知っていた」というヒューズのメディアコントロールに関連した文章を。


あの大胆不敵な飛行機乗りはどうなったのか?

破産に追い込まれてもいいから一発勝負してみたいという気持ちにかられて、あの現実離れした街、ラス・ベガスに行ったら、あなたはある日きっと次のような場面に出くわすことだろう。

痩せて、疲れ果てたような表情の男がいる。背が6フィート3インチあって、黒っぽい色の、どうということのないズボンに、胸元のボタンを開けた白いシャツのその男は、華やかなホテルのバーのテーブルで、ステーキとサラダをぼそぼそと食べている。贅沢と富にあふれた雰囲気に囲まれながら、ポケットの中で二枚の1ドルコインを擦り合わせることさえ、彼には不可能のように見える。その男こそ、ハワード・ロバード・ヒューズだ。間違えようがない。ハワード・ヒューズのような男は1人しかいないのだから。

その数週間前、ラスベガスで、八歳の娘を連れた女性が、ヒューズのテーブルにやって来て、サインをねだった。ヒューズが快く応じると、女性は感激して言った。「あんなにたくさんの有名な女優さんを世に送り出した方のサインがいただけたこと、娘はきっと自慢にするでしょう」ヒューズはサインし終わると、女性が人混みに隠れてしまうまで、彼女の姿を見送った。「さて」と彼は悲しげに言った。「あの大胆不敵な飛行機乗りのハワード・ヒューズはどこへ行ってしまったんだ」と。ーー スティーブン・ホワイト「ハワード・ヒューズ物語」(ルック誌1954年2月9日号掲載)

カール・バイオアール社は、ロサンゼルスの大手広告代理店で、顧客には名だたる有名人や企業がある。しかし、会社にとって最も手強く要求の多い顧客はなんと言っても、ハワード・ヒューズだった。

1996年、ネバダ大学のスペシャル・コレクションは、ラスベガスにあるハワード・ヒューズ・コーポレーションから、ディック・ハナの顧客関連ファイルを入手した。


ハナは、バイオアール社の副社長であり、顧客部の担当重役でもあって、ヒューズの広報を受け持っていた人物である。

ヒューズの他のエージェントと同じく、ハナは、自分に割り振られた役割をはるかに超える働きをした。数え切れないほどの発表記事を書き、「承認済み」の写真をセットにしたマスコミ用の資料を作成して広報活動を取り仕切っただけではなく、ヒューズについて書かれた記事や、ヒューズが興味を持っていることについて書かれた記事について、膨大な量の情報を集めることもやった。


ハナがヒューズのためにやる仕事は、ハワード・ヒューズに対する、そして世間からの厳しい目にさらされる彼のビジネスや政治的な指向についてのイメージをコントロールすることであり、ヒューズ本人について、あるいは彼が利害関係を持っているか、脅かされていると感じているものすべてについて、マスコミがどんな記事を書いているかチェックすることだった。


ハナが(仕事の)料金請求のために入念につけていた時間表は、彼が多岐にわたる、時には通常では考えられないような仕事を、顧客のためにやっていたことを示している。


1950年、12月:ヒューズ・ツール社のために、新聞と一般雑誌の記事のチェック、切り抜き、ファイリング。政府と民間の報告書から、関連するものをピックアップし、分析。

1950年、12月18日。独身男性に関する記事をのせる予定の国内誌とミーティング。ヒューズ氏の写真が1ページサイズで、レイアウトのトップにくること、好意的に扱われることを確認。

1950年、1月24日、26日。(流れから行くと、これはたぶん1951年の1月ではないかと思う)顧客の要請により、ある女性団体の資金源、活動、評判についての報告書を準備。

1951年、4月19日、20日、23日。顧客の要請により、全米黒人地位向上協会の活動、評判、資金提供元について、特別報告書を準備。

1951年、11月。ある国内誌の編集者たちと、執筆者及び全体的な雑誌の運営について話し合い。情報を西海岸に伝えること。

1952年、4月1日。ニューヨークの日刊新聞の編集委員と、ヒューズ氏の映画産業における共産主義との戦いについての社説が、どのような情報をもとに書かれたか話し合う。

1952年、7月24~25日、28日。8時間。顧客の要請により、過去の新聞に載った、あるミュージカルの批評記事をチェック。報告書を西海岸におくる。

1968年の、ハナによるヒューズのための報告書には、次のような見出しがついている。

「ヒューズ・オフィスのための特別業務 ---- 目的:この報告書は、種々雑多な内容を含んでいる。重要であるものも重要でないものもあるが、ハワード・ヒューズ氏は、(このようなことが)我々の仕事の中でもっとも重要な役割を持つものだ、という見方をしている」

1970年、9月の報告書の記述:ハナは、顧客の幹部で、高名なビル・ゲイ(ヒューズ関連のいくつかの会社の幹部)や、最近はそれほど重要メンバーではなくなっている、ボブ・メイヒューのための「特別調査プロジェクト」に少なからぬ時間を費やしてきた。これらの報告書には、広い範囲の噂話の追跡、現在進行中の訴訟およびこれから起こりそうな訴訟(たいていは、チェスター・デイヴィスとの)の把握、そして、時には何と表現して良いかわからない、顧客の要請による様々な事柄についての業務が含まれている」

1972年、2月25日。顧客の要請で、1970年のマスターズ・ゴルフ・トーナメントの1時間版をチェックし、ジャック・ニクラウスのプレイに関して、特定の出来事が起こっていると言うことを確認。トーナメントの最終ラウンドにおけるニクラウスのすべての動作を二度チェック:顧客側の担当者に、発見したことを報告。


100立方フィートに及ぶコレクションは、マスコミがどのようにヒューズをあつかったか、彼についての記事がどれほど(ヒューズ側からの)演出と、管理をうけていたものであるか、を示す、最も説得力のある貴重なコレクションである。


しかし、その事を超えて、ヒューズの並外れた情報収集活動の全体像を見せるこのコレクションは、どんなものがヒューズの興味をひいたか、を表してもいる。コレクションはまた、ヒューズが広告代理店を通じて承認した「公式ハワード・ヒューズ写真」のほとんどを含んでいる。


執拗に、そして異常なほどに世間の目を避けていた男が、これほどにも広報活動に長けていたことは、ハワード・ヒューズがかかえる多くの逆説のひとつだ。


ルイ14世以来、公に知られた人物が、大衆の自分に対する認識をこれほど極端にコントロールした例はない。


ハワード・ヒューズがラスベガスにいた年月について、最も事実を明らかにし、人の興味をひくであろう証拠文書は、マイケル・ドロズニンの著書『市民ヒューズ(Citizen Hughes)』のもとになった、謎めいた大量のメモの中に見られる。

一方、ハナの残した文書は、生身のヒューズを表すものとしては少し弱いが、「知りたい、コントロールしたい」という偏執症的な衝動に駆られてヒューズがやった活動の、多くの部分を明らかにしている。ハナの任務は、マスコミや一般のイメージを監視し分析することであり、ヒューズにとって有利な流れを作ることであった。任務の大部分は、地道に新聞記事を切り抜くことだった。スプルース・グース(木製の世界最大の8発エンジン飛行艇)の建造と「飛行」の記事、あるいはヒューズの製作したRKOの映画の宣伝記事については、何箱もの切り抜きがある。


また、ラスベガスの資産についてのファイルや、ヒューズに影響や脅威を与える事柄、たとえば原子力委員会、クリフォード・アーヴィング、マフィア、ウォーターゲートの公聴会、果てには、ハワード・ヒューズの事を書こうとした作家やジャーナリスト、番組を作ろうとしたテレビ・プロデューサーなどについてのファイルがある。ハナが最も手をやいた問題のひとつは、ヒューズは実は亡くなっているという噂が、絶えず立つことだった。


メイヒュー事件で、ハナのオフィスには何箱ものファイルができることになった。メイヒューを、ヒューズの「ネバダ事業」の責任者からはずすという「政変」は、名誉毀損での訴訟と対抗訴訟に発展し、ヒューズの謎めいた「ネバダ事業」への、マスコミの関心を高めることになった。ファイルにおさめられているのは、宣誓供述書の写し、記者会見の記録、モーリー・シェイファーがどうしてヒューズのラスベガス資産は損失を出し続けているのかを調査したテレビ番組「60ミニッツ」の台本などで、それぞれ注釈がついている。ヒューズの陣営で、誰が誰から金を盗んでいるかという問題は、ウォーターゲートやヒューズとべべ・レボゾ(ニクソンの政治顧問)の関係と同じくらい、人々の興味をひく話だった。ヒューズ帝国の支配にむけてのビザンチン作戦が明らかになる中、ディック・ハナは静かに自分の仕事を遂行した。


ヒューズのイメージをコントロールする仕事は、ヒューズのウォール街の弁護士(金融担当弁護士?)であり、ヒューズ・ツールの副社長兼主任弁護士でもあったチェスター・ディヴィスがローズモント・エンタープライズ社を設立したころには、あり得ない域に達していた。ローズモント・エンタープライズは、ヒューズグループの子会社で、ハワード・ヒューズに関する、現在・過去・未来すべての文献をコントロールするためだけに設立された会社だった。


ヒューズに関わる記事、ニュース映像を、それがどこのものであろうとすべて探し出して、リストアップするためにスタッフが雇われていた。スタッフは、すべての映像や写真に対する独占権を手に入れようとした。情報提供者のネットワークを通じて、ヒューズについて調査し、何か書こうとしているライターについては、だれであろうとローズモントの「オフィス」に、つまり、ロサンゼルスのロメイン・ストリート本部にいるビル・ゲイのとこに、報告が行った。


ライターは身辺調査され、連絡を受け、ローズモントが、ヒューズから彼の画像や伝記についてのすべての権利を委託されており、ライターの持っている素材を「発展させ、有効に活かす」権利を独占させてくれるなら、金を出す用意があると、告げられるのだった。もし買収に応じなければ、ライターも編集者も出版社も、訴訟という形で脅かされた。ローズモントのファイルには、多くのジャーナリストについての報告書とともに、多くの出版されなかった作品が含まれていた。それらのいくつかは、ヒューズを完全なフィクションの形で描いたもので、ライターがローズモントからの支払いに応じたものだった。ライターの原稿を手に入れるのは、実際は「発展させる」ためではなく、世に出さないようにするためだった。

ヒューズがどれだけ自分について書かれたものを抑えようとしたか、プライバシーに踏み込まれることをどれほど激しく嫌悪したかは、1962年に「ライフ」が彼について書いた記事への対処の仕方に表れている。


その頃ヒューズは、TWA航空の経営に対しての訴訟に巻き込まれており、世評に関しては特に敏感になっていた。それでも、自分のところのスタッフや妻のジーン・ピーターズさえも動員して、「ライフ」にインタビューの申し出をしていた。訴訟の件で、騒がれるのを抑える、または引き延ばすもくろみで。


彼は弁護士のガイ・バウツァーや広報担当のディック・ハナ、そしてクラーク・クリフォードという、非常に影響力のあるワシントンの弁護士を、「ライフ」側に送り込んだ。記事について雑誌側と「話し合い」、訴訟についての記事はなくすか、少なくとも最終稿はヒューズの承認を受けるようにと、雑誌を説得するためだった。ライフ誌はヒューズに屈せず、記事を載せた。後になって、クラーク・クリフォードは、本心を隠して、記事が載ったのは良いことだったという意見を述べた。クリフォードの手紙をビル・ゲイに回したロバート・メイヒューは同意しなかったが。代理人たちが記事を差し止めることに失敗したことは、ヒューズを激怒させた。彼はその怒りをガイ・バウツァーにぶつけた。バウツァーは、温厚でハリウッドでは有名な弁護士で、このクライアントの爆発ぶりにはなれていた。


「以下のポイントについて、簡潔かつ迅速な返答を送るように」とヒューズはバウツァーに書いている。

「しかし、前もって言っておく。この週末に君と個人的に話がしたい。その目的はお互いをより理解するためだ。目下のところ、われわれの現在の関係はこれ以上にないほど、悪化し、敵対的になっている。この前に話し合った時は、病気が回復し始める前だったために私はせいでかんしゃくを起こし血圧が急上昇し、話し合いは中断してしまった。そのあと私はひどく落ち込んでいる。たしかに、私はほかの人と同様、議論の的になっている物事を、自分の側から見る傾向がある。しかし、同様に君も、物事を自分の側から見る性分ではないか。


私は君が、ほかの何よりもノース・ウェスト航空の経営に興味を持っているように見えるのが気に食わない。君はいつも「自分はきちんと仕事をしている」と答える。しかし、その仕事がノース・ウェスト航空に利するものであるなら、私にとっては何の価値もない。私がノース・ウェストを所有しているのは長くてもあと1ヶ月なのだから、君の労力をそちらに向けてほしくはない。今は、ライフ誌の件と、ほかの3つか4つの懸案が私の心身にナイフのように突き刺さり、健康を回復しようとする私の努力を無にし、信じられない速さと力で、日々私を墓場のほうへと押しやっているのだ。


君のノース・ウェストでの働きは、ホノルルにいるヘンリー・カイザーならたいした仕事だと言うかもしれない。しかし私は今磔にされるような苦しみを味わい、ジーン(ハワード・ヒューズ夫人。女優ジーン・ピーターズ)はマリリン・モンローと同じ道をたどるんじゃないかと、賭けが行われているくらいだ。


このような状況の下では、君が1分であってもノース・ウエストのために時間を割くことは、私に耐えがたい苦しみを与える。君の時間と労力はすべてライフ誌の件のために使われるべきなのだ。

返信を待っている。対応は、午前中のうちにできるかわからない。私はもう疲れ果てているからだ。


(こちらは、kumaさんに訳してもらいました


ヒューズが、「ライフ」など、メディアに登場した自分の記事を集めていたことについて、同じようにメディアに苦しめられていた、マーロン・ブランドの自伝にある文章も紹介しておきます。


マスコミが話を勝手につくった場合、私は他人からどう思われようと知ったことではないと、無関心をよそおった。われ関せすの態度を押し通したのだ。しかし、それは仮面でしかなかった。新聞や雑誌に事実無根で、わいせつな作り話を書きたてられ、ひどく頭にきたこともある。なかでも腹にすえかねたのが、『タイム』誌と『ライフ』誌の記事だ。親会社であるタイム社のしっぽをつかもうと、私はさる調査機関をだきこんで、あらさがしをさせた。8千ドルを投じ、タイム社のニュース歪曲の歴史を膨大な調査書にまとめた。


それから、次つぎにテレビやラジオに出演しては、『タイム』と『ライフ』をこきおろし、その広告をくさした。しっぺ返しがしたかったのだ。私の狙いは中傷だったが、タイム社には打つ手がなかった。私は同社のゆがんだ報道が社長ヘンリー・ルースの偏見にみちた政治思想を反映しているという事実を、そのままなぞっていたにすぎないからだ。タイム社の非愛国的な出版物はアメリカ合衆国の評判を落としており、海外で祖国の威信を傷つけている。社が事実をねじまげて、外国を誹謗したつけは、いずれ国家が払うことになるだろう。そのように私はテレビやラジオで主張した。私は復讐を心から楽しんだ。長い間、私はこうやって生きてきたのだ。不当な仕打ちを受ければ、かならず報復した。


タイム社は私のところに密偵を送りこんだ。友人の親戚にあたる女だった。口実をこしらえて訪ねてきた彼女を、私は食事に誘った。マーティニがきいたのか、家に戻ろうとする頃には、私はハンドルさばきもままならず、ハイウェーをジグザグ運転するほど酩酊していた。女はさらにひどい様子だった。私の家の車道に車をとめて、降りようとすると、女はまだけなげにも任務を遂行しようとした。まわらない舌で、こう言ったのだ。「マーロン、なぜタイムを攻撃するの? 何か目的なの? 一体どういうことになっているの?」


「ああ、あそこの雑誌はすばらしいよ」私は言った。「だが、少々訂正すべきところがあったんで、テレビに出てそう言ったまでさ。歴史はきちんと伝えないと、まずいからね。ぼくはマスコミの誤報をただすのが国民の務めだと思っているから、このまま続けるつもりだよ。実際、感謝してほしいくらいだね。雑誌には『読者の声』の欄があるだろ。ぼくのしていることは、ある意味で『読者の声』と同じだよ。アメリカの評判を傷つけてはいけないとタイムがさとるまで、ぼくはえんえん、手紙を書きつづける……」


 そこで、私は女を茂みのなかに押し倒した。敵の密使と一戦交えようという魂胆だった。だが私は満足に動けないほど泥酔していて、女の耳たぶと蔦の区別さえつかない状態だ。女は貞操を失うことなく、無事ニューヨークに帰っていった。しかし、その夜を境に、タイムはほとんど私の名前を出さなくなった。もし記事にしたとしても、ぞんざいな書き方だ。タイム社は大会社である。しかし、これはダビデとゴリアテの物語だ。眉間にぴしっと石を当てれば、強大な敵もいちころなのである。(『母が教えてくれた歌』P253〜254)


(引用終了)


ヒューズの人生と業績がざっくりわかる優れた日本語の動画!
MJがヒューズと同じように語られていることがよくわかる?





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by yomodalite | 2014-05-09 22:49 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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