マイケルとハワード・ヒューズ[5]映画『ザ・ホークス』

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名古屋旅行で中断していましたが、ヒューズ探求の旅は、まだまだ終えられそうにありません。

私も知らないうえに、おそらく読んでくれている人も知らない。資料は少ないうえに、古いものばかりというヒューズについては、調べることだけでなく、どう書けばいいのかもわからないんですが、

でも、、MJから「大好きなんだ」「ぼくの先生かもしれない」を聞いてしまうと、それもちょっと秘密なんだけど。というニュアンスで漏らされると、もうどうしようもなくて、あっという間に、デスク周りは、ヒューズ関連のものばかりになり、暇な時間のすべてをどっぷりとヒューズに浸かっています。

彼が「大好きだ」というヒューズに辿り着けるのは、まだ先のことかもしれませんが、ひとつひとつ、ツブしていく感じで、この映画も観てみました。





『ザ・ホークス』の監督は、『ギルバート・グレイブ』や『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のラッセ・ハルストレム。

ディカプリオが最初にオスカーに近づいた作品を撮ったハルストレム監督も、ヒューズに関しての映画を撮っていたんですね。こちらが公開されたのはイタリアでは2006年、米国では2007年。『アビエイター』は2004年末の映画でした。

『アビエイター』は、TWA(トランス・ワールド航空)が国際線に進出するといった1950年あたりで終わるのですが、『ザ・ホークス』で描かれているのは、それからずっとあとの1970年代。

この2作の映画を観てつくづく思ったのですが、2時間映画でヒューズを描くのは至難の業で、両方見ても、元々ヒューズについて知らない人が彼を理解するのはむずかしい。


この頃のヒューズは人前に出なくなっていたものの、人々の彼への関心は強く、ヒット作を探していた、売れない作家アーヴィングは、贋作画家の伝記を取材していた経験から、ヒューズの伝記を「創作」することを思いつき、

企画を持ち込まれた出版社の編集者は、ヒューズの自伝は、聖書よりも売れることを確信し、出版社も、連載を見込んだ「LIFE」誌も、その興奮の渦に巻き込まれて行く。

物語の終盤では、その本が「ニセモノ」であると、ヒューズ自身が語っている電話の音声が流れ、アーヴィングは「ニセ伝記」を創作する過程で送られてきた資料から、ヒューズとニクソン大統領の関係において、自分の「ニセ伝記」が利用されたことを示唆し、また、アーヴィング自身がヒューズと同化していく様子や、彼の一番の理解者のつもりでいたことなども。。

アーヴィングはこの詐欺事件の主犯でありながら、この事件の真相本も出版していて、それがこの原作なんですが、この事件以前にアーヴィングが取材して本にした贋作画家の話も、あのオーソン・ウェルズが『フェイク』という映画にしていたり、







上の動画で、町田氏が語っている以外にも、アーヴィングは詐欺事件で服役後、日本でも翻訳されるほどヒットした小説も書いてたり、彼自身も、何人もの女や、男を虜にしてしまう人物のようです。

この映画を観ただけでは、この「ニセ自伝」に老舗の出版社や、マスコミ人が惹き付けられた事情についても、アーヴィングがこの大胆な計画に突き進んでしまった理由についても理解しにくいのですが、

私が、原作本の『ザ・ホークス』を駆け足で読んだ印象では、アーヴィングは、当時人々がヒューズに抱いていた「奇行で人生に落ちぶれた大富豪」というイメージに疑問を抱き、小説家の空想力によって、むしろ「真実」にせまろうとしていたように思いました。

(原作本は上下刊で長いうえに、中古本でしか手に入れられませんが、ヒューズに興味がある人にはオススメの面白い本です)

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下記は、アーヴィングが「創造した」ヒューズのインタヴュー

ヒューズ「わたしは奇行で有名らしいが、その点はなんとも思っていない。奇行は卓越した知性の証だ。いや、自分に卓越した知性があると言いたいのではない。自分にそんなものがあるとは信じていないからな。本当だ。ただ、わたしは、、、そうだな、このように表現しようか。奇行を嘲る者は、、、奇行を嘲ることは、劣る知性の証だと。(中略)わたしの奇行は注意深く見てみれば、人生にはありふれた危機に対する知的な防御に過ぎないことだ。

それ以上に、どんな人間でも奇行はやるものだ。どんな人間も、いわゆる変わった態度を取ることはある。必ずしも、わたしの行動と同じではなくても、その人間なりの変わった態度があるんだ。その人間に勇気さえあればな」

アーヴィング「そして金があれば」

ヒューズ「そう、金だ。欲望の思いのままにふけることのできる金、気に入らなければ他人に地獄へ堕ちろと言えるだけの金だな。(中略)わたしの変人ぶりだけがわたしの個性だ。ほかの者が表現不可能、あるいは肝っ玉が小さ過ぎて表現できないときでも、わたしには表現できる余裕がある。(中略)正直に表現していればーーどれだけ変わっていても構わない。芸術家に近い考え方だな。そのあたりの感覚から見ると、芸術家はわたしのように裕福な男に近い。芸術家は個性の感覚を高度に磨き上げているし、ためらわずに世界にくそくらえを言える(後略)」

引用終了(『ザ・ホークス』上巻、275〜277ページから)

この映画は、ヒューズを描いた映画ではなく、

ヒューズをネタにした詐欺事件を描いているのですが、ディカプリオがヒューズを演じるために、若くして神経症にかかり、早々に破滅したかのような『アビエイター』に比べれば、

MJが仕掛けをしたと言っている「ヒューズの策略」についてや、人々のヒューズへの関心や、ねじれた愛情をも織り込まれ、わずかではあるものの、実際のヒューズの映像や彼の声も記録され、ヒューズ現象の一端が垣間みれます。

ハルストレムは、この映画を「コメディ」と捉えていて、ニクソンとの関係についても、アーヴィングの妄想や、70年代に作家が飛びつきそうなネタとして扱っているように思えますが、そんなところも、私には、社会派として骨太さがなくなっているスコセッシよりは「大人向け」の映画に思えました。

私が観た「レンタル版DVD」に納められた関係者インタヴューで「作品の教訓について」聞かれた、アーヴィングの妻を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンは、

ウソをつくな、なんて言うつもりはないわ。伝えたいのは、そんな平凡なことじゃなくて、人は自分の信じたいものを信じるということよ。

と答えていました。マーシャ・ゲイ・ハーデンの言っている意味とは違うかもしれませんが、私にとって、この映画では、何が正しいかをジャッジせずに描かれているところが魅力的で、マイケルのヒューズに対しての感情に、スコセッシよりは、近い人々によって創られているようにも思えました。


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クリフォード・アーヴィング(Clifford Irving)

☆ヒューズの広報「ディック・ハナのファイル」に続く


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by yomodalite | 2014-04-26 10:26 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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