「国家秘密の取り扱い」について

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photo : http://whitney.org/Exhibitions/JayDeFeo



山本七平著『無所属の時間』/秘密の原則より
要約のため大幅に省略して引用しています。


「国家秘密と裁判」の関係が問題になり、朝日新聞の論説は「″国家秘密″ も大切であるが ″公正な審理″ ″被告人の防御権″ もまた司法にとって極めて重要な問題である。その調整をどうするか。真剣に検討されねばならない問題であると考える」という結論になっている。

私がいつも疑間に感ずるのは、こういった種類の論説である。「真剣に検討されねばならない問題であると考える」なら、まず最初に、そう主張する人が、真剣に、検討の素材となる具体的一案(俗にいうタタキ台か?)を提出すべきではないのか。

確かに、真先に提出された試案には愚案が多い。しかし、その愚案があってはじめて検討がはじまるのだから、それをしないなら「よきよう取りはからえ」というお殿様の一言であっても「論説」ではない。「論」とは「殿のおことば」ではないはずである。

「外交はガラス張りでなければならない」という極論と「外交交渉に秘密がつきまとうのは当然で、自分の手の内を予め全部相手に知られてしまえば、交渉などできない(従って国家秘密は大切だ)」という反論があり、

この二つが何ら生産的な討論を行うこともなしに騒いだだけで消えた。

社説は「国家の秘密」の存在を認めており「全てガラス張り」でなければならぬと主張している訳ではない。

これは一つの進歩だが、過去においてはしばしば「一切秘密があってはならない」という極論が主張され、これが奇妙な逆作用となり「秘密がある事をも秘密にする」という弊害を生んだ。

実を言うとこれが「秘密」というもののもつ最大の弊害なのである。

従って「それから脱却できる第一歩」の提示という点では、この論説も評価されてよい。

では、そのように「国家秘密も大切であるが……」とこれを認めれば、それで十分なのか。そうは言えない。

国家は、認められた秘密の範囲を無限に広げて行き、広げることによって「秘密があることも秘密にしてしまう」であろう。

これでは「ガラス張り」を主張して「秘密を秘密にする」逆作用を誘発し、それによって、一見、秘密がないように粧うという最悪の状態と同じ結果を招来してしまう。

従って、いずれをとっても、問題の解決にはならない。

それが外交問題に関連しようと、公正な審理に関係しようと、またそのいずれにも関連しない場合であろうと、秘密というものは、常にかくかくしかじかの取り扱いをすべきだという原則が確立されねばなるまい。

では秘密はいかに扱うべきか。

原則の第一は「公然の原則」である。

秘密は公然と秘密にし、秘密であることを秘密にしてはならない、
という原則である。

この原則は、少なくとも西欧圏では、個人・組織を問わず確立しているように思われるが、日本では非常にあやふやである事は否定できない。例えば我々は簡単に「知りません」とか「存じません」(アイ・ドント・ノゥ)とが言う。

この場合、そう言った相手が本当に「知らない」のか、知っているが「言明しない」と言っているのか、我々の社会では明らかでない。というのは「ノゥ・コメント」(言明しない)という言葉がないからである。

「ノゥ・コメント」は「知っていようが、知っていまいが、それについての言明を拒否する」ことであり、従って「知っている」とも「知っていない」とも言っていないわけである。

いずれにせよ、その件はその人の秘密だが、彼は、それが秘密であることは、公然と言明しており、そして、人には「秘密であることを言明する権利」があること、そしてこれを侵害する権利はだれにもないことを、社会が当然のこととして認めているわけである。

これが日本にはない。

従って戦犯裁判の時など、つい「日本的」な意味で「知りません」といい、後で知っている筈だという証拠を突きつけられて偽証罪になった例がある。これを偽証とするなら、政府の国会答弁などは偽証の連続となるかもしれない。従ってまず秘密は公然と秘密であると言明する慣行の確立が第一であろう

第二の原則は「期間と範囲の明示」という原則である。

いわば、秘密であることを秘密にしておいて、闇から闇へ永久に葬ってしまってはならない、ということであって、秘密は、それを秘密にする必要がなくなったら、一切を、資料として明示する義務を負うということである。

範囲とは、その秘密がどの部分に属するかの明示である。

沖縄返還協定に秘密の取り決めがあったのなら、それが軍事的か経済的か、または単なる手続上の問題か、あるいはまた自分の方の問題でなく…たとえば…相手方の…問題への配慮か、といった範囲は、いわば、消去法の形で明示すべきである。

これはある点を「ノゥ・コメント」ということによって、おのずと明らかになる。そして、明示した秘密の範囲以外には、一切、秘密があってはならない。

細かい点を省略すれば大体、以上が原則であろう。





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by yomodalite | 2014-04-17 08:38 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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