2013年 10月 21日
プロ無職入門 高木荘太の活ける言葉/高木荘太 |
去年、出版されたときから、まるで自分のために書かれたのではないかと思うぐらい、読みたかった本ですが、あまりにも一途に仕事をしてきた男のことばかり考え過ぎていたせいで、なかなか読むことができず、出版から1年以上経って、ようやく手に取ることが出来ました。
読みはじめてみると、高木氏のツイッターをフォローしていたにも関わらず、想像以上の面白さで、著者の守備範囲の広さにあらためて驚き、これほどレベルが高くないと「無職」にはなれないのか。とがっくり肩を落としそうになったものの、そういえば、すでに無職だったと気づきw、あり余るほどの暇な時間を使って、貪るように読みました。
ああ、無職ってなんてすばらしいんでしょう!
この本のタイトルを見るまで、無職に「プロ」があるなんて考えてもみなかったんですが、ちょっぴり目指してみたくなりました。
といっても、本書には、プロ無職になるためのノウハウが書かれているわけではなく、どうすればいいのかは、さっぱりわからないので、目をつぶって適当にめくって出てきた言葉の中から、少しだけメモしておくことにします。
(引用開始)
◎「いろいろ考えさせられます」を翻訳すると「思考停止しました! さて飯にするか!」になります
◎上下の区別のない無重力空間にも「上から目線」は存在する
◎「庭園を音楽に例えると」修学院離宮=デューク・エリントン、桂離宮=ドナルド・フェイゲン、浜離宮=フレイミン・グルーヴィーズ、偕楽園、後楽園、兼六園=ボン・ジョビ
◎「俺バカだから〜」という奴はたいてい本当にバカ。論理的な話をシャットアウトしている失礼を恥じる事もなく、知性によって自分を制することもなく放棄している。この言葉を「イノセントさの表明」と勘違いしている事と、戦争における「正義」には密接な関係がある事を俺はすでに見抜いている
◎「孤独感」とは「孤独=不快」で思考停止している馬鹿に与えられるペナルティである
◎あなたの真の理解者が近くにいるとは限りません。真の誤解者なら近くにうじゃうじゃいる事はご存知の通りです。
◎江戸時代、大商人は大坂の米相場を数時間以内に江戸で知るため、東海道沿いに何十箇所もの手旗信号基地を設けたそうだ。幕府はこれを禁止したので、次にのろしを使用した。しかしそれも禁止になったので、伝書鳩を使ったら、幕府は伝書鳩を襲うハヤブサを放ったという。誰かこの話を映画化してくれ
◎映画製作とは札束と人間関係を燃やす炎の祭りである
◎アイヌは誰か死んだら、そのひとの名前や思い出を語る事はタブーで、死者と同じ名前や似た名前の人は縁起が悪いのですぐ改名します。墓参りなどしません。日本民族も元は墓を作ったり先祖供養はしませんでした。立派な墓や先祖崇拝は「財産の相続」と関係が深いエグ〜〜い習慣なのです。
◎ロス疑惑の三浦和義は15歳のときにジ・アニマルズ来日公演を観に行くため鑑別所を脱走した。銃撃された一美さんとはダイアナ・ロスのコンサート会場で知り合った。失踪した白石千鶴子さんの義兄は、フランク・ザッパ、サン・ラなどを手がけた米人レコーディング・エンジニア
◎「あんな奴と喧嘩するのは自分もあんな奴と同じレベルだと認めることだぞ」。常識的で温厚な人がよく使うセリフだ。常識的で温厚な人は、おこがましくも他人を「レベル別」に分類してピラミッド型のヒエラルキーに基づく独善的な対人関係を構築しているということが、これでよくわかるね。
◎『今のほうがいいのに』
「最近はいじめとか子供の自殺が多いねえ」という意見をよく見開きする。冗談ではない。子供の自殺は昭和30年がピークで、現在はピーク時の6分の1ぐらいに減少している。
機会があって、終戦後から30年分くらいの新聞を読んだ事かあるのだが、昔は納屋で首を吊っただの、用水路に入水しただの、子供の自殺の記事か非常に多い。家で子供が首を吊っても、家族は十中八九外部に隠すから実数はわからない。たぶん発表されている数より何倍も多いだろうという事はわかる。
今は昔に比べて子供が自殺しなくなったのである。子供の自殺は珍しい事例だから、みんなショックを受けるのである。また、それを問題にするのは、それがスキャンダルだからだ。「子供の自殺は年々減少の一途をたどっていますと報道しても誰も喜ばない。「また死にました、今度は焼身自殺です」というニュースをみんな心待ちしているのだ。さらに親が幼い子供を殺す事件。これなど昔に比ぺれぱほとんど一掃されたと言ってもよいくらい減った。太古より親は子供を殺すものだった。あまりにも多いのでニュースにもならなかった。それが今では極少数になってきて、これまたスキャンダルになったから報道するのである。
みんな親の子殺しのニュースに触れたときにこう思う。『ああ、わが家では絶対にこんな事は起こらないな」。そういう安堵感は何よりも快楽をもたらすから、TVや新聞はぽんぽん報道する。『親の子殺しは今や絶滅寸前です」という記事を載せたとしても、誰もそんな新聞や雑誌は買わない。
ニュースというのは一日中、他人の不幸ばかり報道して、「宝くじに連続当選した人」や「ぶらぶらしているのに美女と大金が転がり込んだ人」なんてのはあんまり報道しない。誰もそんな事は知りたくないからである。
昔に比べて改善されてよくなっている事も正しく報道しないくらいだから、悪くなっているところについては、どのくらい歪曲・隠蔽しているのか、見当もつかないではないか。
◎『東京とニューギニア』
ニューギニアのある部族では男の子が生まれると、その父親は誰でもいいからそのへんの男を殺す。そしてその男の頭蓋骨を叩き割り、脳みそを取り出して、サゴヤシのでんぷんといっしょに炊いて喰う。満腹になったら子供に名前を付ける。殺した男の名前を貰うのである。そしてその男の頭蓋骨は、子供が死ぬまで大切に祀る。
なんでそのような事をするのかは、おれには到底理解不能だし、彼らも説明不能だろう。「ニューギニア警察は何をしているのか?」「残された家族の気持ちがわからないのか?」「反省の気持ちが少しも見られない」「事件の全容を解明するべきだ」「犯人の心の闇にせまる」などとニューギニア高地人に言ってみても無意味である。ヒップホップか好きな人に「なんでバスケットボールの選手の格好をしているのか?」と尋ねるくらい無意味だ。
ただはっきり言えるのその人と我々は、基本的には同じルーツを持つ、まったく同じスベック、まったく同じシステムでドライブされている同一種の生き物で、この程度の行動の違いはごく些細な表層的ものにすぎない。という事だ。
音楽のジャンルの違いみたいなもので、部外者は包括的に見るから、差異そのものは、あまり意味をなさない。つまるところ、ヒトは共食いをしたり、ターンテーブルをこすったりする哺乳類なのだ。
我々文明人も度し難いほどに殺人や猟奇的な事件が好きである。TVなど一日中そういうものを映し出しているではないか。先天的にそういうものに関心が向くように精神はデザインされているのだろう。
現代文明は殺人を禁止している。そこには論理的な意味はなく、法律やらモラルやらで押さえ込んでいるのは呪術的な意味合いのほうが大きい。法律は暴力のもっとも洗練された形である。代償行為ということで十分説明がつくと思う。
こういう事を書くと、「くれぐれも人殺しをしないでください!」だの「そーちゃんならやりそう」とかいう感想をもつ人がいると思うのだが、そういう人は、ニューギニアで頭蓋骨を割られて脳みそをえぐり出されながら、「たくさん食べてくださいね!お子様のご成長を見守ってまーす (⌒o⌒) と思うような人なのに違いない。
(引用終了)
この本は、どの「カテゴリ」に分類するか迷いました。
でも、現代の「金言」や、笑いの要素もたっぷりあって、10ミリ程度の厚みに、これほどぎっしりと「活ける言葉」が詰っている本が、他にもあるとは思えなかったので(ご存知の方は、それも読みたいので、ぜひ教えてくださいませ!)、これはレベルの高い「自己啓発本」だと思いました。
下記は、最近のツイッター(高木壮太 @TakagiSota) から。
(9月28日)
いまの30~40代は「音楽やファッションに流行があった時代」の貴重な最後の世代なのだから、下の世代にはわれわれを保護する義務がある。
(9月28日)
twitterをみるとよくわかりますが、有名人は有名人としか交流しません。無名なひとと絡むと運気が落ちるからです。そして無名人の悪い運気バイブレーションは他の有名人にも波及するので、有名人は有名人同士で結界を張らざるを得ないのです。どうか彼等の苦労を理解してあげて下さい。
(9月28日)
若い頃は怖いもの知らずで、どんな依頼も二つ返事で引き受け、断るということを知らなかった。果たして此の世には自分に向いているものはなにも無いと知ったのである。だから若いひとにはこう言いたい「他人の依頼や期待はすべて拒絶して自分のしたいことだけをやって野たれ死にしなさい」と。
(9月29日)
古代ローマの奴隷は非常に高価なものだった。子供と奴隷が病気になったら奴隷を優先して看病した。子供は死んでもまた作れるが、生産手段である奴隷を失うと、家族全員が奴隷身分に落ちる恐れがあるのだ。
(9月30日)
人生の残り時間から目を背けていると、どうでもよいことを恐れるようになる。
ああ、無職ってなんてすばらしいんでしょう!
この本のタイトルを見るまで、無職に「プロ」があるなんて考えてもみなかったんですが、ちょっぴり目指してみたくなりました。
といっても、本書には、プロ無職になるためのノウハウが書かれているわけではなく、どうすればいいのかは、さっぱりわからないので、目をつぶって適当にめくって出てきた言葉の中から、少しだけメモしておくことにします。
(引用開始)
◎「いろいろ考えさせられます」を翻訳すると「思考停止しました! さて飯にするか!」になります
◎上下の区別のない無重力空間にも「上から目線」は存在する
◎「庭園を音楽に例えると」修学院離宮=デューク・エリントン、桂離宮=ドナルド・フェイゲン、浜離宮=フレイミン・グルーヴィーズ、偕楽園、後楽園、兼六園=ボン・ジョビ
◎「俺バカだから〜」という奴はたいてい本当にバカ。論理的な話をシャットアウトしている失礼を恥じる事もなく、知性によって自分を制することもなく放棄している。この言葉を「イノセントさの表明」と勘違いしている事と、戦争における「正義」には密接な関係がある事を俺はすでに見抜いている
◎「孤独感」とは「孤独=不快」で思考停止している馬鹿に与えられるペナルティである
◎あなたの真の理解者が近くにいるとは限りません。真の誤解者なら近くにうじゃうじゃいる事はご存知の通りです。
◎江戸時代、大商人は大坂の米相場を数時間以内に江戸で知るため、東海道沿いに何十箇所もの手旗信号基地を設けたそうだ。幕府はこれを禁止したので、次にのろしを使用した。しかしそれも禁止になったので、伝書鳩を使ったら、幕府は伝書鳩を襲うハヤブサを放ったという。誰かこの話を映画化してくれ
◎映画製作とは札束と人間関係を燃やす炎の祭りである
◎アイヌは誰か死んだら、そのひとの名前や思い出を語る事はタブーで、死者と同じ名前や似た名前の人は縁起が悪いのですぐ改名します。墓参りなどしません。日本民族も元は墓を作ったり先祖供養はしませんでした。立派な墓や先祖崇拝は「財産の相続」と関係が深いエグ〜〜い習慣なのです。
◎ロス疑惑の三浦和義は15歳のときにジ・アニマルズ来日公演を観に行くため鑑別所を脱走した。銃撃された一美さんとはダイアナ・ロスのコンサート会場で知り合った。失踪した白石千鶴子さんの義兄は、フランク・ザッパ、サン・ラなどを手がけた米人レコーディング・エンジニア
◎「あんな奴と喧嘩するのは自分もあんな奴と同じレベルだと認めることだぞ」。常識的で温厚な人がよく使うセリフだ。常識的で温厚な人は、おこがましくも他人を「レベル別」に分類してピラミッド型のヒエラルキーに基づく独善的な対人関係を構築しているということが、これでよくわかるね。
◎『今のほうがいいのに』
「最近はいじめとか子供の自殺が多いねえ」という意見をよく見開きする。冗談ではない。子供の自殺は昭和30年がピークで、現在はピーク時の6分の1ぐらいに減少している。
機会があって、終戦後から30年分くらいの新聞を読んだ事かあるのだが、昔は納屋で首を吊っただの、用水路に入水しただの、子供の自殺の記事か非常に多い。家で子供が首を吊っても、家族は十中八九外部に隠すから実数はわからない。たぶん発表されている数より何倍も多いだろうという事はわかる。
今は昔に比べて子供が自殺しなくなったのである。子供の自殺は珍しい事例だから、みんなショックを受けるのである。また、それを問題にするのは、それがスキャンダルだからだ。「子供の自殺は年々減少の一途をたどっていますと報道しても誰も喜ばない。「また死にました、今度は焼身自殺です」というニュースをみんな心待ちしているのだ。さらに親が幼い子供を殺す事件。これなど昔に比ぺれぱほとんど一掃されたと言ってもよいくらい減った。太古より親は子供を殺すものだった。あまりにも多いのでニュースにもならなかった。それが今では極少数になってきて、これまたスキャンダルになったから報道するのである。
みんな親の子殺しのニュースに触れたときにこう思う。『ああ、わが家では絶対にこんな事は起こらないな」。そういう安堵感は何よりも快楽をもたらすから、TVや新聞はぽんぽん報道する。『親の子殺しは今や絶滅寸前です」という記事を載せたとしても、誰もそんな新聞や雑誌は買わない。
ニュースというのは一日中、他人の不幸ばかり報道して、「宝くじに連続当選した人」や「ぶらぶらしているのに美女と大金が転がり込んだ人」なんてのはあんまり報道しない。誰もそんな事は知りたくないからである。
昔に比べて改善されてよくなっている事も正しく報道しないくらいだから、悪くなっているところについては、どのくらい歪曲・隠蔽しているのか、見当もつかないではないか。
◎『東京とニューギニア』
ニューギニアのある部族では男の子が生まれると、その父親は誰でもいいからそのへんの男を殺す。そしてその男の頭蓋骨を叩き割り、脳みそを取り出して、サゴヤシのでんぷんといっしょに炊いて喰う。満腹になったら子供に名前を付ける。殺した男の名前を貰うのである。そしてその男の頭蓋骨は、子供が死ぬまで大切に祀る。
なんでそのような事をするのかは、おれには到底理解不能だし、彼らも説明不能だろう。「ニューギニア警察は何をしているのか?」「残された家族の気持ちがわからないのか?」「反省の気持ちが少しも見られない」「事件の全容を解明するべきだ」「犯人の心の闇にせまる」などとニューギニア高地人に言ってみても無意味である。ヒップホップか好きな人に「なんでバスケットボールの選手の格好をしているのか?」と尋ねるくらい無意味だ。
ただはっきり言えるのその人と我々は、基本的には同じルーツを持つ、まったく同じスベック、まったく同じシステムでドライブされている同一種の生き物で、この程度の行動の違いはごく些細な表層的ものにすぎない。という事だ。
音楽のジャンルの違いみたいなもので、部外者は包括的に見るから、差異そのものは、あまり意味をなさない。つまるところ、ヒトは共食いをしたり、ターンテーブルをこすったりする哺乳類なのだ。
我々文明人も度し難いほどに殺人や猟奇的な事件が好きである。TVなど一日中そういうものを映し出しているではないか。先天的にそういうものに関心が向くように精神はデザインされているのだろう。
現代文明は殺人を禁止している。そこには論理的な意味はなく、法律やらモラルやらで押さえ込んでいるのは呪術的な意味合いのほうが大きい。法律は暴力のもっとも洗練された形である。代償行為ということで十分説明がつくと思う。
こういう事を書くと、「くれぐれも人殺しをしないでください!」だの「そーちゃんならやりそう」とかいう感想をもつ人がいると思うのだが、そういう人は、ニューギニアで頭蓋骨を割られて脳みそをえぐり出されながら、「たくさん食べてくださいね!お子様のご成長を見守ってまーす (⌒o⌒) と思うような人なのに違いない。
(引用終了)
この本は、どの「カテゴリ」に分類するか迷いました。
でも、現代の「金言」や、笑いの要素もたっぷりあって、10ミリ程度の厚みに、これほどぎっしりと「活ける言葉」が詰っている本が、他にもあるとは思えなかったので(ご存知の方は、それも読みたいので、ぜひ教えてくださいませ!)、これはレベルの高い「自己啓発本」だと思いました。
下記は、最近のツイッター(高木壮太 @TakagiSota) から。
(9月28日)
いまの30~40代は「音楽やファッションに流行があった時代」の貴重な最後の世代なのだから、下の世代にはわれわれを保護する義務がある。
(9月28日)
twitterをみるとよくわかりますが、有名人は有名人としか交流しません。無名なひとと絡むと運気が落ちるからです。そして無名人の悪い運気バイブレーションは他の有名人にも波及するので、有名人は有名人同士で結界を張らざるを得ないのです。どうか彼等の苦労を理解してあげて下さい。
(9月28日)
若い頃は怖いもの知らずで、どんな依頼も二つ返事で引き受け、断るということを知らなかった。果たして此の世には自分に向いているものはなにも無いと知ったのである。だから若いひとにはこう言いたい「他人の依頼や期待はすべて拒絶して自分のしたいことだけをやって野たれ死にしなさい」と。
(9月29日)
古代ローマの奴隷は非常に高価なものだった。子供と奴隷が病気になったら奴隷を優先して看病した。子供は死んでもまた作れるが、生産手段である奴隷を失うと、家族全員が奴隷身分に落ちる恐れがあるのだ。
(9月30日)
人生の残り時間から目を背けていると、どうでもよいことを恐れるようになる。
by yomodalite
| 2013-10-21 09:56
| 精神・教育・自己啓発
|
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