泣き虫(幻冬舎文庫)/金子達仁

泣き虫 (幻冬舎文庫)

金子 達仁/幻冬舎

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またもや「今頃?」と言われそうな本ですが、

幻冬舎の本は、しばらく寝かせておくと、旨みが増すという仮説を検証するために読んでみたのだ。というのは、もちろん嘘で、『吉田豪の喋る!! 道場破り』読了後、気になった方々の中でも、高田氏の本は特に期待して読み始めました。

今から10年前、本書の初版が出版された2003年は、1997年『断層』(加筆修正後『28年目のハーフタイム』として出版)、1999年『秋天の陽炎』により、金子氏は、評価を高め、多忙を極めていたはず。そのタイミングで執筆依頼できたのも、高田延彦という男の魅力であり、

それは、誰が一番強いのか?という格闘技界の永遠のテーマにとっても、もっとも重要なポイントなんだということを、本書はよく伝えてくれていて、

私は数年前から、金子氏の主戦場と思われるサッカー記事で、氏のことが「大キライ」になっていたのですが、本書はそんなことを忘れてしまうぐらいの傑作でした。

金子氏は、自分があまり知らない格闘技の世界について語る目の前の男のことを、冷静に判断しようとしたと思う。また、同じスポーツライターの中にいる、自分よりも格闘技に詳しいライヴァルの眼も気にしつつ、客観的に描こうとしたはず。。

それなのに、自分でも思いがけないほど、
高田という男に惚れてしまったのだ。と思う。

下記は「あとがき」より(省略して引用)

打ち合わせが絡わったとき、わたしは高田さんについての単行本を書き下ろすことになっていた。これまで、わたしの名前で刊行された単行本は数あれど、完全な書き下ろしによるものは一冊たりともない。原稿用紙十枚、二十枚というスケールを仕事場としている人間にとって、最低でも三百枚、四百枚は書かなければならない書き下ろしは、想像のはるか彼方に存在する世界だった。
 
ただ、「なんで携帯の電源を入れちゃったんだろう」とか「どうして無理です、やれませんって言えなかったんだろう」といった後悔の念に混じって、ほんの少し、ドキドキするような興奮がひそんでいたのも事実だった。
 
「ナンバーとかスポニチとか、読ませてもらいました。大したことのない人生ですけど、カネコさんにどう書いてもらえるか、お任せしてみたいんです」
 
本当に書き下ろしなんかできるんだろうか、という不安が消えたわけではない。それでも、こちらの目の奥を見据えるような眼差しで高田さんが口にした言葉による衝撃は、打ち合わせのあと、赤坂のパチンコ屋さんで3時間ほどを過ごしても消えなかった。俺の人生をお前に書いてもらいたい。そう言われて狂喜しないライターなどいるはずがないではないか。
 
高田さんの日記によれば、あれは2002年10月2日の出来事だった。あの日、わたしが受けた衝撃、喜びは、結局、最後まで消えることがなかった。曲がりなりにも書き下ろしを完成させることができたのは、それゆえである。

一通りの取材を終え、原稿を書くようになってから、わたしの脳裏にこびりついて離れなかったふたつの「なぜ」がある。
 
ひとつは、「なぜ高田さんはここまでの話をしたのか」ということだった。すでに読了された方ならばご存じの通り、本書にはプロレス界、格闘技界についてのタブーにまで踏み込んだ部分がある。熱狂的なプロレス・ファンの中から、書いた人間、書かれた人間に対する怒りの声があがってくるであろうことは、十分に予想できる。いまも格闘技の世界に身を置く高田さんである。この本を出版することによって生じるメリットとデメリットを比較すれば、後者の方がはるかに大きいことになってしまうかもしれない。
 
では、なぜ?
 
インタビュアーに力があり、本音の部分を引き出すことに成功したから、ではない。プロレスとはそういうものだと知っていたから、でもない。なぜ、高田さんがここまでの話をしたのか。わたしには、いまだにその答えがわからずにいる。
 
ただ、あくまでも推測ではあるものの、もしかすると桜庭和志という男の存在が関係しているのかな、という気はしている。話をうかがっているうち、高田さんにとって桜庭和志がたとえようもないぐらい大切な存在であることはわかった。彼は、いまもPRIDEの世界で生きている。そして、高田さんが道を切り闘いたことによって、総合格闘技の世界にプロレスラーが参加することは少しも珍しいことではなくなった。
 
しかし、自らプロレスラーを名乗る桜庭は、実は、PRIDEのリングだけを主戦場とし、PRIDEのリングの上のみで生きている。時にプロレスをし、時にPRIDEを戦うという選手とは、そこが決定的に違う。桜庭のやっていることがどれほど凄くて、怖くて、危険なことなのか。格闘技のファンにそのことを伝えるためには、高田さんはプロレスとPRIDEの違いにまで踏み込まなければならなかった。踏み込まなければ、桜庭たちのやっていることが見過ごされてしまう懸念があった。踏み込むことによって、自分に膨大な火の粉が降りかかってくるのは間違いない。それでも、自らが被る痛みを代償として、桜庭の功績を訴えることはできる。だからなのか、とは思う。もっとも、高田さんにこちらの推測をぶつければ「俺はそんなにかっこいい男じゃないよ」と笑って受け流されるのが関の山だろうが…… 。
 
もうひとつの「なぜ」は、「なぜ高田さんはここまでの話をわたしにしたのか」ということだった。12月17日に始まったインタビューは、2週間から3週間に1回のペースで3月まで続いたが、インタビューが終わるたび、わたしと担当編集者は首を傾げ合った。

「どうしてここまでの話をしてくれるんでしょうねえ」
 
いまになって膨大なテープ起こしを読み返してみると、わたしはそこかしこで相当にとんちんかんな質問をしてしまっている。最初のころは特にひどい。プロレス、格闘技界についての無知丸出しの質問を平然としてぶつけ、高田さんが思わず言葉に詰まってしまっている場面がゴロゴロしている。いや、まったく、よくぞ高田さんが愛想をつかさなかったなというのが率直な感想である。本文の中にはUWF時代、ファンの無邪気な憧れが高田さんを大いに苦しめるというくだりがあるが、わたしの質問には、まさしくそうした類のものが多々あった。
 
だが、高田さんはなぜか愛想をつかさなかった。気心の知れたライター、作家の知り合いは山ほどいるはずなのに、なぜか、門外漢の人間と最後まで付き合ってくれた。
 
ひとつめの「なぜ」への答えが推測でしかないように、ふたつめの「なぜ」に対する答えも、所詮はわたしの思い込みである。とはいえ、ひとつめの「なぜ」に比べると幾分確信めいた思いがあるのも事実である。
 
高田さんは、巻き込みたくなかったのではないか。
 
これまでの人生を、高田さん自らが筆をとって明らかにしていくならばともかく、ライターなり作家なりが直接的な記述者となる以上、降りかかる火の粉は高田さんだけでなく書き手の方にも向けられることが考えられる。そうなった場合、これからも格闘技、プロレスの世界で生きていく書き手にとっては死活問題にもなりかねない。過去の雑誌や新聞に掲載されたインタビュー記事を読み返してみる限り、高田さんには間違いなく信頼し、心を許している書き手が何人かいる。それでも、そうした人たちから「どうして自分に話してくれなかったんだ」という反応が出てくるのを承知のうえで、まったくの門外漢に秘密を明かしたのはなぜか。それは、その門外漢が、格闘技の世界以外に仕事の基盤をもっていたからではないか、とわたしは思うのだ。もっとも、こちらの推測も、高田さんは「そんなことないよ」と笑って否定しそうだが……。
 
それにしても、不思議な一年だった。締め切りがギリギリまで近づかないと一文字たりとも書けない人開が、この本を書いているときだけはなぜかまだ外が明るいうちからパソコンに向かうことができた。「あなたって夏休みの宿題を最後までやらないタイプなんじゃなかったの?」と妻がびっくりするほどの変貌ぶりである。このあとがきだって、締め切りよりもはるか前の段階で書いてしまっているのだから、自分でも驚くしかない。
 
いいことばかりではなかった。普段、わたしは呑んでもあまり変わらないのが自慢だったのだが、この本を書いているときは、自分でも信じられないぐらい乱れてしまうことが多かった。焼酎をほんの4、5杯ほど呑んだだけで意識を失い、熊本の居酒屋で2時間近くもトイレにこもったことがあったかと思えば、担当編集者に絡み、泣き出し、挙げ句の果てには自宅の玄関で自分の靴に向かって放尿してしまったこともあった。ところが、脱稿した途端、いくら呑んでもケロッとしている状態が戻ってきたのだから、これはもう、知らず知らずのうちに相当なストレスがたまっていたということなのだろう。ちなみに、酒を谷んでの豹変ぶりが一番ひどかったのは、高田さんが「心が病んでいた」という時期のエピソードを書いているときだった。あのときは、間違いなくわたしの心も病んでしまっていた。そんな時期のわたしに関わってくれた、あるいは関わってしまったすべての人に、いまは心から感謝したい。

最後にタイトルについて。

「『泣き虫』はどうでしょう」ともちかけたとき、多分、高田さんは凍っていたと思う。笑ってはいた。いたのだけれど、いつもの笑いとは違う笑いだった。もしかすると、本が出たいまになっても、高田さんの中には、このタイトルに対するわだかまりが残っているかもしれない。
 
でも、わたしは思うのだ。
 
現在進行形で、コンプレックスにさいなまれている人間は、自分のコンプレックスを笑うことはできない。自分に自信のない者は、そんな自分を笑うことができない。
 
高田さんは泣いてきた。辛さに、痛みに、喜びに。そして、泣いてきた自分を「かっこわるいっすよね」と笑いとばしてみせた。
 
泣いていた過去がなければ、笑っているいまはなかった。ぼくはそう思うし、おそらくは高田さんもそう思っている。「泣き虫」という、いまの高田さんにはあまりにもふさわしくないタイトルをつけたのは、そんなわけである。

(引用終了)

ムカイへ。君に伝えることができて良かったーーー 髙田延彦
◎[Amazon]泣き虫(幻冬舎文庫)

◎参考書評「読書の塊」

[2012年10月]水道橋博士「長州力 × 髙田延彦 今こそプロレスのSOUL(魂)を…」


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by yomodalite | 2013-10-03 08:55 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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