2013年 06月 16日
マイケルと読書[4]Sala Książęca…. |
by yomodalite
| 2013-06-16 11:11
| ☆マイケルの愛読書
|
Comments(27)
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chino
at 2013-06-16 19:59
x
お久しぶりです。
yomodaliteさんには いつも本当に感心させられます。
よくぞ ここまで調べて下さいました。 さすが!
最近の私は あまり深く考えずに マイケルの残してくれた音楽や
映像を満喫しています。
とは言っても やっぱり 泣いちゃいますけど、、、、、。
ところで yomodaliteさんは 6月25日は どう過ごすか決めてらっしゃいますか?
私は何も決まってないので ちょっと 聞いてみたいな と思って。
それでは 次回も楽しみにしてます。
yomodaliteさんには いつも本当に感心させられます。
よくぞ ここまで調べて下さいました。 さすが!
最近の私は あまり深く考えずに マイケルの残してくれた音楽や
映像を満喫しています。
とは言っても やっぱり 泣いちゃいますけど、、、、、。
ところで yomodaliteさんは 6月25日は どう過ごすか決めてらっしゃいますか?
私は何も決まってないので ちょっと 聞いてみたいな と思って。
それでは 次回も楽しみにしてます。
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yomodalite at 2013-06-16 21:23
chinoさん、カンバンワーー!
>どう過ごすか決めてらっしゃいますか
うーーん、特にイベントとかはないんですが、、
その日にアップしようと思ってるエントリがあります。
これと同じく「マイケルと読書」のカテゴリです!
>どう過ごすか決めてらっしゃいますか
うーーん、特にイベントとかはないんですが、、
その日にアップしようと思ってるエントリがあります。
これと同じく「マイケルと読書」のカテゴリです!
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kuma
at 2013-06-16 23:17
x
yomodaliteさん
いつもながらの、綿密かつ大胆な探求に感動。一枚の写真から浮かんだ疑問を、細い糸をたぐり寄せるようにして追求していく様子は、読んでいる方もわくわくして、この記事、立派な作品ですね。
そしてyomodaliteさんにそこまでさせるMJの魅力って、すごいんだなぁ。
いつもながらの、綿密かつ大胆な探求に感動。一枚の写真から浮かんだ疑問を、細い糸をたぐり寄せるようにして追求していく様子は、読んでいる方もわくわくして、この記事、立派な作品ですね。
そしてyomodaliteさんにそこまでさせるMJの魅力って、すごいんだなぁ。
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mitch_hagane at 2013-06-17 00:55
初めまして。みっちと申します。
MJがらみの探索が面白くて、つい読みふけってしまいました。
こういう詮索は楽しいですね。
みっちも一応探索して、下記リンクを探しました。
すでにご存じなのかもしれませんが、念のため書き留めておきます。
(当該の本の販売ページです)
http://allegro.pl/sala-ksiazeca-opactwa-cysterskiego-w-lubiazu-i3309333262.html
MJがらみの探索が面白くて、つい読みふけってしまいました。
こういう詮索は楽しいですね。
みっちも一応探索して、下記リンクを探しました。
すでにご存じなのかもしれませんが、念のため書き留めておきます。
(当該の本の販売ページです)
http://allegro.pl/sala-ksiazeca-opactwa-cysterskiego-w-lubiazu-i3309333262.html
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yomodalite at 2013-06-17 09:44
みっちさん、はじめまして!
リンクの紹介ありがとうございますっ!全然ご存知じゃなくて、もう力尽きておりましたので、書名が判明して、やったぁーーーーー!!!! って感じです。本文の方にも追記しておきますね。本当にありがとうございました。
お名前リンクから、みっちさんのブログにもお邪魔して、素敵なブログタイトルの意味とか、
http://mitchhaga.exblog.jp/18796433/
あと、私もダンテに食いついてるwところなので、タグの「インフェルノ」を駆け足でみたりして、うーーん、やっぱり、ダン・ブラウンの読んでおいた方がいいかなぁとか、楽しく悩んだりしてみました。
また今後とも、色々と教えてくださいませ。
リンクの紹介ありがとうございますっ!全然ご存知じゃなくて、もう力尽きておりましたので、書名が判明して、やったぁーーーーー!!!! って感じです。本文の方にも追記しておきますね。本当にありがとうございました。
お名前リンクから、みっちさんのブログにもお邪魔して、素敵なブログタイトルの意味とか、
http://mitchhaga.exblog.jp/18796433/
あと、私もダンテに食いついてるwところなので、タグの「インフェルノ」を駆け足でみたりして、うーーん、やっぱり、ダン・ブラウンの読んでおいた方がいいかなぁとか、楽しく悩んだりしてみました。
また今後とも、色々と教えてくださいませ。
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yomodalite at 2013-06-17 12:37
kumaさんも、コメントありがとーーーーーー!!!
>立派な作品ですね。
んな、大げさなww。
だって、、知りたかったんだもん!
やっぱ、MJは相当な読書オタクだから、ホント知らないことが多いんだけど、にも関わらず、彼の選択眼は決して「マニアック」ではなく、王道を行くものだから、なんとか世界の歴史を大雑把にとらえたいと思う人には、もっとも無駄のないチョイスをしてくれる「先生」のように思えるんだよね。
この本も、こんなにスゴい世界遺産級の建物なのに、このきっかけで調べるまで、全然知らなかったし、、つくづく「ハズレ」がないから、掘れば掘るほどっていう気持ちに毎回させられちゃう。
>立派な作品ですね。
んな、大げさなww。
だって、、知りたかったんだもん!
やっぱ、MJは相当な読書オタクだから、ホント知らないことが多いんだけど、にも関わらず、彼の選択眼は決して「マニアック」ではなく、王道を行くものだから、なんとか世界の歴史を大雑把にとらえたいと思う人には、もっとも無駄のないチョイスをしてくれる「先生」のように思えるんだよね。
この本も、こんなにスゴい世界遺産級の建物なのに、このきっかけで調べるまで、全然知らなかったし、、つくづく「ハズレ」がないから、掘れば掘るほどっていう気持ちに毎回させられちゃう。
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mitch_hagane at 2013-06-24 09:37
yomodaliteさんにつられて、この修道院のことをもう少し調べてみました。
問題:「プリンス・ホール」のプリンスとは誰か?
どこを見ても名前の由来が載っていない。(泣)
そこで考えたのは、このホール内の絵や彫像に「プリンス」がいるのではないか、ということ。
壁に掛かった絵画は、Elisabeth Christine皇后の生涯をテーマにしたのと、10人のオーストリアの支配者だって。これは違うなぁ。
彫像は12で、内3つはハプスブルクの皇帝、残り9つは色々な「徳」の象徴。これも外れ。天井のフレスコ西側部分に、修道院の創立者Boleslaw I the Tall(1127-1201)が書かれていました!他には人物の像や絵はなさそうなので、これが「プリンス」ですかねぇ。どうもすっきりしないなぁ。(疑)
実はこの修道院には、14世紀に建った「プリンス・チャペル」があります。
これも「プリンス」の由来は、はっきりしない。(泣)
ただ、このチャペルの中央に古いフレスコが残っていて、それはBoleslaw III the Generous(1291-1352)だそうです。この人もDuke止まりなんで、「プリンス」ですねぇ。さあ、分からなくなってきた。(汗)
問題:「プリンス・ホール」のプリンスとは誰か?
どこを見ても名前の由来が載っていない。(泣)
そこで考えたのは、このホール内の絵や彫像に「プリンス」がいるのではないか、ということ。
壁に掛かった絵画は、Elisabeth Christine皇后の生涯をテーマにしたのと、10人のオーストリアの支配者だって。これは違うなぁ。
彫像は12で、内3つはハプスブルクの皇帝、残り9つは色々な「徳」の象徴。これも外れ。天井のフレスコ西側部分に、修道院の創立者Boleslaw I the Tall(1127-1201)が書かれていました!他には人物の像や絵はなさそうなので、これが「プリンス」ですかねぇ。どうもすっきりしないなぁ。(疑)
実はこの修道院には、14世紀に建った「プリンス・チャペル」があります。
これも「プリンス」の由来は、はっきりしない。(泣)
ただ、このチャペルの中央に古いフレスコが残っていて、それはBoleslaw III the Generous(1291-1352)だそうです。この人もDuke止まりなんで、「プリンス」ですねぇ。さあ、分からなくなってきた。(汗)
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yomodalite at 2013-06-24 23:28
>「プリンス・ホール」のプリンスとは誰か?
そう、そうなんですよ。みっちさん!セレブはよくお城を買ったりしてますけど、マイケルという人は、「わぁーー素敵な場所だな。じゃ、ここに住んじゃおっと!」なんて人ではないんですよ。
絶対に、ここにかつて誰が住んでいたとか、その人の歴史についても知ったうえで「買おう!」ってことになっているはずだと、私は思うんです。それで、調べたいと思っているんですが、なかなかわかんないですよ(泣)
>このホール内の絵や彫像に「プリンス」がいるのではないか、
ナイスアイデア!
それについては、全然手をつけていませんでした。どこで調べられたんですか?
そう、そうなんですよ。みっちさん!セレブはよくお城を買ったりしてますけど、マイケルという人は、「わぁーー素敵な場所だな。じゃ、ここに住んじゃおっと!」なんて人ではないんですよ。
絶対に、ここにかつて誰が住んでいたとか、その人の歴史についても知ったうえで「買おう!」ってことになっているはずだと、私は思うんです。それで、調べたいと思っているんですが、なかなかわかんないですよ(泣)
>このホール内の絵や彫像に「プリンス」がいるのではないか、
ナイスアイデア!
それについては、全然手をつけていませんでした。どこで調べられたんですか?
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yomodalite at 2013-06-24 23:29
私も、画家とか彫刻家の名前から探ってみようと思っていたんですが、ざっくり見てみたのは、本文でのLubiążsへのリンクにある「History」にある名前、Michael Leopold Willmann、Peter Brandl、John Liszka、彫刻家&建築家のMathew Steinl 、Konstanty Bauer、reflektarz、、で、
天井画は、Christian Philipp Bentum(もしくは、Filip Bentum、F. Bentum)で、彼のドイツ語のウィキによれば、彫刻家 Franz Joseph Mangoldt(F. J. Mangoldt、Mangold)と、Leubusの修道院のために働いた。。とか、まだ、そんなあたりをウロウロしてました。
でも、30年戦争で一旦破壊されていたり、元々、この場所に修道院が出来たときも、プロテスタントと、カトリックの熾烈な争いがあったりしてるし、、
それと、たぶん、MJが惹かれたのは、皇帝フリードリッヒに関係しているはず、、と思うのは、彼が「王」にも詳しくて、自分も「KING」だからなんですね。
ああ、プリンスと、その父のことが知りたいよぉ。。(泣)
天井画は、Christian Philipp Bentum(もしくは、Filip Bentum、F. Bentum)で、彼のドイツ語のウィキによれば、彫刻家 Franz Joseph Mangoldt(F. J. Mangoldt、Mangold)と、Leubusの修道院のために働いた。。とか、まだ、そんなあたりをウロウロしてました。
でも、30年戦争で一旦破壊されていたり、元々、この場所に修道院が出来たときも、プロテスタントと、カトリックの熾烈な争いがあったりしてるし、、
それと、たぶん、MJが惹かれたのは、皇帝フリードリッヒに関係しているはず、、と思うのは、彼が「王」にも詳しくて、自分も「KING」だからなんですね。
ああ、プリンスと、その父のことが知りたいよぉ。。(泣)
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mitch_hagane at 2013-06-24 23:50
みっちが参照したのは、Wikipediaのドイツ語版です。
なぜか、Polish版よりも充実しています。
プリンスチャペルも写真入りで載っています。
みっち自身は、英語に自動翻訳させて、読んでいます。(日本語に翻訳させるよりも正確で読みやすい)
ここです↓
http://de.wikipedia.org/wiki/Kloster_Leubus
なかなか核心の情報は得られませんが、まあ気長に行きましょう。(笑)
なぜか、Polish版よりも充実しています。
プリンスチャペルも写真入りで載っています。
みっち自身は、英語に自動翻訳させて、読んでいます。(日本語に翻訳させるよりも正確で読みやすい)
ここです↓
http://de.wikipedia.org/wiki/Kloster_Leubus
なかなか核心の情報は得られませんが、まあ気長に行きましょう。(笑)
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yomodalite at 2013-06-25 00:34
プリンスの時代を考えれば、ポーランド語ではない資料の方が多そうですものね。
>まあ気長に行きましょう。
プリンスのこともそうですけど、シレジアにも翻弄されてて、あちこち気になって気になって、、という状態でした。気長につきあっていただける方がいると思うだけで、大変心強いです。
>まあ気長に行きましょう。
プリンスのこともそうですけど、シレジアにも翻弄されてて、あちこち気になって気になって、、という状態でした。気長につきあっていただける方がいると思うだけで、大変心強いです。
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mitch_hagane at 2013-06-25 15:25
さらに、しつこく、プリンス・ホールの謎に迫るのだった。(笑)
yomodaliteさん、みっちの現時点での意見を述べます。すなわち、
『プリンス・ホールのプリンスが誰か、何を指すのか、明確でないのは、もともと意図的なものである』と。
その理由は、芸術的なことではなく、純粋に政治的なものであると考えます。
①プリンス・ホールが出来たのは、第一次ポーランド分割の少し前の頃である
②プリンス・ホール内の装飾は、すべてハプスブルク家の栄光を称えるものばかり
③特にElisabeth Christine皇后の事績が大きく顕彰されているが、この人は女帝マリア・テレジアの母君である
④マリア・テレジアはポーランド分割に消極的であったと伝えられる
ですから、ハプスブルク家に媚びを売りつつ、しかしながら敢えて、名前だけは、曖昧なプリンス・ホールとしたのではないかと。
ポーランドの愛国者が、ここだけは譲れず、かってのポーランドの英雄を偲んで命名したのではないでしょうか。
(しかし、その意図もむなしく、数度の分割でポーランドは消滅するのだが)
以上ですが、相当みっちの想像が入っております。(汗)
yomodaliteさん、みっちの現時点での意見を述べます。すなわち、
『プリンス・ホールのプリンスが誰か、何を指すのか、明確でないのは、もともと意図的なものである』と。
その理由は、芸術的なことではなく、純粋に政治的なものであると考えます。
①プリンス・ホールが出来たのは、第一次ポーランド分割の少し前の頃である
②プリンス・ホール内の装飾は、すべてハプスブルク家の栄光を称えるものばかり
③特にElisabeth Christine皇后の事績が大きく顕彰されているが、この人は女帝マリア・テレジアの母君である
④マリア・テレジアはポーランド分割に消極的であったと伝えられる
ですから、ハプスブルク家に媚びを売りつつ、しかしながら敢えて、名前だけは、曖昧なプリンス・ホールとしたのではないかと。
ポーランドの愛国者が、ここだけは譲れず、かってのポーランドの英雄を偲んで命名したのではないでしょうか。
(しかし、その意図もむなしく、数度の分割でポーランドは消滅するのだが)
以上ですが、相当みっちの想像が入っております。(汗)
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yomodalite at 2013-06-25 22:28
>さらに、しつこく、プリンス・ホールの謎に迫るのだった。(笑)
嬉しいっーーーー!これ書いたとき、どうして、こんなに気になって仕方ないのか、わかってくれる人なんているのかなぁって思ってたので、私と同様に、ドイツ語とか、ポーランド語に自動翻訳して読んでくれるひとが現れるとは思ってもみませんでした。
このコメントを見る前に、ようやく、Kloster Leubusのドイツwikiと、Lubiąż Abbeyの英語wikiを、ざっくりと読んだところなんですが、
みっちさんが、挙げてくれた1~4について、まだどれも確認できていませんし、
私は、あの本のタイトルがポーランド語だとわかったときに、想像したことの裏付けがまだ何も出来ていないんですが、でも、明らかに「お城」にみえる、この場所が「修道院」の中にある理由は、みっちさんが言われるように「政治的」なものだと思います。宗教=政治ですから。
嬉しいっーーーー!これ書いたとき、どうして、こんなに気になって仕方ないのか、わかってくれる人なんているのかなぁって思ってたので、私と同様に、ドイツ語とか、ポーランド語に自動翻訳して読んでくれるひとが現れるとは思ってもみませんでした。
このコメントを見る前に、ようやく、Kloster Leubusのドイツwikiと、Lubiąż Abbeyの英語wikiを、ざっくりと読んだところなんですが、
みっちさんが、挙げてくれた1~4について、まだどれも確認できていませんし、
私は、あの本のタイトルがポーランド語だとわかったときに、想像したことの裏付けがまだ何も出来ていないんですが、でも、明らかに「お城」にみえる、この場所が「修道院」の中にある理由は、みっちさんが言われるように「政治的」なものだと思います。宗教=政治ですから。
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yomodalite at 2013-06-25 22:29
それと、前のコメントの「プリンスとは誰か?」という問題ですが、これは「王子」ではないかもしれません。この時代のヨーロッパですから、Princeという言葉には厳密な適用がされていて、Książęcaの英語翻訳、Principe(君主)の方が相当かもしれません。
また「Duke」と翻訳されるのも、ローマ帝国内のことですから、国なのか、州なのか、または王国なのか、共和制なのか、ということにも、建前と実体がありますし、、「ナントカ公」なら、Dukeということになるでしょう。
>修道院の創立者Boleslaw I the Tall(1127-1201)が書かれていました!他には人物の像や絵はなさそうなので、これが「プリンス」ですかねぇ。どうもすっきりしないなぁ。(疑)
ポーランドのその後の政治体制は、プロテスタントも、カトリックも、王も、ハプルブルグ家のような貴族も、すべてがNGだったり、迎合したり、の歴史だと思いますし、みっちゃんさんも、よくご存知だと思いますが、描かれている人物を別の人間だと解釈したり、修復のときに偽装するということも多いですよね。
また「Duke」と翻訳されるのも、ローマ帝国内のことですから、国なのか、州なのか、または王国なのか、共和制なのか、ということにも、建前と実体がありますし、、「ナントカ公」なら、Dukeということになるでしょう。
>修道院の創立者Boleslaw I the Tall(1127-1201)が書かれていました!他には人物の像や絵はなさそうなので、これが「プリンス」ですかねぇ。どうもすっきりしないなぁ。(疑)
ポーランドのその後の政治体制は、プロテスタントも、カトリックも、王も、ハプルブルグ家のような貴族も、すべてがNGだったり、迎合したり、の歴史だと思いますし、みっちゃんさんも、よくご存知だと思いますが、描かれている人物を別の人間だと解釈したり、修復のときに偽装するということも多いですよね。
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yomodalite at 2013-06-25 22:29
なので、本当にどうなんだという点は、ドイツ語やポーランド語が堪能だとしても、難しいとは思うのですが、、(汗)
こういった大建築の場合、建築期間も長いですし、歴史の中で形を変えている部分も多く「Sala Książęca」にMJが心を惹かれたのが、修道院の創立時のものなのか、もしくは、プロイセンの激動の中で果たした役割によるものなのか。とか、想像も尽きないのですが、、
私の想像では、やっぱりElisabeth Christineの夫、フリードリッヒ2世が気になります。
こういった大建築の場合、建築期間も長いですし、歴史の中で形を変えている部分も多く「Sala Książęca」にMJが心を惹かれたのが、修道院の創立時のものなのか、もしくは、プロイセンの激動の中で果たした役割によるものなのか。とか、想像も尽きないのですが、、
私の想像では、やっぱりElisabeth Christineの夫、フリードリッヒ2世が気になります。
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sa
at 2013-06-27 16:29
x
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yomodalite at 2013-06-27 17:22
saさん、コメントありがとうございます。
Sala Książęcaというのが「王子室」というのは、わかっているつもりで、
またポーランド観光の際に素敵な場所ということもわかっているつもりなのですが、、
時を経て存在する「有名な場所」は、大抵がそこで流された血の歴史を、薄めたり、現代にあわせて改変したりして「観光」として成り立っているものでしょう。NHKの大河ドラマのように。
読書家は、歴史の「嘘」から、真実を探し当てようとするものなんです。
Sala Książęcaというのが「王子室」というのは、わかっているつもりで、
またポーランド観光の際に素敵な場所ということもわかっているつもりなのですが、、
時を経て存在する「有名な場所」は、大抵がそこで流された血の歴史を、薄めたり、現代にあわせて改変したりして「観光」として成り立っているものでしょう。NHKの大河ドラマのように。
読書家は、歴史の「嘘」から、真実を探し当てようとするものなんです。
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mitch_hagane at 2013-06-27 22:17
yomodaliteさん、グッド・ニュースです。
プリンスが誰かが分かりました!!
実は、みっちは、ポーランドの Fundation of Lubiążに、問い合わせのメールを出していたのです。
その返事が先ほど来ました。
プリンス・ホールは、やはり、Prince Boleslaw I the Tallです。
プリンス・チャペルのプリンスは、Prince Bolesław IIIです。
返事をくれた方に、今からお礼のメールを打とうと思っています。
日本から、こんな問い合わせがあったことに、向こうの人は驚いているみたいです。(汗)
いずれ、拙ブログに今回の経緯をまとめようかと思っています。yomodaliteさんの記事のことも、記載してよろしいでしょうか?
プリンスが誰かが分かりました!!
実は、みっちは、ポーランドの Fundation of Lubiążに、問い合わせのメールを出していたのです。
その返事が先ほど来ました。
プリンス・ホールは、やはり、Prince Boleslaw I the Tallです。
プリンス・チャペルのプリンスは、Prince Bolesław IIIです。
返事をくれた方に、今からお礼のメールを打とうと思っています。
日本から、こんな問い合わせがあったことに、向こうの人は驚いているみたいです。(汗)
いずれ、拙ブログに今回の経緯をまとめようかと思っています。yomodaliteさんの記事のことも、記載してよろしいでしょうか?
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yomodalite at 2013-06-27 23:46
>ポーランドの Fundation of Lubiążに、問い合わせの…
じぇじぇじぇぇーー
みっちさん!ハグしてもいいでしょうか? おばちゃんですけど。。(^_^)
あまりの感激で、どうお礼を言っていいものか本当に本当にありがとうございます!
Prince Boleslaw I the Tall = ボレスワフ1世ヴィソキ。やっぱりフリードリッヒと濃密に関係がありますね!「ポーランド語」だとわかったときに、神聖ローマ帝国来たーーっ!って感じだったので、なんだか、金鉱を探り当てた気分です。
ヨーロッパの歴史って宗教がらみで、なかなかすんなりわかんないんですけど、MJに導かれると、すこしづつ映像化されてみえてくるような気がするんですよね。
>yomodaliteさんの記事のことも、記載してよろしいでしょうか?
えっと、それはもう、おまかせします。それと、MJ関連のプチお礼を受け取ってもいいという場合は、右側「このブログについて」に記載のアドレスにメールください。
じぇじぇじぇぇーー
みっちさん!ハグしてもいいでしょうか? おばちゃんですけど。。(^_^)
あまりの感激で、どうお礼を言っていいものか本当に本当にありがとうございます!
Prince Boleslaw I the Tall = ボレスワフ1世ヴィソキ。やっぱりフリードリッヒと濃密に関係がありますね!「ポーランド語」だとわかったときに、神聖ローマ帝国来たーーっ!って感じだったので、なんだか、金鉱を探り当てた気分です。
ヨーロッパの歴史って宗教がらみで、なかなかすんなりわかんないんですけど、MJに導かれると、すこしづつ映像化されてみえてくるような気がするんですよね。
>yomodaliteさんの記事のことも、記載してよろしいでしょうか?
えっと、それはもう、おまかせします。それと、MJ関連のプチお礼を受け取ってもいいという場合は、右側「このブログについて」に記載のアドレスにメールください。
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mitch_hagane at 2013-06-28 09:25
>みっちさん!ハグしてもいいでしょうか?...
うぁ~い、やったぁ~~~光栄ですぅ。('◇')ゞ
ポーランドからきた返事、yomodaliteさんも興味おありでしょうから、メールしておきます。その内容は、拙ブログにて紹介の予定です。
今回は、ひょんな事から、愉しい知的探索に参加させていただき、ありがとうございました。
おかげで、思わぬ宝物を知ることができ、感謝しております。また、面白いテーマがありましたら、探索メンバーにお加えください。
それでは、今回はとりあえず一件落着case closedといたします。
うぁ~い、やったぁ~~~光栄ですぅ。('◇')ゞ
ポーランドからきた返事、yomodaliteさんも興味おありでしょうから、メールしておきます。その内容は、拙ブログにて紹介の予定です。
今回は、ひょんな事から、愉しい知的探索に参加させていただき、ありがとうございました。
おかげで、思わぬ宝物を知ることができ、感謝しております。また、面白いテーマがありましたら、探索メンバーにお加えください。
それでは、今回はとりあえず一件落着case closedといたします。
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jean moulin
at 2013-06-28 18:43
x
yomodaliteさん、みっちさん、お疲れ様~~。
(みっちさん、初めましてなのになれなれしくてすみません。)
この記事を読み始めた時は、まさかこんな結末を迎えるとは思っていませんでした。
お二人のすばらしい知的探索を、どきどきしながら、読ませていただきました。
初めは、ぼけっと、「プリンス・ホール」綺麗だなと見ていたのですが、よく読むと、「シトー修道会」?
確か「シトー会」って、質素を旨として、聖人達の絵画や彫像も良しとしないじゃなかったけ?と思ってると、みっちさんの「芸術的なことではなく、純粋に政治的なものであると考えます。」以下のコメントがありました。
確かに見てみると、ここの絵画や彫像は宗教的なものは、少ないみたいですね。
修道院や、礼拝堂の建物内には、絵画や彫刻はないようですしね。
(みっちさん、初めましてなのになれなれしくてすみません。)
この記事を読み始めた時は、まさかこんな結末を迎えるとは思っていませんでした。
お二人のすばらしい知的探索を、どきどきしながら、読ませていただきました。
初めは、ぼけっと、「プリンス・ホール」綺麗だなと見ていたのですが、よく読むと、「シトー修道会」?
確か「シトー会」って、質素を旨として、聖人達の絵画や彫像も良しとしないじゃなかったけ?と思ってると、みっちさんの「芸術的なことではなく、純粋に政治的なものであると考えます。」以下のコメントがありました。
確かに見てみると、ここの絵画や彫像は宗教的なものは、少ないみたいですね。
修道院や、礼拝堂の建物内には、絵画や彫刻はないようですしね。
Commented
by
jean moulin
at 2013-06-28 18:45
x
それにしても、「シトー会」が最も否定するような、こういう建造物を、修道院に隣接して造ってしまうって、ここが複合施設的に使われていた事を鑑みても、この土地のあまりに奥深く、混沌とした歴史や宗教を物語っているようです。
ボレスワフ1世ヴィソキ一人の歴史を見ても、なんか凄すぎ・・。
でも最後はこの場所に眠っているんですね。
お二人のお陰で、あらためてヨーロッパ文化の背景をもっと認識しなければ、と思いました。
それに、この本ほしい、ここ行ってみたい。
みっちさんのブログ記事も楽しみにしてます。
yomodaliteさん、みっちさん、いろいろ教えていただき、本当にどうもありがとうございました。
ボレスワフ1世ヴィソキ一人の歴史を見ても、なんか凄すぎ・・。
でも最後はこの場所に眠っているんですね。
お二人のお陰で、あらためてヨーロッパ文化の背景をもっと認識しなければ、と思いました。
それに、この本ほしい、ここ行ってみたい。
みっちさんのブログ記事も楽しみにしてます。
yomodaliteさん、みっちさん、いろいろ教えていただき、本当にどうもありがとうございました。
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by
yomodalite at 2013-06-28 21:09
みっちさん!
>ポーランドからきた返事 … メールしておきます。
>また、面白いテーマがありましたら、探索メンバーにお加えください。
ぶちゅーーーーーーっ!!! あっすいません。もうガマンできなくて(^_^;)
みっちさんのブログ楽しみにしてます。
本文への追記はそのあとにしようかな。
とりあえず、基本ラインは押さえたので、ゆっくりと長い旅にはなりそうですが、なんとか出発できそう。という感じでしょうか。。
ストランド書店の人も言ってるけど、MJのヴェルサイユへの興味って、これまでもイマイチわからなかったんですけど、これは「きっかけ」になりそうです。ワクワク。。Sala Książęca….[2]も、まとめられるといいな♪
>ポーランドからきた返事 … メールしておきます。
>また、面白いテーマがありましたら、探索メンバーにお加えください。
ぶちゅーーーーーーっ!!! あっすいません。もうガマンできなくて(^_^;)
みっちさんのブログ楽しみにしてます。
本文への追記はそのあとにしようかな。
とりあえず、基本ラインは押さえたので、ゆっくりと長い旅にはなりそうですが、なんとか出発できそう。という感じでしょうか。。
ストランド書店の人も言ってるけど、MJのヴェルサイユへの興味って、これまでもイマイチわからなかったんですけど、これは「きっかけ」になりそうです。ワクワク。。Sala Książęca….[2]も、まとめられるといいな♪
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yomodalite at 2013-06-28 22:01
moulinさん!
>この土地のあまりに奥深く、混沌とした歴史や宗教を物語っているようです。
そうだよねぇ。MJがカトリック?っていうのも、ん?なのに、このバロック建築がシトー会?とかね。。
あきらかに歴史に翻弄されたであろう建物の主は? 王子とは誰か? その王子に託された一族の思いとは? 彼が、この地で守ったものとは? そして王子のその後は…
王子が亡くなった後、主は何度も移り変わり、、そして、1997年。
ミケランジェロがその才能を育み、開花させたフィレンツェを離れなくてはならなくなったように、MJを育て、成功へと導いたアメリカは、自由を捨て、彼の創造の翼をもぎとろうとする魔都に成り果て、追われるように、この地を訪れたMJは、そこにルネサンスの魂の最後の夢を背負った王子の魂と出会ったのだった。。。
というような「あらすじ」で、ざっくり間違ってないよね。超ざっくりだけど。。w
>この土地のあまりに奥深く、混沌とした歴史や宗教を物語っているようです。
そうだよねぇ。MJがカトリック?っていうのも、ん?なのに、このバロック建築がシトー会?とかね。。
あきらかに歴史に翻弄されたであろう建物の主は? 王子とは誰か? その王子に託された一族の思いとは? 彼が、この地で守ったものとは? そして王子のその後は…
王子が亡くなった後、主は何度も移り変わり、、そして、1997年。
ミケランジェロがその才能を育み、開花させたフィレンツェを離れなくてはならなくなったように、MJを育て、成功へと導いたアメリカは、自由を捨て、彼の創造の翼をもぎとろうとする魔都に成り果て、追われるように、この地を訪れたMJは、そこにルネサンスの魂の最後の夢を背負った王子の魂と出会ったのだった。。。
というような「あらすじ」で、ざっくり間違ってないよね。超ざっくりだけど。。w
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yomodalite at 2013-06-30 15:30
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mitch_hagane at 2013-06-30 22:57
あーっ、みっちです。こんばんわ。
yomodaliteさん、過分なお言葉、ありがとうございます。
本当に、大したことはしておりません。
jean moulinさん、初めまして。
おっしゃっていることは、みっちの印象と同じです。
みっちも、ポーランドの過酷な歴史の重みを感じます。
おや、本文中にも追記が。(驚)
重ね重ね、丁寧な対応恐れ入ります。ありがとうございました。
yomodaliteさん、過分なお言葉、ありがとうございます。
本当に、大したことはしておりません。
jean moulinさん、初めまして。
おっしゃっていることは、みっちの印象と同じです。
みっちも、ポーランドの過酷な歴史の重みを感じます。
おや、本文中にも追記が。(驚)
重ね重ね、丁寧な対応恐れ入ります。ありがとうございました。
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jean moulin
at 2013-07-01 18:26
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みっちさん、お声掛けありがとうございます。
また、いろいろお教え下さいね。
yomodaliteさん、
>あきらかに歴史に翻弄された
うん、素敵な「あらすじ」だね。
MJがこの場所に立った事の必然性や、本当の意味での、歴史の物語性を感じるね。
また、いろいろお教え下さいね。
yomodaliteさん、
>あきらかに歴史に翻弄された
うん、素敵な「あらすじ」だね。
MJがこの場所に立った事の必然性や、本当の意味での、歴史の物語性を感じるね。