ポップ中毒者の手記(約10年分)河出文庫/川勝正幸

ポップ中毒者の手記(約10年分) (河出文庫)

川勝正幸/河出書房新社



3ヶ月前に On Sundays で購入して、寝る前にときどき思い出しては、ほんの少しづつ読んでいた本。

私は、川勝氏が活躍した雑誌を熱心に読んでいたわけでもなく、特別に興味をもっていたわけでもありませんが、2012年に氏が亡くなったとき「雑誌は死んだ」と思いました。もちろん、まだ多くの雑誌が刊行されてはいますが、川勝氏のように、自らの魂を燃え尽くすような仕事をし、その時代の文化に大きな影響を与えられるような「雑誌の時代」は終わったのではないでしょうか。

それと同じように、

野沢尚氏が亡くなったときに、TVドラマは死を迎え、
マイケル・ジャクソンが亡くなったときに、音楽産業は死んだのだと思います。

それは見方を変えれば「業界に殺された」と言えるのかもしれません。

しかしながら、その業界に命を賭け、中心にいたようなひとの死に対し「誰かに殺された」というような被害者観で語られるのは、故人の名誉に相応しいとは思えません。

生きる場所は、それぞれが戦場で、その最前線で、大勢を引っ張っている人間に、
自らそこから去ることができるでしょうか。


1996年に出版された『ポップ中毒者の手記』が、2013年に文庫で再販されるというのは、同じ戦場にいた人々なら羨ましいような、素晴らしい供養のように思えます。

人生の勝利は、その長さでも、死に方でも、
もちろん裁判の結果などで左右されることではなく、

同じ戦場を生きた人々に遺したもので、決まるのではないでしょうか。


偉大なライター、川勝氏の10年分が詰まった本書は、サブカルチャーの目利きとして、大勢の素敵な人々が紹介されているだけでなく、それらすべての人々に愛情をもって接してこられたことが感じられ、どこを紹介しようか迷ってしまいますが、

自ら選んだベスト仕事40選に2回登場したデニス・ホッパー、そして勝新(川勝氏は『勝新図鑑 絵になる男・勝新太郎のすべて』という本も編集されている)も登場する「問題オヤジ研究」から、少しだけ。

(引用開始)

やはり、問題オヤジは問題オヤジを呼ぶ。1994年2月。ロジェ・バディム、勝新太郎、デニス・ホッパー。超ヘヴィ級の問題映画監督トリオが全員集合。ご存知、ゆうばりファンタの審査委員として呼ばれて、コカインの、もとい雪の降る町で意気投合。が、その後、東京で3人が密談していたことは公にされていない。

現代日本の、問題オヤジに対する認識の成熟

2月24日の朝。新聞を見てビックリー『フォーカス』(3月2日号)の広告の見出しに、「アブないオッサン、大集合!!映画祭審査委員の勝訴、ホッパー、ヴァディム」とあるではないか。僕は『ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭94』(以下ゆうばりファンタ)のヤング・ファンタスティック・グランプリ部門の審査委員として彼らが呼ばれていたことは事前に知っていたが、新潮社の大人向け雑誌にいきなり現われた「アブないオッサン、大集合!!」という切り口。現代日本の問題オヤジに対する認識の成熟ぶりにニンマリしたのであった。

記事自体もクスリとオンナの2点に的を絞った「分かってらっしゃる内容」で、まず、勝訴が開会式で「雪を見ると昔を思い出す。鼻いっぱい吸い込んで、ハイになっちゃう、ゆうばりはそんな気分にさせる……」とかましたら、ホッパーがその場で彼を抱擁したというエピソードを枕に、二人のヤク中対決話あって……。
 
さらにホッパーが5年前の初来日の時には30歳以下の四度目の妻と来たが、今回は25歳の女優の卵といっしょだったというフリの後で、ヴァディムの華麗なるラヴラヴ歴ーー19のブリジット・バルドーと結婚/離婚し、16のカトリーヌ・ドヌーブと出会い正式な結婚はしていないが子供がいて、27のジェーン・フォンダと結婚/離婚し、3人を自分の映画に出演させていい女に変身させ、現在は五度目の妻である女優のマリー=クリスティーヌ・バローと結婚中と紹介。二人のプレイボーイ度を比較するツボを押さえた問題オヤジ研究ぶりなのであった。
 
しかし、勝新とホッパーは名うての映画バカで、それゆえに地獄を見た男たち。ヴァディムも『バーバレラ』(67年)をはじめ、セックスやエロティシズムをポジティヴに描いた作品が多いのは、「ナチスによるフランス占領時代の体験の反動から生まれた、社会や人間のダーク・サイドを映画に持ち込まない姿勢によるものだ」と自らコメントしている男である。夕張シティの雪に閉ざされた5DAYSで、3人は映画、そして人生についてディープな話をバリバリしていたのではないだろうか。

地獄を見た2人は、エンターテインメント派

という次第で、「ゆうばりファンタ」のチーフ・プロデューサー小松沢陽一さんに、ご当地でのトリオの様子を伺った。

ーーそもそも、なぜこの濃ゆい3人が審査員に?! 狙い、だったんですか(笑)。

小松沢 はじめは座頭市対スーパーマン(笑)というコンセプトだったの。ところが、クリストファー・リーヴが急にNGになって、ホッパーになったという。

ーーひょうたんから夕張メロン、ですね。

小松沢(笑)結果オーライ。ゆうばりファンタは若い才能を発見する場なんだけど、5周年目なんで、ヴァディムや勝さんといった娯楽映画の大先輩を迎えて、敬意を表したかったんです。勝さんに審査委員のお願いに行ったら、いきなり「俺が審査委員長か」と言われて冷や汗をかきましたが(笑)。『レザボア・ドッグス』が賞(93年ヤング・ファンタスティック・グランプリ部門批評家賞)を取った映画祭というので、即ノー・ギャラで出席を快諾してくれたのがうれしかったな。

ーー勝さんが、クエンティン・タランティーノのファン?!

小松沢 そう。ホッパーがゆうばり行きを決めたのもタランティーノが電話でプッシュしたせいだし。

ーー奴は勧誘員なのか(笑)。

小松沢 「自主的」なね(笑)。

ーーやはり、審査会はモメましたか?・

小松沢 それが、勝さんとホッパーの地獄を見て今は丸くなった二人組はエンターテインメント系を押すんだ。ところが、これから上り調子のホウ・シャオシェン(『悲憤城市』などで有名な台湾の映画監督)はアヴァンギャルドな映画のほうを評価する。この違いが面白かったなあ。

ーーええ話や(笑)。ところで、川島なお美が自分のヌード写真集を配った話は?

小松沢 ホッパーは恋人の前で「ナイスバディ」と感想を言ってツネられてたよ。

オヤジ・ギャグの応酬で、東京の夜は更けて

さて、2月23日。ゴキゲンで北海道から帰って来たホッパーと僕たちは浅草の米久でスキヤキを食べた。「僕たち」というのは、89年、デニス・ホッパーの映画祭を手作りした同志たちのことである。そこで披から衝撃の事実を知らされた。なんと「明日、ミスター勝からディナーに招待されている」というではないか! もちろん、[ヴァディムさんも一緒に」だ。

嗚呼、3人のプライヴェートな会話が聴けるなら、死んでもいい〜。
 
僕は勝さんが一席設けた飯倉の老舗のイタリア・レストランCに盗聴マイクを仕掛けようかと思ったが、幸いなことに同志・谷川健司君(映画ジャーナリスト)が通訳として同席するというので『ラジオライフ』のページを閉じることにした。
 
以下、私的な集まりでのことを活字化するのは失礼なこととは知りつつ、ホッパー自身も帰りの成田で「むっちゃ楽しかったで」と言っていたし、問題オヤジ研究史上、いや映画史上またとない場における貴重な会話ということで、ここに公にすることを笑って許していただきたい。

ーーまず、今世紀に二度とない惑星直列ばりの現場にいた感想からお願いします。

谷川 とにかく、勝さんの気配りに感勤しました。まず、ラス・ヴェガスでの英語の失敗談でみんなを和ますんですよ。「ディーラーの女性が『アー・ユー・レディ?』と言ったんで、俺は『アイム・ジェントルマン』と言った」とか(笑)。

ーー(笑)二人とも黙ってないでしょう。

谷川 そう。いつしか筆下ろしの話になってね。ヴァディムが「俺は16の時に浜辺の小屋で年上の女性に童貞を切ってもらったんだ。ところが、射精した後に、地震が起こって。こりゃ、神様が怒っているとビビって、ドアを開けたら、戦車がドカドカやって来る。ノルマンディー上陸の日だったんだ」と口火を切って。

ーーう〜ん。相当、練られた話ですなあ。

谷川 そしたら、勝さんが「俺は14の時かな。日光でことが終わったら、いつの問にか太平洋戦争も終わってた」って返して。ヴァディムがデニスを「お前は俺だちより若いから戦争中は毛が生えてなかったろう」とからかったら、「いや、俺は6歳の時に……」 って言いかけて。

ーー「コラコラ」となった、と。ヴァディムが66、勝さんが63、ホッパーが58ですからね。それにデニスはヴァディムに頭が上がらない。ヴァディムがホッパーとマブダチの、ピーター・フォンダのお姉さんと結婚してたわけだから。

谷川 デニスはヴァディムとジェーンの秘密にやった結婚式に出席してたんですよ。

ーージェームス・ディーンの話は出た?

谷川 うん。勝さんが「長唄の公演でアメリカに行った時、ロスの撮影スタジオでディーンに会ったのが、俳優になろうと思ったきっかけだった」とおっしゃってた。となると、『理由なき反抗』の時だから……。

ーーホッパーとすれ違っていたかもしれない。55年の話だから、勝さんが24、デニスが19だね。

谷川 それで、ホッパーが「先日、ワーナーのスタジオの近くに行く用事があったんで、『理由なき反抗』の頃にたむろしていたカフェをのぞいたら、昔のままでね。ディーンもナタリー・ウッドもサル・ミネオも死んで、生き残ったのは俺だけだとしみじみしたって、話をして。
 
ーー再び、ええ話や(泣)。この3人が出会えてよかった。ちなみに、デニスに勝さんが監督した『座頭市』(89年)のヴィデオを渡したので、次回、会った時はさらにツッコんだ話ができるはず。そして、勝新太郎とデニス・ホッパーの共演を妄想する僕であった。(P283ー289)


1990年、デニス・ホッパーの自宅の訪問記「崖っぷちを踊る男」の最後、川勝氏が、ホッパーの親切に平身低頭してお礼を言うと、ホッパーが、

「日本で君たちにしてもらったことは… 返そうとしても返しようのない体験だった。あんなによくしてもらったことは生涯初めてだった。マサ(川勝氏のこと)。君の世話はAMAGINGだったよ」

僕はうれしかったが、半面、困った。日本での恩返しをここで独り占めしたら、他の同志たちに嫉妬で殺されるに決まっている! 居心地が悪いのでフォローに出た。

「僕はたまたまフリーで時間の都合がつくので、会計係としてお供し、英語ができないので荷物運びをやって目立っただけです。あなたのお礼を、日本のスタッフみんなや、舞台挨拶を観るために劇場前に長い長い行列をつくってくれたファンの人たちに、どうして伝えようかと悩んでいます」

「君はNOTHING SELFISHだ。ブッダみたいな男だ」

まいった。泣いてしまった。ブッダマンとまで言われちゃ、もう取材どころではない。(P271)

書き起していて、私も泣きました。。

◎[参考記事]町山智浩が涙して語る『故・川勝正幸ってどんな人?』

本書の目次

まえがき
日本語のアカすり職人たち
街と人が音楽を作る
世界同時渋谷化
リメイク・リモデル、または若いのに巧い人々
パリのアメリカかぶれ
趣味の良いバッド・テイスト
問題オヤジ研究
臭いモノのフタを取る人
文科系男の性的ファンタジー
音楽極道のシノギ
ロック少年の老後
謝辞
インタヴュー:小泉今日子
著者略歴改め「川勝仕事ベスト40」(自選)
インデックス

◎[Amazon]ポップ中毒者の手記(約10年分)河出文庫


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by yomodalite | 2013-05-15 10:35 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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