ひとりごと(2013.2.3)On Sundays

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John Lurie, 'You Are Here' (2008)


2月とは思えないような暖かな土曜日のワタリウムは「坂口恭平」と「森本千絵」ふたりの人気作家の展覧会がともに残り一日とあって、ものすごく混雑していて、暖かいを通り越して、汗ばむほどだった。



もう一度見たかった坂口総理の「絵」だけでなく、森本千絵氏の作品もじっくり見たいものばかりだったけど、混雑だけではなく、スルーしてしまった。自分でも驚いたけど、、嫉妬なのかも。。

それで、森本氏の作品を遠目に眺めながら、On Sundays でいっぱい立ち読みする。

パティ・スミスの『ジャスト・キッズ』を3/2ぐらいまで読んでいて、同時に出版された『無垢の予兆』が見たかったのだけど、版元の在庫切れで店内にないと聞いて、なぜかホッとして、

久しぶりにメイプルソープの作品集も見たくなっていたのだけど、目につくところにはなかったので、メイプルソープ的な世界…  男性のヌードとか、カトリック的なアイコンとか、SM的な世界を脳裏に浮かべつつ、

すぐ近くにあった、会田誠氏の作品集『天才でごめんなさい』を、パラパラと見て、『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』のタイトルエッセイの部分を立ち読みする。

本文ページが蛍光ピンクとの2色使用になっていて、1680円。流石、幻冬舎!と感心しながら、今度は、雑誌「pen」の『一冊まるごと森本千絵』もパラパラする。この雑誌に特集されている仕事よりも、今、ここにあるモノの方がずっと「熱」をもっているみたい。

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John Lurie, 'This Painting Stands For Goodness' (2007)


それなのに遠目にしか見られないのは「嫉妬」だけじゃなくて、真似したくなっちゃうところが多そうだからなのかな。。

誰かの真似をしてみるのは、とてもいい学習なんだけど、、

私はビジュアルが好きだから、ビジュアルに影響を受けやすいのだけど、そこには、真似をするのに簡単な方法も溢れていて、あまり学習にならないことも多い。

数年前から激しく反省していることだけど、

以前は、画集とか、写真集だけじゃなく、すべての本を「イメージ」で読んでいた。

本の形も、書かれてる内容も、単語も、何もかも、私にとっては「魔術」だった。「魔術」そのものを否定しているんじゃなくて、私が論理的だと思ってたことなんて、論理じゃなくて、論理っぽいような「魔術」でしかなかった。と、今になって思うことが多くて、

「論理的」というのは「論理」じゃなくて、論理っぽいことで、「科学的」というのも、科学っぽいことで、「・・的」なんて、全部 “まがいもの” のような気がしてならないの。
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坂口総理の個展には、レーモン・ルーセルの『アフリカの印象』の挿絵があって、「立体読書」と名付けられた展示には、

「僕は小説があまり読めない。なぜかはわからないけど、物語の中になかなか入り込めないのだ。しかし、不思議と読める小説があって、それらは、どれも物語というよりも、空間描写に焦点をあてたものだった」

と、いうような説明があって、江戸川乱歩の『押し絵と旅する男』と、スティーブン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』、稲垣足穂『天体嗜好症』、堀辰雄の『水族館』、佐藤春夫の『美しい町』などの絵があった。

総理だけでなく、それらの人々から「絵」が浮かんだ人は多いと思う。私もタルホと佐藤春夫の作品を「絵」にするのが、夢だったし、他にもそういう感じで「読んでいた」本があったことを、久しぶりに思い出す。でも、外観上で模倣してしまうことがなくて、スピリットを真似したいと思わせてくれたから「何度も」足を運んでしまったのだと思う。


メイプルソープが亡くなったのは、1989年。

その死の際に「本を書いて」と言われた、パティ・スミスが、20年を経てようやく出版した本を読んでいると、ミケランジェロや、その他多くのアーティストが、ゲイだと言われることの意味が、少しわかったような気がする。

メイプルソープとパティ・スミスという、伝説的なカップルの片方が書いた『ジャスト・キッズ』では、共にアンドロギュヌスな魅力を放っていた、2人の違いもよく描かれていて、それは「書く」人と、「描く」人という違いもあるのだけど、

伝記作家が書いた本とも違っていて、、伝記作家や評論家のようなひとが書いた本のように「審判」をくだすのではなくて、パティの学習記録になっているようで、、それで、読んでいる方も、学べるような気がするのだと思う。
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◎ロバートは10代で自分のアートを見出したけれど、
私は66歳でいまだに探し続けています ー パティ・スミス・インタヴュー



── ウィリアム・ブレイクは宗教的な作家だと思いますし、昨年リリースされた『Banga(バンガ)』もすごく宗教的な感じを受けましたが、パティさんにとって宗教とはどんなものなのでしょうか?

私は祈ることはあるけれど、特定の宗教ではなく、あらゆる祈りに参加します。モスリムにいけば、イスラム教の人たちと頭を垂れることもしますし、先日黒澤明監督と小津安二郎監督のお墓参りをしました。お墓をきれいに掃除して、花を捧げてお参りをしてきました。

宗教というのは結局、人間が作ってきたものですよね。だからひとつの宗教ではなく、自然と一体化するような祈りを信じています。子供と自然の関係、人類と自然の関係、アートより高きを求めるような、その高きがアラーであろうと、ブッダであろうと、イエス・キリストであろうと、なんでも構わない。戦争を起こしたりしてしまうのは宗教の哀しい一面ですが、神社や聖堂に行くと、人は神様との会話を求めて作った心を感じます。

◎[関連記事]William Blake “The Tyger” Thriller 25 The Book


彼女のアンドロギュヌス的なルックスだけに憧れていたときは、全然近づけないような気がしていたけど、上記インタヴューや、Bangaの曲名とか見ていたら、パティ・スミスとの距離も、ほんのわずかだけど近くなった気がする。

海外の古典的な芸術家や詩人とか、パティや、メープルソープのようなアーティストとの距離を縮めてくれるのが「マイケル・ジャクソン」だなんて、私の平板な人生の中では、やっぱり最大の「どんでんがえし」かもしれない。

2010年にワタリウムで行なわれた「ジョン・ルーリーの個展カタログ」も、パラパラと見て、2010年にこれを観に行かなかったことを不思議に思いつつ、結局3回観に行った、坂口総理の個展の展示作品がたくさん掲載されている『思考都市』と、川勝正幸氏の『ポップ中毒者の手記』を買って帰る。

川勝氏の本は見た瞬間「ヤバい」感じがしたんだけど、パラパラして、勝新の名前が見えて、、しかも、ちょっとパラパラしただけなのに、さっき、パティの詩集が品切れって言ってた、いつもNYキャップをかぶってる気がする、草野象(きさと)さんに「川勝さんの本、これから立て続けに出ますよ」って言われてしまって、さっそく「ヤバい」予感が的中!

どんどん「宿題」が増えていくなぁ。。







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by yomodalite | 2013-02-03 21:08 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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