マイケルと神について「ジョン・レノン Part 3」

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☆「ジョン・レノン Part 2」 の続き

私が実際に読んだのは「Part 2」で紹介した『レノン・リメンバーズ』ではなく、その前版の『回想するジョン・レノン』で、また、ここではテーマに沿った部分のみ大幅に省略して紹介していますが、すべてが貴重な内容で、翻訳者の文体には不満が大きいものの、ジョン・レノンを語るうえでは、欠かせない本だと思いました。

ジョンは相手を選び、そのときそのときの自分の気持ちを率直すぎるほど、率直に語ろうとしているようで、毎回判で押したようなMJインタヴューとは異なり、彼は、自分の気持ちに正直であるだけでなく、説明の仕方や、伝え方も色々と試しているせいか、インタヴューによって受ける印象が変わるような気がします。

私には、ジョンが語っている中には、MJは絶対に言わなかったけど、、という部分が多く感じられ、ジョンがビートルズを創ったと言われた男たちと決別しようとしたときの話では、MJがフランク・ディレオや、ジョン・ブランカを解雇した頃のことを思い出し、

ブライアン・エプスタインが亡くなった後、ジョンが「ビジネスマン」とそれほど変わらない才覚でビジネスをこなしていたことなども意外でしたが、

ジョンがそうであったなら、この経験を「学んでいた」MJは、もっと「したたか」であっただろうと思いました。

会社の乗っ取りや出版権の売買の話は、所々、少しづつ語っているという感じなので、当時の報道を知らない、後世代の私たちには全体像を理解しにくいのですが、

ATVとの出版権をめぐる攻防では、ジョンがスカウトしてきた、アレン・クラインと、ポールの妻の父親(弁護士)との対立があり、それは、ジョンもポールも、お互いに自身の家族の方を選んだというような決断につながり、また当時、ジョンもポールの妻も、ビートルズを解散させた要因と言われ、メディアやファンからも激しいバッシングに合いましたが、特に、ヨーコの嫌われ方は凄まじいものだったようです。

また、1960年から70年代、精神世界の話題は、今の時代からは想像できないぐらい「パワフル」だったようで、ジョンの会話には、イエスとブッダの名前が頻繁に登場するだけでなく、

彼の『God』という曲に登場する、名詞すべてが、時代の「救世主」であり、救世主があふれている時代の最大のアイコンが、ジョン・レノンだったように思えます。

このインタヴューの後に、また別のインタヴューを紹介する予定ですが、

下記は、1970年12月の「ローリングストーン」誌によるインタヴューの続きです。

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Q:自分がエルヴィス以上だと気づいたのは、いつでしたか?

わかりません。実際にエルヴィス以上になってみるのと、ただ考えているときとでは、ちがうのです。

Q:夢は終わったとあなたはおっしゃいますが、その夢の一部分はビートルズは神であったということで、ビートルズは神のメッセンジャーであり、ビートルズあるいは、あなた自身が神だったという…

ええ、つまり、神というものがあるならば、私たちみんなが神なのです。

Q:自分たちのレコードを聴いてくれる人たちからのリアクションを最初に感じ始めたのはいつですか? 精神的なリアクションみたいなものですが。

イギリスにウィリアム・マンという男がいて『ロンドン・タイムス』に書いているのですが、ビートルズにとって最初の知的な批評家でした。この男をきっかけに、人々は私たちのことを知的に語るようになったのです。

ええ。この男は、イオリアン・カデンスとか、そういった音楽の術語をたくさん使って、くだらないことを言う人なのですが、いわゆる知的な人々に対して私たちを信頼するに足る存在にしてくれたのです。ウィリアム・マンは、今でもくだらないことを書いていますが、私たちにとっては利点がたくさんありました。中産階級とかインテリの人たちが、ウィリアム・マンを通して、私たちに感心するようになりましたから。

Q:ジョン・レノンは神だ、ということが、あなたに対してはじめて提示されたのはいつでしたか?

どうしていいのかわからなかったですね。「どうか、お告げをくださいませ」とでも言われているみたいで … 『ラバー・ソウル』のころでしょうか … 記憶にありません。つまり、私たちはメッセージを発しはじめたのです。メッセージを出し始めると、人々はそのメッセージはどういう意味なのですか、と聞きはじめるのです。

Q:いまは、どんなアーティストが優れていると思いますか?芸術のどんな分野でもいいのですが …

ヨーコは、私にとっては、ポールとディランをいっしょにしたほどに重要な存在です。彼女は死ぬまでは評価されないと思います。現在の痴呆的な世代に対して、彼女の作品がどのような意味を持つのかが少しでもわかっている人たちは、片手で数えられるほどでしょう。私としては ーー ヨーコのやっていることには敬服しています。

アートスクールで私が学んだことといえば、ヴァン・ゴッホについてだけであって、マルセル・デュシャンについても教えてくれず、彼について教えてくれなかったという点で、私は自分が通ったアートスクールを軽蔑しています。

Q:ヨーコを理解することに関して、一般的な妨げとなっているものはどういうことなのでしょうか?

ハワード・スミスが、FM局でヨーコの音楽をかけると予告したところ、馬鹿な人たちが電話をかけて「彼女の音楽をかけるなんて、とんでもない。かけるものならかけてみろ。ビートルズを解散させてしまった女じゃないか」と電話で言ってきたのです。彼女はビートルズの解散の原因ではありませんし、たとえそうだったとしても、FM局が彼女の音楽をかけることに、なんの関係があるのですか。

彼女は女性で日本人です。彼女に対しては人種的な偏見がありますし、女性だからという偏見もあるのです。彼女の作品は、ちょっと考えられないほどすばらしく『サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド』と同じほどに重要です。本当にヒップな人たちは、すでに気づいています。彼女はあまりにも優れていて、進みすぎていて、、彼女の苦痛はとてつもなく大きく、彼女が自分を表現するときに、その表現を受け止める方の人たちにまで、苦痛が伝わって行くのです。とても受け止めることはできません。ゴッホが自分の時代に受け入れられなかったのと、同じです。

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Q:ベッド・ピースは、どういうことだったのですか? あなたが再び一般に姿を見せ始めた最初でしたけれど。

私たち夫婦が、ベッドの中で平和について語ったことが世界の新聞の見出しになったということを考えれば、素晴らしいイベントだったと思います。

◎ベッド・イン(Bed In)Wikipedia
◎『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』(The U.S. vs. John Lennon)

Q:「愛」という言葉は使わずに「平和」にしたわけですね。意味は同じでしょうけど。「平和」という言葉のどこが好きなのですか。

愛とか平和に関して、私とヨーコとは共通していたのです。ヨーコは、平和のためでないことは、何もやりたくなかったのです。

Q:政治のリーダーたちからは、なにかリアクションがありましたか。

ベッド・インについてはなにも。どんぐりを送ったことに対しては反応がありました。いろんな国の元首たちが、実際にそのどんぐりを土に植えたのです。送ってもらったどんぐりに対する返事は、たくさん来ました。

Q:カナダのトルドー首相に会ったときはどうでしたか。あなたに対する反応はどうだったのですか?

私たちがなにか若者の層を代表しているのではないだろうかと考えていて、私たちに興味を示していました。彼は大変神経質になっていたと思います。時間は40分ほどで、いろんな国の元首たちに会う時間よりも5分長く、35分でもトルドーに会うこちが出来れば、当時は非常に光栄なことだとされていました。

◎ピエール・トルドー 1968〜1984年まで首相を務め、現在の多文化国家カナダの原型を作り、対米依存主義脱却を目指した。

Q:ハンラッティのために、あなたは袋の中に入ったりしましたよね

◎ハンラッティ事件(Wikipedia)

ええ。ハンラッティのために「バッグイベント」(☆)のようなことをやりましたけど、ヨーコと一緒に行なった「バッグ・イベント」で一番良かったのはウィーンで行なった記者会見でした。オーストリアのテレビで、ヨーコの映画『強姦』が訪英されたときです。その映画の製作を私たちが頼まれ、できあがったものを観にウィーンに行ったのです。

(☆)バギズムとも言われるジョンとヨーコによる平和運動のひとつ(Wikipedia)

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Q:「戦争は終わった」のポスターに対してはどのような反応がありましたか。

大きな反応がありました。そのイベントが、メッセージそのものから離れても立派なものだということを理解してくれて、世界中の若者から、ありがとうという感謝の言葉を受け取ったのです。私がいま、町を歩けば、人に話しかけられるときの話題は、平和のことだと思います。

Q:あなたに大変な人気があるのは、なにが理由になっていると思いますか?

私はやるべきことをやったからです。ビートルズをやめてしまったからです。芸術家として、たとえば、ディラン・トーマスみたいな人たちのことを聞いたことはありませんか。なにも書いたりせずに酒ばかり飲んでいて、、、みんな酒で死んでしまっています… なにかをやった人と言うのはたいていはこんな風なのです。

ビートルズの頃の私は、パーティーのまっただ中に身を置いているようなものでした。そのパーティーの中で私が皇帝になっていて、何百万という女性を従え、薬物も、酒も、権力もあり、あなたはなんて偉大でしょう、とみんなが私に言っていたのです。そのような状況から抜け出すことはできませんし、降りることもできず、ものを創り出すこともできなかったのです。少しは創りました。創ろうと思わなくても出てきてしまうものは、少しはあるのです。

Q:ボブ・ディランを偉大な存在だと考えますか?

いいえ、詩人のひとりとか、競争相手のひとりとして、考えています。ディランの歌を聴いたり、ディランの歌を読んだり、ディランでなくても誰でもいいのですが、そういうことをする以前に私が書いた本を読めば、わかります。誰を聞こうが聞くまいが、私は同じなのです。私は、エルヴィスやディランのあとに出てきたのではなく、それ以前からいたのです。

しかし、偉大なアーティストに接したり実際に会ったりすれば、私は、その相手が好きになります。短い間ですけど、相手に対して狂信的になり、そして冷めていくのです。

Q:あなたはこれからロンドンに帰るのですね。この先3ヶ月ぐらい、なにをやるのか、大体の見通しはどうなのですか?

ちょっと、ただ消えてみたいですね。ニューヨークには疲れさせられました。ニューヨークは好きですが、とんでもない怪物に惹かれていくみたいな感じです。映画をつくるのは、色んな人たちに会う手段としては、とても良かったと思います。私たちは、もう充分に発言し行動したので、これから数ヶ月は、なにもしなくていいと思います。特にこのインタヴューでは充分に発言しました。

Q:これから数年間についての、おおよその計画は、どうなのですか?

これから数年間のことなど、まったく思いもおよびません。あと何年あるかなどと考えると、底なしの感じがします。まだ、何百万年とあるのですから。私は、週単位でくらいでやっていきます。一週間より先のことは、あまり考えません。

Q:もう訊くことがなくなってしまいました。

それはまた、驚きですね。

Q:なにか付け加えたいことはありますか?

いいえ。『ローリングストーン』の読者をつかむような、肯定的で心あたたまるものは何もありません。

Q:「自分が64歳になったら」どうなっているか、想像できますか?

とてもできません。アイルランドの海の近くとか、そういったところに住んでいる、素敵な老人夫婦になっていたいと思うのですーー狂気のスクラップ・ブックを眺めて暮らすというような。

(インタヴュー終了)


「僕が64歳になっても」
ポール作曲『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』収録曲





1970年の暮れに行なわれたローリングストーン紙のインタヴューの紹介は以上です。

わたしは、自分自身が神のように扱われることの苦悩と、ヨーコへの凄まじい批判に対して「ジョン・レノン」という名声を捨てても…という心情を強く感じました。

Part 4で、このインタヴューとほぼ同時期の、また別のインタヴューを紹介します。

☆「ジョン・レノン Part 4」に続く


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by yomodalite | 2012-10-19 14:52 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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